21 「いつでも頼ってくれていいよ。」



「こっち。」


 朝日さんは僕の手を引いて部屋の中に招く。部屋は、女の子らしいものもあるにはあるけどそれほど多くはない、見方によっては質素ともとれる部屋で、あまり使った形跡のない勉強机と、いくつかものが入った棚、そしてベッドが置いてあるくらいだ。

 ただ、所々にある小物からセンスを感じる。混沌としてる僕の部屋の数倍綺麗だ。


「――知ってた?」

「え?」

「お父さんも来るって、知ってた?」

「いや、知らなかったよ。日向さんが連れてきて、僕も驚いたし。」

「そっか。やっぱり、そうだよね。」


 朝日さんはそう言うと、僕の手を引いてベッドに腰掛けるよう伝えてくる。なぜか少しいけないことをしている気分になりつつ僕がベッドに腰掛けると、朝日さんは僕のすぐ隣に腰掛けた。


「――さいしょは、楽しかったの。」


 ぽつりとそうこぼすように呟いて、膝のあたりに視線を落とす。


「逢音がいて、お姉ちゃんもいて、楽しかった。でも、お父さんが来て、それで嫌になっちゃって、逢音と二人になりたかった。」


 それは『僕を連れてきた理由』だと最後まで話を聞いて気が付いた僕は、ある程度納得すると同時に疑問も持つ。どうして日向さんと二人きりじゃなくて僕と二人になりたかったんだろう。

 ただ、そう聞くのは今じゃないと思って、朝日さんの話の続きを聞く。


「――どうしたらいいと思う?」

「それは、倉井さんとどう接したらいいかわからないってこと?」


 僕がそう確認すると、朝日さんは少しの間の後こくりと頷く。んー、なんで僕に聞くのかな。あくまでも友人でしかない僕に聞かれても正しい答えなんかわかんないんだけどな。


「んー、実際、朝日さんは倉井さんのことどう思ってるの?嫌い?それとも怖い?」

「――わかんない。

 たしかに、お父さんは苦手。いろんなことがあったし、それは間違いない。でも。」


 朝日さんはそこで言葉を切ると、自分の膝の上で丸めた手を力強く握る。


「でも、でも、嫌いでは、ないと思う。だからこそ、どうしたらいいか、自分でもわかんない。

 お父さんが、わたしのことを考えてくれるのもわかる。けど、やっぱり嫌なものは嫌だったし、苦手なものは苦手。」

「んー、なら、一回ちゃんと話して、怒ってみたら?なんなら倉井さんを殴ってもいいだろうし。」


 僕がそう言うと、朝日さんは意外そうな表情を浮かべて僕のことを見る。身長の差があって朝日さんが僕のことを少し見上げる形になった。


「正直、僕には他の人の家の事情とか関係とかは難しくてわかんない。

 でも朝日さんが倉井さんのことを気にかけてるのもわかるし、倉井さんが朝日さんを心配してるのもわかる。

 ただ、倉井さんが『心配だから』って理由で朝日さんが不自由だったりそういう思いをしたことがあるのは事実だろうし、いくら心配だったからってそれはするべきじゃなかったと思う。でも、倉井さんを正当化するわけじゃないけど、向こうもそのことについては自覚があるみたいだし、だからこそ朝日さんに負い目があって話がしにくいっていうのはあると思うんだ。

 だから、朝日さんが嫌だったことに対して怒ってみたら、お互いにスッキリするんじゃないかな。その怒る過程で数発殴ったっていいと思うしね。

 まぁ、実際にそれでお互いにスッキリするかはわかんないけどね。ただ、なにもしないよりかはいいんじゃないかな。」


 少し話すつもりだったのが、思ったよりもたくさん話してしまった。

 実際、どうすればいいのかなんて僕には全然わかんないし、予想もできない。ただ、今のは『自分ならこうするだろうな』っていう話でしかないから、ほんとうに参考にもならないと思う。


「うん。そうしてみる。これから、一回、ちゃんと話してみる。だから、その――」


 朝日さんはそこまで言うと、自分の指に視線を落として言いにくそうにする。


「その、その――と、隣にいてほしい。ちゃんと、話すのはわたしがするけど、一人だとやっぱり、難しいと思うから。」

「全然いいよ。なんの力にもなれないと思うけどね。」

「そ、そんなことない!」


 うーん、本当になんの力にもなれないと思うんだけどな。まぁ、朝日さんがそうしてほしいって言うなら、そうしよっか。断る理由もないしね。


「まぁ、僕なんかで頼りになるなら、いつでも頼ってくれていいよ。」

「うん。じゃあ、お願い。」


 朝日さんはそう言うとベッドから降りて僕の手を引く。僕もベッドから降りると、朝日さんと手を繋いだまま朝日さんの寝室を出てパーティーをしているリビングへと向かう。リビングのドアを開ける前に一度深呼吸をした朝日さんは、決心したように勢いよくドアを開けてリビングに入った。


「朝日?」


 急に勢いよくドアを開けて入ってきた朝日さんに驚く倉井さんと日向さんはお構いなしに、朝日さんはずんずんと二人に近づいていく。そして、倉井さんにもう手が届くといった距離まで近づいたところで朝日さんはするりと僕と繋いでいた手を離す。

 そして、朝日さんは自由になった右手でテーブルの上のパンを掴むと、倉井さんの口に押し込んだ。


「むぐっ!!?」


 突然の行動に朝日さん以外の三人が驚く中、朝日さんはすぅっと息を吸って、一気に話を始めた。


「わたしは、お母さんがいなくなってからのお父さんが嫌い!


 なんでもかんでもあれは駄目って言うし、今まではなにも言わなかったことに口を出すようになったし、高校だってわたしが好きに選ぶのを渋ってた!

 お母さんがいなくなってから、ずっとそう!まるで、わたしがなにもできない子供みたいに扱って!ほんと、それが嫌だったの!わたしが信用できないって、こんなことをお前に選ばせられないって、まだまだなにもできないって、ずっと言われてるみたいで、苦しかった!


 お母さんが死んじゃったときもそう!お姉ちゃんも、お父さんも、お母さんが病気だって知ってたのに、わたしが中学生だからって、本当に危なくなるまでなにも言わないで、わたしがお母さんが病気だって知ったときにはもうお母さんと話すこともできなくて!


 わたしはどうしたら『子供』じゃなくなるの!?いつになったら、お姉ちゃんみたいに『もう大丈夫』って言われるの!?


 わたしは、そんなにダメな子供なの!?わたし、そんなにダメなことした!?わたし、ちゃんと、ちゃんといままでいろんなことをやってきたと思ってたのに、まだダメなの?いつまでも、いつまでも、なんで、ダメなの?」


 溢れ出る涙を左手で拭いながらそう叫ぶ朝日さんに、倉井さんも、朝日さんも、僕も、なにも言えなくなる。

 なんて言ったらいいのかも分からず、ただその場で泣き崩れる朝日さんの背中をさすることしかできない。


「――すまない、朝日。」


 パンを呑み込んだ倉井さんは、朝日さんと高さを合わせるように床に座って、頭を下げる。


「父さんはずっと、お前たちの面倒をお母さんに任せっぱなしだった。だから、いざ母さんがいなくなって自分が二人を育てるとなった時に、どうしたらいいかわからなくなった。

 もう高校生だった日向はもう大丈夫だろう、そう思っていたが、朝日はまだ中学生になったばかりだったから、まだまだ子供だと思っていた。

 ――言い訳になってしまうかもしれないが、ただ『朝日をちゃんと大人にさせないといけない』と、それが母さんから託されたことだと、そう思った。

 母さんがいなくなったことで、お前たちもそうなってしまうのではないかと、不安になってしまった。だから、『朝日のため』だとか都合よく自分に言い訳して、朝日のすることを信じられなくなってしまった。お前が悪いんじゃない。全部、父さんが悪い。

 怖がりだった、父さんが悪いんだ。


 本当に、すまない。」


 そう言って、再度頭を下げる倉井さん。すると、涙でくしゃくしゃの顔の日向さんが朝日さんと倉井さんの二人になにも言わずに抱き着いた。僕は家族三人の邪魔をしないようにその場からそっと離れる。


 僕は本来部外者で、こんなところにいるべきではない。それに、もう大丈夫だと、なんとなくわかった。


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