第4話 人工衛星─②

「どうしたの勇希。ご飯食べる手が止まってるよ」

 お母さんに言われ僕はハッとした。




 夕食の時間。今日はお父さんが家でご飯を食べないと言うから、お母さんは簡単なうどんを作ってくれた。

 お母さんのうどんは葱と生姜でさっぱりと仕上げて、その上にお好みで天ぷらも乗せられる。凄く美味しくて、僕は夏になるとこれを食べるのが楽しみになる。


 でも今日は違う。頭の中で何かがグルグルと渦巻いていて、あまりスッキリしない。



 お母さんのうどんも、天ぷらも、葱の辛味もよく分からない。点けている『世界仰天ニュース』もいつもは楽しく見てるのに、今日は頭に入ってこない。

 原因は分かってる。空の上の日本列島。それと人工衛星が行方不明になったというニュースだ。




 あの後色んな局のニュースを見たけど、結局人工衛星のニュースを大々的に報じている所は無かった。報じたとしても、他のニュースと一緒にされて、サラリと言われたくらいだ。


 なんでその事を誰も詳しく教えてくれないんだろう。

 僕が一番知りたいニュースなのに。僕が見た日本列島と、何か関係があるかもしれないのに。そんな事を『おもてさんどーで話題のカフェ』で、山みたいなパンケーキを食べる女性リポーターを見ながら思った。





「あんた、天ぷら食べないの?」

 僕のそんな憤慨は一切分からない姉ちゃんが話しかけてくる。


「食べないんならあたしが──」

「あー! 僕の海老天ー!!」

 ひょいと大皿から海老天を取り上げ、口に運ぼうとした姉ちゃんを制止。姉ちゃんはびっくりした顔で、口を開けたまま止まった。


「……た、食べるんならやるわよ……ったく、いきなり大声出さないでよビックリするでしょ?」

「だって、姉ちゃんが僕の海老天食べようとするんだもん」

「だったら先に取っておくか、名前書いとくかしときなさい」

「名前なんか書けるもんか!!」



 姉ちゃんから海老天を奪い取り、そのまま口の中に放り込む。その様子を見てたお母さんが、大きな溜め息をついた。

「あんた達……食事中ぐらい仲良くしなさいよ」


「ごめんねお母さん。でも勇希が大声出すのが悪いのよ」

「姉ちゃんが海老天取るのが悪いんじゃないか」

「何よその言い方。大皿にあるんだからあたしが取っても別に悪くないでしょ」

「姉ちゃん沢山天ぷら食べてるんだから遠慮してよ。中学生でしょ?」




 段々と姉ちゃんとの間の空気が悪くなってくる。が、喧嘩が止まる気配は無かった。

「あんた今日変よ? なんでそんな喧嘩腰なの?」

「変じゃないよ。何が変なんだよ!」

「そうやって口調が荒いとこ!! なに? 何イラついてるの!?」

「イラついてなんか無い!! 姉ちゃんには関係無いでしょ!!」

「イラついてる!!」

「イラついて無い!!」





「喧嘩は辞めなさーーーいッ!!!」





 とうとうお母さんがぶちギレた。

「二人ともご飯中にみっともない!! なんで仲良く出来ないの!? もっと静かにしなさいッ!!」


「「……はーい」」




 結局その後すぐに姉ちゃんは部屋に籠った。

 僕は一人で夕刊を見て、上空に日本列島を確認したニュースが無いかを探したけど、社会欄にも地方欄にもそんな記事は無かった。



 人工衛星のニュースは見つけた。

 元々地球の気候を上空から撮影するものだったらしく、製作には東京の下町工場も関わっていたみたいな事が書いてあった。あとは少し難しくて、僕には深く理解出来なかった。



 そうこうしてると、いつの間にか仰天ニュースが終わって別の番組が始まっていた。

 シャワーを浴びて服を着替えて、自分の部屋に戻るときに姉ちゃんとすれ違った。



「…………」

 姉ちゃんは何も言わなかったけど、その目は僕が見たことも無いような色をしていた。

 その目が頭から離れなくて、布団に入っても付きまとっていて……



 結局寝たのは、零時を回ってからだった。







 目を開けると、そこは霧の町だった。

 辺り一面を霧が覆って、遠く向こうが見えない。

「……?」



 そんな町の大きな交差点の真ん中に、僕は寝巻き姿で独り立っていた。

 ここはどこ? 今はいつ?──様々な疑問が頭に浮かんでは、泡のように弾ける。


 裸足だった僕の足は、道路のひんやりとした感触をしっかり伝えてくる。夢だと言われても簡単に信じられない。何がどうして夢なのか分からない。



 その事に怖くなって、僕は思わず駆け出した。



 でも、進んでも進んでも、その先が見えてこない。

 まるで景色だけ変わるランニングマシンの上で足踏みするように、感触が無い。

 頬を冷たい何かが横切る。それが汗なのか涙なのか、確認出来なかった。



 走って、走って、走って──

 何かに躓いて、その場に倒れ伏した。



 絶え絶えの息を整えながら、体を仰向けにする。

 




 



 上空から僕を見つめていた。









 誰かの悲鳴を聞いて目を覚ます。

 その悲鳴が僕から出たものだと気づくのに、数分を要した。


 背中から汗が噴き出し、貼り付いた寝巻きが気持ち悪い感触を覚えさせてくる。

「……夢」

 それだけ口から絞り出せた。



 慌てて部屋の窓を開け、空を見上げる。

 夜空に浮かんだお月様。その反対方向に日本列島がまだ浮かんでいた。


 “目”は無いかと探すけど、それは見た感じ発見出来ない。背中の緊張がようやく解れた。



 落ち着いてくると、喉が渇いている気がした。

 飲み物を飲もうと思い、僕は二階の部屋からリビングに降りた。






「おう勇希、どうした?」

 リビングでは、帰ってきていたお父さんが一人でビールを飲んでいた。

 毎晩仕事の遅いお父さんは、こうやって一人でお酒を飲むのが密かな楽しみらしい。でも最近お母さんからお酒を止められていて、少し凹んでいると言っていた。



「喉渇いちゃって……何か飲もうかなって」

「おぉそうか。でも、飲みすぎておねしょするのは止めろよ」

「僕もう五年生だよ。おねしょなんかするわけ無いじゃん」


 お父さんの言葉を軽く笑ってから、冷蔵庫の麦茶を飲む。喉をつたう冷たい麦茶が、今はどんな飲料水よりも美味しく感じた。




 それと、お父さんに聞きたいことがあることを思い出した。

「お父さん、夏休みの予定ってどうなの? お仕事休めそう?」

「夏休みか? そうだなぁ……」



 少し考えたあと、お父さんは「お盆休み辺りは少し休めそうだ。お祖父ちゃん達の家にも顔出さないといけないしな」と言った。



「なんだ? 何かあったのか?」

「ううん、何でもない。気になったから聞いてみただけ」


 あまりお父さんと長く遊べなさそうなのは残念だけど、お父さんにも仕事があるから仕方ない。僕自身にそう言い聞かせた。




 部屋に戻った僕は、しばらく部屋の天井を眺めていた。

 今日は自分でも分からない事が沢山起きた。説明するのも難しいような事が沢山。



 あの日本列島は何なのか──人工衛星が消えた原因は──あの夢と目は──。



 分からない……何もかも分からない。

 でも、それは全部『今日』起きた事だ……



 とにかく今は寝よう。そして明日……




『明日』になったら、何か変わるかもしれない。


 そんな微かな望みを抱いて、僕は目を閉じた。

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