第三章 リスクは自分で選ばなければならない
1 逃げるのは次の戦いの準備
リサコたちゴーストの面々と別れ森の中に入ったミヤコ、ユキコ、エルザ。
そしてその背中に横たわるユウト。
相変わらずユウトからひどい臭いがしている。
——ある意味天然の虫除けね……。
などとユキコはひどいことを考えていた。
ユウトのことをぼんやりと見ていたユキコにミヤコは言う。
「ユキコ、気をつけなさい。ここから先は死の森。
道から少し外れるだけで命を落とす森なのよ」
「……わかったわ」
ユキコはゴクリと唾を飲む。
ミヤコが住んでいると聞いたから、そんなに心配していなかった。
しかし、どうやらその考えは甘かったらしい。
ミヤコには見えていると言う道。
ユキコにはそんなものまったく見えない。
せいぜい草がちょっと低いかな?くらいのものだった。
足の踏み場も無い草をかき分け少しずつ進んでいるとミヤコが急に声をあげる。
「ユキコ!よそ見しないで!」
「えっ?」
ミヤコが急に曲がったことに、ユキコは気がつかなかった。
足を突っ込んでしまったところは坂になってた。
右足がズルズルっと坂をくだるのをユキコはスローモーションのようにみていた。
「あ、やばっ…」
ユキコは自分の体が穴の中に飲み込まれる感覚。
慌てて近くの草を掴む。
しかし、そんな草ではユキコの体重を支えられなかった。
あっさりと根っこから抜けてしまい、ユキコの体が穴へと滑り落ちていく。
「きゃあ!」
ユキコは目を閉じた。
だが、いつまでたっても体の沈み込むような感覚はなかった。
ゆっくりと目を開けると、ミヤコがユキコの手を握ってくれていた。
ミヤコの手はユキコの手をしっかりと握りしめていた。
その力の強さにユキコは驚いた顔をしてミヤコを見つめる。
「ちょっと。早く登りなさい。あなた、重たいのよ」
「はぁ!?」
ユキコはとんっと地面を蹴るとひらりと宙返り。
ミヤコの隣に立つ。
手に持っていた草を投げ捨てミヤコをひと睨みするユキコだが、背中にふわりとした感覚を得る。
どうやらエルザが頭をこすりつけたようだった。
「ユキコ。命拾いしたわね。これはモリガニの巣よ。
蟻地獄のようにすり鉢状の巣を作るのだけど、そのすり鉢を草木で隠すのよ。
狡猾なカニね」
「そんなカニが……」
ミヤコは少し怒った顔をしてユキコを見つめている。
「都会で育ったあんたにはわからないものがこの森にはたくさんあるの。
こうして集中力を切らすなら、その重たい体引きずって帰ってもらえるかしら」
ユキコは眉をひそめる。
「重い重いってうるさいのよ。あんたこそ私をしっかり誘導しなさいよ。
森のことはよくしっていらっしゃるんでしょう?」
「はぁ?あなた、人にものを頼む時の態度がなってないわよ!?」
「正しいわよ!私のお母様もこうして人にものを頼んでいたわ!」
「あんた、何様のつもり!?」
「姫様!」
ユキコは腰に手を当てると胸を膨らませ威張る。
ミヤコは頭を振って苛立ちを吹き飛ばすと冷めた表情で言う。
しかし、彼女は隠密用の黒い服に身を包み、靴もさらには顔まで真っ黒である。
どう見ても、炭鉱で真っ黒になった労働者だった。
その割にはやたらと細身なところがおかしいだけだった。
「わかったわ。もし仮にあなたが姫だったとしても、それは人の世界でのこと。
森の中では有用しないわ。ちっぽけな一生き物として振る舞いなさい」
「望むところよ」
ユキコとミヤコはふんっっと顔を背け合う。
ミヤコが顔を背けた先にはエルザがいた。
エルザは前足を口元に当て、ニヤついていた。
「エルザ。何ニヤついてるの?」
「いや、ちゃんと忠告してあげるなんて偉いね……」
「顔を緩めてないで集中しなさい。森を抜けるわよ」
「は〜い」
「ユキコ、ついてきなさい。次はないわよ」
「わかってるわ」
ミヤコはたんっと軽く地面を蹴ると飛び上がる。
枝の上を鳥のように飛ぶ。
ミヤコの無駄のない動きにユキコは感心する。
「なかなかやるじゃない」
ユキコも枝を飛んでいくのは子供の頃に練習した。
ミヤコが乗った枝を正確に追いかけ、一本一本飛ぶ。
途中、眼科にはこの世のものとは思えない植物や動物たちがうごめいていた。
植物のつるに絡め取られ動けなくなったハイエナ。
体の一部が溶けて肋骨が見えていた。
お互いに食べあう植物もあった。
片方の口の中に入った植物の先端が相手の体を突き破って途中から外に出ていた。
森の中の雰囲気は一言で言えば混沌だった。
弱肉強食のシンプルなルールの中でそれぞれの生き物が恐ろしい勢いで進化し、競い合っていた。
やれ生きた年数だ、生まれた場所だとレッテルを張り合って生きている人の世界の何と生温いことか。
ユキコは背筋に冷や汗を浮かべずにはいられなかった。
こんな森を昔開拓した人たちがいるという話は国の中では有名な話だった。
しかし、その苦労がどれほどのものだったのか、真の意味で理解しているものは国内にいないだろう。
危険な森であるから法律で立ち入りが禁止されているが……。
「死の森とかいう名前はやめて殺人の森という名前に変えたほうがいいわね」
「殺人?殺すのは人だけじゃないわ。どうしてそういう発想しかできないのかしら」
ミヤコから苦情が飛んでくる。
あの女はみやこのいうことにいちいち文句をつけないと気が済まないらしい。
ユキコはあえてミヤコの言葉を無視する。
しばらく、無言で枝の上を飛んでいたが、ミヤコは急に地面へと降りる。
「ここからは歩くわよ。ここから先はプライドが高い木が多いから。
踏まれると怒るのよ」
「怒るとどうなるの?」
「その生き物を追いかけて絞め殺すわ」
ユキコは少し仰け反る。
澄まし顔でミヤコはそういったがそんな普通な顔して話すような話なのだろうか。
「ええっ。絞め殺すの……?でも、木でしょ?
そんな俊敏に動けると思えないけど……」
「そうよ。だからすぐは殺さない。
決して恨みを忘れず、次に近づいてきたときに殺すのよ」
「ひぃぃぃぃ……」
ユキコは下を見る。
——草によってほとんど地面など見えないがこの土の下に木様の御御足があるかもしれないの……?
「私がつけた足跡の上を歩いて」
ミヤコの簡単な指示。
だが、ユキコはカクカクとうなずくと素直にミヤコの足跡を踏みながら歩く。
足の大きさ、ミヤコより小さくてよかった。と安心するユキコ。
——この緊張感いつまで続くのかな……?
ユキコは心配になったが、それほど心配することではなかった。
すぐにひらけた場所が見えた。
「なにここ」
「死の森のセーフゾーン。私の家よ」
森の中にぽっかりと空が見えるひらけた広場があった。
真ん中にはログハウス、その周囲に畑がある。
井戸もありここにいるだけで生活できる設備が整っていた。
目に見える全てをじっと凝視していたユキコにミヤコは言う。
「全部、私が作ったのよ」
「………すごい」
ユキコはポツリとそう言った。
そんなユキコの背中をぽんっと叩くとミヤコはエルザを連れて井戸に向かう。
「ぼさっと立ってないで。とりあえずユウトを洗うわよ」
「あ、はい」
なぜか敬語になったユキコ。
ユウトをエルザの背中から降ろすと地面に横たえる。
体を見てみるといろんな傷があった。切り傷、打ち傷、刺し傷、火傷、水ぶくれ、ミミズ腫れ、打撲、内出血、傷の博物館のようだった。
「うわぁ……」
ユキコは傷の一つを撫でる。
だが、撫でても治る訳ではない。
ユキコにはそんな“ギフト”無いのだ。
「さあ、まずは洗いましょう。この汚物をなんとかしないと。
この人にはやってもらわなきゃいけないことがあるのよ。
まさか、こんな状態になっているとは思わなかったわ」
ユキコは井戸の水を組みながら聞く。
「そうそう。あなたは何の目的でユウトを連れてきたの?」
「後でわかるわ。はやく洗うわよ。余計な菌が傷口に入ってしまうわ」
ミヤコはそう言うとさらなる傷をつけないよう優しく、ユウトの体を洗う。
少し筋肉質なユウトの体から汚物が取り除かれる。
あまり屋外に出ていないことが丸わかりな白い肌が露わになる。
ユキコはミヤコの動きに合わせて井戸水を少しずつユウトの体にかけていた。
途中、エルザが小さくなってユキコの前に姿を表し桶にあった水を要求してきた。
いっぺんにかけてあげるとガシガシと簡単に洗ってあげる。
最後は猫らしくブルブルと体を振って水気を切ると部屋に入って行った。
おかげでユキコはびしょびしょになったが。
ユキコが一人悪態をつきながら体を拭いている間も、ミヤコはユウトのことを丁寧に洗っていた。
綺麗になったユウトの水気をタオルで拭き取ると、二人掛かりでログハウスの診察室の中にはこびこむとベッドに寝かせる。
「すごい、まるで病院みたい」
ログハウスの一室、普段は人でない生き物を診察するための部屋。
様々な薬、そして処置用の道具が常備され、整理整頓してある。
ミヤコの身長に合わせ机も棚も高さを調節してある。
そんな細やかな気遣いまで見える。
「病院よ」
「病院なの!?あなたは医者なの?」
ユキコはミヤコをジロジロと見つめる。
医者にしてはしっかりとついた筋肉。
日焼けした肌。健康美人と言う感じの雰囲気のミヤコ。誰かさんとは大違い。
「まぁ、そうよ。さて、治療を始めるわ」
ミヤコはピシャリとそう言うと、戸棚から軟膏を出す。
「何その、海苔の佃煮みたいなの」
「水苔の軟膏よ。傷につけておくと殺菌してくれるの。
ちょっとしみるけど、気絶してるなら問題ないわよね」
「……大丈夫なの?それ……」
「ちょっと試してみればいいじゃない」
ミヤコはそう言うとユキコの手にヘラですくった軟膏をなすりつけた。
「はいっったたたたったたたたたぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ユキコは手をブンブン振り回す。
——強烈な痛みが手の芯まで攻撃している!骨折した時より痛いんじゃないの!?
「いだああああああああああああああああああ!」
ユキコは井戸に走っていく。
軟膏に触らないように身長にだが、確実に手から洗い流す。
目に涙を浮かべながら部屋に戻ると、ミヤコがその痛みの原因になった軟膏をヘラでユウトの背中に塗りたくっていた。
「ちょっと!!!なんてもの塗りたくってるのよ!」
「ふふっ」
ミヤコはちょっと笑っている。
ユキコの顔が面白かったらしい。
ミヤコの笑っているところを初めて見たが、ユキコはどうでもよかった。
「何、面白がってるのよ!こんな薬、そんなに塗ったら死んでしまうわ!」
「大丈夫よ。傷以外の部分に塗ると痛いけど、傷に塗ると大して痛くないのよ。
不思議なことにね」
「なによそれ……」
ユキコはイマイチ信じられなかった。
だが、今はこの自称医者娘を信じるしかない。
ユキコに医学的な知識はないのだ。
結局、ミヤコはユウトの全身の傷に軟膏を塗り込んだ。
軟膏を戸棚にしまうとユキコをみる。
じっとみつめられたユキコは気恥ずかしさから目をそらす。
「なによ……?」
「こっちにきて。
私が行きたくもない人の街に行って、彼をここへ招待した理由をみせるわ」
「理由って、見れるものなの?」
ユキコは半信半疑でミヤコの後ろについていく。
ユウトが寝ている部屋とは別にミヤコの生活するスペースがあった。
その部屋に入った時、ユキコは特有の獣臭さを感じる。
部屋に入るとミヤコはそこに座っていた犬に話しかける。
「クリス、どうだった?」
「ミヤコ。お帰りなさい。問題ありません。
何度か暴れ出すことはありましたが、その度に鎮静剤を飲ませました」
ユキコはぎょっとして目を見開いていた。
そのまま目が飛び出しそうだ。
「犬も喋るの……!?」
「犬ですから当然です」
クリスは澄まし顔でそう言った。
けれども、ユキコの辞書には人以外に話す生き物は登録されていない。
とりあえずユキコは猫と犬の欄に話をする個体もいると書き加えた。
クリスのいる部屋に入るとユキコの鼻を嗅いだことのある匂いが刺激した。
「この匂い……!」
「へぇ、あなたにもわかるのね。これを見て欲しいのよ」
ユキコの目に飛び込んできたのは獣。
それも人の形をした獣だった。
狼にも似た硬い毛をしているが、その形は狼とは全く異なる。
背骨の形が四足動物とは全く違っているのだ。
全身を大量の毛が覆ってしまいわかりづらいが、怪我もしているようだった。
その獣はベッドにロープでしっかりと固定されていた。
「これってもしかして……」
「そうよ。獣になりかけている人ね。
実は知り合いの鳥が獣になりかけた人間を治すところを目撃したのよ」
「獣になりかける……」
ユキコは思い出す。うさぎになりかけたあの時。
自分が他人になる瞬間。
「……言いづらいことだけど、あなたからもここにいる獣と同じ匂いがするわ。
だからこそ、この獣の匂いに反応できたのだろうけど……。いずれ、こうなるわ」
ユキコは少し迷ったが告白することにした。
こんな森の中に住んでいる人にまで宮殿の息がかかっているわけではあるまい。
「実は、その、私も獣になりかけた人間の一人なのよ。
それをユウトに治してもらったところだったの」
「あら、そうだったの。じゃあ、あなたがワンダの報告してきた人かしら。
それで、途中まで変な言葉使っていたのね?」
「えっ?私はいつも通り、ラーティン語を……」
ミヤコが怪訝そうな表情を浮かべてユキコのことを見る。
「あなた、気づいてなかったの?
宮殿から森に入る前までずっと人の言葉をしゃべっていることなんてなかったわ。
そうね……ウサギが話すような小さく細かい声ね」
ユキコはなるほどと納得した。
声が出てないのではなく、出ているがラーティン語でない。
そしてうさぎの声。
ユキコはその言葉でさらにわかったことがあった。
ミヤコはおそらく言語的な“ギフト”を操っている。
動物と会話するという“ギフト”。
その“ギフト”を使っているからこそ私とも会話できていたのだ。
——もし、そんなの“ギフト”があるのなら、すっごい“ギフト”だわ。
——人以外と会話するなんて。
——そんなことができたら、昔出会ったあの子の気持ち聞き出すこともできたかもしれないわね……。すぐに逃げ出しちゃったし……。
ユキコは目の前にいる獣をじっと見つめる。ふと思ったことを聞いて見る。
「ねぇ、この人の言ってることわからないの?
獣になっちゃった経緯とか知りたいのだけど」
「それが、何を言っているのかわからないのよ。
言いたいことがわからない相手なんていないはずなのに」
「そうなんだ……」
「ま、よくわからないけど。
彼が起きたら治してもらえば話できるようになるわよ。クリス、またよろしく」
「アイアイ」
クリスは獣の横に自分の居場所を作るとおすわりの状態で待機する。
ミヤコは部屋から出るとユウトのいる部屋に戻る。
いつも座っている机の前の椅子に座ると、ユキコには別の椅子を差し出す。
「で、あなた、どうするの?」
「え?私?」
「そうよ。ユウトっていうだっけ?
彼、しばらく目を覚まさないわ。
あの軟膏を塗ったから傷は回復に向かうけど、ほとんど寝ずに受け続けた拷問のせいで衰弱しきってる。
治るまでしばらくかかるわ」
「しばらく……」
ミヤコは机に頬杖をつく。
ユキコから見てもその雰囲気は妖艶であり、自分が男だったら目のやり場に困ったに違いない。
「あなた、姫なんでしょ?そんなに長いことこうしていられるのかしら?」
「それは……。姫としての仕事の方は問題ないわ。
一緒にいていいなら一緒にいさせてほしいわ」
ミヤコはふんと鼻を鳴らすと言う。
「まぁ、いいわ。あなたなら。完全な人だったら確実に追い出していたけど」
「人が嫌いなのね」
「ええ」
ミヤコはそれ以上聞いてくれるなと言うようにユキコから視線を外し立ち上がる。
——人は嫌いでも私には優しくしてくれるのね……
しかし、立ち上がったミヤコはユキコを振り返って、一言。
「あなた、水浴びでもしてきたらどう?猿みたいに臭いわよ」
「ムキーーーーー!!!」
ユキコは言われた通り、水浴びすることにした。
全身に汗をかいてしまったし、顔に塗りたくった黒い塗料のせいで顔が痒くなってもいた。
井戸の水はとても冷たかったが、いろいろなことが起きた一日を乗り越え疲労した体にはとても心地よかった。
固く結んでいた髪をほどくと月明かりを反射する美しい銀の髪があらわになった。
頭から井戸水を被り顔をこする。
真っ黒な塗料が取れ、自慢の白い肌に少しずつ戻る。
「服、これしかないけど。ここに置いておくわね」
「あ、ありがとう……」
後ろにはミヤコが立っていた。
ユキコの服の上に置いてくれたのは白いブラウスに濃い青いスカート、そして大きな革のベルトだった。
——スカートは腰の高い位置で履くタイプね。それをこのベルトで止めるのね……。
——…………ん?
「あれぇ……?」
ユキコは気がつく。
服を着るならばあれとあれがいるじゃないか。
いや、まぁ、最悪さっきまで着てたやつ着るけど……。
「ミヤコさんんんんんんんんんんんん!?!?!?!?!?」
もしかして、そう言うものつけないタイプですか!?
「これは死活問題よ。ユキコ……!
しばらく滞在するのに、それらがないのは厳しいわよ……!」
ユキコの頭の中には葉っぱで局部を隠した原始人の格好がちらほら見えていた。
——くっ、これしか手がないの……?
ユキコは想定外の深刻な問題に対して解決策を出すべく頭を抱えた。
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