voice [恋愛]
テストも終わり夏休みに入って間もない、夏の暑さに嫌気が差す大学3年生の昼下がり。ぼくはベッドの上で扇風機の風を浴び、うつ伏せになってスマホを眺めている。彼女が次の週末にとある喫茶店に行きたいと言っていたので、連絡をとりながらその予定を立てているところだった。
だが、なかなか予定が決まらない。彼女がついでにあそこも行きたい、こんな場所もあるらしいと次から次へと言ってくるからだ。30度を超える暑さとこの彼女のやりたい放題ぶりに、だんだんとストレスが溜まっていく。
―思えば、ずっと彼女の尻に敷かれっぱなしだった。
彼女に告白されて付き合い始めてから約半年、自由奔放な彼女にずっと突き合わされっぱなしだった。彼女があそこに行きたいといえば一緒に行き、あれが食べたいと言えば一緒に食べに行った。けど、ぼくのしたいことにはただの一度も付き合ってくれなかった。それも水族館に行きたいだとか、遊園地に行きたいだとか至って普通のことだ。カフェや買い物には嬉々として繰り出すのに、そういったところは絶対に避けたがる。
行けば彼女はとてもに楽しそうにしているから許してしまっていたが、これで付き合っていると言えるのだろうか。何かいいように使われているだけではないのだろうか。そう思うと無性に腹が立ってしまって、付き合ってる意味もないように感じてしまった。
だが、このままたださようなら、では今までの鬱憤のやり場がない。一度でいいから彼女をぼくのしたいことに付き合わせてろう。そしてそれができた時、彼女を振ってやろう。週末の予定をまとめながら、そう決心した。
次の週末、彼女はお目当ての喫茶店のケーキをとても満足そうな顔をして、美味しそうに食べていた。ぼくはそんな彼女を眺めながら、何に付き合わせるかの候補を考えつつ紅茶を一杯だけ飲んだ。その後何箇所か店に寄って買い物をしたが、その日の帰りの彼女はどこか哀しげな顔をしていた。……ような気がした。
かくして、ぼくの最後の計画は始まった。記念すべき最初の挑戦は、プールに連れ出すことにした。が、混んでるし水着もないから、と彼女は嫌がった。次は夏祭りに誘った。割とあっさり行くと言ってくれた。思ったより簡単だったじゃん。―そう思っていた。当日ドタキャンされた。正直辛かった。
少し心が折れかけたが、やっぱり一度は付き合わせないと満足行かない。次は避暑地へ旅行に誘った。そんなお金持ってない、と一蹴された。正直ぼくもお金はなかった。この頃になるともうヤケになっていた。今までにも誘った遊園地や水族館の他、動物園、映画館―。カップルならば一度は行ってみたいような場所を改めて挙げていったが、全て嫌がられた。
そうしているうちに気がつけば10月になり、夏休みも終わってしまった。この間も彼女の「行きたい」は続いていた。それなのに、ぼくの行きたい場所をこうも悉く断られ続けると本格的に虚しくなるし、段々と対抗心より哀しさが募っていった。
―これで、最後にしよう。これこそ許してくれないだろうから、それで彼女と別れよう。
そう思ってぼくは、
「彼女の家に行きたい。」
と言った。すると、彼女が見たこともないくらい顔を赤くした。
少し悩んでから、これもまた見たこともないほど困った風な顔をして、手で口を抑えながら―
「……わかった。……今日の講義終わったら――来る?」
そう答えた。
何もかもが想定外だった。困惑したぼくは、反射的に「そ、そうする。」としか言えなかった。……顔を真赤にした彼女との間に不思議な時間が流れる。ふと、これならもう一押しいけるかもしれないと、とっさに近くにある洋菓子屋のシュークリームも食べたい。と言った。
彼女は黙って首を縦に振った。
困惑するしかなかった。なぜ、この要求は受け入れるのか。なぜ今までの要求は拒絶されたのか。わからないことばかりだった。
そのまま講義終わりに待ち合わせて、一緒にシュークリームを買って彼女の家に行った。道中、彼女はいつになく大人しく黙っている。
一方のぼくも、目論見こそ叶ったけれどこのまま別れ話を切り出していいのだろうか……などと考え事ばかりしていたので、結局終始無言になってしまった。彼女の家につくと2階に連れられ、そのまま彼女の部屋に通された。
「お茶、入れてくるから待ってて。」
そう言って階段を降りていった。
待ちぼうけの間、彼女の部屋を見回す。綺麗に整理されていて、ところどころ可愛らしいアイテムがいっぱいある。
―よく見ると、そのほとんど全てが一緒に買物に行ったときに買ったものだった。
無意識に立ち上がり、あちらこちらをじっくり見回してしまう。これはあの喫茶店に行った帰りに寄った店のもの。これはあのデパートに行ったときのもの、これは―
最初に行ったデートの時に買った、ちょっと小洒落たおそろいのアルバム。
興味からふと開くと、今まで行った先々で撮った写真が袋いっぱいに詰めてある。つい最近行ったところのまで入っている。
ぼくも彼女も、楽しそうな笑顔をしている。……最近のものを除いては。1枚1枚を眺め、思いふけっていると、いつのまにか戻っていた彼女がぼくの手からアルバムを奪った。
「勝手に部屋の中、探索しないで。」
そう言う彼女は顔を赤くしていて、怒っていると言うより恥ずかしがっている。
ぼくが呆気にとられていると、「これ以外になにか見た?!」と、すごい勢いで詰め寄られた。
「いや……でてるものしか見てないよ。けど、デートの時に買ったもの全部ちゃんと使ってるんだね。びっくりした」
心からの感想しか出なかった。
「あ、当たり前でしょ!……ていうかこ、紅茶入れたから!シュークリーム食べよ!」
そう言って座るように急かされた。
彼女はティーカップに紅茶を注ぎ、シュークリームを皿に載せて出してくれた。彼女が入れた紅茶は初めてだなぁ。などとふと思いながら飲む。美味しい。シュークリームを手にとって、一口かじる。特に変哲もない、慣れ親しんだ味だ。そしてまた一口紅茶を飲みながら彼女を見ると、ティーカップを両手で包みながらずっと固まっている。飲んでもいないようだった。
「どうしたの、そんな緊張して。」
そう尋ねると、
「べべベべべ別に、き、き緊張なんかしちぇに゙や゙ぇッッ!!」
思いっきり噛んでいた。滅茶苦茶に緊張しているじゃないか。
ほとんど初めて見る彼女の姿にしばらく目を奪われていると、
「……最近のキミは本当に意地悪だな!」
口元を抑えながらぼくを睨む。
「プールとか夏祭りとか―旅行だとか。カップルが行きそうなところばっかり挙げてくる。」
ぼくたちはカップルじゃなかったのか…?と言う気持ちを抑えて、
「そう言うところは好きじゃない?」とだけ聞いた。
すると、彼女はすぐさま
「そういうわけじゃないけど……」とぼやいた。それから少し言い淀んでから、
「カフェや買い物でさえ3日は興奮が冷めないというのに、そんなところに行ったら幸せで私がその場で死んでしまうじゃないか。」
彼女はクッションを手繰り寄せて抱きしめながら、とても恥ずかしそうにそう言った。
少しずつ、手探りで触れる様にしてその答えの形が分かっていく。形を理解していく。それと同時にその答えを信じられない気持ちと、恥ずかしい気持ちも湧き上がってくる。頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
「それに。」
「私はキミと何気ない日々を楽しむ方が幸せなんだ。一緒に美味しいものを食べたり、何か一緒に選んで買ったり。その中で笑い合ったり。……でも、最近はキミが笑ってくれなくてちょっと寂しい。」
怒涛の直接的な甘い感情表現に、もう気持ちも頭も追いつかない。
「ぼくは―……」
当然答えに詰まってしまう。それもそのはず、彼女がここまでぼくへの気持ちをはっきり言うことは、告白された時以来これまでなかった。一方で段々と、自然と、気持ちも頭もきれいに整理されていく。
……思えば初めて彼女の本心をちゃんと聞いている気がする。今までは紅茶やスイーツ、かわいらしい雑貨越しに、それらの話をしていたんだ。
「……もう一度だけ言うよ。今は恥ずかしくてプールや遊園地とかには抵抗がある……。けど、いつかきっと一緒に行きたいと思ってる。そして、私はキミと平々凡々な日常を楽しみたい。キミと一緒に笑っていたい。―願わくば、この先もずっと。」
トドメの一言だった。何だこれ。完全に逆プロポーズじゃないか。何だこれ。彼女はこんなにも可笑しな理由でぼくのしたいことを嫌がっていたのか。
本当に、何だこれ。
ここまでぼくの彼女が可愛かっただなんて、知らなかったよ。
頭も気持ちも整理されきったからこそ、また全てをひっくり返されてしまった。
呆気にとられて完全に無反応なぼくを見て、彼女は不安そうにおそるおそる近づいてきた。
「……ねぇ、何とか言ってよ――。
泣きそうな顔でぼくを見上げている。
気づくと、ぼくは彼女を抱きしめていた。彼女はひゃわ、にょえ、など言葉になっていない声を発している。そして―
「ごめん。」これがぼくのやっと言えた一言だった。
「え――?」
彼女は幽かな声を出した。
「……実は、付き合わせるだけ付き合わせてこっちの気持ちには応えてくれない君を、自己中だと思って嫌気が差していたんだ。」
一つ一つ話していく。ぼくの中の気持ちを。
「待って……それって……」
彼女が不安そうな声を絞り出す。
「けど。」
伝えなきゃいけない。言わなきゃいけない。
「今日、君の家に来てぼくの考えはまるっきり真逆になったよ。君の事をちゃんと分かってなかった。―その上、分かろうともしてなかった。本当に自分に嫌気が差すよ。だから―」
「これからは、もっと君と向き合っていきたい。ちゃんと、『君と』話がしたいんだ。お互いにありのままでいたいんだ。」
今朝のぼくに今の姿を見せたらどう思うだろう。けどこれはきっと間違っていない。むしろこれで正しい、はずだ。
「―ぁ」
彼女は手で口元を抑えながら、目を潤ませている。
「だから改めて、今度はぼくから。
―これからもずっと、ぼくと居てください。そして、君と一緒に」
「はい、―もちろん!!」
そういって、今度は彼女が抱きついてきた。そしてしばらくの間、そうしていた。
――あれから半年が経った。
未だに彼女は所謂デートスポットには繰り出せない。あの時は始めて抱きしめあったりしてたのに。曰く、
「人目のあるところは恥ずかしい」らしい。
……これは誘われているのだろうか、などと変な邪推をしてしまうが、どうも純粋に恥ずかしいらしい。恋愛って難しい。まぁ、初詣は一緒に行けたから一歩前進なのだろうか。
あれからのデートはと言うと、大体どちらかの家に行って、一緒にお菓子を作って食べるようになった。ぼくはお菓子作りは人並み程度にできると思っていたが、彼女はとても上手かった。食べる専じゃなかったのだ。意外な一面かな、等と思いながら一緒に作った。最初はあれこれ指示を受けたり抜けを指摘しながら作っていたが、段々と言葉を交わすことなく作れるようになっている。ぼくが上手くなったわけじゃない。彼女と息が合うようになってきたんだ。
ある日いつものように彼女の家に行くと、アルバムが開きっぱなしで置いてあった。そこに入っていたのは、あの時に初めて撮った、くっつきあっている写真だ。例によってプリクラでさえ恥ずかしいらしい。
なにか懐かしくて眺めていると彼女がやってきた。
「なんだか懐かしいね。」
彼女がポツリとつぶやいた。
「ぼくもちょうど同じことを思ってたよ。あれから半年以上経ったんだね。」
「あの時は正直キミにフラれるんじゃないかと思ったよ」
「実はそれ、めちゃくちゃ態度に出てたよ」
「えっ、ホント……?」
意味ありげに微笑み返すと、彼女は口を手で抑えてもじもじした。
「……付き合ってから半年よりもこの半年で君の事をよく知った気がする。――例えば君が手で口を抑えるときは恥ずかしさと嬉しさでテンパってる。とかね。」
視界の端に、口を抑える彼女を映した鏡を捉えた彼女は、居ても立ってもられなくなったのか抱きついて胸に顔を埋めてきた。
「……私だって、キミは感情や思考が表情にそのまま出る、っていうのがわかったぞ。」
上目遣いで睨まれた。やたらと潤んだその目の可愛さに、不意に動揺してしまった。
「そんなところで可愛さを覚えられてもあまり嬉しくないぞ。」
「本当だ、見抜かれてる……」
彼女は満足そうにぼくを抱きしめていたが、突如として立ち上がって、
「でも。」
「言わなくても通じ合えることも増えたけど、きっと言わなきゃ分からないことの方がまだたくさんあるね。」
そう言って部屋を出ていった直後、顔だけを出して
「お菓子、つくろ。今日は何がいい?」
シュークリームとか、いいかもしれない。そう思いながら降りていくと、彼女はレシピ本のシュークリームのページを開いていた。
短編集 お菓子係/shu @shu_crm
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