2.森の診療所には綺麗なお姉さんがつきもの

 夢を見る。それは記憶の整理。

 脳が溜まりに溜まった記憶を整理し、必要な記憶必要でない記憶を選別する。

 その内容は見ている時には当然のごとく感じられるのに、目が覚めて思い出してみると全く繋がりがなく支離滅裂である。

 だが、時に夢はとてもリアルで、現実よりリアルに、海馬のとても深くしまってあった記憶を掘り起こし、心に再度傷をつける。


優しそうな男の顔が浮かぶ。

「ミヤコ、お前の名前はミヤコだ!」

ここは、店の裏手?草陰の中、男が私を覗き込んでいる……。

「お前のせいで客が減ったぞ!」

 それは本当に私のせいですか……?


「お前、なんでこの程度のこともできないんだ?」

白衣の男が私に話しかけている。腕、痛い……離して……!


「てめぇ!俺の前を横切るんじゃねぇよ!」

うっ!!どうして!!!私は歩いていただけなのに!!!


「いや、マジで、やっぱ生きてる意味ねぇな。色々金かかるし」

 別にあんたのために生きてるわけじゃない!


「君、もう用済みといったはずだよね?出ていってくれるかな?」

そんな、私はこれからどうしたら……?


「まったくもー。あんなところにいちゃだめだよ?びっくりしちゃったじゃん」

 活発そうな女の子……怖い。なぜ、私に声をかけるの?

「怖がってるじゃん……」

「私のどこが怖いってのよ」

「全部だろ」

ギンと見開いた目。自分に対して興味津々の目!いずれは解体してやろうなんて考えていそうな目!!!


ラーティン帝国の外。

 宮殿から直線距離で十キロ以上離れた場所。

 ここにはまだ手つかずの森が残っている。

 街道から外れしばらく歩かないと着かないこの場所は自然が残る未開拓の地として放置されていた。


 森の中、ぽっかりと木がない場所にその家はあった。

 丸太を何本も積み重ね作られたログハウス。

 全てを木で作っており、屋根には葉っぱや枯れ木が積み重ねてある。

 その中の一部屋。

 干し草にシーツをかけただけのシンプルなベッドに一人、女が横になっていた。


 顔には玉のように汗が浮かび、うなされている。

 苦しそうに首をかきむしると左足を抑える。

 そこへ、窓から一筋の光が入り込み、女の顔に直撃した。


「んう……眩しい……!」


 女は光を避けて反対を向く。

 窓からは、森の木々の隙間を通り抜けてきた気持ちの良い風が家の中の空気を一新する。

 そんな美しく心地の良い朝は羽が青くかわいい一羽の小鳥を呼び寄せた。

 カナリアの仲間のようだ。

 小鳥は窓辺に留まると呼吸を整え、大きく息を吸い込んだ。


「うぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっす!」


 小鳥の可愛さはすべて台無しになり、心地の良い朝はおっさんのような低くけたたましい声にかき消されなくなってしまった。


「うっさいって言ってんでしょ!

 いい加減、その朝一そうして叫ぶ癖何とかしてよね!」


 女は飛び起きると窓辺に留まる小鳥に向かって怒鳴る。

「そんなこと言ったって。僕は鳴きたいように鳴き、叫びたいように叫ぶだけさ」


 ダンディな低音でかっこよく言ってるつもりだろうが、言っている内容は自分勝手な話である。


「ふん……」


 女は起き上がると一息つく。

 汗にまみれた体。

 髪の毛もボサボサになっていることが、触らなくてもわかった。

 小鳥を一睨みしておくとさっきまで見ていた夢が気になった。


「最近、おんなじような夢ばかり見るようになったわね……。

 今日はまず水浴びからかしら」


 女の名前はミヤコ。

 森の中のログハウスで一人、生活していた。

 黒い髪に左右のバランスが取れ、美しい顔。切れ目が少し怖い印象を与えるものの、少し微笑んだ表情はそのギャップにより暖かい印象を与える。


 ミヤコは外に出ると朝日が森を照らし、木々がそれに向けて葉を向ける雰囲気が感じられた。

 日が昇ると同時に全てが動き出す。

 自然界の時間とは太陽によって決まる。


 ミヤコはふふっと笑うと、きていた麻の服を脱ぎ捨てる。

 井戸の水を汲み上げるとその水を一気に頭から流す。


「ふぅーーーー!」


 ブルブルと頭を振って水気を切る。

 長く黒い髪は頭の動きに合わせて大きな円を描く。

 井戸の冷たい水はミヤコの体にまとわりついていた汗を綺麗さっぱりと洗い流し、ミヤコの体そして意識を引き締める。


 部屋に戻ったミヤコは体を簡単に拭くと白いワイシャツを着て黒いスカートを履いた。パッパッと服のシワを払う。


——また、少し痩せてきたかしら……。脂質を取らなきゃダメね。


 ミヤコがふと部屋の入り口をみると猫と犬が控えていた。

 猫は見事な銀色の毛並みをしており、窓から差し込む朝日を受けて輝いている。

 ミヤコがいつも毛づくろいをしてあげた結果がはっきりと現れている。

 犬の方は茶色の毛並みにシュッとした顔。

 ミヤコが黙って見つめていると猫の方がミヤコに近づき声をかけた。


「おはよう、ミヤコ〜。なんだか浮かない顔だね〜」


「おはよう、エルザ。あまり夢見がよくないのよ。それにしても今日は朝早いのね」


「まぁね〜。お腹空いたから」


「なるほど……」


 ミヤコは眉をひそめてエルザを見つめ、犬の方に顔を向ける。

 犬もミヤコに声をかける。


「おはようございます。ご主人。本日は水浴びから始まるのですね」


「クリス。あなたも水浴びした方がいいわね。泥がついてるわよ」


 ミヤコは背中に丸く濃い茶色になっている部分を指差して言う。


「これは泥でなく模様でございます。

 私、朝から泥遊びをするような年齢は過ぎております。

 これが模様であると何度申し上げてもご理解いただけませんね」


「うーん。まだちょっと覚えられないわ」


ミヤコはそう言うと部屋を出て、キッチンへと向かう。

 キッチンといっても水瓶が置いてあり、その横にまな板を置ける台があるだけである。

 ミヤコは水瓶から柄杓で水をすくうと手を洗う。


「で、あなたたち、どちらも朝ごはんを食べにきたの?」


「そうだよ〜」

 エルザは何事もなくテーブルの端にちょこんと座っている。


「僭越ながら私も」

 クリスはテーブルの下でぺこりと頭を下げる。


「あなたたち、自分で用意したらどうなの?」


「ねぇねぇ、ミヤコ?知らないかもしれないけど私たち、実はね……」


 エルザは急に黙る。

 ミヤコはそんなエルザを待つことなく作業を続ける。

 まな板に水かけ汚れを落とす。

 エルザはカッと目を見開くと全身の毛を逆立てながら言う。


「手が「ないんでしょ。知ってるわよ」


 セリフを途中で取られてしまったエルザはつまらなそうに伏せると、前足の上に顎を乗せてふてくされる。


「も〜、つまんないなぁ。そうは思わない?わんこ男爵?」


 クリスは憮然としてエルザと目を合わせず、ミヤコの動きを目で追いながら言う。


「私の名前はわんこ男爵ではありません。

 クリスという立派な名前をご主人にいただいております。

 エルザ。あなたもしかして、また二日酔いじゃないでしょうね?

 マタタビはお控えくださいとなんども申し上げているのに……」


 エルザは片眉を上げてわんこ男爵を見下すと言う。


「昨日はマタタビなんてやってないわ。ミヤコのぶどう酒をやっただけよ」


 クリスはやれやれと言う表情でミヤコの目が光る。


「私のぶどう酒、最近減りが早いなと思ったら、あんたか!

 いい加減にしなさいよ。まだ飲み頃じゃないのよ?」


 エルザは悪びれることなく目線だけミヤコの方に向けると言う。


「仕方ないじゃない。コックをひねると酒が出てきちゃうの。

 そのままだと地面に落ちちゃうから口で受け止めただけよ」


 だが、その言い分にクリスは噛み付く。


「それは、おかしいですね。コックを捻らなければ酒は出ないんですよね?

 今の言い方だとエルザがまるで被害者のように聞こえましたが?」


 エルザはニヤリといたずらを仕掛けた猫の表情を浮かべる。


「ちゃんと聞こえてるじゃない。さすがクリスね」


「クリスという名前に侮辱の意味をを混ぜないでください」


 ミヤコはハァと息をつくと包丁を手に持って言う。


「黙ってて。飯、食べたいでしょ?

 ご飯を作る時に無駄口たたくと神に怒られるのよ」


 エルザとクリスはミヤコの迫力に思わず黙る。

 シンとしたログハウスの中に人参を切る包丁の音が鳴り響く。


「今日の朝ごはんは何かな?」


 ダンディな低音で小鳥が入ってくるとエルザの頭の上に乗っかる。


「なんで私の頭の上なの。ワンダ。

 テーブルは広いのよ。そっちにいってちょうだい」


「おいおい、僕は平らなところに留まるの、結構苦痛なんだぜっ」


 小鳥のワンダはバチーンとウィンクする。残念ながら誰も見ていない。


「まぁ、いいけど静かにしてて。私たちは今、朝ごはんのピンチなの」


「なんてことだ。僕が偵察してこようじゃ無いか!」


 ワンダはミヤコの上空に飛び立つ。


「ややっ、人参じゃありませんか。実は私、人参が苦手なのでやめていただきたい」


 ミヤコは冷たく言い放つ。


「ワンダの分は最初から無いわ」


「なんと!では、僕は外へ木の実を探しに行くとしますか」


 ワンダは窓から外へ飛び出していった。


「あいつは一体何しにきたの?」

 エルザはそう独白する。

 乱された頭の毛を撫で付けるために手を舐めては頭をかく。

 そうして待っているとエルザの前に皿が一皿差し出される。

 木の実や庭で栽培している豆などを混ぜたサラダだ。

 同じものをクリスの前にも差し出す。


「ミヤコ〜。肉が食べたい〜」


「エルザ。珍しく意見が一致しますね」


「出してもらったものを素直に食べないなら出て行け」


「ん〜。植物美味し〜」


 エルザは急に食欲が出てきたと言わんばかりに目の前のさらにがっつく。


「この、柔らかいきのこ、たまりませんね」


「きのこは入れてないわ」


 クリス。完。

 クリスのボウルは取り上げられてしまった。


「あああああああああああ!すみませんでした!食べさせてください」


「黙って食え」


クリスは耳を垂らし、尻尾を丸めて食事を進める。


ミヤコは自分のサラダにオリーブオイルをかけると、むしゃむしゃ食べ始める。

 エルザはニコニコしながら、クリスは黙々と朝ごはんを平らげる。

 素材の味が生きたサラダは街の味の濃い料理ばかり食べている人には薄すぎて食べれたものでは無いかもしれないが、彼女たちにとってはごちそうである。

 豆一粒一粒の甘み、色とりどりの木の実の酸っぱさ、オリーブオイルの香り。

 それらが強烈に味覚嗅覚を刺激するのだ。


 食べ終わったミヤコは立ち上がると皿を簡単に水で洗う。

 エルザ、クリスの分も皿を拾い上げ洗う。

 タオルで手を拭いて一息つくと目つき鋭く言う。


「さて、今日の仕事が始まるわよ」


「はい、ご主人」


「はいは〜い。今日も頑張ろ〜う」


ミヤコはリビングから寝室とは反対の部屋に向かう。

 そこには、ミヤコの仕事場がある。


 ミヤコの仕事は獣医である。

 獣医とはいっても病気に対しては森の中で見つけた漢方などを組み合わせて処方、怪我に対しては消毒、基本的な手当て。

 どうしようもない場合には痛みを取る麻酔を処方する。


 だが、ミヤコ自身は自分を責める。

 患者のほとんどが複雑な病気、怪我になってからここに駆け込んでくる。

 大抵の患者が自分自身が信じる治療を施して、悪化している。

 そんな患者たちは手遅れになっていることが多く、助けられないことが多い。

 それでもミヤコは獣医としての活動をやめない。

 過去に染み付いた印象がそれをさせなかった。

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