2.3

『それは、姫様、ということはつまり……』


 サコの驚きに満ちた顔。

 ユキコはサコの目を見て頷く。どうやら同じ結論に至ったようだった。


『つまり、私を陥れようとした相手は獣化症のことを知っている!?』


 チコとサコはユキコの目を見つめる。

 この結論は多くのことを示唆している。


 ユキコは顎に手を当てて考える。ここまででわかったことは三つ!


 第一に、獣化症が実際にある病気であること。

 人は本当に獣になってしまうことがある。

 これは私が身を持って体感した。

 人間性を失うことはとてつもない恐怖だ。

 おかしいと思いながらおかしい行動をしてしまう。

 制御の利かない体になる。

 こんな病気があると知れたら民衆のパニックは免れ得ない。

 この病気を公表するしないの選択権は彼らの手の内だ。


 第二に、獣化症のことは何らかの機関が認知し秘匿できると言うこと。

 これまで私は王家としてあの物語に登場する症状、そんな病気はないと言う立場を取って来た。

 だが、その病気は存在しており、私は実際にその症状に侵された。

 物語とは症状の現れ方が違うものの、物語と全く同じ症状が発症した。

 これほど歴史のある国がそんな病気を認知していないのはおかしい。

 加えて、獣化症は年に何人か発症しているはず。

 それなのに噂にすらなっていないのはおかしい。

 病気が発症した人間を隠す方法がある、と言うこと。


 第三に、獣化症はある程度発症する相手を絞れると言うこと。

 今回は私を狙って症状を発生させた。

 見事、私はウサギになり、この宮殿から排除されるところだった。


『それなら、敵、仮に私を排除しようとする個人または集団を仮に敵と呼ぶと、敵は大きな失敗を犯したことになるわ』


 サコとチコは同時に首を傾げてユキコを見る。

 こんな時だが、二人はよく似ていることにユキコは微笑んでしまう。

 さすが、同じ孤児院で姉妹のように育っただけあるわ。


『私が助かってしまったことよ。

 結果として、私の声を封じた状態になっているから、宮殿内では殺したことになっているけど、それでも本人は生きている。

 意見を言うことができなくても王位継承者第一位であることに変わりはないわ』


 ユキコはそして、心配そうな表情になる。


『そして、敵の誤算はユウトの存在。

 まさか、獣化症を治せる人間がいるなんて思いも寄らなかったはずだわ。

 とすると……』


 ユキコは紙に点を打ち続ける。思考をまとめ終わったユキコは大きく書く。


『これは私たちにとっても誤算というわけね!?

 隠しておきたかったユウトの存在バレちゃってるじゃない!!

 ユウトがとっても危ない!』


 サコとチコはその言葉にグッと身を固める。


『ユウトは拷問されているけれど、いずれ殺されるわ。

 なんか、カントがやたらと強調してる私を治す方法?

 そんなことを主張している時点でカントは下っ端ね。

 そんなもの最初から無いに決まってるじゃない。

 だから国ぐるみで秘匿していたんでしょうに。

 この病気は彼しか治せない。

 こうなってくるとユウトの重要性は高い。

 それに、私が治ってしまったことで獣化症を治すなんらかの方法があることを敵が知ってしまったことは痛いわね』


『私たちが助けに行きますか?』


 そう書いてチコはユキコの方を見る。


『ダメ。サコやチコじゃ戦力不足よ。

 牢屋は宮殿の地下にあるけれど、そこまで衛兵に見つかることなく行くことはできないでしょ。

 今は一人でも戦力を欠けるわけにはいかない。

 私の信用できる人間はあまりいないの。

 まだ、リスクを取るには少し早すぎるのよ。とすると……』


 ユキコは再び思案モードに突入する。

 こう言う時、サコとチコはユキコの決定を待つ。

 ここで余計な口出しをすれば、ユキコの判断に影響してしまう。

 ユキコは足を組み直すとじっと考える。


『決めた。私がユウトを助けるわ』


 サコとチコは悔しながらも頷く。

 ユキコが先にあげたメンバーの中だと、ユキコが一番実践能力を持っている。影武者としての役割のサコはともかく、チコはこう言う時、ユキコの代わりとして実動部隊を任せてもらえないことには忸怩たる思いがある。

 そんな気持ちを抑えながらチコは書く。


『助けると言ってもどうやって助けますか?

 それに姫様がいなくなってしまっては……』


『そこらへんはほら。サコ。あなたの出番。

 大役だけどこの日のために用意して来たんだから』


 するとサコは表情を急に引き締めた。

 サコの出番。

 それはユキコ姫がこの宮殿からいなくなることを意味する。

 そして、その代役を、影武者ドッペルゲンガーの使い手であるサコが担うと言うこと。

 サコはお任せくださいと言う言葉を込めて、ユキコ姫の前に跪き深々と礼をした。



 日が沈んてからきっちり一時間後。

 今日は新月。ユキコは宮殿の壁にへばりついていた。

 お忍び外出用の黒いミニスカートのドレス。

 

——こう言う時でも可愛さを忘れないことは姫の嗜みでしょ?


 ユキコは今日、黒いタイツを身につけ、運動しやすい黒い靴を履いて出て来た。

 輝く白い髪の毛は黒い帽子の中に無理やり押し込んだ。

 サコの髪の毛をまとめる技術にはつくづく驚かされる。

 サコが髪の毛を押し込んでいる間、チコには白い肌を黒く塗ってもらった。

 これで夜間の視認率は相当落ちたはずだった。


——一つ難点があるとしたら、インクのせいで顔が痒いわ。


『目の中と口の中はインクを塗っていません。

 目を開くときと口を開くときは気をつけてください』

 とサコは言っていた。

 

——口は開かないにしても目を開かないのは難しいわね。ってか、無理ね。


 もしもの時のためにワニ皮で作った手袋もはめて来た。

 宮殿の衛兵くらいならパンチ一撃で失神させられるはず。


 さて、作戦はこう。

 まず、地下牢に忍び込む。

 残念ながら拷問の周期はわからない。

 でも、そこまで真剣に痛めつけてはいないはず。

 ユウトから聞きだせることなんてないことは最初から分かり切っていること。

 その辺の周期を観察したら、休憩時間にユウトを誘拐する。

 その後は私が緊急用に確保している郊外のセーフハウスへユウトを連れて行く。

 そこから先はその時に考えましょ。

 ユウトの状態によってはしばらく動けない可能性もあるわ。


 とすれば隙を見て連れ出すことは問題にならない。

 むしろ、彼がどこに閉じ込められているのか。

 それを明らかにする方が大変だわ。

 宮殿の地下はもはや迷路。

 いくら私の感覚が鋭くなっていたとしても、どこから声がしているのか割り出すのは容易でないわ。


 ユキコは考え事をしながらも、するすると宮殿の壁を滑り降りていく。

 宮殿の壁、石のブロックのほとんどないような隙間に指をかける。

 指が一本でもかかれば上り下りできる。


——小さい頃から何にでも登った甲斐ががあるわね。


 あっという間に地面へと到達する。


——昔はロープがないと上り下りなんてできなかったけど……。

——筋肉質な女の子だと嫌われちゃうかしら。


「身体強化・レベル1」


 ユキコは自分の持つ“ギフト”を発動させる。

 EEが続く限り体の身体能力を向上させる。

 ユキコは体が軽くなった感覚を得る。

 EEを使っていることによる体の白みがかった輝きが現れないよう、EEを無駄なく体内で循環させる。


「それじゃ、行きますか、地下牢へ」


 ユキコはそう呟くと、ダッシュする。

 宮殿の城壁内には一周ぐるりと遊歩道が整備されている。

 遊歩道の周りには様々な趣の庭園が並べられ、時期や相手に合った庭園でお茶会をするのがおもてなしである。

 しかし、夜にはそれらの場所に衛兵が配置され、怪しい人間を捕らえている。


 ユキコはもしもの時のために衛兵の巡回パターンは網羅してあった。

 衛兵たちは赤い服に金色にメッキされた甲冑をまとって宮殿内を歩き回る。

 異常があれば部隊長に報告する。

 今日は新月の日であり、衛兵が多く配置される日でもある。

 ユキコが視認できる範囲にも四人は見えている。


 だが、人数が多いと油断するもの。

 そして、その油断こそが命取りだった。

 近くに別の衛兵がいることの安心感から警備が緩んでしまう。


 ユキコは目にも留まらぬスピードで衛兵の視界に入らないよう、突っ走る。

 時に木の上から頭上を飛び越え、時に背中に触れられるほど近づいて衛兵をやり過ごしていく。


 ところが、ユキコは走っている足を急に止めるとすぐ近くの植え込みに隠れる。

 

——……おかしい。いるはずの衛兵がいない。病欠?

——いや、衛兵の仕事は病欠できない。病気なら代役が立つはず。

——何か異常が起きている?


「おい、いたか?」


「—————————!!」


 ユキコは声にならない悲鳴をあげる。

 突然背後から声がしたのだ。

 なんという運の悪さ。

 自分が飛び込んだ植え込みの中に衛兵がいたなんて!


——くそっ、私の感覚が鋭くなって音がよく聞こえるようになったのはいいけど、まだうまく制御できないわ! 鳴っている音が近いのか遠いのかわからない!


「いや、いない。どこに行ったんだろうな」


「本当にいたのかよ?」


 ユキコは拳を構える。

 衛兵は植え込みの中でガサガサと何かを探す。

 徐々にユキコの方へと近付いてくる。

 

——……どうする?私、バレた?こいつ、気絶させる?でも、仲間がいる!

——会話途中でいなくなったら不自然!でも、逃げられない!どうすれば……!


「いや、いたよ!こんな高い位置にある宮殿を、さらに高く取り囲む城壁を軽々と飛び越えて行った銀色の猫が!絶対見間違えじゃねぇって」


——探しているのは私じゃないみたいだけど……。

——このままここに来たらバレるわ。そしたら、気絶させるしかないわ。


 ユキコは覚悟を決め拳を握り直すと相手の出方を伺うため目を見開いて待機する。


 衛兵はじわじわとユキコの方へ近づく。


 あと一メートル。

 ユキコは息を吸うと、ピタッと止める。この距離では呼吸音も聞こえかねない!


 あと五十センチ。

 相手の息遣いが聞こえる。甲冑をつけたまま腰を曲げて作業すれば息も上がる。


 あと三十センチ!

 相手の体臭がはっきりと感じられる!柔軟剤、いいやつ使ってるわね!

 あと十センチになったら攻撃する!


 あと二十センチ!

 そこで、この衛兵に声をかけていた方が声をあげる。


「はぁ、いい加減にしてくれ。まだ夜は長いんだ。

 そんなに気になるんだったら、猫を見たという報告だけ、部隊長にあげとけよ」


 目と鼻の先にいる衛兵はよっこいしょと言いながら植え込みの中から顔をあげる。

 相方の方を見て言う。


「いやいや、部隊長に証拠もなしにそんな話しても怒られるだけだろ……。

 わかったよ。もう諦めるよ。くそっ。誰も俺の話信じてくれないじゃないか」


「信じるわけないだろ。猫がこんなとこまで飛んでくるわけないだろ。

 お前、酒飲んでここ来たわけじゃないだろうな?」


「今日は違う」


「今日は!?お前、飲んでから作業についたことあんのか!?」


「まぁな」


 衛兵は植え込みの植物を押し倒しながら道に戻った。

 ユキコは静かに息を深く吸い込むと、胸をなでおろす。


——なんとかバレずに済んだ……。

 

 それにしても、衛兵の自堕落ぶりを聞いてしまった。

 今度シメてやらねば。と心に決めるユキコ。


 衛兵は知らないところで国のトップに余計な自慢話を聞かれてしまった。

 彼は後日、近衛兵酒導部という新しい役職を任され、ユキコ姫に差し入れられ、ユキコ姫が飲みきれなかったお酒を全て飲み干すという仕事をすることになるが、それはまた別のお話。


 ユキコは再度、衛兵の隙間を駆け抜ける。

 あっという間に地下牢の入り口にたどり着いた。

 地下牢の入り口は石の階段になっている。

 この入り口が唯一、歩いて地下牢に入ることができる。

 入り口には衛兵が必ず二人つくことになっている。

 一人は階段の外を、一人は階段の中を監視している。


 すると、ユキコの前に奇異な光景が広がる。

 ユキコの真下に猫に乗った女が現れたのだ。

 ユキコは息を飲む。

 衛兵の目の前に堂々と姿を表した、白いブラウス、黒いスカートの女。

 そしてその女を乗せる猫。猫でかい!

 乗っている女の肩には青い小鳥が止まっている。


「あ、銀色の猫……」


 ほとんど、声になっていない呟きだった。

 だが、銀色の猫は正確に木の上に隠れているユキコの目を見つめた。


——うっ、すごい耳だわ……。でも、やましい者同士仲良くしましょ?


 ユキコがそういう意味で、ウィンクをする。

 だが、猫はプイと正面を向いてしまう。どうやら一応黙っていてくれるらしい。


 地下牢の入り口を守っている衛兵たちは困惑した様子でその変な光景を見ていた。

 だが、侵入者である。迷いながらも仕事を果たす衛兵。


「お嬢さん。ここは立ち居入り禁止なんだ。引き返してくれるかな?」


「断る。私はその奥に用があるの。邪魔しないで」


「そうはいかないんだ。すまないが帰ってくれるかな」


 ユキコは衛兵ののんびりとした対応に対して叫びそうだった。


——衛兵ぃぃぃぃ!

——ここまで侵入されているということが異常なんだぞ!

——宮殿に侵入する人間の話なんて歴史の授業で聞くくらいには珍しくなるほどほとんどいない。

——けど!だからこそ、入られていることの異常性に気づけ!早く連絡しろ!


半瞬の間の後。


———あぁぁぁぁぁぁ、いや、今はダメだぁぁぁぁぁぁぁ!


ユキコは頭痛を感じて頭を抱え、体をねじる。


——まさか、衛兵の仕事ぶりがこんなもんだとは……。

——私はよくこんな中、安心して寝付いていたものだ……。


  平和ボケとはこういうことをいうのだ。


「どいてくれないなら……しょうがない」


 猫に乗った女は腰のポーチから何やら赤い塊を取り出すと火をつける。

 ユキコは慌てる。


——爆薬!?そんな物こんなところで爆破されたらやばい!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る