28 「はじめまして。」
授業が終わり放課後になると、朝日さんと僕はいつも通り二人で一緒に家に帰る。さすがにもうすぐ七月と言うだけあって、道路の温度は高くなってきた。夏は好きじゃないんだよな。四季なんていらないから春と秋の二季にならないかとか考えてしまう。実際そうなったら食糧とかいろいろ問題が起きそうだけど。
今日も特に会話があるわけでもなく、僕は朝日さんと一緒に帰り、朝日さんの家にお邪魔する。最初は本当にいいのかと疑っていたのだけど、今となってはこれも日常になってしまった。慣れるって怖い。
「じゃあ、今日はこれをしてね。」
「わかった。」
はい、会話終了。せっかく美少女と話すチャンスなのに話すことがないのは少し残念だが、朝日さんは話すのが得意じゃないのだから仕方ない。無理に話そうとなにか喋ったところで返答はないだろうし、諦めるしかないだろう。幸い、僕は話さなければ死んでしまうようなおしゃべりな人種じゃないのでこの沈黙にも耐えられる。
いつも通り漫画を広げて時間をつぶしていると、三十分くらいで朝日さんが「ここわからない」と話しかけてくる。チラリと問題と朝日さんの計算過程を見て、早速解説を始める。もう一問前のところで躓くかと思っていたのに、ちゃんと解けたようだ。明日からはもう少し問題の難易度を上げなければいけないかもしれない。
教え終わると、また沈黙が僕らの間に流れる。聞こえてくるものといえば、朝日さんが問題を解く音と、一昨日からつき始めた扇風機の音、後は僕が漫画のページを捲る音くらいだ。ただまぁ、慣れてしまえばこういう時間も苦にならないもので、今ではこういうのもいいかと思っている。毎日難しい問題も解けるようになっていく朝日さんを見ているのは楽しいし。最初は無理ゲーだと思っていた『朝日さんがテストで二十位以内に入れるようにする』というミッションも、意外とクリアできそうだと思う。この調子なら二十位以内も余裕かもしれない。徐々に難易度を上げていったおかげで、実はもうすでに中学レベルの問題ではないどころか今やっている授業に追いついている。朝日さん本人は気が付いているのかわからないが、これはすごい進歩だ。
「ん?」
ふと、僕の耳が玄関のドアが開けられる音を聞き取る。一瞬日向さんが来たのかと思ったが、日向さんなら玄関から「遊びに来たよ~」と大声で僕たちを呼んでくるはず。その声が聞こえてこないということは、今入ってきたのは別の誰かだということになる。
座っていたソファーから腰を浮かせていつでも行動ができるようにしておく。知り合いに教わった武術を使わずに済めばいいが、入ってきた人が刃物を持っていたり明らかに朝日さんの知り合いじゃないような見た目なら、即制圧できるように身構える。
ガチャリとリビングに続く扉が開けられ、そこから四十代くらいの男性が一人入ってくる。手には革製だと思われる鞄を持っており、身長は百八十センチぐらいあるかもしれない。百七十一センチしかない僕からすれば羨ましい限りだ。
「――お前は?」
男性は怪訝そうな顔をしながら僕にそう話しかけてくる。朝日さんは驚いた顔をしているものの、怯える様子や不審者を見る目をしていないので、おそらくこの男性は朝日さんが知っている人なのだろう。
「はじめまして。僕は、朝日さんのクラスメートの逢音夕です。失礼ですが、あなたは――」
「私は朝日の父でとある会社を経営している倉井
なるほど、朝日さんのお父さんか。とりあえず、心の中では倉井さんと呼んでおけばいいよね。
僕はとりあえず警戒を解くと、ソファーに座る。すると、倉井さんは並んで座っている僕たちと向かい合うように座った。うわぁ、なんか威圧感ある人だな。僕の苦手なタイプかもしてない。
「逢音君は、朝日とどういう関係だ?朝日が家に招くのだから、ただのクラスメートではないのだろう?」
一見落ち着いた様子のその言葉だが、その裏には『おい、お前うちの娘とどういう関係じゃオラァ!』という言葉が見え隠れしている。大人って怖いよ。この場合はどうするのが正解かはわからないが、とりあえずありのままのことを伝えておく。
「えっと、僕は――」
「逢音君は勉強を教えてくれてるだけ。それより、なんの用?」
僕が答えようとしたのを遮って朝日さんはそう言うと、倉井さんを睨みつける。いつになく朝日さんから絶対零度の温度が出ているんだけど、なにか恨みでもあるのか?思春期の女子は父をうざいと思うらしいが、そのレベルじゃないくらい冷ややかな目をしている。美少女が怖い顔すると、普通の人よりも怖く見える現象は何なんだろう。
「そうか。勉強を教えているということは、朝日の成績を知っているということか。」
倉井さんのその一言で、僕はあることに思い至る。
『点数があまりに悪いと、実家の近くの私立高校に転校させるって約束なの』
『監視を任されてる私としては、あの成績を見せられたらお父さんに言われなきゃいけないんだけどね。でも、あの子が一人暮らししたいって気持ちもわかるし、次のテストでいい点数を取ってくれるまで報告は待とうかと思ってるんだよ』
もしや、ここに来た要件って――
「だが、やはり駄目だな。全く、日向がちゃんと報告するといったから信じたものを――」
倉井さんはそうブツブツとなにかを呟く。それを僕の耳はしっかり聞き取った。
日向さんがちゃんと報告していないことを知っているということは、決まりだ。おそらく倉井さんはどうにかして朝日さんの成績を聞き、ここに来たんだ。だとすれば、朝日さんは別の高校に転校ということになってしまうのだろう。いや、そうとは限らないが、日向さんが倉井さんに成績を報告しなかったということは、倉井さんは本当に転校させるなんてこともやりかねないということだろうな。
「すまないが逢音君、これから話すのは家族の話だ。君は帰ってくれればありがたい。」
「――違ったらすいませんが、もしや話とは朝日さんの転校の話ですか?」
僕が転校という単語を出した瞬間、朝日さんの体がビクッと震え、驚いたように僕を見る。一方、倉井さんのほうは少し目を見開き、「ほぅ」と少し呟いただけだった。
「そうか、君は聞かされていたんだな。朝日がそういうことを話すとは思えんから、犯人は日向のほうだろう。」
倉井さんはそう言うと、僕のことをじぃっと見る。思わず目を逸らしそうになるが、なぜか目を逸らしたら負けな気がした僕は目を逸らさなかった。たぶん、犬の喧嘩は目を逸らしたら負け的な心理が働いたのだろう。いや、別に僕も向こうも犬じゃないんだけどね。
「そうか、知っているのなら別にいい。その通りだ。だから――」
「い、嫌っ!」
倉井さんの言葉を遮って、朝日さんはそう叫ぶ。いつもなら見せない感情的な姿に、僕だけでなく倉井さんまで目を丸くする。
朝日さんは拳をぎゅっと握ったまま立ち上がった。
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