29 「一つ賭けをしませんか?」



「嫌っ!わたしは夜光高校に通う!転校なんてしない!」


 いつになく大きな声でそう言う朝日さんは、当然だけど僕が見たことのない朝日さんで、僕の知らない朝日さんだった。よほど嫌なのか、その目からは涙を流している。それを僕は、朝日さんも感情的になるんだなぁとぼんやりと見ていた。


「そうは言ってもな。そもそもそういう約束で夜光高校に入ったんだろう?だったら、約束が守れていないのだから転校するのは当然じゃないか。当然、一人暮らしもなくなるしな。」

「い、嫌!嫌、絶対嫌!」

「はぁ、約束の一つも守れないのかお前は!」


 バンと机を叩く倉井さん。あのー、僕もここにいるの忘れてませんか?本音を言えば帰りたいけど、帰るタイミングは完全に逃した。


「自分で言ったんだろう!もっと頭のいい学校に入って勉強を頑張ると!だから一人暮らしをして夜光高校に入ると!自分で言ったんじゃないか!」

「っ!嫌!わたしは転校しない!絶対嫌!嫌、嫌、嫌!絶対嫌だ!」

「だから、約束だっただろう!」

「お二方、一度落ち着いてください。感情的なままでは駄目です。」


 お互いに同じことを言って全く話が進まないので、とりあえず落ち着かせようと僕は二人を制止する。すると、朝日さんはぐしっと目元を拭いながらソファーに腰掛け、倉井さんは「――取り乱した。」と小さな声で言って深呼吸をして、鞄からペットボトルのコーヒーを出して一口飲む。コーヒー好きなのかな?鞄の中にコーヒーの缶が一本入ってる。

 さて、ここからどうするか。お互いになに言ってもダメそうだしなぁ。僕が何か言って譲るようなら、最初から感情的になったりしないだろうし。そもそも、僕は完全に部外者だからなぁ。本来ならここにいる権利すらないんだけど、この空気で帰れないし、ここにいる以上は静観もできないしね。

 僕個人的な感情としては朝日さんには一人暮らしを続けてほしい。だって、女の子が泣いてるんだよ?


「倉井さん、僕は完全に他人です。だから、これは完全に僕から見た意見ですが、少し厳しすぎませんか?」


 自分は他人だと言ってから、自分の意見を言う。こうすると、あたかも僕の意見は客観的なものに聞こえる――といいな。そういうことは全く分からないんだよね。


「いや、これくらい普通だろう。」

「果たしてそうでしょうか。初めての一人暮らし、慣れない環境、中学の頃とは違うテスト内容。慣れないことばかりの中行った初めてのテストで一度悪い点を出したからといって、すぐに『約束だ』というのはいかがなものでしょうか。僕は少し厳しすぎると思います。というか、そもそもなぜそこまで転校にこだわるのですか?」


 僕がずっと気になっていたのはそこだ。なぜ倉井さんは朝日さんを転校させようとする?この学校よりも学力の低い私立に通わせて、なんのメリットがある?ただまぁ、部外者が口出していいことじゃないとは思うけど。


「それはこっちの事情だ。」

「確かにそうですね。変なことをお聞きしてすいません。」


 駄目か、なにも教えてもらえなかった。ただ、これは別に聞かなくてもいいことなので、答えがもらえなくてもなんの問題もない。それよりも大事なのは、これから僕がする提案を倉井さんが受け入れてくれるかだ。いや、受け入れさせよう。


「そうだ、倉井さん。一つ賭けをしませんか?」


 あたかも今思いついたような言い方をしたのに大して意味はないが、強いて言えば今までの流れだろうか。考えていたことを今このタイミングで言うよりも、思いついたことをふと口に出したことにしたほうが自然だと判断した。


「賭け?」

「はい、賭けです。再来週、僕たちの学校では期末試験が行われます。そこで、朝日さんが四十位以内に入れたら朝日さんの一人暮らしを認め、入れなければ転校するというのはいかがでしょうか。どうせ今から転校の手続きをしても期末試験までは間に合わないでしょう?なら、期末試験が終わってから判断してもよいと思いませんか?」


 僕がそう提案すると、倉井さんは「ふむ」と少し考え始める。ここで四十位以内としたのは、少しでも条件を優しくするためだ。まぁ、たぶん倉井さんはもう少し条件を厳しくしてくるだろうが。上位十人とか言われるとしんどいかもなぁ。


「そうだな――確かにそれもいいかもしれない。このまま強引に決めたところで朝日は納得ないだろうしな。」


 隣からほっとしたようなため息が漏れるが、倉井さんは「だが」と話を続ける。


「順位の設定が易しすぎる。そうだな――二十位以内でどうだ?」


 僕が朝日さんから出された条件とドンピシャ。もしかしたら、朝日さんは倉井さんならこの順位を条件にしてくるということを読んでいたのかもしてない。まぁ、家族だから察せるのはわからなくはないが。

 本当はすぐに「わかりました」と言いたかったが、「あ、これぐらいは余裕なのか。もっと厳しい条件にしよう」とさらに厳しくされるのは嫌なので、僕はわざと迷った振りをする。なんとなく、その程度の演技は見透かされそうな気もしたけど、その辺は察してほしい。だって、男の子だもん!大人っぽい交渉とかしてみたくなるじゃん。


「――朝日さんのことなので僕が勝手に決めるのは良くないと思いますが、朝日さんがそれでよければ。」


 僕はそう言って、朝日さんをちらりと横目で見る。すると、朝日さんはこくこくと頷いた。


「よし。なら決まりだ。朝日、今回は絶対だぞ。」


 倉井さんはそう言うと、「仕事が残っている」と言って帰ってしまう。すると、残されたのは疲労困憊の僕と涙の跡が残る朝日さん。

 つ、疲れたぁ。倉井さんが帰って冷静になってから考えると、僕はどうして他人の家の事情に首突っ込んでるんだろうかと思う。全部朝日さんが泣いたせいだ。朝日さんが泣いてなければ、僕は空気として過ごしたのに。


「朝日さん、勝手に条件決めたりしてごめんね。お詫びに、できる範囲で言うことを聞くよ。」

「い、いや、いい。そ、それより、ありがとう。」


 朝日さんは「今日はもう疲れたから勉強終わり!」と言って僕の背中を押し、家から追い出す。まぁ、急に父親が入ってきて、泣いているところを見られて、恥ずかしいやら疲れたやらで僕を追い出したくなる気持ちもわかる。というか、お詫びを断られちゃったなぁ。まぁ、なにかあった時に手を貸せばいいか。

 さて、これで背水の陣、二十位以内に入らないわけにはいかなくなった。テストまで、もっと長い時間勉強したいけど――これ以上勉強の時間を増やすと、家に帰るのが遅くなるし休む時間が無くなるよな。なら効率を上げるしかないんだけど、それも難しいと思う。現状でも僕が思いつく限り最も効率的にしているのだから、これ以上効率的な勉強法がわからないし、試験までもう二週間ないのだから、いろいろ試す余裕もない。


「どうしよっかな。」


 朝日さんのマンションを出て僕は思わずそう呟く。だがいつまで考えても思いつかず、明日勉強の時に朝日さんと相談することにするのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る