1.2
ラーティン帝国歴一八〇七年六月十日。
ユキコが死の森にあるログハウスに入ってから三日経った夜。
ユキコ姫のメイドサコとチコ、そして執事のミギトは困った表情を浮かべていた。
「サコさん……」
「サコ……」
「何も言わないで。まさかそんな……」
三人の前には黒い騎士団服の女と男が立っていた。
女の方はサコに何も持っていない手を差し出している。
「あの。ユキコ姫の髪の毛をどうぞ……。
これで仲間だと言うことを示せると聞いたのだけれど?」
サコは困ったように首を振る。
「ええ、その通りですが……。
髪の毛を渡そうとする。その行為自体が暗号ですが……。
まさか本当にそんなことをしてくる人が現れるなんて思いもよらなかったので……」
サコたちは困惑の表情のまま固まっていた。
リサコはとりあえず話し続けることにした。
「とりあえず、いきなり完全に信頼してもらうなんて無理な話だろうからおいおい仲良くしてくれればいいよ。
まずは自己紹介といこう」
リサコは自分の胸を指差すと言う。
「私はリサコ。王直属部隊ゴーストの隊長で、じつはユキコとは昔なじみ。
五年前からドワイト王を内偵してたわ。
ほとんど連絡してなかったから死んだと思われてたけど。
私の得意なことは剣術と情報秘匿。
この部屋にかかっていた盗聴の“ギフト”を相手に悟られないように解いておいた。
よろしく」
「そんなことができるの……?」
「まぁね。
ま、私は“ギフト”が使えないけど、その割にEE鉱石の使い方には詳しいのよ。
会話らしい音声を流し続けるような“ギフト”を閉じ込めたEE鉱石とかあるの」
「なるほど……」
感心するユキコの格好をしたサコ。
リサコは自分の後ろに控えている男に発言を促す。
「俺は、レイト。ゴーストの副隊長だ。よろしく。
俺は大剣を使って戦うことが得意だ。
相手がパワー系だとやりやすいな」
サコは頷くとアギトを見る。
「私の番ですか。私はミギト・ダルケル。
ユキコ様が生まれた時から執事として使えさせていただいております。
執事として姫様の生活の一切を取り仕切っております」
「私はチコ・ムスエラ。
孤児院にユキコ姫がいらっしゃった時に声をかけてもらったの。
基本的なメイドの仕事に加えて戦闘員として置いてもらってます。
使える“ギフト”はげふぅぅぅぅ!!!」
ユキコに扮したサコがチコの脇腹を思い切り蹴り飛ばした。
「何、速攻でバラそうとしてんじゃい!
あんたの“ギフト”は戦うその時まで秘密!そう言う約束でしょうが!」
チコは頭から壁にめり込んでいる。リサコは汗を垂らしてその様子を見ていた。
「私はサコ・ムスエラ。私も孤児院の出よ。
姫様に“ギフト”を見出してもらってお仕えすることになったの。
まぁ、“ギフト”の内容に関しては見るからにわかるわよね」
リサコは頷く。レイトも驚いてサコをまじまじと見つめる。
「姫様が大丈夫と言っていたのはこのことだったのか〜。
まさか、ここまで完璧な影武者がいるとはね……」
チームユキコのメンバーを確認したところでサコは切り出す。
「さて、噂のゴーストの人たちが入ったことで戦力がだいぶ増強されました。
リサコのおかげで盗聴の心配もなくなりました。
ひとまず、状況を整理しておきましょう」
サコはそう言うと全員を座らせる。
チコはユキコ姫のベッドの上に、リサコとレイトは床の上に。
ミギトは頑なに座ろうとしなかったのでサコは諦めて話し始める。
「この宮殿で今、ユキコ姫はとても追い詰められています。
声が出ないことが知れ渡ったユキコ様はすでに宮殿内での発言権を奪われました。
今はカント様に全て操作されてしまっています。
ユウト様は姫専属医師の座を追われ、すでにユウト様の兄、カズト様が姫専属医師の座を手にし、婚約者には近衛兵団長カント様が選ばれています」
「カントなら今、自分の部屋で寝てるぜ。
ここ数日の記憶が消えるようにしておいたから、ユキコ様が逃げ出したことは知らないはずだ」
リサコはそう言う。サコは一礼して感謝を表明してつづける。
「ありがとうございます。
話の続きです。
専属医師も婚約者もまだ、正式に公布されていない内定ですから、公に彼らと行動を共にすることはありません。
今は、ユキコ様が疲労による体調不良ということでこれまでの側近である私やチコ、ミギトのみが近寄れることになっていますが……。
いつ、彼らがユキコをほしいままにしようとするのかわかりません」
サコは悲しそうな顔をして言った。レイトは渋い顔をしてその話を聞いている。
「すごい、やりたい放題ですね」
リサコは腕を組みながらウンウン頷いている。
「そりゃ、ユキコ姫、可愛いもんな〜。
それに、声を失ってしまった女の子を好き放題していいって言われれば男が寄ってたかるのも無理はないね。私もそんな罪な女になりたいわ」
「隊長じゃ無理ですね」
「何言ってんだレイト。
私にだって穴はある。山もなかなかに高い。顔も悪くない。
そんな風になれると思うんだが?」
「そういうところですよ」
「そういうとこ?」
キョトンとしたリサコに、サコはエッホンと大げさに咳払いをすると言う。
「いいですか?
そうして王位継承権第一位の権力を手に入れようとしている人たちがいます。
この人たちは常に姫様の体を狙っています。
勘違いしたバカが姫様を我が物にしようとする可能性はありますが、基本的に姫様の命を狙うことはありません」
ミギトは拳をきつく握りしめ言う。
「たとえ、サコ殿が変わり身となっていたとしても、ユキコ姫の体がそこらへんのゴミどもに蹂躙されようものなら、私はそいつを必ず殺します」
ミギトから殺気がほとばしる。
リサコはその雰囲気の変わりようにゾッとした。
普段の優しそうなおじいさんと言う雰囲気は全く残っていなかった。
——ユキコのやつ……とんでもない猛獣を飼ってるな……。
リサコは思わず握りしめた剣の柄から手を離す。
「ミギトさん。抑えて」
チコがあたふたして立ち上がるとミギトの固く握られた手を包む。
だが、チコもそんな輩がいたら必ず殺してやろうと覚悟していた。
ユキコ姫は優しい方だ。
もし、そうなったとしても政治のバランスなどと言うことを考えて許し、泣き寝入りしてしまう。そう言った方だ。
サコはミギトにニコッと笑って頷く。
「もちろん、私も同じ気持ちです。
ですが、命より大事なものはありません。
ユキコに取り入ろうとする方はまだ良いのです。
少なくとも命を狙ったりはしませんから。
それよりも重要な問題は王位継承権第二位、第三位の方々です」
リサコは眉をひそめて言う。
「王位継承権第二位、アルスト・フォン・ラーティン。
王位継承権第三位、ミズコ・フォン・ラーティンか」
「ええ」
レイトは頷いたサコに反論する。
「しかし、サコ殿。
王位継承権第三位のミズコは王になるつもりはないと公言しています。
それほど警戒する必要はないのでは?」
「そうですね。
彼女自身はレイトの言う通りです。
しかし、その側近や後ろ盾には注意する必要があるでしょう」
「と言ってもだ。誰がついているかわからないじゃないか」
リサコはついにあぐらをかいて座る。
レイトはそんなリサコを怪訝そうな表情で見ている。
「わたしらゴーストは暗殺が目的で作られているから情報収集にはあまり強くない。
だが、いつどのような時に誰を殺せと言われるかわからない分、できる限り情報を集めておくのが鉄則だ。
そんな私らでは彼らの情報は集められなかった」
「情報が集められないと言うのは?」
サコはそう聞いた。
「いや、実際には集まるんだ。
でも、その全てが事実のように聞こえ、そしてその全てがデタラメのように聞こえるんだ。
本物の情報を見極める決め手となるような、確固たる情報が集まらない。
王にならないと公言してはいるが、何を考えているか全くわからん」
「不気味だね……」
チコは寒気でも感じているかのように両手で体を抱いた。
リサコはそんなチコを安心させるかのようにニコッと笑うと言う。
「まあ、王位継承権第二位のアルストの方はもっと単純だ。
単純に王位を狙っている」
「彼は王になって何がしたいのでしょう?」
サコはリサコにそう問いかける。
リサコは両手を広げて馬鹿にするような表情で言う。
「自分のことだけさ。
あのデブはEEが無くなっちまっては趣味も何もないからな。
好きなようにEE鉱石を確保しておきたいんだろ」
レイトが手を上げて発言する。
「自分は一時期、アルストの情報を集めていたのですが、実際の彼自体にはそれほど脅威はありません。
才能も努力も全て怠っている凡人以下の能力しかありません。
しかし、彼には強力なメイドが付いています」
「ああ……」
サコとチコはドリアンの匂いでも嗅いでまったかのような表情を浮かべる。
リサコはニンマリ笑うとそのメイドの解説を高らかに始める。
「そう、リュッコというメイドだな。
どうやって取り入ったのかわからないが娼婦の出身の女だな。
ところが、これがなかなか厄介でな。
人を集め、その才能を見出すのがうまい。
アルストの配下は今やミズコを越え、ゴーストが加わったユキコ姫の陣営よりも充実しているだろうと考えられる」
「やはり、現状ではアルストが一番危険ですね……。
アルストの情報は集められますか?」
「もう無理だですね。
ゴーストのメンバーを派遣しようものなら殺されているし、“ギフト”やその他手段も意味を成しませんから」
レイトが冷静に答える。
「くそっ。
結局、ユキコ姫を狙っているのが誰なのかはよくわからずじまいですか……」
サコは悔しそうな表情で俯いてしまった。
リサコはそんなサコをしたから覗き込むと聞く。
「ユキコ姫はどうやって狙われてたんだ?」
「それが、獣化症という病気に……」
サコはユキコがある日から急に獣になってしまった話をリサコに伝えた。
自分たちでは何もできず、ユウトがいなければ彼女の病気は直せなかったこと。
獣化症を自在に発症させそれを秘匿することができる、そんな凄腕の集団がどこかに潜んでいる可能性があること。
「
なるほどな……。狙って相手を獣にできる。
そんな“ギフト”聞いたことねぇが……。
ユキコ姫はそんなすげぇやばい技術を持った相手から狙われているのか。
にしても獣化症か……」
レイトがリサコの言葉を引き継ぐ。
「おとぎ話の中だけのものだと思っていましたが……。
発動条件や“ギフト”を使われる前兆とかわかっていることはありますか?」
サコは首を振る。
「何もわかっていません。
何をされたら獣化症にかかる対象となってしまうのか。
なにを持って獣化症の発症とするのか。どうやったら防げるのか……」
リサコはこの世の終わりを見ているかのような、蒼白な顔をして言う。
「もしそんな“ギフト”を使える奴が実在してるのなら……」
リサコは部屋の中にいる面々を見渡して言う。
「これから、ここにいる誰が獣になってしまってもおかしくないと言うことだ。
それに、それを秘匿できるのだとすれば、ある日、ここのメンバーが減っていても気づかないってわけだ」
部屋の中を、ねっとりとした冷たい風が通り抜けたかのようだった。
サコはブルブルっと体を振って悪寒を取っ払うと言う。
「獣化症に関して、ユキコ姫はユウト様の力が必要だと考えています。
ユウト様は獣化症を研究していらっしゃいますから。
それに治療の“ギフト”もある。
きっと、ユキコ姫がなんとかする方法を見つけて帰ってきます。
私たちはとにかくユキコ姫が戻ってくる場所を確保しなければなりません」
サコの決意。サコの後ろに立っていたミギトがすっと出てくると言う。
「さて、その話は私からさせていただきます」
そう言うとサコはチコが座っているユキコのベッドに座る。
「ユキコ様は現状声を失っておられます。
帝国のしきたりにより声を失った王族は発言権を失います。
よって、ユキコ様の希望は全て通らなくなりました。
正直、帝国数千年の歴史の中で声を失ってしまった王族はいません。
そうした王族は皆自殺、または殺害されてきたからです。
今後、ユキコ様がどのような立場になるのかわかりません。
大事なのは私たち部下です」
リサコはニヤリと笑うとミギトに言う。
「つまり、わたしらがユキコ姫の意思として行動すればいいってことだろ?
今は、その役目をカントとかカズトなどにいいようにされている。
なんとか取り返さなきゃな?」
だが、ミギトはあまりいい顔をしなかった。
「なんだよ」
「そううまくいくでしょうか。
おそらく、第二位のアルスト様はユキコの王位継承権放棄を迫ってくるでしょう。
ミズコ様は害がない分、傍観者だと思われます。
協力は仰げないと考えるのが妥当でしょう……」
レイトはミギトの悲痛な表情を見て不思議に思う。
「ミギトさんはなぜそんなに焦っておられるのですか?
ユキコ姫の進退はそんな急に決まる物でもないでしょう……」
ミギトは言いづらそうにレイトを見ると、重々しく言う。
「今はまだ夜中ですが、もうすぐ日が昇ります。
本日の朝、会議が開かれることが決定しました。
参加者はドワイト王、ユキコ様、アルスト様、ミズコ様。王位継承権の第三位までの関係者が集められ国の行く末を問われる会議が行われます」
リサコは立ち上がると、怒鳴る。
「それを早く言えよ!!」
「待ってください。後から合流されたお二人にできることはありません。
すでにサコ、チコ、そして私でユキコ姫を守る作戦を立てています。
おそらくEE減少に関する議題でしょうけど、それに関する詳細は姫様本人しか知りません。
わたしらは概要のみを使いながら会議を乗り切らなければなりません」
ミギトは左手に紙の束を持つ。
ユキコの署名がしてあるレポートだった。
少し日に当たってしまい、日焼けしているが正式な文書である。
「今からでは打ち合わせもできませんから、あなたたちの役割だけ決めておこうと思います」
サコはリサコに確認する。
「ゴーストって顔出すのまずいんでしたっけ?」
リサコは少し考えると言う。
「問題ないんじゃないか?
一応、ドワイト王お抱えの直属部隊ってことにはなっていたけど、ここ一年間は仕事なくて。
実際にドワイト王に会ったことないからな。
部隊に下される命令もEE石版に送られてくるメッセージで一文『だれそれを殺せ』ってくるだけだったし」
リサコはそう言いながらもレイトを見る。
「隊長の言う通りですね。
我々はもうユキコ様の配下になりました。
堂々と素顔を晒しましょう。
それだけでも他の陣営を威圧することができましょう」
「そうして敵が出てくるんじゃないの?ゴーストを消すための部隊とか」
チコの指摘にレイトはふっと花で笑う。
「我々がその他を消す部隊だったんですよ。
それに、そうして攻めてきてもらった方が楽ですよ。
我々も伊達に鍛えているわけではありません。
返り討ちにしてユキコ様の敵がどんな奴らなのか、検討をつけることができます」
ミギトはうんと一回頷くと、リサコ、レイトを見つめる。
「姫様に強力な味方がついたこと、嬉しく思います。ご協力をお願いします」
とてつもない実力を隠しているミギト、それを見抜いていたリサコだからこそ低姿勢なミギトにこうしてお願いされてしまっては心踊るのを抑えきれなかった。
「よっしゃ、任せろ!なんでもこなしてみせるぜ!」
元気よく返事をしたリサコだが、この後、心底後悔することになる。
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