第四章 目的さえあれば前に進むことができる

1 気がついてしまった秘密は考えずにいられない

「カント!?本当にカントなの!?」


 ユキコは驚きのあまり、少し涙声になっている。


 ユウトも信じられなかった。

 本当にカントなのか……?そう疑わずにはいられなかった。


「よぉ………。ユウト、ユキコ。久しぶりだな……………………」


 ユウトは確信する。

 こいつはカントだ。声も姿も宮殿にいるカントと全く同じだ。

 ユウトはカントを拘束している縄を解き始める。

 もし、暴れだしても自分が抑えればその瞬間に人に戻る。

 問題ないだろうと判断したのだった。

 ユキコは目にいっぱいの涙をためてユウトの方を振り返る。


「ねぇ、ユウト!本当にカントなの!?」


「おそらく、本当だ……。

 俺の“ギフト”は治療ヒール

 その実態は復元。変化してしまったものを元に戻す“ギフト”だ。

 つまり、さっきの獣の元の姿がこれってことだ。

 間違いなくカントだよ」


「ふふ……ユウト。お前、すげぇ“ギフト”持ってたんだな………?

 それならもっと昔に会いに行けばよかったぜ……」


「カント!あなた、一体どうなっていたの!?」


 ユキコは取り乱したまま、大きな声でそう聞いた。


「ユキコ、大きな声をだすなよ……。耳が痛い………」


 獣になっていた弊害だろう。

 感覚が鋭敏になっていた。

 カントはそう言うと、自分の体をまじまじと見つめる。


「へぇ…へへへ、すげぇな。本当に戻ってらぁぁ………」


 ずずっと鼻水を啜り上げる音がして、ユウトはカントの顔を見る。

 まじまじと自分の体を観察する目から涙があふれていた。

 素っ裸の体に残る痛々しい傷跡。

 細かい傷が全身にあるが、最も大きな傷は左肩から右わき腹に向かってざっくりと切り裂かれた大きな傷跡。


 間違いなく致命傷だ。

 どうやって生き延びたのかはユウトには全く想像できなかったが、カントの生活がどれほど壮絶なものだったのかはよくわかる。


「うう、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 カントは両手に顔を埋めて泣き始めた。


「人にっ!ついに人に戻った!!!

 この日をどれだけ待ちわびたことか!!

 十年以上!毎日毎日、自分のねぐらに一本ずつ線を足していく絶望!!

 獣の本能に乗っ取られ、自分の存在が消えていく恐怖!!」


 カントは両手の中から顔を上げる。

 その顔は恐れていた。獣として過ごした日々を。

 自分の中にいる獣の存在を。


「欲求が変わる!人としての欲求ではない!!

 一生物としての欲求!食いたい!寝たい!ムカつく!排除したい!

 殺したい!殺したい!!殺したい!!!」


 カントは何かを思い出してしまったようだった。

 その顔に月のない夜よりも暗い、後悔の色が浮かぶ。

 顔全体に影が落ちたようだった。


「殺した。たくさん殺した。相手はなんだっただろうか。

 最初は小鳥や小鼠で我慢できた。

 でもそんなちっさいものじゃ我慢できなくなった………。

 犬、狼、ハイエナ、クマ……。

 少しずつ大きくなって、ついにあの日……。

 人を殺した。……あれほど気持ちよかったことはない。

 ……うん。とても気持ちよかった。

 ゆっくりと手の中で動かなくなる。光を失う目!」


 目からは涙が溢れているが、口元は笑っていた。

 歪んだ快感が彼の中を蝕んでいることがよくわかった。

 彼の心の底がその行為を賞賛しているような、そんな雰囲気さえ感じられた。


「もういいよ!!!!!」


 ユキコは激しくカントの語りを制する。

 ユキコの目にも涙が浮かんでいる。


「もう……いいよ……。わかったから……。

 そう言う、苦しい記憶は思い出さなくていいよ!」


 カントはふっと肩の力を抜くと、柔らかく微笑を浮かべる。


「そうだな……。ありがとう、ユキコ。

 そして、もちろん、治してくれてありがとう、ユウト」


「いや、いいんだ。おかえりカント」


 ユウトもできる限り優しくそう言った。

 すでに傷つき続けた人間をこれ以上傷つける必要はないだろう。

 まずは休んでもらわなければならない。


「おかえり!カント!!!うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」


「うわぁぁぁぁぁぁああああああ!!」


 ユキコはカントの胸の中に飛び込んだ。

 そうして、カントの胸の内でさめざめと泣き始めてしまった。

 それを抱くカントも一緒になって泣いている。

 獣化症になった者どうし感じるところがあるのだろうか。


 ユウトはちくりと胸に何かが刺さるのを感じた。

 だが、ユウトはそれが一体なんなのか、わからなかった。

 何かはわからなかったが、無形の心に細い針がブスッと刺さった。


 ユウトは抱き合って泣く二人をしばらく眺めていた。

 二人が泣き疲れて声も枯れてきたとき、ついに声をかける。


「さあ、ユキコ。カントは一度休んだ方がいい。

 獣として生きてきたんだ。安心して眠れる時間が少なくとも一日は必要だろう?」


「そうね……!」


「ああ、そうだな。確かに久しぶりだ。

 敵の存在を気にしなくていい夜は……………」


 カントはそう言って窓の外を見つめる。

 朝日は徐々に高く登り、カントが寝転ぶベッドに暖かな光をもたらしている。

 眩しそうに太陽を見る。


「すまないが、しばらく休ませてもらうぜ……」


 カントはそう言って睡魔に身を委ねた。

 すぐに寝息が聞こえてくる。その表情は幼少期のカントそのものだった。

 警戒心なく穏やかな、口元を少し緩ませた寝姿。


「ふう、よかった……でも、これで大変なことがわかったわね……」


 ユキコはそう言うとユウトを見る。

 ユキコの視線を受け止め、ユウトも深々とうなづく。


「ああ、全くもってその通りだ。

 実際これはかなり深刻だと思うぞ……。

 ラーティン帝国が首謀者なのかわからないが、相当良からぬことを企み、それもかなり慎重に進めているやつらがいるってことだ………」


 ユキコとユウトが真剣な顔をして見つめあっていると、遠くから声が届く。


「なんだか知らないけど、ここにいるつもりなら手伝いなさい!」


 ミヤコの鋭い叱責。


「ごめんね〜。でも働かざるもの食うべからずだよ〜」


「全く、その通りです」


 エルザとクリスも遠くからワイワイ言ってくる。

 いや、彼女たちは自分の仕事をユキコやユウトに押し付けようとしているだけかもしれない。


「そう!!そして、それこそが森の掟!!!!我こそがワンダ!」


 外から舞い込んできた青い小鳥がダンディーな低音で喚き散らす。


「新顔二人!」


 ワンダは小さな翼で立っているユウトと寝ているカントをビッ!ビッ!と指し示すと言う。


「長いものには巻かれたまえ!郷に入っては郷に従え!

 強きものの言うことを聞きたまえ!」


 ババーンとシャッターチャンスを用意するワンダ。


「つまり私!!!」


 ワンダは翼を使って器用に自分を指し示すが、ユウト、ユキコはすでに部屋から出ていた。


「すいませーん!俺、何を手伝えばいいですか?」


「私もやる!」


 ミヤコの部屋には静かに寝息を立てるカントと窓際に止まるワンダだけになった。

 急に静かになってしまった部屋の中でワンダはパチクリと瞬きをする。

 目の前にいるカントは静かに寝息を立てている。

 唇が時々開いて吐いた息が通り抜けていく。


 スーーー。スーーー。スーーー。


「無視か………。いい度胸じゃないかね!名前も知らない君!」


 ワンダはカントの口の上に乗っかった。

 口から出ていた息が止まる。

 ワンダは体の横に空気が当たる。

 カントの思っていたよりも強い鼻息に羽が乱れる。


「何するんだ。私のエレガントな羽がぐちゃぐちゃになってしまう!!」


 そう言って、毛づくろいをしようとした時。


「はっっっっくしょん!!!!!」


「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 ワンダは吹っ飛ばされた。


「何してんのかしら。あのアホドリは」


 ミヤコはそう言いながらひたいに流れる汗を拭う。


「ワンダって最初からあんな感じなの?」


 ユキコも同じように汗を拭う。

 ミヤコの手伝いとは畑仕事だった。

 雑草の排除、水やり、収穫、侵入者用の罠の再設置。

 畑仕事はユウトやユキコが思っていた以上にやることたくさんだった。


「ワンダ?あの鳥はある時から急に来るようになったのよ。

 私が寝ているベッドの横の窓枠に止まってはご飯をねだるの。

 ま、大した量を食べるわけじゃないから分けてあげるくらいいいんだけど」


「ある時って?」


 ミヤコは素朴に思ったことを聞いてみた。


「ずいぶん昔。わからないわ。雨季が十回くらいあったかしら」


「十回……」


 ふーんと言いながらユキコは目の前のエンドウ豆の収穫を続ける。

 急に人数が増えてしまったので、ミヤコ家は食料の需要過多だった。

 今日だけという限定条件で畑の野菜を食べることになったのだった。


 ユウトはミヤコ即席の手袋をつけて畑仕事を進める。

 即席なので五本指に分かれていない。

 親指とそのほかの指に分けられてしまったユウトの手。

 簡単な皮で作られたミトンの手袋はユウトの手にミラクルフィットしている。


「それにしても、動物が話すなんて驚きだったな。

 エルザやクリス、さらにワンダ。喋る動物なんて見たことなかった」


「そう?私はあなたたちの言う、喋れない動物の方がほとんど会ったことないわ。

 このまえ、あのー、獣になってた男」


「カントか?」


「そう、カントって人が獣のままここに突っ込んできた時、初めて喋れなかったわ。

 意思の通じない獣って恐ろしいのね」


「ミヤコの“ギフト”で喋れるようになっているのか?」


「私?私の“ギフト”は『ロック』よ。

 どんなものでも狙いを外すことがなくなるって“ギフト”よ。

 私はそれしか使えないわ」


「えっそうなのか。二つ目の“ギフト”とかは?」


「二つ以上も魔法を使えるのは、良くも悪くも邪悪な人間だけよ。

 普通、生き物が使える“ギフト”は一人一つ。

 これは太古からそう決まっていること。

 たとえどんな生き物だってその不文律を破ることはなかった。

 人間、あんたたちだけよ」


 ユウトはミヤコの語り口に違和感を覚えて聞く。


「ミヤコも人間じゃないか」


 ミヤコは眉をしかめながら答える。


「……そうね。そうらしいのだけれど…………私には昔の記憶がないから………」


 ミヤコはそう言いながら畑仕事に戻る。

 彼女は真っ赤に熟れたトマトを収穫している。

 朝日を受けて綺麗に輝くトマト。とてもうまそうだ。


「記憶がないのか……。そりゃまた、難儀なことだ……」


「ねぇ、どう思う?カントについて」


 ユキコは雑草をむしりながらユウトに問いかける。


「どうもこうも、確認された事実はただ一つ。

 現状、カントと呼ばれる個体は二人いる」


「そうだよねぇ……。ユウトの“ギフト”ってやっぱり復元しかできないんだよね?」


「ああ、それ以外は無理だ」


 ユウトは足元にあった石を砕く。

 その破片のうち一つに素手で触る。

 砕かれた石は元の小石へと戻り、ユウトに触られなかった石は消えてしまった。


「うん、ちょっと、トマトにならないかやってみたけど無理だ」


「ってことはここにいるのがカント本人ってことになるわよね」


「そうだな。つまり、宮殿にいる方のカントは」


「偽物……」

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