2.3

 チコは自分の胸を見る。

 そこには一本のナイフの柄が見えていた。


「えっ……ミギト殿………!?」


 チコはミギトの顔を見る。

 その顔にはなんの感情もなかった。

 ただ、淡々とチコを殺すと言う任務を果たすロボットのような表情だった。


 「ゆっくりと、眠っていてください。

 そして、最後に賞賛の言葉を、デクトを倒したあなたに」


 チコはゆっくりと崩れ落ちながら呟いた。


「ユキコ様………すみません……。

 私はここまで…です。

 かはっ………気をつけてください、……裏切り者は」


 ヒュッとミギトはチコの喉を切った。

 遺言すら残させない鬼の所業だった。


「ユキコ様は一度獣になられています。

 耳がどれほどいいかわかりませんから、お静かにお願いします」


 ミギトはそう小さな声で言うと、チコの目を閉じた。


「よくやったねぇ、ミギトぉ」


 リュッコはミギトと肩を組もうとするが、拒否されてしまう。


「一緒にしないでいただきたい。

 私は家族をあなた達に取られている。姿も元の姿とは程遠い。

 こうして、人が野生化したなら私の役目は終わりのはずだが?」


「まだだよ〜。まだ、途中だからね〜。

 それに、あんたの任務はユキコを殺すことだよ〜」


「………わかっている」


「じゃ、私は別にやることあるから、失礼するね〜」


 リュッコはぴょんとジャンプすると姿を消してしまった。

 劇場前の広場、獣と人の死体の山の中、ミギトは一人佇んで言う。


「………………わかっていますよ」



 ユキコ達は雨の降る中、猛スピードで空を飛んでいた。

 車に当たる雨粒の音が氷の決勝にでも当たっているんじゃないかと思ってしまうほど硬い音になっていた。

 カントは言う。


「おい、ユキコ、もっとスピード出ないのか?」


「出せなくはないけど!

 雨だから、ブレーキがあまり効かないのよ!

 手動運転は久しぶりだし!」


「おいおい、戦う前にぺちゃんこはごめんだぜ?」


 カントは茶化してそう言うが、ユキコは必死だ。

 バックミラーに映る彼女の顔は暴れまわる車をハンドルによる左右の制御、加速と減速による前後の制御、上昇下降機構による上下の制御に振り回されていた。


「今のうちに、宮殿の地下部分の外壁に到着したらどうするか考えといて!」


「考えといてって言われたって……。

 普通に車で外壁にある出入り口と言うか窓から入れないのか?」


 ユキコは一呼吸置いてから答える。


「入れるのは地下迷宮であって、その人間原器とやらがある場所じゃないわ!

 普通、ものを隠したかったら一番そこに入れるでしょ!

 つまり、宮殿の逆三角形についている土の部分の頂点に人間原器があると考えるのが妥当でしょ!」


「ユキコにしては冴えてるじゃないか」


 ユウトの率直な感想。


「ふんっ!」


 ユキコは車を逆さまにしてしまった。


 ユウト達を車に固定しているのはシートベルトのみ。

 これは何かにぶつかった時体が吹き飛ばないようにするためのものであり、逆さまになってしまう人間を椅子に固定しておくものではない。


 ユウト、カントは車の天井にがんっっと頭をぶつけ、首を変な方向にねじってしまう。


「わぁぁぁぁぁ! ごめん! 悪かった!

 確かに、ユキコの言う通りだ!

 そこを目指す方法を考えるよぉぉぉぉ!」


「ユキコっ! なんてことすんだ!

 戦いの前に怪我したらどうすんだ!」


「にゃあああああああ! ミヤコ! はなさないでねぇぇぇぇぇ!」


 ミヤコは自分だけしっかりと天井に手をついて、体を固定していた。


「ちょっと、ユキコ。元に戻して」


「ふんっ」


 ミヤコの冷静な一言でユキコは車の方向を元に戻す。

 ユウトは頭を働かせ始める。


「でも、穴開けるって言ったってどうすればいいだろうか。

 俺たち、穴掘るためのスコップなんて持ってないしな」


 するとカントがすっと手をあげる。


「俺から一つ提案があります!」


「なに?」


 ユウトは聞き返すが、カントはなかなか答えようとしない。

 ユウトは全然話し始めてくれない患者さんとの会話でもじっと話してくれるのを待つタイプなので、この場合もじっと待つ。


 だが、宮殿はもう迫っている。じれったくなったミヤコは言う。


「早く言いなさい」


「実は俺の“ギフト”は穴掘りなんです!」


「えっ?」


 ユウトはあっけにとられてカントをみる。

 確か、カントの“ギフト”は子供の頃、大人の事情というやつで秘密にしなければならないと聞いていたが……。


「すみませんでした! それ嘘です! 恥ずかしくて言い出せなかったんです!」


 顔を真っ赤にしてそう言うカント。

 ユウトはむしろ怒りが湧いてきた。


「そんな“ギフト”持ってんだったら早く言ってくれよ!

 子供の頃に掘った、外に抜け出すための抜け穴、もっと簡単に掘れたじゃんか!」


「いや、だって!

 武家の息子が穴掘りの“ギフト”ってダサすぎてよ!

 流石に言えなかったんだよ!」


「へぇ、穴掘りの“ギフト”なんて便利そうじゃない」


 ミヤコの感想に、カントは耳まで真っ赤になってしまう。


「そ、そうですか……」


 だが、ユウトはなんとなくわかってしまった。

 ミヤコは畑仕事をよくしている。

 きっと、今、彼女の頭の中は種まきのことでいっぱいなはずだ。


「もうすぐつくよ!」


 そう言うとユキコは車の向きを横に向けてカントが宮殿の外壁に近くなるようにする。

 カントはシートベルトを外すと車の外に乗り出す。


「ユウト!俺の足、押さえて置いてくれよ!」


「はいはい!」


 横滑りしたまま、車は宮殿の外壁、逆三角形の一番下の頂点より少し上めがけて突進する。


「穴掘り!」


 カントのダッサイ掛け声とともに、彼の手にはEEが収束し、EEがドリルのように回転する。

 そのドリルを前に突き出し宮殿の外壁にぶつける。


「オラァ!」


 カァン!と言う甲高い音がして、カントの“ギフト”は弾かれた。


「ブレーキ!」


 ユウトは叫んだが間に合わない。カントは車と宮殿の外壁に挟まれる。


「がはぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 カントの悲痛な叫びが車内に届いた。


「殺す気か!」


 車内に戻ったカントはユキコの後ろからチョークスリーパーを仕掛ける。


「ぐっ、ごめんて……。

 カントの“ギフト”に夢中でブレーキ忘れてたんだよ…!」


 カントの腕をペシペシ叩きながら一国のお姫様が白目を向いている。


「ユウトがいなかったら俺はもう死んでたぜ!」


「だから……、ほんとごめんて……」


「まぁ、そこまでに」


 ユウトがそう声をかけてカントがやっと拘束を解く。


「にしても、そりゃそうだ。

 外壁にアンチギフトがかけられてる。上から入るしかないね」


 ユウトは冷静にそう言った。


「まあ、上から掘っていこう」


 ユキコは無言で車を一度宮殿から離すと一気に上昇して、宮殿の入り口に上から突っ込む。


「着陸!」


 不時着した飛行機でももう少しうまく止まるだろう。

 車は二転三転と転がり、凹んでいないところがないほどにベコベコになって止まった。


「着陸じゃねぇんだよ!死ぬと……ころ………」


 ブチギレてユキコに怒鳴ろうとしたカントは息を飲む。

 宮殿の中は地上よりも酷い有様だった。

 地上ではただの獣が暴れているだけだったが、宮殿には“ギフト”持ちが多い。

 獣になっても“ギフト”は失われないらしかった。

 噴水はすでに赤い水を巻き上げ、青く咲いていたアルカリの花は一輪残すことなく赤く染まっていた。


「ひでぇな……」


「ユキコ、この様子だと、他の仲間は……」


 ユウトの遠慮がちな言葉。

 ユキコもそれはわかっていた。

 でも、もう仲間は信じきれない。

 誰が本物で誰が偽物なのか見分ける方法はない。


「ユキコ!」


 リサコだった。ユキコはその顔をまっすぐ見れない。

 代わりにユウトがユキコの前にでて言う。


「よう、リサコ。ちょっと、状況を教えてくれないか?」


「状況?見ての通りだよ。

 人と獣が殺しあってる。

 そして、ユキコ、お前、諦めてなかったんだな。

 わたしはもう諦めたんだと思って、お前のこと見限っちまったよ」


「リサコ……」


 ユキコは顔を上げて、リサコのことをみる。


「もう、持ちそうにないから一言だけ。

 深い緑色の液体に気をつけろ。

 あれを飲んだら、わたしの中に、何かが……芽生えた」


「深緑の液体……」


 ユキコはそう呟く。そして、リサコは心臓を抑える。


「すまん、……あとのこと、…諸々全部……よろしく頼むよ」


 リサコはそう言うと下を向いたまま動かなくなった。


「リサコ?」


 ユウトはリサコに慎重に話しかける。

 だが、リサコは返事をしなかった。カントはユキコをゆっくりと下がらせる。


「リサコ……?」


「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 リサコの全身から毛が生え、一瞬で獣化した。

 目は爬虫類のように鋭く、牙はサメのように切れ味の良さそうな歯になった。


「リサコ!」


 ユウトは手にしていたミトンの手袋をちぎるように脱ぎ捨てるとリサコに触れた。

 しかし、何も起きなかった。


「えっ!なんで!」


 ユウトは両手のミトンの手袋を外して触れるが全く治る気配がなかった。


「ユウト様、どいてください!」


 大柄な男がユウトとリサコの間に割って入る。

 リサコをガッチリと抑え込む男。


「………レイト…」


「すいませんね。実はリサコはこっちが元の姿なんすよ」


「つまり……。ゴーストという部隊そのものが作られた偽物の集団だと……」


 ユウトの質問に対してレイトはリサコを押さえ込みながらも答える。


「ええ。全員が元獣です。

 本物のリサコさんは最初我々の部隊に潜入しようとした時、それに気がつきました。

 すぐに消されました。

 そして、入れ替わった。

 我々はミッションを与えられユキコを抑え込む役割を与えられた。

 少しずつ接触し一人ずつ獣と入れ替えよという計画だった」


 レイトの話にユウトは率直な感想を述べる。


「そんな敵対するような感じはしなかったが……」


「当然です。リサコはユウトさん。

 あなたの“ギフト”を見て、ユキコさんがやろうとしていた改革を知ってしまって期待しちゃったんですよ。

 この狂った国を『治して』くれるんじゃないかって」


「そうだったのか……」


 ユウトはレイトの背中を見つめる。ユキコはか細い声で聞く。


「本物のリサコは……?」


「申し訳ありません。わかりません。

 死んでないと思いますが生きていたとしても完全な獣になっていると思います」


「そう……」


「気をおとしている暇はありませんよ。

 まだ、計画は途中です。阻止したいならば急いでください。

 この地下に本拠地があります」


 カントはユキコを連れてこの宮殿の乗っかる大地の中心、噴水へと向かう。

 ユウトはレイトに一言。


「すまない」


 と声をかけた。

 ミヤコは黙って通り抜けようとしたが、レイトから声をかける。


「あなたは同族だな。彼女たちを見て良い判断をしてくれ」


「ふん」


 肩にエルザを乗せたミヤコは颯爽と歩き去ってしまった。


「さて、リサコ。こちらへどうぞ!」


 レイトはリサコを宮殿の外へ引きずっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る