1.3

 路地から大通りに出るとそこにカントの車が止まっていた。

 カントの車は銀塗りの高級車だ。

 長い車長に広い車内。

 最高のサスペンション、スタビライザーには最高級の車技師がEE による制御構造を組み上げ、車内にいるときには揺れを全く感じない。


 ユウトは車に乗り込む。

 たかだか宮殿に向かうだけなのになんで迎えが必要なのか。

 ユウトはそう思った。

 カントが来たのも宮殿に向かう自分の警護のためだ。

 宮殿に迎えられる人には必ず近衛兵が警護に当たる。

 これは古くからの慣習であり、ユウトが良からぬことを企んでいてもそれを行う隙を与えないためだそうだ。

 今となっては慣習を守っているだけであり、何かを仕込むことなど簡単だ。

 現に見張りはカントだけだ。


 二人は車の扉を開くと中に乗り込む。

 ユウトは後部座席にカントは運転席で行き先をいじった後、椅子ごと後ろを向く。車は滑るように走り出す。

 あっという間に追い越しレーンに入った車は速度を徐々にあげる。

 車内はソファが一周しており、一部冷蔵庫になっている。

 これら全てEE を動力源としている。

 カントは冷蔵庫から水を取り出すとガラスのカップに注ぐ。


「なぁ、ユウト。お前、大学で獣化症について教えてるのか?」


 カントが自分の授業のことなんて気にかけていると思わなかったユウトは驚きを隠せなかった。しばらく時間をとって二回瞬きすると言う。


「あー、ああ。今日の授業から取り扱ってる。カントが俺の授業に興味を持つなんて珍しいな。ついに勉強に目覚めるなんてなんかあったのか?」


 カントはユウトの後半の皮肉を無視して言う。


「あまり、そのことを授業で扱うな。

 獣化症は空想の産物だ。そんなこと起きるわけがない。

 それを授業で扱うなど言語道断。

 教えられている生徒たちもかわいそうだ。

 そんな机上の空論を聞かされて。

 さぞ、暇をしていたに違いない。

 ユウト、医者として恥ずかしく無いのか?」


 ユウトはさらに驚かされる。

 たとえ幼馴染だったとしても、獣化症のことを扱うということだけで、医者としての尊厳まで傷つけるほどのことなのだろうか。

 なぜ、医者とは全く関係のない人間から自分の授業内容についてとやかく言われなければならないのだろうか。


「いや、俺が扱ってるのは獣化症そのものではなく、その本質だ。

 未知の病気に出会ってしまったときどう対処すべきか。

 そのことを考える上で獣化症を例に出したにすぎない。

 医者としての尊厳を疑われるようなことはしてないと思うが……」


 カントは首を横に振って呆れかえってしまったことをユウトに伝える。


「わかってねぇな。お前は姫専属の医者になったんだろ?

 そのことは公にはされていないが、いざ公にされたとき、お前が妄想に基づいた授業をしているなんて言えないだろうが。

 いい加減分かれよ、自分の立場ってやつを」


 はぁ。ユウトの方こそ、そんな立場願い下げだった。

 ただでさえ、自分は卑怯者として家から追い出される一歩手前なのに。

 これこそ、カントと行動を共にすることになったきっかけだ。


 ちょうど一ヶ月前。突如、姫専属の医者としての指名を受けた。

 専属医師の発表は提示された医師の中から選ぶ。

 医者は姫の婿以外に姫様の裸を見る事のできる唯一の男となる。

 これが慣例であり、専属医師発表の場では姫の前に三人の医者が並んでいたそうだ。その静かな場で姫は叫んだそうだ。


『三人とも力不足!私の裸を見せるに値しないわ。

 私にふさわしいのはユウト・エリュシダールただ一人よ!』


 姫様の執事を担当するミギト、儀式を運営する責任者だった宮内大臣エート、そして召集された専属医師候補達が一体どんな顔をしていたのか……。

 それはちょっとみてみたかったユウトである。

 当然その場は大騒ぎになったらしい。

 ユキコはそれ以降全く発言せず、黙って椅子に座って、周囲の慌てふためきようをのんびり観察していたそうだ。

 ユウトはといえば授業終わりに行きつけのバーで一杯やっていたところを、カント率いる敵意ムンムンの近衛兵に捕まり宮殿に連れて行かれた。


 ユキコ姫はニヤニヤ笑いながら、ユウトと二人きりになった際議場でこう言った。


『ふふふ、久しぶりねユウト。10年ぶりかしら?

 この破滅が待っている帝国において、私の計画を実行するにはあなたは必要なの。

 これから私につくしなさい』


 結局、その後何の説明もなく俺は家に帰された。

 あれから、何度か診察を行なっているがいまだに何の説明もない。

 まったく、買い被ってくれる。俺はそんな期待されるような人間じゃない。


——昔の約束、忘れてなかったんじゃないかって淡い期待を抱いてもいいんだろうか。


 ユウトはそんな内心を隠し、とりあえずカントには反論してみる。


「……いや、だからこそ、学者として本質をついた授業を」


「いやもクソも無いんだよ。

 お前はすでに公人となった。

 公人は高い給与をもらえるが、それはその一挙手一投足に責任を持たなければならないと言うことだ。

 そして、それがたとえ仕事とは関係の無いところであったとしても、その責任から逃れることはできないんだ」


 カントは苛立ちを抑えているつもりなのだろう。

 だが、抑えきれていない苛立ちが強く組んだ腕や小刻みに揺れる足に現れている。

 自分の価値観が通じない相手に、なぜそんな自明なことを説明しなければならないのかと問いかける目。


 なぜ、学者として自由に考えを発言させてもらえないのか。

 たとえ、一般的におかしいと思われている話でも、議論していけないことはあるまい。

 だが、こういう相手は理詰めで抗議しても意味はない。

 相手は何かの根拠をもって主張しているわけではないのだから。


「……」


 外の建物が次々と後ろへと流れゆく。


——……突然授業内容を変えるのもダサいんだけどな。


「わかった、やめるよ」


「それでいいんだ。全く。

 頭いいバカと話をするのは疲れる。

 お前は変わったな。昔より頭でっかちになった」


 ユウトはその言葉を黙って受け止めた。

 会話を続ける気がなくなってしまった。


 ユウトは外の様子を見る。

 中央分離帯に並んだEE 街灯は車のスピードのおかげでほとんど気にならないほど高速で後ろに流れていく。

 反対車線の向こう側には石造りの一軒家が並んでいる。


 これだけEE による技術が発展した帝国だが、家づくりには石を使っている。

 昔からEE で家を作るため、液体の素材より個体のEE を流しやすい天然の石素材の方が扱いやすかったのだ。

 その名残で今も石が建築物には使われる。

 昼食の時に会ったおじさんが言っていたが、今もうこの建築法を手作業で行なっているらしい。

 建築に向いた“ギフト”を持った人間なんてすでにほとんどいないのだから、いい加減、別の便利な素材を考えてもいいとユウトは思っている。


 窓の外を眺めるユウトにカントは話しかける。


「それにしても、お前はうまくやったよな。

 一体どうやって姫様に取り入ったんだ?

 あの患者横取り事件以来お前は宮殿の中とはなんの関わりも持たない事になってたじゃないか」


「俺にもよくわからんよ。

 急に呼び出され言われたんだからな。

 ユキコ姫は人の予想を裏切り奔走させるのがお好きなんじゃないか?」


 ユウトの感想は無視し、カントは両手を広げてわけわからんとポーズをとって言う。


「姫様も物好きだな。

 捨てる神あれば拾う神ありってか。

 ……俺にはなんの声もかけてくれなかったのにな。

 ユウトなんかより俺の方が戦闘能力は高いし、俺は彼女のために鍛えている。

 そばにおくべき人間だと思うけどな」


 聞く人が聞けば不敬罪として断罪されてもおかしくないような発言をするカント。

 ユウトは目を見開くと大きく息を吸って、大きなため息をついた。

 自分が変わったかどうかはよくわからないが、カントは間違いなく変わってしまった。

 昔からプライドは高かったが、それをかばってあまりあるほど人懐っこくいたずら好きだった。

 いま、彼に残っているのはプライドだけらしい。


「そうかもな。俺なんかが専属の医師だとユキコ姫も不便かもしれないな」


「だろ?なぁ、お前から言ってくれよ。

 近衛兵長である俺をいちばん近くに置けって」


「わかったよ、言うだけ言ってみるよ」


「絶対だぞ」


 カントは何やら鼻を膨らませて喜んでいる。


——言うわけないじゃないか……。


 何を想像しているのか、ユウトにはなんとなくわかってしまう。

 歴代の王子王女には必ず近衛兵と専属医師がつけられる。

 加えてそのどちらか、または両方と結婚する確率がやたらと高いのだ。

 カントはそれを狙っているし、カントの父親もそれを望んでいるのだろう。


——気持ち悪いな。


 ユウトは単純にそう思った。


——ただ、カントはカルデルナール家でユキコ姫の婿にすべく育てられたとも聞いている。ギラギラとユキコ姫を狙うのは当然なのかもしれない。


 ユウトは外に目を向ける。

 白い石で作られた豪邸が並ぶようになった。

 これが、この帝国の特権階級が住む豪邸だ。

 そして、車の正面には巨大な宮殿が見えている。

 ユウトは整髪料が少し取れて垂れてきた緑色の髪をかき上げ、車の窓に顔を寄せて見上げる。


 帝国宮殿は地面ごと空中に浮かんだ浮島の上にある。

 島はEE によって浮かんでおり、風に吹かれ少し揺れている。

 浮島は巨大な鎖で地面に固定されている。

 EE 全盛期に作られた遺産である。


 帝国歴一五〇〇年頃、EE 産業が最盛期を迎え人々の生活が全てEE と“ギフト”で賄われる時代に建てられた宮殿である。

 その時代には街自体が空中にあり、街の設計は三次元構造体だった。

 上下左右に家があり、金持ちの家ほど上空へ登った。

 空中には蛇のように空路が張り巡らされ、大きさ、形、同じ車が一台も存在していないほど個性豊かなEE 車が空を駆け巡っていたそうだ。


 日照権の裁判が日夜行われ裁判に勝つ方法として太陽に一定時間当たらなかったことで発症する精神病「欠陽症」などという病気が医師によって作り出されたのもこの時代である。

 どうやらその病気を作ったのがエリュシダール家らしいが。

 そうして裁判で賠償金をむしり取ったお金は全てEE 鉱石の購入に当てられ、さらに高い位置に家を移動する。

 高い位置に行くということはそれだけEE を消費する。

 一番高いところで日に当たる権利を得るのはそんな湯水のようにお金を使える一部階級だけだった。


 帝国宮殿はそれらの街より一段高い位置に君臨し続けていた。

 他の家が石で作られた家のみを空中に浮かべているのに対し、帝国宮殿は宮殿の周囲を掘り下げ、地面ごと空中に浮かべるという離れ業を行っていた。

 EE の消費量は浮かべる物体の高さと重さに比例する。

 当時の宮殿は相当な量のEE を城を浮かせるためだけに使っていたに違いない。

 だが、それでも国民が飢えることのないほどEE 鉱石があった。


 ところが栄華を極めていたラーティン王家は、一八〇〇年頃、突如EE の使用を制限する法律を制定し、国民貴族の反対を押し切り無理やり施行した。

 反対者はお抱えの“ギフト”保持者によってあっという間に排除されたと聞く。

 同時にEE の産出量が落ち始めていると言う噂が市民に流れるようになったらしい。

 それ以来、徐々に締め付けが厳しくなった。


 今では帝国の法令によって家や車を浮かべることは禁止されている。

 帝国宮殿はいまだに浮いているが、元に戻ろうにも自身の下に街ができてしまっていたため、戻れなくなってしまい、いまだに浮いていると言われている。


「見えてきたな」


 カントも車の前から宮殿を見上げている。

 宮殿を見上げてまず見えるのは。石造りの五角形の城壁である。

 城壁の上には見張りの兵士が詰めており、侵入者がいないかどうかをくまなく監視している。

 城壁の奥には金色の半球の屋根をした建物が見えており、その建物が左右に広がっている。

 左右には赤い半球の屋根がついており、金色の半球より大きく見える。


 車は徐々に浮かび始める。宮殿に入る時のみ、車は空中に浮かぶことを許される。

 地面にある道を外れ、車にインプットされた空路を静かに進む。

 運転手として車を運転している時には青く光る空路が見えるようになっている。


 宮殿の入り口はターミナル状になっており、用がある人はここで車を降りる。

 車はEE によって自動的に駐車場に入る。

 宮殿側には大きな入り口には少しばかり車列ができている。

 宮殿の中に入るための検問を受けるためだ。


 カントの車はそれらを横目に門の真ん中を進む。

 近衛兵の車は宮殿内を自由に走行する権限が与えられているのだ。

 コの字型をした宮殿が目の前に広がる。

 遠くから見ていた時に見えた赤い半球の屋根が両側に見える。

 だが、外から見た印象より距離が離れている。

 話に聞くところによると赤い屋根を直線で結ぶと2kmはあるそうだ。

 それでも大きく見えるのだから、初めて来た人はその巨大さに驚くのが通例だ。


 正面には十階建ての煉瓦造りの建物、金色の半球屋根が見える。

 宮殿の正面入り口だ。

 門の前で並んでいた人間がここまで来ることはない。

 宮殿に似合いの荘厳な噴水を横目に車は宮殿の入り口にある屋根の下に滑り込む。

 門の前に立っている駆け寄りドアボーイが車のドアを開ける。

 カントは前の扉から、ユウトは後ろの扉から外に出る。

 車は自動的に駐車場へと動き出す。

 

「なんだか雨が降りそうな天気になって来たな」


 ユウトは外を見て言う。

 白い雲が徐々に灰色、ところにより黒くなり始めている。

 雲は雲らしくなく重たくゆっくりと動いている。


「おいおい、まじかよ。午後には外で教練があるって言うのに」


 カントは小声でそう呟くと、ふうと一息吐きユウトをエスコートする。


 ドアボーイがユウトたちを先導し扉を開ける。

 あえてEE に頼らず人を使うところが帝国式だ。

 権力のよって人を使っていると言う感覚はとても甘美なものなのだろう。

 だが、むしろ、そう言うところが宮殿にいる帝王がただの一個人であるということの証明してしまっている。


 宮殿の中は外から見た印象となんら変わらず、石造りの石は丸見えだった。

 ただし、石には一つ一つ異なる金の装飾が施してある。

 天井にはいちいち豪華なシャンデリアが吊り下げられ、床には縁を金色に装飾した赤い絨毯が敷き詰められている。

 外の国を見たことがないユウトにとってはこれが国の宮殿として豪華なのか質素なのか判断がつかなかったが、自分の家と比べると間違いなく豪華絢爛だった。


 絨毯に足跡はつかない。

 どこに誰が行ったか。その程度のことは以前ならば“ギフト”を使えば簡単なことだが、それだけで繋がりがバレてしまい政治を思うように進められなかった。


 そんな、状況になっていた第二代皇帝アギト・フォン・ラーティンは宮殿全体に“ギフト”を使用し宮殿に入った人、出た人、全ての痕跡が残らないシステムを構築したとされている。


 その“ギフト”の効果は一七〇〇年経った今でも効果がある。

 EE の消費量が上がってしまい迷惑なことこの上ないが、解除すると宮殿の全システムがダウンするようにしてあるらしい。

 残念ながら宮殿にはそれからと言うもの、全システムに接続されたシステムが次々に加えられていっている。


 昔の人が残したルールは時代に合わなくなれば淘汰されるべきなのに。

 ユウトは自分の足跡が絨毯にくっきりついた次の瞬間に消えているのを少し眺め、後始末はいつも後の世代だと独語する。


 足跡が消えるのはいいが、すれ違う人はいる。

 ユウトはすれ違う人全員から軽蔑の目で見られている。

 宮殿内ではユウトは卑怯者の象徴。関係があると思われてもまずいのだ。


 ユウトとカントは宮殿の入り口からしばらく左側に進んだところにある広いロビーに入る。

 ところがそこに待っていた人間にユウトは一瞬顔をしかめる。


「よお、ユウト。久しぶりだな」


「兄さん……」


 そこには白衣を纏った痩せてやつれた男が立っていた。

 カズト・エリュシダール。エリュシダール家の長男。

 目元がユウトに似ているが、それ以外は生活環境の違いか、似ても似つかなかった。

 ガリガリなのが頬の凹み具合から見てわかる。

 ボサボサの長い緑色の髪、漂う汗とそれをかきけそうとする花の匂いがする香水のきつい匂い。

 これで、姫専属の医師を狙っていたと言うのだ。


「どうだ、姫専属医師としての仕事は?ちゃんとこなせているのか?」


「……問題ないよ。役目はきちんと果たしている。

 姫様にも満足していただいている」


「へぇ、なかなかやるじゃないか。それで?特別な方の仕事は?」


 ユウトは質問の意図がわからず聞き返す。


「特別な仕事?そんなものがあるのですか?」


「と言うことはまだのようだな。

 それでいい。今はこの仕事、お前に任せているがいずれ俺が務めることになる」


——なぜ、そこまで自信満々にそんなことを言えるんだ……?

そもそも、専属医師はユキコ姫の好みで決まるものだ。

確かに、呼ばれなかった人間が選ばれることは異例だが、それは姫が選びたい人間をその場に必ず呼んでいたからに他ならない。


——カズト、人の気持ちなぞお構い無し。自己中心的な人間。


「そうですね。

 兄さんがユキコ様に選ばれたなら私はこの専属医師の地位、お譲りしますよ」


 カズトの表情が変わった。

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