12 「ごめんね。次からは気を付けるよ。」



「ふわぁ。」


 放課後、誰もいなくなった教室で僕は欠伸をする。倉井さんは日直の仕事があるとかで今はおらず、他のみんなはもう部活に行ったり帰ったりしているので、必然的に僕は今一人になってしまっている。

 昨日は家に帰った後、段ボールの中を探し問題集を見つけたまではいいものの、その問題の内容が倉井さんに合ってなさそうだったので、パソコンを使い自分で問題を作っていたら睡眠時間がほぼ無くなってしまった。なので、無茶苦茶眠い。普段は夜の十一時には寝ている僕からすれば、睡眠時間が削られるのはしんどい。いや、僕じゃなくてもしんどいかもしれないけど。


「遅くなった。ごめん。」


 ガラリと教室のドアを開けて入ってきた倉井さんは、そう言うと自分の席に座る。


「じゃあ、始めますか。まずこれ解いてね。」


 倉井さんが「うっ」って声を漏らしたけど僕は気にしないことにする。ほぼ寝ないで作った問題を印刷した紙を三枚クリアファイルから出すと、倉井さんに手渡す。倉井さんは明らかに嫌そうな顔をするが、勉強をしないといけないとわかっているのか何の文句も言わずに勉強を始める。


「終わったり、どうしてもわかんなかったら言ってね。」


 倉井さんにそう声をかけて、僕は鞄から漫画を出して読み始める。タイトルは『春の記憶と想い』。主人公の古波ふるなみがなんやかんやするバトル物の作品で、超人気のある『星空深夜』というアーティストの作品だ。あの人は本当にすごいよなぁ、だって歌を歌うし、漫画を描くし、ライトノベルだって書く。僕は彼のかなり初期のファンだと思う。まぁ、いろいろ理由はあるんだけどね。

 どんどん世界観に吸い込まれるような描写に、思わず溜息がでる。僕にはこんなのは描けないな。


「ここ、わからない。」


 倉井さんは悔しそうにそう言い、僕にヘルプを求める。僕は席を立って倉井さんの手元を覗き込み、どこができていないかを探す。ああ、因数分解ができてないのか。確かに引っかかる人は引っかかるかもしれない。


「これは因数分解を使うんだよ。そのために、まず全部の項で共通の因数を、って、聞いてる?」

「項?」

「え?そこから?」


 『項』って、中学の数学で習う基本的な単語だと思うんだけど、違ったのかな?というか、それがわかんなかったから高校の授業が理解できなかったのでは?

 僕は倉井さんにその辺の基本的な単語から教え、この問題の解法まで説明する。ちゃんと理解できたのかわかんないけど、駄目そうならまた別の教え方をするだけだ。効率がいいとは言えないが、倉井さんに合った勉強法が分かるまではこれを続けるしかない。いい方法を早く見極めなきゃ。妹に勉強を教えたスキルがこんなところで役立つとは思ってもいなかった。


 一通り教え終わった後、僕は先程と同じように漫画を読む。細かく描かれてるから、読んでるだけで勉強になるなぁ。もう美術の授業以外で絵を描くことはないだろうけど、ついついそういうふうに作品を見てしまったりする。だけど、初めて読むときは研究する暇もないほど作品に惹き込まれるのだから、『星空深夜』はすごい。

 しばらくの間、カリカリと倉井さんが問題を解く音と、僕が漫画のページを捲る音、たまに聞こえる足音しか聞こえなかったが、唐突にその空間を壊すように教室のドアが音を立てて空けられる。思わず音のする方を見ると、うちの学校指定のジャージを着て鞄を持った女子が教室に入るところだった。


「あれ?まだ教室に残ってる人がいた?」


 驚くようにそう言うその女子生徒は、僕と倉井さんを交互に見る。

 確か彼女は柏谷かしわやあずきさんで、新体操部に所属するクラスメイトだったはずだ。割と石橋君と話す一人で、僕も少し話したことがあるが、なかなか面白い人だったと思う。石橋君から聞いた話だと、クラス内外の男子から人気があり、既に告白を数回されているのだとか。確かに美人さんだなぁと思うし、性格も申し分ない。


「うん、倉井さんに勉強を教えてるからね。忘れ物でもしたの?」


 部活に行っていた様子の柏谷さんが教室に戻ってくる理由はそうではないかと、僕は柏谷さんに尋ねる。


「今部活終わったんだけど、帰りの電車で使うイヤフォン忘れちゃって。今日は空人そらといないし」


 空人――あ、同じクラスの千葉ちば君のことか。そういえば、幼馴染だから毎日一緒に帰ってるって石橋君が言ってた気がする。石橋君曰く、千葉君と柏谷さんは『完全に両片想い』らしい。


「ああ、電車だと音楽聞きたくなるもんね。」

「うん。そっちは勉強中なの?」


 「うーん」と頭を悩ませながら、僕の作った問題と格闘する倉井さんをちらりと見た柏谷さんは、僕にそう尋ねる。僕に尋ねたのは、倉井さんの邪魔をしないようにと言う気遣いと、倉井さんとあまり話してないから話しかけにくいという心理の結果だろう。


「そうだよ。倉井さんの成績がやばくて、教えてって頼まれたんだ。」


 必死に問題を解いている倉井さんを横目に、僕はそう答える。すると、柏谷さんは「ふーん」と言って、倉井さんの問題を覗き込む。だが、すぐに眉間にしわを寄せながら覗き込むのをやめる。あの問題に何かあったのだろうか。それとも、倉井さんの解答があまりにも酷かったのだろうか。

 柏谷さんは自分の机の中を覗き込み、中から白いイヤフォンを出すと、それを鞄の中に仕舞う。


「じゃあ、勉強頑張ってね!さようなら!」


 柏谷さんは元気な声でそう言うと、僕が返事をするよりも先に教室を出て行ってしまう。ああ、また挨拶をし損ねた。昨日、倉井さんにも出来なかったのに。もはや、僕には挨拶を返せない呪いでもあるのではないだろうか。いや、たまたまだろうけどね。

 一気に静かになった教室は何故か少し違和感があるものの、どうせすぐに慣れるだろう。そう思っていると、意外なことに倉井さんが僕に話しかけてきた。


「ねぇ、逢音。」

「なに?」

「成績が悪かったって、あんまり言わないで。」


 倉井さんは不機嫌そうに文句を言う。ああ、確かにクラスメイトに成績が悪かったってばらされるのは嫌だよな。僕の配慮が足りなかった。


「ごめんね。次からは気を付けるよ。」

「ならいい。」


 こくんと一つ頷くと、再び問題を解き始める倉井さん。真面目に勉強するのに、なんであんな点数を取ったのだろう。最初からコツコツと勉強してれば何の問題もなかったはずなのに。まぁ、こうすればよかったとか言ってても仕方ない。とりあえず、一週間後の再試がどうにかなるようにしなければいけないのだ。


「ここもわからない。」


 一応、あの問題ほとんどが中学の復習のはずなんだけどな。僕のことじゃないけど、再試が不安になってきた。無事に合格できるのだろうか。いや、できるようにちゃんと教えないと。

 僕は席を立つと、倉井さんがどこをわかっていないのかを探し、なるべく分かりやすいように説明していく。本当に大丈夫なのだろうか。


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