1.2

 結局、近衛兵との会話は全くなかった。

 どうやら、姫のことを少し悪く言ったことが気に障ったらしい。

 ユウトはむしろ申し訳なくなる。


 ユキコとは幼い頃に一緒に遊んでしまったせいでいわゆる“お姫様”と言う感覚を持てなくなってしまった。

 彼にはきっと可憐で白くてふわふわの憧れとしてのお姫様がいるのだろうが、俺にとっては天邪鬼でいたずら好きの可憐な女の子だ。


——可憐という部分は一致してると思うし許して欲しい。


 宮殿の門の前で車が止まる。

 この近衛兵はどうやらここまでしか送迎しないつもりらしい。


「それでは」


 近衛兵はそれだけ言うとさっさと走り去ってしまう。


「宮殿まで歩くしかないな」


 ユウトはそう独語すると、のんびり歩き始める。

 しばらく歩いていると広場が見える。この前来た時に見た広場。


「時間あるし、久しぶりに寄ってみるか」


 ユウトは芝生の整備された広場に入る。


 広場にはほとんど何にもない。

 大きな木が一本、そして、十字に固めた木の棒にバケツを頭に見立てて被せたカカシが一つ。

 バケツば叩かれ続けて傷がないほどにに凹んでおり、雨ざらしにされてサビがひどかった。

 ユウトにとっては、こんなチンケなバケツの凹み一つ一つに思い出がある。


 昔はここでよく遊んだものだった。

 ユキコ、カント、そしてユウト。

 最初はユキコがよくわからない遊びをひらめいたと言って俺とカントを巻き込む。

 時には執事のミギトに対してトイレが爆発するいたずらを仕掛けて三人ともげんこつを食らったこともある。


 遊んで遊んで、遊び疲れて、最後にはこの広場に来る。

 少し休憩して、すぐに手合わせと称して一対一の決闘をしていた。

 余った人は見学かカカシが相手だった。


 カントは武家の一門だけあって強かった。

 両刃の剣を模した木刀を操り騎士の中でも正道な剣術を得意としていた。

 中段の構えに足を前後に開きどんな攻撃にも対処できる。

 オーソドックスだが隙が生まれることが少ない、ミスを減らし相手のミスを誘う、そんな剣術だった。

 彼は戦闘中に“ギフト”を使うことはほとんどなかった。

 カントの“ギフト”は大人の事情とやらで隠されていたらしい。

 今だに、ユウトはカントがどんな“ギフト”を持っているのか知らなかった。


 対してユキコは武器など使わない。

 拳に硬いワニの革手袋をつけて戦っていた。

 軽い身のこなしで相手の剣を躱して懐に入ると正確に弱点を狙って拳を突き出す。

 そのスピードが速かった。

 彼女の“ギフト”は自分の動くスピードを速める魔法だ。

 長時間は使えないが相手の隙を逃さず的確に自分の間合いに持ち込んでしまう。

 男との力の差を“ギフト”で埋め、体重の軽さを生かした素早い戦闘が得意だった。


 ユウトは戦闘訓練など受けたことなかったから、二人の戦いを見ながら編み出した我流の剣術を扱っていた。

 カントのようなきっちり削り出された木刀などなかったのでその辺の枝を削ってそれらしく作った剣で戦っていた。


 カカシの頭を模したバケツには三人それぞれがつけた傷が綺麗についている。

 一直線についた傷、拳の跡、ベッコリと凹んだ傷。

 ユウトはカカシを撫でる。

 古くなって腐食が始まっているらしく、撫でるだけでボロボロと木が崩れ落ちる。


「いま、勝負したら誰が勝つかな?やっぱりカントかな?

 いや、ユキコか?やってみないとわからないだろうな」


 ユウトがしばらく感傷に浸っていると、パンッとバケツを打つ音が鳴る。


「雨、ふってきたか……」


 空を見上げるユウト。

 手が届きそうで届かない。

 暗く黒く低い空。

 しかし、そこから、一粒一粒、水の粒がじっくり時間をかけて地面に到達する。

 地面に届いた雨粒はその形を奪われ、地面に広がる水の一部として溶け込む。

 ユウトはゆっくり、歩道に敷設された屋根の下に入る。


「カントの迎えはもう無しか。まぁ、あいつも忙しいしな。

 わりと会って話すの楽しみだったけど……。

 何か嫌われることとかしてしまったか?」


 人の気持ちとは難しい。

 俺の考えすぎかもしれないし、事実かもしれない。

 気にしていること自体が無駄な行為なのかもしれない。

 だが、一度気になってしまったものは、無視することなどできない。

 何をもって好きとするのか?人に好かれるというのは本当に難しい。


「ユウト・エリュシダールか?」


 ユウトは後ろから話しかけられる。

 振り向くと騎士の制服らしき黒い服を着た女が立っていた。

 普通の騎士制服と比べるときらびやかな装飾が排除され、とてもシンプルなデザインになっている。


 女は長い髪を後ろで一つにまとめると腰まで垂れている。

 表情にはいくつもの死線を潜ってきた厳しさが現れている。

 高い鼻にキレのある目、顎を引き相手を観察する雰囲気にユウトは圧倒される。

 無条件で相手を信じ応対する人では絶対にしない顔。

 腰には足元まであるような長い剣。

 あれだけでかなりの重量になるが、その重さを全く感じさせない身のこなし。


 ユウトは肌で感じる。


——強い。自分の能力を隠したまま勝てる相手じゃない。


「そうですが……、あなたは?」


「わたしは……そうだなぁ。ガスとでも名乗っておこうかな」


気体ガス?」


 ガスはニコッと笑いかける。

 不思議と、その表情に安心できるようなふわりとした雰囲気が感じられる。

 ユウトは声をかけて着たときのカミソリのような彼女の雰囲気と今のタンポポのような雰囲気のギャップに驚く。


「ええ。わたしはあなたに興味があるの。ずっと観察させてもらってたわ」


「……全然気がつきませんでした」


「当然よ?あなたには尾行される理由がないもの。

 尾行は警戒されているほど難易度が上がるけれど、警戒していない人に対しての尾行ほど簡単なことはないからね。

 それに、わたしは優秀だから」


 ユウトは混乱する。


——尾行する理由がないのに尾行していた?ただの変態か?それとも?


「では、あなたはなぜ私を尾行しているんですか?」


「きみの望みはなに?」


 ユウトは不審な顔をする。

 だが、彼女は相変わらずタンポポのような雰囲気を崩さない。


「俺の望み?俺の望みは……。なんだろう……」


「ではユキコ姫のお望みは?」


 ユウトはガスを見る。何も読めない。


「姫のお望みは俺にはわかりません。わかっていたとしても教えませんが」


「なるほど。いいね。

 では、君は今のドワイト王についてどう思う?」


「王政についてですか……?」


 ユウトはズザッと一歩下がってしまった。そしてハッと気がつく。


——宮殿のど真ん中にある中庭。そんな場所でこんな質問をするなんて!

——おかしい。明らかにおかしい!

——こんな場所で批判するようなことを言うような馬鹿がいるのだろうか。

——だが、ガスの表情は全く変わっていない!

——ユウトの本音を聞きたい、そんな顔をしている。


 噂程度にしか聞いたことないが、質問しては人を暗殺する集団があると聞く。

 ドワイト子飼いの魔法使い狩り集団、ゴースト。


 ユウトはこの状況になって初めて、自分が捕まってはいけない人に捕まってしまったことを自覚する。


——どうする?なんて答える?


「そうですね……。自分は政治にあまり明るくないので。 

 政治を専門としている方に聞いて見るのがいいですよ」


——満点!満点回答じゃないか?


「いえ、わたしは君に聞きたい」


「なぜ私に聞きたいんですか?」


「まず。答えてください」


——ダメじゃねぇか!


 ユウトは逃げられないか体に少し力を入れる。

 しかし、それに反応してガスはトントンと指先で腰の刀を叩く。


——くそっ、逃げられない。俺の筋肉の動きの機微に反応してくる

——!なんで笑顔なのに、顔だけ見れば今すぐにでも逃げ出せそうなのに!

——俺は動けない!


「……あまり、その、えっと、民衆のためになるような政治を……」


 ユウトは黙ってガスの様子を伺うが、そこで許してくれそうになかった。


「政治を?」


 追求。


——くそっ。ガスは俺を理由なく観察していたと言った。

——だが、理由もなく観察するわけがない。

——あの発言は公的な理由がないという意味だ。

——この接触は完全に彼女の私的な目的で行われていると見て間違いない。


——観察していたのなら、俺が今の政治、生活をあまり快く思っていないことは知っているはずだ。

——その上でこの質問をしている。

——ということは、俺は今、彼女に試されている!


——俺はどうすべきだ?

——いいだろう、俺はもう姫専属医。姫様を全面的に信じる! 


「……していないかと……。今のドワイト王は王にふさわしくありません。

 ユキコ姫は何を考えているか正直よくわからない方ですが、民衆のために頑張ることのできるお人。

 王にふさわしいのはユキコ姫です」


 ユウトは半分ヤケクソで言い切った。

 普段だったら絶対に歩かない危険な橋の上にいるのにとても気分が良かった。

 ガスはニコッと笑う。


「やっぱり、そうだと思った!私、人を見る目だけは自信があるんだ」


 そういうとガスはユウトから一歩距離を取る。

 ガスの雰囲気はもうタンポポなどではない。

 刺すような寒さの吹雪だ。

 そしてユウトは感じる。


——戦いが、始まる!


「ふふふ、正直で結構。我、主人あるじの敵発見せり!排除する!!」


「ちっ、そりゃそうだ!俺は何言ってるんだ!」


 ユウトはガスの次の動きを見逃すまいと一度動きを止める。

 ガスは腰の剣を一気に抜き放つと同時にユウトを切りつける。

 ユウトは体をのけぞらせ、ギリギリで銀色の閃きをかわす。

 そのままバック転、広場に走り込む。


 ユウトはその場に落ちていた枝を拾い上げると、ガスの方に向かって正道剣技の基本形、中段に構える。


 ポツポツと降っているはずの雨がいつの間にか本格的な雨になりつつある。

 ユウトは顔に流れる水を払うとガスに問う。


「あなたはゴーストの一員ですか?あの、王直属の秘密部隊の?」


「わたしが何者か。それはもはや、どうでもいいはず。

 君が生き残るには私を無力化する。それ以外にないよ?」


 そういうとガスはすっと剣を構える。

 あちらも中段の構え。

 だが、いくつか隙が見える。


——待て待て。俺程度の剣士に見抜ける隙をこの人が持っているわけがない。

——これは罠だ!

 

 ガスはじっとしているユウトに声をかける。


「どうした?打ち込んでこないの?

 なかなかやるじゃん。なら、わたしからいくぞ!」


 ふわっとガスの体が浮かんだ。


——いや、見間違いだ!

——名のようにまるで気体ガスのように動いているように見えるが、錯覚だ!実際は強烈なスピードで間合いを調節している!


 ユウトは右のこめかみに殺気を感じる。


「くっ!」


 ギリギリで枝を差し込みガスの一撃を受け止める。

 ガスの剣は枝にめり込む。

 ガスは眉ひとつ動かさず力任せに枝から剣を抜く。

 その勢いのまま回し蹴りをユウトの腹に叩き込む。


「ぐぅぅぅぅ!」


 その蹴りをユウトは左腕で受け止める。

 みぞおちへの一撃は逃れた。

 だが、すぐにガスの剣戟が脳天を狙って叩き込まれる。


——右手だけで枝を握っている今の状態では受け止めきれない!


 ユウトは瞬時にそう判断すると、横に逃れながら枝でガスの剣を受け流す。

 ところがそれがガスの狙いだった。

 ガスの腕が蛇のように伸びてくるとユウトの襟を掴み背負い投げの要領で投げる。

 軽々と中を舞うユウト。


「投げ技まで!」


 ユウトは驚く。

 ガスの剣技。

 ここまで全て無音である。

 足音、掛け声そう言った剣士らしい音がない。

 あるのは剣が鋭く風を切る音だけ。

 まるでEEをエネルギーに動き機械が剣を振っているようだった。


 空中でユウトは体勢を立てなおす。

 どうやら、彼女の剣技は騎士としては全く珍しい邪道なタイプ。

 その実は超攻撃型。

 懐に潜り体術などを交えて相手をとにかく先手をとって無力化する。


 しかし、ユウトは似たタイプを知っていた。


——ユキコタイプだ。こう言う手合いとはやりあった経験がある。

——問題なのはガスが剣を使っていること。ユキコより間合いが広いこと!

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