ぱるるの涙はパリの風に揺れて



東京オリンピックから5年の月日が流れた2025年、幸にもAKB48はまだ存在している。


たかみなさん、こじはるさん、ぱるる、まゆゆ、そしてさしこ。創成期、中興期を支え続けたメンバーが去って行ったこの10年、少なからず解散に繋がる時期、出来事もあったように思う。


でもAKB48ももう20年、20歳の子が生まれた時にはAKBはすでに存在していたという事実。当たり前のように時がすぎてゆく、そんなAKBGのその行く末なんてもう誰も疑わない。




存亡に関わるような不具合が発生してもまるで自動修正プログラムが作用するように何かしらの力が働き、蹴散らしながら何事もなかったかのように時は進む。

大きくなりすぎてしまった船のその推進力はもう私たちの想像を遥かに越えてしまっているようだ。





             ※※※ ※※※





みんなとの十年ぶりの再会は何事もなく過ぎた。ただただ楽しいだけの笑顔が溢れたひと時だった。


緊急第四発動はなんだったんだろうね。最後に島田が私だけに分かるように耳元でそう呟いた。


ぱるるはいつまでたってもぱるるやから それで島田には通じた。


paruを連れて来たことはもう生臭い話は今日はしない、その表れだったんだろう。


ただこれでは終わらない誰もがそう思っていたのは確かだった。




その三日後、菊池凜子から問いただしたと言う、島田からの電話で全てが分かった。

島崎遥香のAKB 卒業後の10年は菊地凛子と共に歩んだ年月だった。


彼女がAKB 時代からの自分を捨てぱるるのサポートを選択した経緯は私達には未だに知る手だてはないけれど、paru の存在が少なからず二人の関係性に影響を及ぼしたことは間違いないだろう。


「まずは映画や舞台で結果を残す。遠回りのように見えるけど結局はそのほうが近道。だから私はあなたに無駄な仕事はさせない」


事務所が変わってそんな彼女がマネージャーになった途端、ぱるるの周りの状況は変わった。


まずぱるるの無用な露出を凛子は減らした。


卒業後次から次へと舞い込んでいたドラマのオファーに彼女は注文をつけ出した。


「台本を見て判断させて欲しい」


いくらAKBの看板アイドルだったとはいえこの業界では新人。


それはもう断っているのと同じこと。



「CMもドラマも無闇には取らない。そのほうが今のあなたには結局のところ得策。長い目で見据えれば今の我満がきっと生きてくる」



彼女は経験と言う言葉が嫌いだった。



やたら何でも吸収することは消化を妨げることになる。

経験を必要とするのは何も持ち合わせていない人間。人より抜きん出た美貌を持ち才能にも溢れた女優はしっかりとしたビジョンを持って前へ進まないといけない。

「分かりやすいように言えば一点集中。力を分散させることなくひとつの大きな目標に突き進む。無駄なところに力を使わない」

そんな凛子の考えはぱるるには意外だったらしい。だって、あれほど罵り蔑んでいたぱるるを彼女は特別な人間と評価していたのだから。



そういう意味ではぱるるはずっと疑心暗鬼を抱きながら、菊地凛子という得たいの知れないパートナと生きてきたのかもしれない。


ただ結果だけを見ると彼女の決断は正しかった。


東京オリンピック後、女優としての活動をテレビドラマから舞台や映画にシフトするとぱるるの秘められた才能は見事に開花し始める。


今一つ殻を破れなかった自分にぱるるは気づき始める。


生まれて初めて知る舞台でのお芝居。今まで彼女が知る学芸会擬きのそれとは訳が違う。泣く笑う怒るを高次元で演じきる何者とも知れない役者達。


それはまさに彼女から見たら魂と魂がぶつかり合う戦場だった。


この時期にぱるるから送られてきたメールを私はっきりと覚えている。


「由依、私達って今までいったい何をしてきたんだろう」




そのあくる年まだ新人賞の資格があったぱるるは出演した舞台や映画で数々の映画祭の新人賞を総なめにする。


元々業界にはぱるるのファンは多かった。彼女を声高に評価する識者も多くいた。けれどそれまで彼女がそんな声を自らの力に変えることができなかったのは前述した通り女優島崎遥香としての方向性をおお向こうに示せなかったから。


そしてぱるる自身の光輝く王道が見えた瞬間、周りは凄まじい勢いで動き出す


まずはそれを契機にそれまで静観していた秋元先生が重い腰を上げる。


おそらく自分達の持つ海外ネットワークでぱるるを売り出すためにはそれ相応の名刺代わりの勲章が必要だったんだろう。


「二年以内に島崎遥香がアカデミー賞主演女優賞を獲れるように、5年以内にカンヌのパルムドールを手にすることができるように、プロジェクトを組んでいく」


秋元先生はそうメディアにぶちあげた。

結局は日本のエンターテインメントの英知が秋元イズムと融合した形になり、パルムドールは日仏合作の映画で二年足らずで栄誉に輝いた。逆にアカデミー賞の方は助演女優賞を一度獲得しただけで主演女優賞は今だ獲れていない。


それはいまだにAKBに対する業界の識者たちの風当たりが国内では強いことの証。


そしてこの事はぱるるのパリへの思慕をいっそう加速させることになる。


「そういう意味ではぱるるのこの10年間は一気に駆け抜けた日々だったのよ、周りを見ることもなく」


島田の電話の向こうで聞こえてくる声が力なく私の耳に響く。


「そして振り返ると、ぱるるのは周りに誰もいなかった、そういうことなんやな」




ぱるるは今パリにいる。AKB 20th記念コンサートが終わったその夜には秋元先生が用意したホンダのストリームジェットの機上の人となり早々と家路に着いた。 ほんの数日の故郷での滞在も今の島崎遥香にとっては苦痛の何者でもないらしい。


「それとぱるるへの殺害予告の件、やっぱり凛子のようだね」


それは知っていた。秋元先生がそれとなく匂わせるようなメールを送って来ていた。


「危なっかしいことをするもんや、相変わらず」


ぱるの今の気持ちも考えないで、島田が被せて言う。


「それで、paru の件は?」


「争うって言ってる」


「paru 本人は?」


「ぱるるはぱるりん、凛子はりんこママって呼んでるんだけど、


ぱるるがもうりんこママって言うのは止めなさいって言ったんだって」


「直接言ったん?ぱるるが」


「うん、そうみたい」


「なんで?なんで、そんな選択させんのん?まだ5才の子に?」


「・・・・」




あの時は納得はしたはずだった。自分を言い聞かせるのにかなりの時間を要したことだろう。産後三日も経たないベッドの傍らに置かれた自らの分身にぱるるはこう語りかけた。


「ママはね、これから色んなものと闘わなくちゃいけないの。だからね。。だから今はあなたを抱けないのよ。許して・・・」


その時は私達さえ知らなかった。


喘息による体調不良だけじゃなく日々の心のバランスを保つことは彼女にとっては必要なのは広く知られているところ。 


だから、ぱるるの突然の休養なんてそんなに珍しいことじゃない。メディアも周りの仲間もその姿がしばし消えてもなんの違和感もなかった。


ぱるるは人知れずフランス、アルルの片田舎の病院で凜子だけに見守られてparuを産んだ。


二人の間でどんな話し合いがなされたかについてはぱるるの口は依然として固い。でも凜子はparuが生まれたその日に自分の養女とした。


その事実がぱるるをこの五年間ずっと苦しめてきた。


そんな五年前のぱるるの選択が今となっては限りなく重いものになってる。




「ぱるるの母性がどうしようもないほどに、目覚めた今となってはもう誰にも止めることはできないのかも知れない。


もし、できるとすればあんただけかもしれない」


島田が最後にそう言った。


そして・・・・・



「来れるの?」


「たぶん」


「じゃ、待ってるから」



夜中の3時、突然の電話で起こされた。

それはパリからのぱるるコール。あの日の再会から数日後のことだった。


待ってるからって・・・


石神井から、山手線に乗って荻窪へ行くのとは訳が違うんやで、


ぱるる。。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

塩と呼ばれて~ParuStory マナ @sakuran48

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る