1.6

 だが、ユウトはユキコとの約束を破るわけにはいかない。

 ユキコとの約束、破ってしまえば、自分を信じてくれる人はいなくなってしまうのだ。


 父のような名誉や家のことばかり考えている人間、兄のような自分のことだけを考えている人間、カントのような他人の目ばかり気にしている人間。

 

 ユキコのように一人で抱えて目的を達成しようとする人間。


 どれが本物の人間だろうか。そしてどれが味方にすべき人間だろうか。


 ユウトは悶々としながらも豪邸の裏にある、エリュシダール総合病院へと進む。

 自分の診療項目は内科。白い病室の中で患者を待つ。

 ユウトの元にわざわざやってくる患者など、今ではほとんどいない。


 回ってくるのは精神を病んでいる人や、お喋りすぎて医師の時間を奪ってしまう厄介なおじいさんなど。

 今日も、おじいさんは暇していたユウトの前に現れた。


「なあ、にいちゃん。人はなんでみんなおんなじ形してんだろうな?」


「え?なんでって……」


「気に入らないやつ。人を殺すやつ。

 一部が無くたって途中までは同じよ。

 なんでみんなしておなじ形なんだろうな?

 どうせ、おなじにすんならよ。もっとみんな完全におんなじようになるようカスタマイズしといてくれれば、差について考える必要も無くなるのによ」


 ユウトはめんどくさそうに言う。


「誰かが決めてるんじゃないですか?神様とか。試練を与えるとか言って」


「にいちゃん。信じてもいない神様を引き合いに出すのはよくないぜ。

 ここだけの話なんだけどな。

 わしは人の形をうしなってしまった人を見たことがあるんだよ」


「それなら俺もある。

 足を反対向きに接合された人とか、首の前後ろが逆転した人とか」


 おじいさんはちっちっと舌を鳴らすと嬉しそうに言う。


「そう言うことじゃねぇんだよ。ありゃ……まさしく、バケモノだ」


 おじいさんはそう言うと満足げに帰った。

 気になることだけ言われて放って置かれてしまったユウトは頬杖をつきながらなんなんだと独語した。


「人が人の形を失うんだったら、俺は一体どんな形なんだろうな……?」


 しかし、この時にはもう、この国は180度逆さまになってしまうような勢いで傾き始めていたのだった。

 ユウトはそんな軋みの音に気がつくこともなく、いつも通りカルテを適当に書き込むと、いるはずもない次の患者を呼んだ。


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 ユキコは窓から外をながめている。

 強い雨。

 風の吹いていない雨は風景に綺麗な銀色の垂直なラインを生み出す。

 ただし、同じラインは二度と引かれない。

 一瞬一瞬、形が変わる風景にユキコは今を生きている実感を得る。


 その後ろにメイド長のサコ、その部下のチコが控えている。


「お伝えにならなくてよろしかったのですか?

 あのような能力をユウト様がお持ちであるならば、姫様の問題は解決すると思いますが……」


 サコの慎重な言葉に対してユキコはふるふると首を横に振って言う。


「ダメよ。この帝国の根幹に関わる出来事かもしれないの。

 もし今私がやりたいことを話してしまうと、彼は私を治してしまうわ。

 治療の“ギフト”は相手が異常であることを知ってしまったら発動してしまうのよ。

 正直、背中に傷があった時には冷やっとしたわ。

 これは私が試さなきゃいけないことなの。これを逃してはいけないわ」


「でも、何も姫様自らが実験台とならなくても……」


 ユキコはチコを見つめて言う。


「チコ。私がこの国を変えたいって思っていることは知ってるわよね?」


「ええ。もちろんです」


「今から十年前。

 私はEE 鉱石の炭鉱に非公式だけれども王族として初めて訪問した。

 その時、EE 鉱石の残りがどの程度なのか実際に調査して驚いたわ。

 炭鉱で働く人たちは“ギフト”なんて持ってないから残りがどのくらいかなんてわからないでしょうけど。

 私はEE の存在を感じることができる。

 そこで、EE 鉱石がどのくらい残っているのか測ってみて驚いたわ。

 もうほとんど感じられないんだもの。

 王城に戻って感じられたEE が、どのくらいの量になるのか試算してみてさらに驚いたわ。

 当時で高山に残り約12年分。

 EE 鉱石の精錬濃縮から日常で使うまでにEE が自然放出される損失率が20%だから、結局、実際に使えるEE の量は十年ほどしか残っていなかったの。

 慌てて、そのことをお父様に相談してみたわ。

 でも、答えはこう。

 『なら、法律でEE を使う量を制限しよう。俺が生きている間に使い切らない量にしよう。ユキコ試算した結果を科学大臣に上げておいてくれ』って。

 私はお父様に失望したわ。一応調査結果を科学大臣に渡しておいたけど……」


「陛下はそんな適当なことをおっしゃっていたんですか……?」


「ええ、一発ぶん殴ってやろうと、飛びかかったんだけど近衛兵たちにとめられちゃったわ」


 チコは冷や汗を流しながらあたりを見回す。

 うっかり、そんな話聞かれてしまってはたとえ王位継承権第一位の姫でも無事では済まない。

 サコはくすくす笑いながらユキコをみている。


「当時の姫様はなかなかとんがっておいででしたから」


 だが、ユキコはニヤリと笑う。


「お父様はせいぜい苦労すればいいわ。

 それよりも私は、EE に頼らない、そんなエネルギーが必要だと思ったのよ。

 だから私は街に出てEE を用いない科学に尽力しようとしている人を探した。

 その人に教えを乞い、お金を出し、EE の必要ない動力の開発を急がせた。

 開発はある程度のところまで進んでいるわ。

 あとは安定させるだけ。

 この技術が普及すればこの国を混乱に落とすことなく維持できると思ったのよ。

 私が国を変えたいと思ったのはそれがきっかけ」


「なるほど……それで、ときどき、よくわからない理由でサコと交代していたんですね……。そうなのであれば説明しておいてくださればよかったのに」


「だめよ。チコは顔に出ちゃうもの。

 そんな計画聞いちゃったらワクワクしちゃって眠れなくなるでしょ?」


 チコは目を細め、汗をかく。

 自覚している性格だけに、何も言えなくなってしまう。


「うっ。それは、そうですけど……。

 でも、その技術と姫様の症状になんの関係が……?」


「その二つに関係があるかもしれないのよ。

 私が読んだユウトの論文によるとね。

 どうかわからないから実験してみるんじゃない。

 無いと言われていたのに私はこうして発症した。

 どうなるかわからない病気があるかもしれないのに、何もしないわけにいかないじゃない」


「ですが、姫様、そうであっても自分自身で試す必要は……」


「くどいわよ。チコ。誰が発症するかわからない病気がある。

 そして、それはきちんと解明すべきよ。

 むしろ、運がいいのよ。

 こうして王族が発症しただけで。

 街で発症して御覧なさい。

 大騒ぎよ。この病気は私が解明する。必ずね」


 ユキコは下唇を噛む。


「EE 鉱石がもうほとんど無いことだって、本当ならきちんと説明すべきなのよ。

 そうすればこの国の全ての人が協力してくれる。

 私、市井に出て勉強して思ったもの。

 頭のいい人はいくらでもいるのよ、この国には。

 でも私には力がない。

 お父様はお金や権力で自分に従う部下だけを優遇する人。

 私の意見なんて通りはしない。


 ……断言できる。

 お父様と金のために集まった人ではこの国の問題を解決することはできないわ。

 EE 鉱石についてもこの症状についても、私が必ず解決するわ。

 チコ、サコこれから忙しくなるわよ」


 サコとチコは自分の敬愛するお姫様に敬意を表して深々とお辞儀をした。

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