1.5
ユキコは胸を押さえ顔を赤らめ、恥じらう乙女のポーズをとって言う。
「いやーん、ユウトのエッ、あっちょっ、まっ」
「姫様の冗談に付き合っていては日が暮れてしまいますので。失礼いたします」
ユキコが余計な小芝居を入れようとした途端、サコが服をあっさり脱がせる。
白い素肌があらわになりユキコは本格的に頬を赤く染める。
「だいたい、なんで週一回検診が必要なのよ!めんどくさいったらありゃしないわ」
「ユキコの『いつも通り』がどんな調子なのか、俺は知っておかなきゃいけないんだよ。病気とはすなわち体の調子が『いつもと違う』状態なのだから」
ユウトはカバンから聴診器を取り出すと、体に当てる。最初に当てた時、ピクリと反応する。聴診器が冷たかったらしい。
「吸って、吐いて。もう一度、吸って、吐いて」
ユキコはおとなしくユウトの指示に従う。
いつも通り健康的な呼吸音。
突っかかる場所など微塵も感じられない。
「じゃあ、後ろ向いて」
ユキコが後ろを向く。
ユウトは目を閉じ聞こえる音に集中しながら、ゆっくりと聴診器を動かす。
ユキコの呼吸音に何の異常も感じられなかった。
ふぅと息を吐いて目を開ける。
白い背中が目に入ると思っていたユウトはそれを見て驚いた。
「おい、ユキコ、背中。怪我してるじゃないか」
「えっ?それは……」
背骨より左側、赤い傷跡が縦に線を作っていた。
指よりも長いくらいだろうか。
何か鋭利な刃物で切り裂いたような跡が残っている。
ユウトは黒い革の手袋を外すと問答無用でその傷跡に手を触れる。
「あっつ」
傷口に急に触られたユキコは驚いて声をあげる。
だが、ユウトはゆっくりと傷跡を手でさする。
すると、赤く残っていた傷跡は綺麗さっぱり無くなってしまっていた。
ユウトは手袋をしながら言う。
「これでよし。傷口も残ってないし、完璧だよ」
「ふぅぅぅぅぅ」
なにやら息を長くはいたユキコ。一息入れてから言う。
「やっぱり、ユウトの持った“ギフト”はすごいね。
“ギフト”名、
原型を知っているなら手で触れるだけで再生可能なんて」
サコが隣で感心したように頷く。
「ユウト様はそんな素晴らしい“ギフト”をお持ちだったのですね。
ユキコ様はそれでこの方を……」
「ふふふ、ユウトがすごいのは私だけが知る秘密なのだっ」
ユキコはおもちゃ箱に宝物をしまいこんだ子供のように無邪気に笑っている。
サコはユキコに服を着せる。
ユキコはスカートの裾を直し、ベッドサイドに坐り直す。
ユウトはうつむきがちに、ユキコの様子を探りながら言う。
「でも、公表したらダメなんだろ?随分昔の約束だが。ちゃんと覚えてるか?」
昔、ユキコが宮殿に迷い込んでしまったウサギを助けるために走り回りついに捕まえたと思った時、ユキコは宮殿の外へ真っ逆さまに落下していった。
骨の髄までグッチャグチャになり、虫の息だったユキコをユウトは助けた。
その“ギフト”を見たユキコはすぐにユウトを掴むと約束させたのだ。
私以外の人間の前でその能力を使うなと。
ユキコは怪訝そうな顔をして言う。
「もちろん。忘れるわけないじゃん。あなたは私の恩人。
二度も命を助けられ、約束まで守らせている。
何?私があなたの存在を忘れかもしれないって疑ってたの?」
「え、いや、まぁその……。ここ十年、ほとんど音沙汰がなかったし……」
「ふふふ、仕方ないじゃない。お互い仕事や修行が始まって忙しかったもの」
ユウトはホッとした表情を浮かべてユキコの顔をまっすぐに見る。
「そうだな。それで?俺の“ギフト”はこのまま隠しておくのか?」
「当然。賢人は奥の手を最後まで隠し通す。
それに君の“ギフト”は危険すぎる。
私が子供だった時に、その“ギフト”がやばいことはわかったわ。
特に今のこの国にはね」
ユキコは子供の顔から急に大人びた憂いの表情をする。いちいち、表情が忙しい。
「ユウトも、もう、噂くらいは聴いているんじゃないかな?
この国は終わりが近いって」
「なんとなくな。
人類は徐々にEE を使えなくなり、今では単一の“ギフト”が使えるかどうか。
“ギフト”を使える人間はほとんどが上流階級。
さらに、EE の源であるEE 鉱石の採掘がすでにほとんど得られていない。
EE によって国が成り立っているのに、あと十年でEE 鉱石は尽きる、このままではいずれ人類はEE から捨てられ、この国は滅びると」
「さすがユウト。よく知ってるじゃない。
でもあと十年でEE 鉱石か枯渇するって言うのは宮殿が流したデマだよ」
「やっぱりそうなのか?では宮殿はついにEE 鉱石の独占を始めたのか?」
ユキコはユウトの意見に不思議そうな表情を浮かべて頷く。
「独占?まぁ、ある意味独占に近いけれど、問題はそれより深刻よ。
しかも、このままだと底なし沼の真ん中にはまってしまった鳥のようになすすべなく落ちて行くわ」
「……それって、つまり、本当はそれより短いと?」
「ええ、実際にはあと一ヶ月もないと」
「「一ヶ月!!!!」」
ユウトとサコの声が重なる。
ユウトとサコはお互いに目を合わせる。
ユウトもサコもまさか、そこまで切迫した状態になっているとは思っていなかった。
この国はEE によって成り立っている。
その程度のこと生まれたばかりの赤子でも知っているだろう。
ユウトやユキコは体内にEE が残っていて“ギフト”が使えるタイプであるが、ほとんどの人間は“ギフト”を使えない。
それなのに、街のあらゆるものがEE によって動いている。
車、街灯。家の中には冷蔵庫、洗濯機、明かり、室温調節機。
生活全てEE でまかなっている。
この生活はあと一ヶ月しか続けられない。
庶民がこの話を聞いたらどうなるだろうか。
暴動?EE の価格吊り上げ?EE の値段は宮殿によって法律で決められている。
だが、取り合いになることは必至。混乱は免れ得ないだろう。
真の意味で国の崩壊だ。
「陛下は何をしていらっしゃるのだ?」
現皇帝ドワイト・フォン・ラーティン。
政治には全く興味を持たず、酒、女、食事に溺れやりたい放題やっている愚王。
それが世間からの印象であり、見た目も王としては不潔である。
ぶくぶくに太った体。椅子からはみ出す脂肪。
どこか異国に存在するというスライムと呼ばれるモンスターが実在するなら、彼がそうなんだろうと思わせる体。
この国の人口三百万人全員があの王様からユキコのような綺麗なお姫様が生まれたことを奇跡だと認定するに違いない。
そんな愚王は今日も酒池肉林である。
せめてもの救いは政治に口を出していないことであり、政治は全てそれぞれの省にいる大臣が執り行っている。政治をしないことがもっともいいことだと言われる皇帝。
「父上?多分、何もしてないと思うわ。毎日、酒、女だもの。
そもそも、私父上とお話しするの年に数回しかないし」
「現状は大臣たちがなんとか秘密を守り通していると言うことか。
大臣たちの結論は?」
「大臣たちに結論は出せないわ。
彼らの半分はもはや国外逃亡の準備を進めているもの」
「まじか……」
「そこで、ユウトの“ギフト”が鍵となってしまう。
ユウトの“ギフト”、
つまり、EE 鉱石も元に戻せるということ。
もしユウトが治癒の“ギフト”でEE 鉱石をEE がみなぎる状態に戻せるなんて知ってしまったら?」
「なるほど。俺は永遠にEE 鉱石を生み出す装置にされてしまうわけだ」
「その通り」
びっとユウトを指差す。
細くて白い指。幼い時にここまで、考えて俺に秘密にさせていたのか。
——この人はやはり本物だな……。
「それで、ユキコはその現状をなんとかしようとしているわけだ?」
「そうよ。こんな問題ほおって置けないじゃない。
私は王位継承権第一位ユキコ・フォン・ラーティン!
私はこの国の帝王になって、この危機を脱してみせるわ」
ユキコは立ち上がって両手を腰に当てて威張りちらす。
後ろから後光が指しているようだった。
ユウトはそんなユキコを見て、ちょっぴり嬉しそうに言う。
「なるほど、父親の地位を奪うんだな?俺はそれに協力する仲間となると」
「ええ、もちろん。あなたの力が必要だわ。
あなたは私が帝王になるために粉骨砕身働きなさい」
ユキコはユウトの顔を悪そうな顔をして覗き込んでいる。
悪びれてもちょっと可愛いのがずるいところである。
ところが、急に深刻そうな顔をして言う。
「問題は、私の信頼できる仲間が少なすぎるのよ」
「仲間、どのくらいになったんだ?」
「順番に紹介するわ。
ただ、三千人が働くというこの宮殿において、私の味方の人数はユウトが考えうる最小の人数を必ず下回ってあげるわ」
「下回るのかよ。嬉しくねぇ宣言だな……」
——それにしても、仲間…か……。俺にはその資格などあるんだろうか?
——ただ、そう見てくれていること自体はとても嬉しいことだ。
——俺を必要としてくれている人がいる。これだけでも救われる思いだ。
——俺にはもうユキコしかいない。カントもどうやら俺を嫌っているらしいし……。
——家族からも見放されている………。
一瞬の思考ののち、ユウトはユキコに問いかける。
「具体的な計画は?」
「まだ、秘密。現状だと実行できないし、無理になる可能性もあるし……」
「俺にはまだ言えない。俺のことはまだそこまで信頼できないのか?」
「いえ、そう言うわけじゃないんだけど……。その前に少し試したいこともあるの」
「そんな悠長なこと言ってる暇あるのか?」
「仕方ないのよ。宮殿内にはしがらみがたくさん。
私もぐるんぐるんにがんじがらめ。それに加えて問題もある。
一つクリアしても次の問題が出る。
やるべきことは条件が揃った時、初めて実行されるべきなのよ」
「ま、何でもいいけど。もっと俺のこと信頼してくれてもいいよ」
ユキコはベッドサイドから立ち上がって窓際に歩く。
カーテンを開ける。立ち込めた黒い雲が帝国を覆っている。
重たい雲はまるで見えざる力に引き寄せられたかのように上空に溜まる。
ユキコに計画をまだ、話す気がないことは明らかだった。
ユウトは立ち上がるとぺこりとお辞儀をして部屋の出口へと向かう。
ユキコはユウトの方を向くと言う。
「次はいつ来るんだっけ?」
「次の診察は一週間後だよ?」
「それじゃ、ダメなの。明日も来て」
ユキコのなぜか必死な顔を見てユウトははて?と思う。
——なんかさっき言っていた文句と違うような。
——ま、でもユキコの気まぐれは俺が理解できるところではないか。
ユウトはそう結論づけると優雅にお辞儀をして返事をする。
「はい、姫様の仰せの通りに。計画とやらを打ち明けてくれる時を待っています」
ユウトは深々とお辞儀をするとユキコの顔を見ることなく部屋を出る。
部屋の外にはチコが一人立っていた。
チコはぺこりとユウトにお辞儀すると言う。
「ユウト様、お勤めご苦労様です」
「カントは?」
「カント様は午後の教練に向かわれました。ユウト様、この後は?」
「エリュシダールの病院で診察です。
卑怯者と言われても、来てくれる患者さんが本当に少しだけですが、いるので」
チコはそんなユウトにすっと近づくと、耳打ちをするかのような小さい声で言った。
「左様でございましたか。ユウト様を卑怯者とは思いません。
ユキコ派の人間は皆、ユウト様の味方ですよ」
「……ありがとう」
ユウトはどんな顔をしてその言葉を受け止めたらいいかわからなかった。
たった今、ユキコは自分にまだ話せないことがあると言われたばかりだ。
ユウトは悶々としながらチコの案内でエレベーターに乗った。
「ユキコのやることはいつも国のため、人のため。信じろ。信じるんだ」
エレベーターを降りたユウトは少し早歩きで出口に向かう。
通り過ぎる人間は相変わらずユウトに対して良い感情を抱いていない反応をする。玄関についたユウトは屋根の外を見る。
「雨、強くなってるな」
宮殿の中庭は中央にある噴水と雨の音で滝壺にいるようだった。
ユウトは宮殿の門に向かう道を歩く。
歩行者用に屋根がある道が用意されている。
左手には車用の道路。右手には中庭の花壇。
そこにはアルカリの花がたくさん植えられていた。
六月の雨季に入る直前に水滴が垂れるように咲く青い花であり、通称涙の花とも呼ばれている。
青い花は色合い良く、雨水を受けて輝いているようにも見える。
雨の音で全てかき消される今、ユウトは自分の革靴が立てる音が良く聞こえず、自分が立って歩いているのかよくわからなくなっていた。
「何も聞こえない……」
宮殿の出口には相変わらず検問を待つ長い列ができていた。
一般の人はこの検問を通らなければ宮殿に要求を突きつけることができない。
不便だろうが、そういう文句を言うための窓口がないよりはマシなのだろう。
ユウトはその列を眺めながらタクシーに乗り込む。
運転手はいない。
ユウトは備え付けの操作盤い向かって行き先を告げる。
滑るようにタクシーは出発する。
タクシーは大通りの追越車線に入ると次々と車を追い越す。
窓の外を見ようとしても雨が強すぎて景色が全て歪んでしまう。
ユウトの家、エリュシダールの豪邸は王城からそう遠くないところにあった。
タクシーは豪邸のロータリーに入ると屋根付き玄関の前にユウトを下ろす。
扉を閉めるとタクシーはさっさと去ってしまう。
豪邸の入り口、大きく重たい木の扉がガチャリと大仰な音を立てて開く。
エリュシダール家にユウトを迎えるような人間はいない。
患者強奪事件以来、自分付きの執事、メイド全ていないことにされてしまった。
ユウトはまず、父親の執務室へと向かう。
六階建の豪邸の最上階に父、ミサト・エリュシダールの部屋はある。
階段を登り、ユウトは部屋をノックする。
「ユウトです。報告に来ました」
「入れ」
ミサトの重い声が中から響く。ユウトは息を深呼吸をすると意を決して入る。
「失礼します」
ミサトの部屋は典型的な医師の部屋だ。
壁一面に本棚が並んでおり、人体模型、手術の練習台となる人口皮膚などが所狭しに並んでいる。机の上だけは整理整頓が行き届いているため、直近の仕事に害を及ぼすことはない。
ユウトはミサトの机までまっすぐ進む。
ミサトは厳格な父親であり、鋭い眼光、太い眉、とても顔が濃い。
間違いなく小児科には向いていない顔である。
フレームレスのメガネをかけているが、それも怖さを助長することになっている。
ミサトは眼鏡を外すとユウトに対して目を細めて言う。
「報告を」
「はい。本日も姫専属医師として、姫様の診察を行いました。
呼吸音、そのほか医療指標が全てユキコ姫が健康体であることを示していました。
診察は滞りなく行われ、姫様の尊厳を傷つけることは何もありませんでした」
「いいだろう。正直なところ、貴様の医学の実量では力不足は否めないだろう。
何しろ外科の手技がほとんどできないのだからな。
血を見れないとは医師としては失格だ」
ユウトは思わず、手を握りしめる。
手術すると一瞬で治してしまう。
そこで、ユウトは自分自身、血が苦手でみると卒倒するという設定で手術をやり過ごしていた。
ユウトは今日、ユキコに言われたことを思い出していた。
一瞬の逡巡。結局、こう言った。
「はい、申し訳ありません」
「正直なところ、卑怯者の貴様が選ばれたことは私にとって誤算だったが、結果として大きな誤算ではない。
エリュシダール家の人間が選ばれたことは、むしろ、喜ぶべき結果だ」
——これまで、散々俺のことを貶しておきながら、専属の医師に選ばれるとこれだ。
「……恐れ入ります」
「だが、問題はやはり、貴様の実力だろう。
そこでだ。一週間後に貴様の実力試験を行う。
そこで、お前の手技がどの程度のものなのか見せてくれ。
結果によってエリュシダール家におけるお前の地位を改めなければならんからな。姫専属に姫様直々に選ばられるお前の実力、見せてもらうぞ」
「かしこまりました」
「うむ、では下がりたまえ」
「はい」
ユウトはミサトの部屋を出る。
ミサトの魂胆が丸見えで吐きそうだった。
ユウトが実力を示せたならばそのままユウトを担げば良い。
だが、ユウトは実力試験で実力を見せることなどできない。
血を見れないのではない。
手術を行うには素手にならなければならない。
それが医師会で決められたルールであり、最も衛生的であると言われている。
だが、俺は素手で手術などできない。
元気な状態がどんなだったかを知っている患者であれば触るだけで治すことができてしまうのだから。
——あのクソ親父にあと一ヶ月でEE がなくなること教えてやったらどんな顔するだろうか。
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