第3話 「追いかけてほしかったのに」

涙のメリーゴーランド。愛情が空回りする……。

どうすればよかっただろう。


 ***


 岡崎永美おかざき えみは、今日も手を繋いで登校する馬場直純と溝ノ口当みぞのくち あたるの仲睦まじい様子を眺めていた。


「いや、あれはないでしょ」


 永美は半笑いを浮かべた。隣には大親友の藤木結花ふじき ゆか。二人は腕を組んで二階の窓から下を覗いている。


「それじゃあ栗名はどうなんの?」


「佐藤君にアプローチされた人よね?」


 永美と結花の後ろから、女子二人組が話しかける。神崎梗かんざき きょうと、速水薫はやみ かおるである。


「俺は信じねえからな!!」


 金切り声を上げたのは佐々鈴蘭。彼は最近、五人組という奇数の人数のせいであぶれがちなのだ。そして、なぜか女子のグループに入っている。


「あんたのクラス、一組でしょー」


「二年なんてどれも一緒じゃねーか」


 鈴蘭は全く可愛げのない台詞を吐き、堂々と女子の輪に入り込んで、売店の焼きそばパンと牛乳を食らっている。


「まあ、一、二、三組までは普通科だからな」


 梗は笑って、桜色のネクタイを締め直した。ここは男女両用の制服が用意されてあるから、自分みたいな性別の半端者には都合がいい。と梗は毎日軽い口調でみんなと接している。


 鈴蘭は梗のことを気にかけている。


 永美には、それがわかっていた。



   +🌸+



 昼休み。

 永美は部室の扉を開けて、旧友に助けを求めた。


理衣子りいこさん、お願いします。あなたの学級委員長能力であの忌々しいチビ男をやっつけてください」


「何言ってんのよ。私にそんな力あるわけないでしょ。大体、佐々君は成績優秀、品行方正ではないけれど学期末テストにはなくてはならない存在なんだから。私はあの人をライバルと認めてるの。下から数えて七番目のあなたの相手をしてる暇ないわよ」


「ほら! そういう可愛くない文句垂れ流すから男子が寄ってこないんだ!」


「私に男なんていりません。佐々君がライバルだったらいいの」


「佐々鈴蘭は男だから!」


「私の中では彼の性別は中性です」


 綾本理衣子あやもと りいこは少し妄想が行き過ぎる女の子だが、一応、これでも長いこと親友をやってきた仲である。強気で勝ち気で生真面目な彼女なら、どんなに憎たらしい男子でもその達者な口で黙らせることができるのに、今、理衣子は永美の天敵に恋心――なのかは不明だが――夢中なのだ。


「ひどい。誰もあいつを倒してくれないなんて……」


「他力本願が一番みっともないわよ。成績でぶつかり合いなさいよ」


「それこそもっと駄目でしょうが!」


「何よ、男子と女子が成績以外でぶつかり合えるものなんて、ほかにないでしょ」


 永美は理衣子に言われて、口をつぐむ。本音を言うなら鈴蘭と昭和の漫画レベルの殴り合いをしたいと思っている。だが、ああ見えても力は強いに違いない。自分なんか一六〇センチにも届かないというのに、鈴蘭は五センチ高い。不満だ。男女の差は不公平だ。身長も、体格も、筋肉の量も。


「そうだ」


 永美はいい案を考えついたというように目を開いた。


「結花ちゃんを使って栗名を誘惑したらいいんだわ」


「何でその発想で栗名君に行くの? 彼は佐藤君とお熱でしょ」


 理衣子が白い目をこちらに向ける。


「違う、違う。佐々の永遠の友人は栗名だよ。美少女ランキング二年連続一位の結花ちゃんが迫ってくれれば、栗名も落ちるって。あいついい人そうだし、簡単に騙せそうだし、そしたら佐々のデリケートなハートは傷ついて、理衣子、あんたのもんになるじゃん」


「女って怖い」


「私たちは悪魔の双子よ」


 双子、というのはもちろん比喩である。永美と結花はたいへん意地の悪い性質で有名なのだ。


(もはやどっちが嫌われてるんだか)


 むろん、理衣子も人のことは言えないが。


   +🌸+


 永美は行動を起こすのが早い。言葉を選ばずに言うとこらえ性がない。昼休みの時間に理衣子を訪ねた後は、さっそく結花と共謀を図っていた。


「栗名君よりは佐々君の方が扱いやすいから、そっちにしよう」


 結花は花冠が似合うようなお顔で、目をキラキラと輝かせている。悪戯したくてしょうがないのだ。男はみんなこの子に騙されていく。


「栗名君はよくわからない人だから」


「結花ちゃんでも無理っぽい男子がいるんだ」


「まあね」


 ふうん、意外だな。理衣子はそう思い、永美に目をやる。永美もまた理衣子に同じ視線を送る。


「栗名君はミステリアスな人だよ。目が語ってるもん。俺の心に入らないで。てね」


「結花ちゃんすごいなあ。私なんか全然考えなかったわ」


「あんたは男に興味がないだけでしょ」


 理衣子の言葉に、それもそうねー、と永美は答える。結花は体育館の開放口から見える男子の球技を観察している。ただいま午後の六時限目だ。時刻は三時過ぎで、空はすでに日の色を濃くしている。


「栗名、行け!! 君の情熱を空に爆発させるんだ!!」


「お前はなぜ体育の授業に出ない!?」


「手に怪我を負ったら大変でしょうっ! 将来を約束された指なんですよ!?」


「お前はまだ何者でもないだろうがぁーっ!!」


 小さな第二グラウンドでは佐藤涼と体育教師が大きな声で怒鳴り合っている。永美と結花と理衣子の三人は「それにしてもあいつは不思議よね」と口を揃えた。


「一体どこから出てきたんだか」


「あの人、外部生じゃないの?」


 理衣子の呆れた声色に永美が乗っかって、結花が「佐藤涼くんは一年の時、不登校だったんだよ」と発言した。


「マジ? 引きこもり?」


「引きこもりかどうかは知らないけど、なんかクラスのリーダー格を殴ったとかで、一気に悪者にされたみたい」


 結花の言葉に永美たちは、ぽかーんと視線の向こうを見た。


「あのキング・オブ・インドアな見た目で暴行事件……?」


「彼こそミステリアスな匂いがするわね」


 永美がぎょっと理衣子を見る。理衣子の想像力豊かな脳みそはすでに佐藤涼への興味でいっぱいだ。


 きゃー、と今度は体育館に女子の黄色い声が上がる。


「ああ、神崎ちゃんがサーブ決めたんだ」

「バレーボールは彼女の独壇場ね」


 永美は気を取り直したように結花とはしゃぐ。最後の対戦をしていた二チームは神崎梗のグループに軍配が上がったようだ。


「薫さん、負けたの……」


 理衣子は誰にも聞こえないように声を押し殺し、つぶやいた。



   +🌸+



 理衣子は永美と結花の二人を好きだ。


 もはや愛していると言っても過言ではない。


 綾本理衣子は女の子が好きだ。


 女の子の甘い匂いが好きなのだ。



   +🌸+



 ゴールデンウィーク、と聞いて嬉しがる人間もいるけれど、理衣子にとってはただのいつもの休日である。ちょっと古書店でも覗いてみるか、そんな程度だ。


 理衣子はほぼ毎日書店で小説や詩を物色している。学校帰りの駅ナカ書店など、理衣子にとってみれば大宮殿だ。大人から見れば大げさ過ぎるかもしれない。けれど、理衣子はまだ親から保護されなくてはならない。十七歳。大人になるには、少し早い。


(目ぼしいものはないわね……)


 木立学園からのスクールバスを降り、理衣子は多摩センター駅の啓文堂書店へ出向いた。多数の小説が並んであったが、今一つ自分の心にピン、と引っかかる琴線のような輝きを持つ物語がない気がする。あまり大好きな作家ばかり追い続けるのも、同じ話のネタが生まれるばかりで脳の刺激によくないと、著名な誰かが言っていた。


(多摩センター、もう少し頑張ってほしいわ……)


 地元であるだけに、ほかの都心部より蔵書数が足りないのを、理衣子は密かに気にかけている。


「あ」


と、理衣子は声を上げた。学年一位の「爽やかイケメン君」が、見知らぬ女子を連れて漫画コーナーにいたからだ。


(家族かしら……)


 栗名の隣にいる女の子の髪は赤かった。栗名は赤毛だ。そこまで目立つ赤色ではないが、日本人は黒髪だらけなので毛色が違うとそれだけで目立つ。


(私は気にしないんだけどね)


 本棚の陰に隠れ、理衣子は連れの女子をじっくりと観察する。栗名の髪より少しオレンジの色合いが強いな、と思った。光り輝く赤毛である。しかし「赤毛のアン」の作中で出てくる「ニンジン色」と呼ばれるほどの色ではないなと思った。


 理衣子は栗名と彼女を見続ける。栗名の赤毛と、彼女の赤毛。


(やっぱり栗名君の方が「いい」色だわ。赤って目立つけど、惹きつけられる強さがある。今度の新作は栗名君を題材に使おうかしら)


 じっと眺めていたおかげで、理衣子は栗名たちがとっくにこちらの無遠慮な視線に感づいていることを失念していた。


「あのー、綾本」

 栗名がパッと振り返り、苦笑いを浮かべながら近づいてくる。理衣子は少しだけ身をすくめる。


「あら、栗名君」


 背筋を正し、理衣子はよそ行きの口調で返した。


「ええと……、部活?」


「そうよ。演劇部」


 栗名の隣の女の子は、理衣子の顔をちらちら見上げ、恥ずかしそうに視線をさまよわせている。


「ぶしつけに見ていてごめんなさいね。演劇部の脚本づくりに苦労してるのよ」


「はあ」


「何しろ、うちには岡崎永美と藤木結花がいるからね。あの性悪女ども、まだあなたに悪さをしていないかしら」


「悪さ?」


「いえ、こちらの話」


 理衣子はふいっと顔をそらした。ということは、結花たちはまだ作戦会議中なのか、あのコンビにしては手を出すのに時間がかかっている。


「ところで、妹さんかしら。かわいい子ね」


「おお、サンキュー。ほら、褒められてるぞ、お前」


 女の子はまたちらっ、と理衣子を見上げる。すると蚊の鳴くような声で「……ありがとうございます」とつぶやいた。


「人見知りが激しくて、こいつ」


 栗名は困ったように妹の頭を撫でる。


「何歳差?」


「七歳」


「それは大きいわね。ほとんど父親の気持ちでしょう」


 栗名の顔が一瞬、スッと影が差したように曇った。あら、どうしましょうと理衣子が対応を考えている間に、栗名はさらっと話題を変えた。


「演劇部の去年の演目よかったよ」


「あら、どうもありがとう。最近はネタが枯渇してしまってね。軽いスランプかも」


 理衣子は演出家だ。『木立学園』を選んだのも、ここが芸術ごとに強い学校だからだ。


「そうか? 去年のやつ、完全オリジナル作品なんだろ? 迫力あったよ。お前、才能あるんじゃないか?」


「そんな風に言われると、調子に乗るわよ」


「綾本は少しくらい調子乗った方がいいかもな」


(……さすがに栗名君は言うことが違うわね)


 高校二年になると、男子は急に大人になる。いつまでも成長しないやつがいる一方で、教室の箱からすでに将来を見据え、羽ばたく準備を始める彼らがいる。自分たちよりずっと大きな背中を見るのが理衣子は好きだった。


「栗名君、あなたはどこへ行くの?」


 理衣子は栗名の理知的な目を見て、言った。


「え」


「進路の話」


「ああ、そっちか」


 栗名の目はほんの少し怯えた色を持っていた。


「俺は……、俺はまだ明確な目標が見えてないんだ。大学行けるかどうかも曖昧で。学費の件で」


「そうなの」


 貧乏な学生は山ほどいる。木立学園だって、就職する道を選ぶ生徒が一割弱いる。今の時代に演劇を目指す理衣子によくない目を向ける者もこの先出るだろう。


「栗名君は、模試の結果、佐々君と競っていたでしょう。何も不安に思うことはないんじゃない?」


「うん」


「私は演劇学を学べる大学を片端から調べてるの」


「綾本らしいな」


「女優になりたいからね」


「おお、その意気だぞ」


「栗名君は、何を目指してるの?」


 栗名は唐突に黙った。

 彼の目が再び動揺する。


「目指しているものが、あるんじゃないの」


 理衣子は強く出た。彼をずっと見続けていたこの数か月。栗名は「秘密」を持っている。


 栗名は、夢を、持っている。


 理衣子が想像する限り、おそらく、途方もない大きな夢。


 誰にも言えないほどの切実な思い。


 この人は持っているはず。


 理衣子はそう思った。


 栗名の腕にくっついている妹が、帰りたそうに彼の服の袖を引っ張り始める。


「……もう行かなくちゃ。じゃあな、綾本」


「……ええ」


 ぐずる妹の頭を撫で、栗名は理衣子に背を向けた。


 彼が去っていく。

 理衣子のそばから。




「俺は、詩人になりたい……」




(……ん?)


 空耳のような気がして、理衣子は自分の耳に手を当てた。普段妄想ばかりしているこの頭はとうとうおかしくなったか。いや、違う、これは。


(…………出てきたんじゃない?)


 理衣子はにやり、と口角を上げた。


 鞄からスマホを取り出す。


 三回目のコールで相手は出た。


『……何? 綾本さん』


やなぎ。出番よ」


 物語が降りてきた理衣子に怖いものは何もない。


「今やってるやつ、全部なしにするわ。一日で書き上げるから、役者陣にそう伝えて」


『…………はあぁっ!? 脚本ボツにするってこと!?』


「ほかに何があるのよ。ゴールデンウィークあと三日あるし、大丈夫でしょ」


『永美と結花がまたヒステリー起こすわよ!』


「その相手はあんたにしかできないわ。この伝統校の演劇部に泥を塗るような真似は絶対にしない。すごい大作なのよ」


 あんたに才能がなかったら今ごろ殺してやるんだからっ! と電話は唐突な勢いでぶち切れた。スマホをしまうと、理衣子は今までにない高揚した気分で、本屋から改札口を抜けて新宿行きの電車に滑り込んだ。




つづく

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ぼくの名を呼んでほしい【Please,call my name……,】 泉花凜 IZUMI KARIN @hana-hana5

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