2 物事は同時に発生し同時に動き出す

——あれから何日経った……?


ユウトは麻のズボンだけを履かされ地下の拷問場で椅子に縛り付けられている。

 手はあれからずっと後ろ手に縛られたままだ。

 おかげでうっかり誰かを触ってしまうことはないだろう。


——俺としてはありがたいが、手が痒くなるな……。


 部屋は石造りで、天井からEEを溜め込んだ青い光の照明が釣り下がっている。

 照明は部屋にいる人間を上から照らし、顔に影を作る。

 ユウトの目の前にいる顔を隠した男も、上から照らされ顔の上半分が暗かった。


「おい、もっとしっかり殴れ。

 こいつは自分の地位を使って姫様を意のままにしようとしたんだ。

 おそらく、今の地位でさえ姫様の弱みを握ってついたに違いない。

 同情の余地はない。じっくりと痛めつけるのだ」


「はい、カントさま」


 ユウトはカントが拷問師を自分の家に隠し持っていたとは知らなかった。

 そこまで、宮殿内の争いに首を突っ込むようなことをしているとは思っていなかったのだった。


——次は右の拳か?


「ぐっ……」

 

——…受け損ねた…。また鼻血だ。俺の血、もったいないな。

——俺の体がせっかく作った貴重な血だったのに。


「おい、ユウト。いい加減白状したらどうなんだ?

 姫さまは声が出なくなってしまったぞ?

 一体何をしたんだ?どうやったら姫さまは声が出るようになるんだ?」


 カントはユウトに優しく話しかける。

 ユウトは答える。もう大きな声は出ない。だから、ささやくような声で言う。


「……ユキコ姫は獣化症だ……。

 獣化症は…どうやら、体の構造を全て…獣に変えてしまう…みたいなんだ……。

 だから、体の…構造を、人に戻せば……いい」


 そこに拷問師の左の拳が叩き込まれる。


「それは前にも聞いた話だ。

 いい加減真面目に答えてくれないかな?

 姫様は獣化症などという空想上の病気じゃない。

 体のどこらへんが獣になってるんだ?

 俺はこんな仕事をしている場合ではないんだ。

 お前が傷つけた姫さまを助けなければならない。

 俺が、彼女の支えにならなきゃいけないんだ」


 ユウトはニヤリと笑う。すぐに拷問師の拳が飛んでくる。


「何がおかしい?」


「なぁ、カント?

 お前、…何で、俺がユキコ姫の部屋に入って、あんなにすぐ…駆けつけられたんだ…?

 …何処かからか、ユキコ姫の部屋、…のぞいてたんじゃ…ゲフッ」


 カントは答える代わりに指をパチンと鳴らす。

 拷問師のパンチがみぞおちに命中する。

 肺にあった空気が追い出され、ユウト窒息しないように必死で空気を吸い込む。


「今日も姫さまの治療法を吐かなかったな。

 そんなに姫さまに不幸でいて欲しいのか?

 せめて、ここで正直に話してくれれば俺も少しはお前を見直すんだけどな?」


「ユキコ姫は獣化症だ……。その事実は変わらない……」


「ちっ。こんなクソみたいな仕事、さっさと終わらせて姫さまのお側にいたいのに。

 姫様はお前がどんなにあがいたところで俺のものになるんだ。

 さっさと教えてくれないかな?」


 カントはハァと息を吐いて拷問部屋から出ていった。


 拷問師はユウトを椅子に縛り付けていた縄を解いて担ぎ上げると地下牢へと連れて行く。

 鉄格子の扉を開き、中に放り込まれたユウト。

 石の冷たさが全身の腫れに効きとても心地が良い。


——今日も何とか乗り切った……。


 ユウトは昼夜がわからないこの地下牢では寝た回数で何となくの日数を数えていた。

 これから寝るとなると九回めの睡眠だった。

 ユウトの体感だが、拷問の時間がどのくらいかよくわからないが、一週間は経っているんじゃないだろうかと予想を立てていた。


「ぐっ………」


 全身が痛んでいる。

 拷問師は人の痛覚をよく理解していた。

 気絶しない程度の痛みを的確に再現する。

 骨を折ったりしていないだけまだマシと言えるだろう。

 だがその分火攻めや水攻め、電撃などありとあらゆるパターンで痛めつけてくる。


——あと一ヶ月分しかないEEを、こんなもったいないことに使ってどうするんだ……。


「ユキコは大丈夫だろうか……」


 おしゃべりなカントが勝手にもたらしてくれる情報によると、どうやら獣化症の再発はしていないらしいがいまだに声が出ない様子らしい。

 おかげでだいぶ苦労していそうだ。

 カントが一生懸命狙っているみたいだし。

 声の出なくなった王族は意見を言えなくなってしまう。


 それにしても、ユキコの背中にあった傷は、やはり毛を剃った跡だったのだろう。とユウトは納得する。

 おそらく獣化し始めた時、背中に毛が生えてきた。

 そんな状態のユキコを何も知らない他人が剃ることはできなかったのだろう。

 ユウトはチコかサコが剃ったと考えていた。

 傷がついてしまったのは慣れない作業だったから。


——ユキコ……。どうするつもりだろうか。獣化症はおそらく俺以外には治せない。

——現状声が出ないという症状が残っているため俺にもう一度接触する必要がある。

——その時が交渉のチャンスだろう。

——何としてでも、ユキコの症状をネタに俺を牢屋から出すように仕向けなければ。


「……とにかくここから出ないと……。

 逃げ出すにしても……誰かの手引きが必要だ……。

 そう言う意味でユキコは取引の相手として申し分ない……」


 ユウトはそう呟きながら、深い眠りへと落ちて行く。

 この時だけは自分の時間だ。

 眠りに落ちるまでのこの数秒。

 この時間だけがユウトにとっての生きる意味だった。


「おい、起きろ!飯だ!」


 ユウトは看守が鉄格子をガンガンと叩く音で目がさめる。

 鉄格子の下から硬いパンと冷めたスープが差し込まれる。

 ユウトはよろよろとその近くへと這って進む。

 後ろ手に縛られているため食器を持ち上げて食べることはできない。

 ユウトは犬のようにスープの食器の中に顔を突っ込んで食べる。

 味なんてない。

 罪人を死なせないためだけの食事。


 すぐに拷問師が牢屋にやってきて俺を連れ出す。

 十回目の拷問は水攻めらしい。

 頭をバケツに張った水に抑え込まれ、持ち上げられる。

 息ができるかできないか。

 ギリギリのところを攻めるのが、拷問師の実力の見せ所だろう。


「今度こそ、ユキコの治し方、教えてもらうぞ。

 いったいどんな“ギフト”を使ったんだ?」


 カントは腕を組んでユウトの様子を見ている。


「“ギフト”なんて使ってない……もう…伝えた……。

 これ以上…伝える…ことはない…」


「まだ、言わないつもりか。強情だな……!手を抜くなよ?」


「はい」


 拷問師はさらに気合を入れて、ユウトのことをバケツへと押し込む。


 ユウトは社会的信用を完全に失ってしまった。

 それはカントに対してもそうだが、医師会、家族、王家、そしてユキコ。

 結局ユキコは一週間経っても助けに来ていない。


——もう二度と、この国で医師として活躍することはないだろう。


 成し遂げることもなく、ただ、王家のお姫様をどうにかしようとしていたと言う罪で裁かれ死んで行く。

 そんな不名誉な名前だけ残して、ユウトはこの世を去る。

 エリュシダール家に汚名を残せたことはむしろ嬉しいことかもしれない。

 

——せめて、次の生ではもう少し、笑いのある楽しい人生を送りたい。

——俺の人生に笑うことはほとんどなかった。

——圧倒的否定か小規模な否定。俺が家族からもらった言葉はそれだけだった。

——もっと、褒めて欲しかった。


 ユウトはそう考え事をしながら、拷問を受けていた。

 ふと、気がつくと自分の目の前にあるものが水の張ったバケツではなくなっていた。

 

——………あれ?俺がいる……?


 目の前にはバケツに顔を押し込まれたユウトがいた。


——うわぁ。顔、ひでぇな。ぼこぼこじゃないか。髪の毛もぐちゃぐちゃ。しばらく洗わないとこんな風になっちゃうんだな。おお、バケツの中身を飲んでしまう作戦!俺、なかなかやるじゃないか。あちゃー失敗だ。水、継ぎ足されちゃったじゃん。殴られてるし。


——水、美味しくないな。一体どんな水使ってるのやら。あんまり考えたくないなぁ。カントがなんか言ってるけどもうよく聞こえない。耳に水、たまりすぎたな。


——あれ、水攻めだけじゃないの?火攻めもするの。おお。俺の尻に火がついた。参ったな、次からどうやってウンコすればいいんだよ。


——カント、出て行くのか?治療法聴き出すんじゃなかったのか?もう、俺はいらねぇか?

 

——……もう、俺のこと必要としないんだったら。










——……………………………………………殺してくれ。

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