2.2

 クリスは犬用に低いところに取り付けられている待合室の扉の鍵を器用に開くと、ミヤコに今日の予定を伝える。


「本日は外来の患者さんの診察および治療です。予約などはありません」


「はい。じゃあクリスはいつも通り受付、エルザはパッと見での重症度の判断ね。

 私が治療中は特にお願い」


「かしこまりました」

「任せて〜」


 クリスはログハウスの入り口横にしつらえた棚の上にちょこんと座って待機する。

 ミヤコは部屋の中央に作った机でこれまでの症例整理、新しい薬草の効果などをまとめたレポートの作成などを行なっている。

 エルザはそれを横から見ている。


「すいません……」


「ようこそ。ミヤコ診療所へ。どうされました?」


 クリスが完全なる定型句で患者を迎える。来たのは狐だ。


「はい、なんだか右前脚が痛くて……」


「わかりました。こちらへどうぞ」


 クリスはミヤコの方へ案内する。


「いつから、どこが、どう痛むのか詳細に教えて?」


 ミヤコは手で机の上に乗るように指示する。

 狐は机に飛び乗るとミヤコに抱えられながら横になる。


「今日の朝、ぶどうを取って食べようとした時、ジャンプしたんですけど着地に失敗しちゃって。変なところに着地しちゃったみたいで、その後からずっと右前脚の肉球が痛いんです」


「なるほど」


 ミヤコは右前脚の肉球を慎重に観察する。

 それを見ながらエルザは尻尾を揺らして問いかける。


「ぶどうは取れたの〜?」


「取れませんでした……。とても美味しそうなぶどうだったんですけど……」


 エルザはニコッと笑って言う。


「きっと酸っぱかったと思うよ。

 次はジャンプしなくても取れる木の実を探すべきね」


「……そうします」


 エルザはちょっとつまらなそうに狐を見る。

 クリスはそんなエルザを見て、また変なことを考えていると見ぬく。

 そんな会話の中でもミヤコは治療を進めていた。


「あったよ、あなたの肉球に小さな枝かな?

 なんか針が刺さってる。今抜いてあげるからじっとしてて」


「はい……」


 ミヤコは針を正確に掴むとパッと引っ張る。


「はうっ!」


 狐の情けない声。だが、確実に針は抜けたようだった。

 ミヤコの手には小指の先ほどの大きさの鋭い枝があった。


「こんなものが刺さっていたんですね……!」


 狐はその針を驚きながら見つめる。

 ミヤコは針を横に置いておくと、消毒用の軟膏を取り出す。


「まずは水で洗うよ」


 桶に組んで置いた水で足を洗う。

 汚れが落ちた段階で消毒用の軟膏を塗る。

 薄く剥いだ木の皮で作った包帯を狐の足に巻いてあげる。


「明日になったら包帯外してもいいからね」


 ミヤコはそう言うと狐の足をひと撫でする。傷が治るおまじないだ。


「はい!これでよし。あまり無理して動かないでね」


 クリスはそんな狐に言う。


「治った暁にはお代として木の実をいただきます。いずれ持って来てください」


「はい、ありがとうございました!」


 狐はぴょんと机から飛び降りる。

 怪我をした足は使っていないのに見事な体さばき。

 ログハウスを後にする。見送りに出たミヤコに対してぺこりと頭を下げる。

 ミヤコはふと疑問に思ったことを聞いて見る。


「エルザ、なんであの狐が狙っていたぶどうが酸っぱいなんて言い切れたの?」


「知らないわよ。でも、狐が狙うぶどうはみーんな酸っぱいの。不思議なことにね」


「へぇー」


 ミヤコの全く興味のない返事が、ログハウス内をすぃ〜っと通りすぎる。



 ミヤコたちの仕事は午前中その一件だけだった。

 のどかなものだ。だが、この日常をミヤコは嫌っていなかった。


 朝ごはんと似たような昼ご飯を食べると、ミヤコは庭に出る。

 十メートル四方ほどの土地をミヤコは木を切り倒すところから開拓し、見事な畑を作り上げた。

 庭にはトマトや人参、インゲン豆、大豆。アスパラガスは最近になってやっと食べ応えのあるサイズまで成長するようになった。

 最近のミヤコの流行りはごぼう。

 地中深くまで根を伸ばせるようにするために深く深く土を掘り返し空気を含ませてから育て始めた。それでも伸びてくれるかどうかはわからない。


「そう言うところも楽しいのだけど」


 ミヤコはそう独白すると、簡単に腰を回して準備運動をすると雑草取りを始める。

 この工程をサボると土の養分があっという間に雑草に持って行かれてしまう。

 エルザも口を器用に使って雑草を引っこ抜いていく。クリスはお留守番。


「雑草美味しくねぇな〜」


 エルザは雑草をちょっとついばみながら雑草取りをしているらしい。


「腹壊すわよ」


 エルザは豆やニンジンなどの収穫を始める。

−−今日は久しぶりにスープでも作ろうかしら。

 そう思ってふと地面から顔をあげた時だった。

 畑の外、そこに一匹トラがいた。ミヤコは焦る。

 こう言う時、エルザは頼りになる。見つめ合うミヤコとトラの間に入って言う。


「トラね。何の用?」


「ガルルルルルルルルルルルルル……!」


 トラはミヤコに対して牙むき出しで威嚇している。

 ミヤコは困惑する。

——私の言葉をわざと無視してる……!戦わなきゃいけない理由がある。構えろ。そう言っているみたい……!


「エルザ……!」


「ええ。倍化!」


 エルザがそう言うと、エルザの体はみるみる大きくなる。

 あっという間にトラより少し大きな猫になる。

 爪は人を簡単に斬り裂けるほど大きくなっている。


 エルザの“ギフト”。

 体の大きさを巨大化させる。

 筋肉量も同時に多くなるため、ただの猫だったエルザがライオン以上の強さを持つ化け猫へと変化させる。


 トラがエルザに注目している間にミヤコも武器を手に取る。

 武器といってもミヤコが握りやすい太さの枝を持って来ただけである。

 だが、ミヤコはそれを両手で握るとトラに向かって構える。

 枝でなければ女騎士と言ってもいいくらい真っ直ぐ、堂々とトラを見据える。


「戦うなら私とエルザが相手よ。二対一でもやる?」


 トラの返事は行動で示された。


「ガァァァア!」


 トラの初撃はミヤコを狙って爪の攻撃だった。

 ミヤコはトラの鋭い爪をその目で捉えていた。


「せいっ!」


 ミヤコは枝を操りトラの爪を受け止め、その流れてトラに体当たりをする。

 トラはそこまで積極的に攻撃されると思っていなかったのか、ミヤコの体当たりに少しよろめく。

 二百キロはありそうなトラのバランスが崩れたところをエルザは見逃さない。


「なめんじゃないよ!」


 エルザのパンチ。

 エルザの一撃はトラの腹に見事に決まり、トラを後ずらせる。

 トラは腹にもらった一撃に驚いたようだった。

 今度はゆっくと畑の周りを歩く。


「あんたのせいで枝豆が何本か折れたわね。きっちり弁償してもらうわよ」


 ミヤコはそう言うと、今度はミヤコから動き出す。

 だが、トラはくるりと後ろを向くと、後ろ足で地面を蹴り上げた。


「きゃっ!」


 ミヤコの前には土が舞い、ミヤコは腕で顔を覆う。

 そこへトラは襲いかかる。間違いなく首に命中する。

 会心のタイミングだった。

 しかし、トラのその一撃はミヤコの持っている枝によって止められる。


「甘い。私はすでにあなたをロックした。逃げられないわよ」


 そう言うとミヤコはトラが噛み付いたままの枝を、体全体を使って大きく振った。

 トラは噛み付いたまま振り回される。

 慌てて噛みつきを解くが、ミヤコはそれすらも読んでいた。


「逃さない」


 枝は正確にトラの脳天を狙いすましている。

 トラは体をひねって顔に向かっていた枝を避ける。

 次の瞬間、振り下ろされスキができるはずだったミヤコはすぐさま枝を振り上げる。

 この一撃もトラの頭を正確に狙っている。

 トラはこれも躱す。

 だが、ミヤコは次々に枝での攻撃を繰り出す。

 トラはすでに防戦一方になり焦りが見え始める。

 恐ろしいことにミヤコの攻撃が全てトラの頭、それもアゴか脳天と言う弱点を正確に狙っており、トラは肉を切らせて骨を断つ作戦がとれなかった。


 ミヤコはそんなトラに対して次々に枝の一撃を繰り出す。

 トラは虎視眈々とチャンスを伺っていた。

 ミヤコの一撃が少し大ぶりになったところを狙って前足で枝を払うと、後ろ足で跳躍、ミヤコに一撃くらわそうと素早く近づいた。


 しかし、ミヤコはヒラリと後ろにバック宙を決めるとトラが攻撃を外して前足を地面に置くタイミングを見計らって、再度急接近。やはりトラの頭を狙う。


「もらったわ」


「ガルルルルル!」


 トラはミヤコの枝を避けれないと直感する。

 ダメージを軽減させるため肩で攻撃を受け止めようとする。


「そうはさせないんだな〜!」


 エルザはトラの上にのしかかると頭を固定する。

 ミヤコの枝は脳天に直撃する、その直前。


「参った!」


 トラは叫んだ。

 ミヤコはトラの毛に枝が触れるか触れないかと言うところで枝を止める。


「いきなり襲いかかって申し訳ない……。実は診て欲しい仲間がいるんだ!」


 トラはそうまくし立てる。ミヤコとエルザは顔を見合わせる。


「なんで襲って来たの?」


「今から案内するところには私のようなトラがたくさんいます。

 もし、治療がうまくいかなかった時、襲いかかられないとは限りません。

 生半可な方では死んでしまわれますので……」


 ミヤコはため息をつく。


「はぁ。なるほどね。訪問診療なら木の実三倍だよ?」


「構いません。お願いします」


 ミヤコはログハウスの方を振り返ると叫ぶ。


「クリス!留守番お願い!訪問診療してくる!」


「かしこまりました!少しお待ちください!」


 そういうとクリスは家の中からミヤコのカバンを持ってくる。

 布で作った簡単な肩掛け式のカバンだが、大容量でありミヤコの簡易的な治療用の医療道具が詰まっている。


「暗くなる前にお戻りください!」


 クリスはぺこりとお辞儀をしてログハウスの入り口を閉めた。

 扉には本日の診療は終了しましたと書かれている。

 ここの患者で文字を読める者はいないが、エルザが書いとけと言うので書いた文字。

 これを読める生き物が来たなら殺すだけなのに。



 トラの案内でミヤコたちは森の中にある茂みの奥へと連れていかれる。

 元のサイズに戻ったエルザはミヤコの肩の上でご機嫌である。


「やれやれ〜。まさか腕試しだったとは〜。私、出てくるべきじゃなかったね〜」


「いえ、お二方同時にご招待するつもりでしたし、問題ありません」


「ジョエルくんもなかなかだったよ〜。

 うちのミヤコの攻撃をあんなに躱すなんて!」


 トラはジョエルという名前だった。

 態度もとても紳士的であり、突然襲ってしまったことを本当に申し訳なく思っているらしく、報酬を必ず上乗せして支払わせていただくと譲らなかった。


「ミヤコさんの攻撃、驚きました。

 私の弱点をああも正確に狙う技術。恐れ入りました。

 どんな訓練を積んだのか、差し支えなければ教えていただきたいものです」


 ミヤコはうーんと頭をひねる。


「訓練という訓練はしてないですよ。言うなれば見よう見まねというか……」


 ミヤコの代わりにエルザが答える。


「ミヤコの記憶はある時期から前の出来事が抜け落ちちゃってるみたいなんだよね〜。

 覚えているのは森の中に素っ裸で寝っ転がってたところを私が助けたところかららしくて。

 剣術自体が最初から強かったんだけど。

 もっと、すごいのはミヤコの“ギフト”の方ね」


 エルザはミヤコの顔を見る。

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