1.4
「お前は選ばれたと?
いいか、勘違いするなよ。
お前は選ばれるほどの実力はないんだ。
医学的な腕は俺の方が上だ。
医師会に置ける権力もお前が及ばないほど俺は握ってる。
全ての実力において俺が上だ。図に乗らないことだ」
「なら、まず、身だしなみから整えなよ」
カズトの目に炎が走る。
弱々しいが、一度つくとなかなか消えない炭についたような炎。
カズトはユウトに近寄るとユウトの髪の毛を掴んで引っ張る。
「お前が、俺に指示を出すな!
いいか、お前は俺の下なんだ!俺の言うことに従って入ればいいんだ!」
「いたた……」
ユウトは引っ張られた髪の毛をかばうように押さえる。
「だいたいな!お前、俺の患者奪っておいて、何だその態度は!
卑怯者め!そんなに手柄が欲しかったか?兄の手柄を奪ってまで!」
「……だって!」
「だってじゃねぇんだよ!あの時から、何かが狂い始めた!
お前のせいだ!お前のせいで、俺は今、こんな、不当な扱いを受けてる!
これだけ努力しているのに。これだけ俺は実力をつけたのに!なぜ!?」
そこにすっとカントが割り込む。
ユウトの髪の毛をつかんでいるカズトの手に、手を添えて言う。
「カズト様、そこまでに。診察があります」
カントの握力はそれなりに強い。
モヤシのようなカズトの力では対抗できなかったのだろう。
おとなしく手を話すとユウトを一瞥して踵を返す。
「チッ!名誉の伴わない研究なんて。
やる気でねぇな。もうほとんど完成してるし。
俺はいつまでこんなくだらないことをしなければならないんだ?」
カズトはブツブツ言いながらロビーから出て行った。
「気にするな。
たとえどんな人でも現在ある地位に対して文句をつけたところで何の意味もない。
ユウトは姫様専属の医師だ。
そうである限り、文句を言われたところで無視すればいいさ」
「……ありがとう」
カントはロビーの奥にある扉へ向かう。
——励ましてくれてるのか…………?
ユウトは髪を元の形へと簡単に直す。
整髪料のおかげで形を維持できていた。
やれやれと思う。
兄は専属医師の候補だった。
儀式には流石に身支度をして行ったと信じたいが、その場でユキコに選ばれず恥をかいた人の一人だ。
昔から両親に英才教育を受けいずれはユキコ姫の婚約者にという願いもあったのだろう。
だが、出来上がったのは高い高いプライドと子供のような精神構造のおぼっちゃまだった。
親に言われるがままに事を行ってきたため、自分の意思がなく、彼に起きる悪いこと全てが人のせい。
——俺は兄さんが嫌いだ。
ユウトは懸命にメンタルを回復させるとカントに続いて隣の部屋に入る。
カントが先導し入った部屋は円形であり、中心に一つ操作盤が置いてある。
そこには黒い服に白いエプロン、メイドの格好をした長髪の女の人が一人立っている。
「カント様とユウト様ですね。
お待ちしておりました。姫様の部屋にお連れいたします」
カントは尊大に頷くと言う。
「よろしく頼む」
メイドの女は操作盤に何かを打ち込む。
ゴウンと言う重たい音が響くと部屋の床が上昇し始める。
床はゆっくりと小刻みに揺れながら高さを増していく。
ユウトは時々ふわりと浮かぶような感覚をえて不思議に思う。
「チコさんだっけ?」
ユウトはエレベーターを動かしているメイドに話しかける。
メイドは操作盤から手を離さず、体をユウトの方に向け一礼すると言う。
「はい。ユウト様」
「このエレベーターはEE による制御で動いているのか?」
メイドの女は少し、質問の意味を吟味した後、ゆっくりと答える。
「……はい。そう聞いております」
「どうも、EE で動いているようには感じられないのだが」
「そうでしょうか?」
「EE 以外の動力で動かしていたりしないか?」
「……いえ、そのようなことはございません。
以前、人力を好む姫様がいらっしゃり、このエレベーターを人の手で動かすように改造された方がいらっしゃるとは聞いたことがございます。
ですが、ユキコ姫はそういった趣味は持ち合わせておりませんので」
「そうですか」
ユウトは頷いたものの自分の感覚を切り捨てられなかった。
変な顔をしてエレベーターを見回しているユウトにカントがびしっと言う。
「おい、ユウト。これから姫様に会うんだ。
もっとびしっと決めろ。なんだその間抜けヅラは。俺まで品位を疑われる」
「すまない」
ユウトは素直に謝るとエレベーターの壁際に設置された姿見で自分の髪型、表情を雰囲気にあったものに整える。
——ネクタイ、また直さないとダメかもしれない。
——あ、靴がちょっとほつれてる……。しまった、直してから履いて来るつもりだったのに……。
もう今更どうしようもないと諦めたユウトは胸のあたりをパンパンと、無い埃を落とし姫の部屋がある階につくのを待った。
チーンという音が鳴り、目的の場所についたことをエレベーターが知らせる。
「到着しました。それではこちらへ」
チコはユウトたちをエレベーターの出入り口へと案内する。
エレベーターを出ると小さなロビーになっており、革張りのソファと机が並んでおり、執事が待機していた。
執事は見事な燕尾服を着こなしており、全身に品位を滾らせていた。
チコが通り、ユウトが通り過ぎようとすると深々と頭を下げ、敬意を表している。
ミギト・ダルケル。ユキコ姫の執事長だ。
ユキコが小さいときからずっと面倒を見ている。
小さい頃はジジイとユキコ姫に呼ばれ怒っていたが、今では髪が全て白髪になり、まさしくジジイだった。
——ジジイ、歳くったな……。
ユキコ姫の部屋の前にたどり着くとチコは扉をノックする。
「姫様。ユウト医師が到着されました。入ってもよろしいでしょうか?」
「問題ありません。入っていただいて!」
声楽家がその声を聞いた時、まるで春の陽気な風が自分の中を通り抜け、欺瞞、嫉妬、策謀、嫌悪、差別。そんな悪い心を全部かっさらってしまったかのような衝撃を受けたと言わしめた声である。
ユキコはそれ以来、声楽家に会うたびに勧誘され、結果としてついに声楽を聞かなくなった。
声楽家は心底悔しがっただろう。
ユウトなどはそこまで大仰に評価したりはしないものの、彼女の声はいい声だなぁと思うほどには感心していた。
ふと、ユウトが横を見るとカントが執事に止められていた。
「カント様はこちらへ。コーヒーになさいますか?それとも紅茶?」
「あ、ああ」
カントはミギトを睨みつける。
ユウトはカントがミギトの首筋に噛みつくんじゃないかと言う危惧を覚えた。
だがすぐにミギトがカントをあっさりと組み伏せてしまうような景色も見えた。
結局、カントはユキコ姫の扉を心残りそうに眺めやったのちオホンと咳払いをして言った。
「……冷たい水をもらおうか」
「かしこまりました」
執事は恭しく礼をするとカントをがっちりと固めソファに案内する。
ユウトはいつの間にか止めていた息をフゥと吐いて眺めていたがチコの視線に気づき、扉に向き直る。
「姫様、失礼いたします」
ユウトはそう言うとチコが開けてくれた扉から部屋の中に入る。
チコはすぐさま扉を閉じる。
部屋の中には天蓋のついた大きなベッドが一つ。机。化粧台。
王女となった人間とは思えないほど質素な部屋の中。
むしろ、金属の焦げた匂いが漂い、さらに油臭かった。
——女の子の部屋ってもっといい匂いがするもんじゃないのか?
ユウトがそんなことを考えていると、急に背中に重量を感じる。
ユキコ姫だ。どうやらドアの後ろに潜んでユウトのことを待っていたらしい。
おんぶをするような形になったユウトは少し前かがみになってユキコを支える。
本人からは石鹸と何か花のようないい香りが漂い、ユウトの鼻を弱く穏やかに刺激する。
「そんな顔しないでよ。女の子の部屋っぽくないって言いたいんでしょ?」
ユキコは体重を預けたユウトの耳元でいたずらっぽく囁いた。
「姫様、よくお分かりになりましたね」
「あー。ひどい!そこは否定するところでしょ?」
「否定したら、それはそれで皮肉を言われたのなんのと言いがかりをつけるじゃないですか」
「あはは、私、そんなひどい女じゃないよ?」
ユキコは笑いながくるくると回りユウトの前に姿を表す。
ユキコ・フォン・ラーティン。
銀髪のショートヘアに青い瞳。
薄色の口紅を塗った口元は潤いが感じられるほど光を淡く反射する。
にこりと笑うその表情だけで大半の男は笑顔になる、そんな伝染力を持った太陽のような少女。
いつもの活発な彼女に合わせた空色のドレス。
王族としては短い膝丈のスカートはふわりと空気を含んでいるかのように広がり、彼女の動きに合わせて踊る。
「いやいや、姫様はひどい女です」
「あら、専属医師のことなら謝らないわよ?
ユウトは私に必要なの。いろんな意味でね?」
バチコーンとウィンクするユキコ。
そんなことをしてもワザとらしさが全く感じられないから不思議だ。
「もちろん、それだけではありません。幼い頃の負債がありますよ?」
「そっち?
まぁ、それならその負債をはらうためにも近くにいてもらう必要があるわね?」
幼い頃、ユキコは高い宮殿の端から地面に落下したことがあった。
その時、一番に駆けつけたのはユウトだった。
ユウトによってユキコは今を生きていられるのだ。
ユウトはあんぐりと口を開けてユキコ姫を見る。
「だいたい、その言葉遣いは何?
私とあなたの仲じゃない。もっと砕けた喋り方でいいのよ?」
ユウトは気を取り直して言う。
「そうはいきません。
自分はユキコ姫の専属医師であり、あなたの医師ではありませんから」
「あら?どう言う意味?」
「言葉通りです。そろそろユキコを出してもらえませんか?」
ユウトがそう言った途端、ベッドの下から笑い声が聞こえる。
「むふふふ。さすがユウトね。やっぱり気がついちゃうか」
「ユキコ。ま、似せてはいるが話し方や腕の振り方に少し違和感があるからな。
それよりもベッドの下に潜り込むのは高貴なお姫様のやることじゃないと思うぞ?」
「あら、それは違うわ。
ベッドの下までいつも綺麗になっているのが高貴なお姫様なの。
何しろ掃除してくれる人が普通の家庭よりたくさんいるからね」
よいしょ、よいしょと言いながらベッドの下から這いずり出てくる姫。
「普通の家庭にメイドなどいない。
そして、普通の家庭であればベッドの下は聖域だ。
勝手に掃除されては困る人間が大勢いるだろうに。
まったく……、綺麗かどうかが問題なのではない。品位の問題だ」
ユウトの目の前にいるユキコと全く同じ背格好の姫がベッドの下から出てきて服のシワを払っている。
それと同時にユウトの目の前にいるユキコはベッドの下から出てきたユキコに一礼する。
「洋服が汚れなければ品位は損なわれないわ。
品位とは服の上から着るものなの。
他人が私を高貴な人だと思っている限り、私はベッドの下に潜り込んでいようがトイレで用を足していようがずっと品位ある高貴な人なのよ。
サコ、確認は終わったわ。元に戻っていいわよ」
「かしこまりました」
サコと呼ばれた姫はパチンと指を鳴らす。
ホヨホヨとサコの周囲が歪むと全く別の姿へと変貌する。
そこには黒髪の長髪、赤い瞳のメイドがいた。
およそ、ユキコとは全く反対の印象を受ける、大人しそうな女性だった。タレ目が印象的である。
ユウトは変身のスピードに驚く。瞬間とはこのことを言うのだろう。
「へぇ、サコさん。すごい“ギフト”を持っていますね」
「はい。“ギフト”名は
これが私の持つ唯一の“ギフト”です。
メイド長としてもしもの時姫様の身代わりになるのが仕事です」
「なるほど。ほとんど完璧にユキコになりきることができるわけですね」
「ええ」
ユウトはユキコを見る。
自分のことではないのに嬉しそうなユキコはニヤニヤしながらユウトを見ている。
ユウトは最も気がかりなことを聞いてみる。
「俺は何を確認されたんだ?」
「あなたが本物のユウトかどうかをね」
「今更チェックしてどうする。
ここまで侵入された後に確認しても意味がないじゃないか」
「あはは!冗談だよ!まぁ、本物じゃないユウトだと困るけどね。
本当は、ユウトにサコがこんな“ギフト”を持ってるよって教えておきたくて」
ユキコは手をひらひらさせながらユウトにそう語る。
だが、ユウトはなんとなく直感する。
目的がそれだけでなかったのでは?と。
だが、聞き出しても意味はない。
ユキコは喋りたくないことは絶対に喋らない。
ユウトは話題を変えることにする。
「サコさんにこんな“ギフト”があったとはな」
ユウトは目を細め、ユキコに疑惑の目を向ける。
ユキコは少し顔を引きつらせ冷や汗を一筋垂らすとユウトに聞く。
「………なんでしょうか?」
「ユキコ。いったい何回公務をサボったんだ?」
「んんんんんんん〜?ユウトくん、さらっと聞き出そうとするねぇ。
まったくいい質問だねぇ、キミィ!!!
それに関してはしっかり言い分があるのだよ。
何しろ私は公務をサボったわけではないのだよ、サコの影武者としての練習を積んでもらっただけ」
「物は言いようだな。その間、ユキコは何してたんだ?」
「私?私は……。
ほら、その、連日忙しくて消化してあげられなかった本や映画を少々……」
「遊んでんじゃねぇか」
「遊びじゃないですー。休むことも仕事ですー。
いっつも暇こいてるあなたとは違うんですー」
「はいはい。俺も好きで暇こいてるわけじゃないですー。
でも、サコさんの“ギフト”、お前しか知らないよな?
確か、サコさんはユキコが急に指名してメイド長にしたはず……。
いや、そう言うことか。最初から知ってたな?」
ユキコはバチンとウィンクを飛ばす。
「正解!私には味方が必要なの。そして、それをあなたに知らせた。
この意味はわかるわよね?」
「わかったよ。そう言うことか。秘密の共有者。
つまり俺は今後、ユキコのために粉骨砕身、働かなきゃいけないんだな」
「さすが、察しが良くて助かるわ。
私の部下になった暁にはサービス残業まっしぐらよ」
ユウトはサコの方を見る。サコは首を振って、音を発せずに口を動かす。
あ・き・ら・め・ろ・ニコッ
ユウトは手を挙げて言う。
「正当な対価を要求しますー」
「却下!」
「断固として正当な報酬を要求しますー」
「却下、却下、却下!」
ユキコは何やら嬉しそうに言うとびしっとユウトを指差して言う。
「仕事内容は追って伝える!座して待て!」
「やれやれ。俺も座して待ってるほど暇ではない。診察始めるぞ」
「乗ってくれてもいいじゃない」
ユウトはブーブーむくれるユキコを誘導しベッドサイドに座らせる。
サコがすっと出してきた椅子にユウトは座る。
向かい合ってユウトは医者の診察における常套句を口にする。
「そしたら、服を脱いで」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます