2 国が傾く時

 ラーティン帝国歴1807年、6月13日。

 昨日の星空が嘘のような曇り空の中、ユキコたちは少し肌寒い森の中を歩いていた。


「相変わらず物騒な森ね……」


 ユキコは目の前にある、血で真っ赤に染まった木を見ながらそういう。

 たった今、目の前でクマが木に食べられてしまったところだった。


「その木は植物じゃなくて動物よ。

 ミサンドの擬態ね。

 肉食動物だから気をつけないと私たちも食べられてしまうわ。

 ま、今、クマ食べてるからしばらく大丈夫」


 そう言ってミヤコは真っ赤な木のすぐ横を歩く。

 カントも同じように歩いていく。

 ユキコとユウトは倍加したエルザの上の座っている。

 歩き慣れていない人間が森を歩こうとすると、洞窟まで二日はかかってしまうらしかった。


「エルザ、よろしくね……?」


 ユキコは自分が乗っかっている猫をワシワシと撫でて言う。


「ま、私も痛いのはやだからね。

 でも、ユウト君のGiven Roleで私なんて一発で治っちゃうんでしょ?」


「Given Role?」


 ユウトは首を傾げて聞き返す。


「あ、そうか、人はそうは言わないわよね。“ギフト”だっけ?」


「そう、一応、昔からそう言うことになってる。

 このEEを使う力は『贈り物』だって」


「誰からの?」


 エルザの素朴な疑問。ユウトは返答に困ってしまう。


「誰から!? 誰からなんだろう。

 考えたこともないな。神様とか?

 逆に聞くけどGiven Roleの方は『与えられた役割』ってことだろ?

 誰から与えられてるんだ?」


「それは、もちろん創造主たちよ」


 ユキコは聞き返す。


「創造主というとある意味、神様的な存在なのかな?」


「まぁ、それに近いわね。私も詳しくは知らないけど。

 この世界を作った人。

 私が聞いた話では、創造主は優しい方らしく、種が滅びるのを良しとしなかったそうよ。 

 それで、どれだけ弱い種でも生き残れるよう、Given Roleを与えて、世界のバランスを保っているの」


「与えられた役割か………。

 つまり、それを持ってる生き物はその役割を果たさなければならない。

 ということか」


「ま、正直よくわかないけどね〜」


 エルザはそう言いながらぴょんと飛ぶ。

 ユウトたちの眼下には深い谷が広がっておりそれがゆっくりとパクパクしていた。

 まるで口のようだった。

 すぐ目の前にいたハイエナがずるりと足を滑らせて落ちていう。

 ハイエナの叫び声はあっという間に聞こえなくなってしまった。


「これ口だよ」


「やっぱり………?」


 真っ青なユキコがそう言った。


「谷の壁はヌルヌルの粘液で覆われているから、一度落ちたが最後。

 二度と陽の光を浴びることはなくなるわ。

 戻ってきたやつがいないから中がどうなってるのかなんて全くわからないけどね」


 ユウトはさっき見てしまった深淵を思い返す。

 自分が落ちてしまったことを想像して勝手に身が震える。

 谷の切れ目は百メートルほどあった。

 口だけで百メートルだとすると体はいったい……。考えたくもなかった。


「ここだ」


 カントはそういうと崖の前で止まる。

 大きな洞窟がボッコリと空いている。

 ミヤコは言う。


「これは、確かに不気味ね。

 中から単一の気配しかしないわ。

 それに、私の本能が体に訴ええてくる。『ここに入るな』って」


「だろ?でも、ここなんだ。さ、ビビってても仕方ねぇよ。入るぞ」


 カントはどしどしと洞窟の中に入る。

 ユキコたちは一応エルザにまたがったまま、進むことにした。

 足元にどんな罠があるかわからない。


 ユウトにとって洞窟の中は真っ暗だった。

 全く何も見えない。聞こえるのはカントの地面を踏みならす音。

 ミヤコの少しすり足な足音。エルザの肉球が地面に当たる音。ちょっと癒される。


「よくきた」


 突然、洞窟内に声が響く。

 低く、しわがれたその声は、洞窟内にこだまして重厚な雰囲気を醸し出している。

 全員、目を凝らして正面を見ているが、特に何かがいるような感じはしなかった。


「どこを見ている。そこではない。上だ、上」


 そう言われて上を見たユキコは息を飲んでしまった。

 ユウトやカント、ミヤコも同じような反応をしてしまった。

 見上げた先にあったのは大きな頭。

 トカゲのような硬い皮膚に覆われ大きなツノを持ち縦に筋の入った目をしている。

 長い首をもたげ、じっとユウトたちのことを見つめているのは……。


「ドラゴン!?」


 ユキコが大声で言った。

 ユキコの目がまん丸に見開かれ、信じられない!と顔全体が物語っている。


「そうだ」


 ドラゴンは短くそういうと、自分の爪で地面をトンと叩く。

 すぐに、壁にかけられた松明が燃え上がり、洞窟内を明るくてらす。

 ドーム状になった洞窟の真ん中に巨大なトカゲ、いやドラゴンが横たわっていた。

 ユウトは息を無理やり吸い込んで言う。


「ドラゴンは、空想上の生き物だと思っていましたが……。

 実在したんですね……?」


「ふふ。当然だろう、ユウトよ。

 実在しなければ伝説に残り得ない。

 だが、ワシは最後のドラゴン。

 もう、ドラゴンが活躍するような時代は終わっているのだ」


 ドラゴンは悲しそうと言うよりも悲痛そうに目を閉じて自分の言葉を噛み締めている。


「ワシの名は、ウルト・ミタ・アットハルト。

 語り部として生きながらえてきたが、どうやら最後の仕事の時がきたようだ」


「最後の仕事……」


「そうだ。まず、ユウト」


 ドラゴンの太く低い声は体を芯から震わせる。ユウトは勢いよく顔を上げた。


「はい!?」


「お前は自分の“ギフト”の本質を見極めろ。

 お前の“ギフト”は必ず最後に必要になる」


「………? はい、わかりました?」


 ユウトは首を傾げながら言う。

 自分の“ギフト”の本質?

 つまり、今の自分が思っている本質とは異なる本質があると言うことだろうか。


「ミヤコ、お前はこっちにきなさい」


 ミヤコは言われるがままに、ドラゴンに近づく。


 びくっと驚いた顔をしてウルトの顔を見つめるミヤコ。

 ユキコはピンとくる。

 おそらくメッセージの“ギフト”使っていた。

 ユキコたちにも聞かせたくない話があると言うことだ。


「そんなことが………」


 ミヤコはボソッと言う。ウルトは頷くと言う。


「きたる時、お前の決断が全てを決する瞬間がくる。

 その時、お前から全ての生き物が手を引く。

 お前自身が判断し決断するんだ」


「私が?私は迷うことなんてないと思うけど……」


「いや、いずれその時はくる。

 そしてそれはその時になって初めてわかるものだ」


 ミヤコは頷いた。そしてウルトは全員の顔を一人ずつ見つめると言う。


「ワシの、いや、ワシらの謝罪、いや、贖罪か。

 語り部として伝えるべきこの詩を伝える」


 そう言うとウルトは顔を上げドームの天頂方向を向いて、低い声を存分に生かして歌い上げる。

 ドームの中に響く声は反響し重なり合って、大勢の声となってユウトたちの体を震わせる。



お前は、何をもって長さを認識している?

一メートルとはどのくらいの長さだ?

 それは長さを定義する。不変の存在。


お前は、何をもって重さを認識している?

一グラムとはどのくらいの重さだ?

 それは重さを定義する。不変の存在。


お前は何をもって人を認識している?

 一人の人間はどんな形をしている?

 それは人間を定義する。不変の存在。


それは神がもたらしたものではない。

人による人のための呪い。

人が人であるために課した呪い。

それは人を定義する唯一の存在。

触ることなかれ。

関わることなかれ。

侮ることなかれ。

だが、恐れることない。

それが示すものが、すなわち人間なのだから。



 ウルトは顔を戻して自分に比べると豆粒のように小さい人間たちを見つめる。


「これが全てだ」


「これじゃ、全然わからないわ! どう言うことなの!? 人間を定義する!?」


「人間を定義、つまり、人の形を決定する何かと言うことか?」


 カントは訝しげに言う。ウルトは頷く。


「そう。しかし、その詳細はワシにはよくわからん。

 正直なところ、何ができるのか、どんな存在なのか、全くな。

 ただ、分かっていること。

 この詩は『人間原器(ヒューマニウム・ラーティン)』と呼ばれる存在を示す詩だ」


「人間原器(ヒューマニウム・ラーティン)……」


 ユキコはユウトの顔を伺う。

 一点を見つめて動かない。

 ちょっと怖いが、ユウトが突然思考し始めるとこんな顔をする。

 一点を見つめて気持ち悪いが、どんなに話しかけても、目の前で変顔しようと、キスしようとしても意識がこっちに帰ってこない。


「ラーティン……」


 ユキコは自分の苗字と全く同じ音をした言葉を繰り返し言っていた。


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 空中浮遊の宮殿。

 その中でも、帝王の趣味が最も反映されている場所がここ、劇場である。

 五千人が収容できる国内最大の劇場であり、豪華な装飾が施され、中では日替わりで舞台が行われている。

 帝王がディナーを食べる時の肴としてもよく使われる。


 今日はそこで重大発表が行われていた。


 舞台の上に立つのは王位継承権第二位だったアルストと、その部下リュッコだ。

 舞台正面の最前列にはドワイト王とその部下たちが。

 右手にはユキコ(サコ)たちとその部下。

 左手にはミズコたちとその部下が座っていた。


 劇場は超満員であり、立ち見の人間もいた。

 それもそのはずで、宮殿からの重大発表として大々的に宣伝されたこの行事はこの国の人間の生活を根底から覆してしまう可能性があるのだ。


 赤い派手なドレスを着ているリュッコはスポットライトを浴びて話し始める。


「みなさ〜ん、お待たせいたしました。それではただいまより、アルスト様に変わりまして、このリュッコがこの国の一大決定を発表させていただきます〜」


 サコは悔しさに唇を噛まないよう必死で体を押さえつける。

 リサコからユキコが諦めると言う方針を聞いた時、本気でショックだった。

 それはもう、ユキコのベッドの上で暴れまわってまくらを破壊してしまった。


 でも、それでも、サコはユキコは何か考えがあっての行動だと信じたい。

 こんな悔しい状況で勝負を投げ出すような性格ではない。


 ふと、こんな時だからこそ、悔しさを噛み殺してじっとしていなきゃいけない時だからこそ、サコはこの結論に至れた。


——待って。なんで私こんな単純なことわからなかったの?

——ユキコ様が諦めるわけないなじゃい。

——とすればユキコ様はリサコに諦めると言わなきゃいけない状況に落とし込まれている?


 サコはすっと恐ろしくなって体が冷え切るのを感じる。


——諦めると言わなきゃいけない。

——つまり、敵の思惑通り事が運んでいると言わなければいけない。

——そして、それをリサコに言わせた。

——それはつまり、私たちの中に内通者がいるという事!


 サコは自分の後ろに座っているメンバーを思い返す。

 メイド兼戦闘員のチコ。

 執事長のミギト。

 ゴースト隊長リサコ。

 副隊長レイト。


——自分自身は内通者じゃない。

——それは自分が一番よく分かってる。

——だとしたら、誰なの?

——これまででおかしな行動をとった人って?

 

 サコが一人悩み始めている時、リュッコの長い長い挨拶が終わり本題に入ろうとしていた。


「さて、私たちの提案に入る前に、ある重大な事実を公表しま〜す」


 リュッコは自分に注目が集まるのをたっぷり時間を使って待つと言う。


「EE鉱石が残り十年分と言うのは真っ赤な嘘で〜す!

 本当は、あと五日分もありません!

 そして、この論文にある通りEEがなくなることは獣になってしまうことを意味します!」


——ユウト様が書いた論文!そう言う意味じゃなかったはずなのに!


 ユウトの論文は人間の内包するEEが枯渇することによって人間性が失われてしまうんじゃないかと言う仮説をネズミで検証した論文だ。

 この国のEE鉱石が尽きてしまうこととはなんら関係がない。


 だが、そんなもの読んでない人間には伝わらない。

 それらしい人間が引用し、論文が出ている=世間で認められている事実と捉える人は少なくない。

 論文を出すだけならばそれほど難しいことではないのだ。


「はぁ!?」


 会場が一気に騒がしくなった。

 特に席の真ん中を陣取って聞いていた人たちが大きな声で主張する。


「説明しろ!どう言う事なんだ!」


「これからの生活はどうなる!?なにをしたらいい!!?」


「宮殿はやっぱり、EE鉱石独占するつもりだろ!」


 説明を求める声。

 自分の将来を心配する声。

 宮殿の責任を追求しようとする声。

 だが、リュッコは指をパチンと鳴らす。

 すぐ近くに控えていた男が銅鑼を思いっきり叩く。


 劇場は水を打ったようにシンと静まり返った。


「で・す・が!ご安心ください!

 私たちはそんな問題を解決する最良の手段を用意しました〜」


 リュッコの手には試験管が握られている。

 試験管の中には山の上に溜まってしまったドブのような色をした液体が入っている。


「この液体はEEの凝縮体で〜す。

 これを飲むだけで人類が失ってしまった体内のEEさらには“ギフト”を取り戻すことができるので〜す!」


 リュッコはそう言うと、手に持った試験管をぐいっと煽る。

 少し粘度が高い液体は普通の水よりゆっくりと流れ落ち、リュッコの体の中へと浸透する。


「ぐっふっ!」


 突然、リュッコの体が跳ねた。ドクン!と言う音がした気がした。


「ふふふ。それではご覧いただきましょ〜う!私の“ギフト”を!」


 リュッコは横に立っていたアルストに手をかざす。

 アルストはゆっくりと空中に浮かび始めた。


「皆様もご存知の通り、私は元娼婦です。

 “ギフト”なんてないただの貧乏な女でした。

 そんな私が得た“ギフト”は浮遊。

 どんなものでも上へ上へと持ち上げることができる“ギフト”で〜す」


 サコは後ろを見回して驚いた。

 安っぽい教団の教祖が空中に浮遊してそれを信じてしまった人たちのように、ぽかんと口を開けた人たちが並んでいた。


「実は、この液体、すでに帝国の上水道に混ぜて流しておりま〜す。

 国内の皆様はすでに“ギフト”を開花させる準備が整っておりま〜す。

 本日会場にお越しの皆様には、この“ギフト”必ず開花する液体を配らせていただきま〜す」


 すると、すぐに試験管を大量に並べた箱を持った者たちが会場の席を歩き始め、一人一人にこの試験管を渡す。

 渡された人間はすぐに飲み干してしまう。

 一人、また一人とドクンと脈打ち、体内に抱えるEEの量を増大させる。


 ユキコ(サコ)の前にリュッコが歩いて近づく。


「あなたもどう?世界が変わるわよ」


「いえ、私は自分の“ギフト”をもう持っていますので」


 ユキコは拒否した。すると、すぐ横にいたリサコがその試験管を奪い取る。


「リサコ!?」


「私はゴーストのメンバーのためにここに来た!

 ユキコが諦めると言ったからって私は諦められないわ!」


 リサコはドブ色の飲み物を一気に飲み干す。


「まっっっっっずっっ!!!」


 緑色の煙が出て来そうなゲップをすると、リサコは胸を抑える。


「ううっ!!」


 ドクンと脈打ったかと思うと、緑色のEEの輝きがリサコを覆った。

 リュッコは舞台に戻ると、手の中に濃い緑色のEE鉱石を持つ。


「さぁってみなさん! もうおのみになりましたか!?

 あとはこの発動因子を解き放てば!

 この国はEEの満ち溢れた過去の栄光を取り戻すことができま〜す!」


「待って!」


 ユキコ(サコ)は立ち上がって最後の抵抗を試みる。


「その飲み物は本当にEEの凝縮体だけなの!?」


 リュッコは一瞬アルストの顔を確認する。

 アルストは指でバツマークを作って、ユキコを思い切り見下した表情を作る。

 リュッコは嬉しそうに言う。


「それは秘密よ〜!それ!」


 ユキコ(サコ)の抵抗むなしく、リュッコは手の中の鉱石にEEを流し込んだ。

 何も起きなかった。

 ユキコは周囲を見る。

 誰一人として“ギフト”を取り戻したと歓喜する顔はしていなかった。

 その顔は期待半分、そして疑い半分だった。だが、変化は訪れる。


 ドクン!!!!!


 ユキコ(サコ)は国が揺れたのかと思った。

 それほど、大きな振動が体感として得られた。

 舞台上の物は何一つ揺れていない。つまり、揺れたのは人だけ。


「ううう、うわああああああああああああああ!」


 会場内から悲鳴が上がる。

 その男は頭を抱えて地面に打ち付けている。

 次の瞬間だった。


 ぶわっと全身から毛が生える。その姿はネズミ?


「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 叫んだネズミはすぐ横にいた人間の頭にかじりつくと、バリバリバリ!と噛みちぎった。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 女の人の悲鳴がホールに響き渡った。

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