1.2
講師長……随分と古い紙に書いたなと、手の込んだ嫌がらせに感心してしまう。
嫌がらせを考えている暇があるなら、その分を医学の研鑽に回してほしいなとユウトは思う。
紙に対する感想はともかく、その内容はあまり嬉しい内容ではなかった。
内容は迂遠に書いてあるが、要するにユウトが実際の医師として医学を教えたいと言う主張をあれやこれやと理由をつけて却下する、と言う内容だった。
——まぁ、わかってたことだけど……。
そう思いながらもユウトは落胆する気持ちを隠せなかった。
黄ばんだ紙を丁寧に折りたたむと、胸ポケットに忍ばせる。
職員室を後にしたユウトは、そのまま大学の中庭に出る。
中庭は、石造りの校舎によく合う、円形の庭園になっている。
中心に大きな噴水が設置され、周囲には花の生垣、ベンチ、蔦が絡んだアーチなどが左右対称になるよう配置されている。
噴水は“ギフト”全盛期時代の名残でEE を動力源としている。
地下に設置された原石のEE が切れれば噴水も止まってしまうだろう。
ベンチには昼ご飯を食べている者や、使用人と食後のお茶を嗜んでいる者もいる。
大学に入学する者など、一部の階級以上の人間だけだが、ここは帝国直轄の大学だけあってその特権意識にも拍車がかかっている。
彼らはユウトが通ると嫌悪感を露骨にあらわにする。
あるものは食事が不味くなったと持っていたものを使用人に突き返す有様だった。
そう言う状況はすでに慣れてしまったユウトは、歩きながら紙に書いてあった悪口を頭の中で反芻する。
——医学の授業を受け持つ実力が足りていないと判断する。か……。俺は一体いつ、判断されたんだろうな……。
だが、その思いとは裏腹にユウトは原因はわかっていた。
二十歳の時、準教授になりたての頃。
ユウトは他人の成果を横取りしてしまった。
別の人が担当する予定だった人を、勝手に連れ出し、勝手に治してしまった。
もちろんユウトにも言い分はあった。
担当の男の見立てがどう考えても間違っていた。
手術の内容も間違っていた。
あのままだと患者は余計な体力を使ってしまい、死んでしまうかもしれなかった。
それに————————。
だが、そのことを告げもせずに勝手に患者を横取りする行為は、帝国医師会では絶対にやってはいけないタブーだった。
お互いの成果、医師と言う仲間の利権を取り合わないようにするための大事な取り決めを破ってしまった。
その一件以来、ユウトの友達はいなくなった。
卑怯者としてのレッテルが俺のことを強力にむしばみ続けている。
くだらないことだ。とユウトは思う。
自分に実力があるとは思っていない。
もちろん、ユウトは医学的な知識は必死で身につけてきたが、医師の実力は知識だけではない。
ユウトには人を治す力があってもできないことがあった。
それでもここまで虐げられるようなことだっただろうか。と思ってしまう。
この国は成長し過ぎてしまった。
実力によってではなく、他人の傷を上手に舐めまわせる人間が上に登る時代になってしまったのだ。
ユウトは頭を振って次々と湧き上がる思いを振り払う。
「はぁ。よくないよくない!」
ユウトは勤めて明るい声を出すと、体を無理やり上下させながら楽しそうに歩き始めた。
病は気から。
無理にでも笑えばきっと楽しくなる。
大学の巨大な鉄の格子門を出ると、すぐに街の喧騒に飲み込まれる。
大学を出ると、国内で最も広い大通りがあり片側四車線の車道が広がっている。
この車道は環状になっており帝国を大きく一周している。
環状の道路の東西南北から中心に向かって大通りが作られ、中央には宮殿と呼ばれる王城がある。
道路には、EE を動力源にして走る車がビュンビュンと風を切って走っている。
四つのタイヤをEE で駆動させて走る車は庶民にとってステータスの一つである。
EE を溜め込んだ鉱石を積み、単体で三〇〇キロ以上のスピードが出る車は空気の壁にぶつからないよう美しい流線型の形をしている。
結局乗っていないが、俺も一台、青い車を買わされた。
父曰く車を持っていないことは不名誉にあたるらしかった。
車を持っているから幸せってわけでもないのに。
ユウトは右から左へと次々に流れる色とりどりの物体を尻目にそれらの進行方向とは逆に歩き出す。
帝国の街並みは計画的に整えられ統一感がある。
帝国の布告により石造が基本となっており、三階建ての建物が道路の脇にずらりと並んでいる。
窓には木の枠が用いられ、窓一つ一つに小さなベランダが付いている。
ベランダには花を飾る人や旗をかける人はいるものの、洗濯物などの生活感のあるものをかけている人はいない。
そんなものぶら下げていたらあっという間に帝国風紀省の人間が飛んでくるに違いないのだ。
「曇って少し肌寒いな……」
ユウトは建物の間にあるすこし狭い路地に入る。
建物に挟まれた道は大通りと比べると薄暗くなっているが、すぐに喧騒が聞こえてくる。
建物の一階を改造して作られた定食屋がフル稼働で客をさばいていた。
ユウトは慣れた様子で店の前、屋外に広がるテーブルと椅子、ぎゅうぎゅうに詰められ丸まった背中を押しのけ、カウンターの一番奥の席を確保する。
カウンターの奥の厨房では夜にバーの店主になる男がせわしなく料理を作っている。
すぐにウェイトレスが駆け寄ってきて、注文を取る。
「パンとシチュー。シチューの具材は肉以外何でもいい。後、食後にコーヒーをつけておいてくれ」
「はーい」
ウェイトレスは注文を手元の石板に書き込む。
石板にはEE 鉱石が埋め込まれており、書き込まれた内容はEE によって厨房に送られる。
ユウトはカバンの中から新聞を取り出す。
朝のうちに買っておき、昼休憩の時に読むのが日課だった。
新聞紙を広げ最初に見るのは連載されている物語。
1日1話だけあって、内容は短いが面白いことが多かった。
今は、熱血医師の医療ものが連載されていた。
『こんな症例見たことありません……!本当にこんな病気、治せるんですか?』
『私一人では無理だろう。だが、我々が力を合わせれば必ず成し遂げられるはずだ』
『先生……!』
『チームの力を信じろ!さぁ!手術を始めよう!』
——……今日の内容はちょっと面白くないな。
今日のお話を全体的に読んだ後、ユウトはそう思った。
お互いを信じて力を合わせる。
そんな単純なことですら、人は素直に行えなくなることがある。
今の自分がまさにそうだ。
仕事を誰かと分担して行なったことなど一度もなかった。
「お待たせしましたー」
ユウトが自己憐憫のスパイラルに落ちこむ前にウェイトレスが料理を並べる。
一般的なものより硬めに焼いた拳大のパン二つとよく煮込まれたビーフシチュー。
シチューの良い香りがユウトの食欲にぐっと効果を及ぼす。
心に冷たい北風が吹き込んでいる日には暖かいシチューが体を温めてくれる。
肉だけでなくニンジンやじゃがいも、玉ねぎなどが入っている。
形が残っている具材はそのくらいである。
——こういう日にはシチューに限る。
ユウトはパンをちぎりシチューにひたひたとつけると、おもむろに口へと運ぶ。
口に含んだ途端、甘いシチューの香りが鼻を抜ける。
香りが鼻を攻略した後は、舌への攻撃が始まる。
肉の油に野菜の旨味をたっぷりと抽出したシチューは、舌全体にうまみをまとわりつかせる。
シチューをたっぷりと含んだパンは皮の硬さがちょうどよい歯ごたえとなって口の幸福感を高める。
噛めば噛むほどうまみが滲み出る。
十分な時間をかけて噛んでいたユウトはごくんと飲み込む。
ふぅと息を吐いてシチューの余韻を楽しむ。
次はシチューの具だ。
厚めに切られた牛肉と玉ねぎ。
スプーンで両方をいっぺんにすくうと、スプーンの上にある具を観察する。
そして、玉ねぎが先に舌に当たるよう向きを調節して口の中に放り込む。
玉ねぎの甘みを感じる。
すぐに肉の脂が口に広がる。
よく煮込まれた玉ねぎと牛肉はあっというまに口の中に溶け込んでしまう。
芳醇なうまみを含んだ暖かい液体はユウトの口の中、そして喉、胃に暖かく甘いコーティングを施す。
ほとんどの時間を一人で過ごすユウトにとって食事の時間はとても大切だった。
周囲の喧騒を忘れ、料理の彩りを目で楽しみ、料理の香りを鼻で楽しみ、料理の食感を手や口で楽しみ、料理の味を舌や喉で楽しむ。
たっぷりと時間をかけて、一品一品の全てを自分のものにする。
ユウトはそこから、止まることなくパンとシチューを堪能した。
食後のコーヒーを飲みながら新聞の技術欄を読んでいたユウトは気になる記事を見つけた。
その記事は知らせたいのに知らせたくないと言うかのように小さく、小さく掲載されていた。
『民間科学開発会社・水蒸気機関の開発に成功する』
——へぇ、それはすごい。
詳しいことはわからないがEE の必要ない動力機関だそうだ。
少しばかり記事があったので新聞記事をよく見てみる。
どうやら、民間企業の小さなベンチャー企業がEE のいらない動力の開発を目指して作り出したらしかった。
熱した水からでてくる水蒸気を使って物を動かすらしい。
——ん?この記事は……?
——Wild Regression Movement?野生回帰運動?こんな運動してるやついるのか……。
——なになに……?
その記事では、ここ数百年に渡って人類がEE を失った背景に、文明の進化があると書いてあった。
つまり、進みすぎた文明に反比例する形でEE が失われたと。
さらに、最近出回るEE 鉱石の採掘量の現象の噂と合わせて、人は今すぐ原始的な生活に戻るべきだと主張していた。
——それで野生回帰運動。なんか、主張自体が疑似相関の根拠に基づいていそうだけれど……。
——野生に戻ったところで人類はEE を取り戻せると思えないし……。
——すでに、根付いてしまった文明を投げ捨てることは容易じゃない。
——逆に言えばこの主張をしている人間たちは果たして原始的な生活とやらをしてるのだろうか……。
何にせよユウトにとっては馬鹿らしい主張には変わりなかった。
考え事に耽っていたユウトはカウンターの隣に座った男から声をかけられる。
「よぉ、ユウト。飯食ったか?」
「カント。今日は早いな」
「まぁな。今日の午前の訓練はそれほど時間のかかるものじゃなかったからな」
カント・カルデルナール。ユキコ姫の近衛兵団長だ。
西の出身の家系であり金色の髪に青い目、高い鼻が特徴的である。
医師一門のエリュシダール家と似たように、カルデルナール家からは多くの武官が輩出されている。
その本家のたった一人の男がカントである。
次男坊であるユウトとは違い、彼は戦士として幼い頃から親に英才教育を受け続けていた。
何の縁か彼とは幼い頃から親しくするようになった。
最近はほとんど会っていなかったが、ちょっとしたきっかけがあり、久々に行動を共にするようになっている。
カントの服装は騎士団の制服だ。
黒を基調として裏地に青を使っている。
折り目から見える青がアクセントとなって全体をすらっと細くしめる。
靴は革靴だが普通の革よりも柔らかく足にフィットするように作られている。
ただし、服の下にはEE でコーティングされた布を巻いており、大抵の物理、EE による“ギフト”攻撃の効果を減少させる。
カントを近衛兵と判断するには黒いシャツの左胸につけられた近衛兵のシンボル、そして左腰に吊り下げられた剣を見ればよい。
近衛兵は守護者という意味を込めて熊がモチーフになっている。
巷に流行しているかわいいクマさんではなく、子供を守るために命を捨てる覚悟を決めた強烈な熊。
シンボルは今にも動き出しそうだ。
腰に下げている剣は一般的な両刃の剣だが、近衛兵団の団長も務めるカントの剣はEE によって劣化しない状態になっている。
彼の剣一本で石造りのアパートが一棟買えるだろう。
武家の一家だけあって、頬に切り傷が残っており、眼光鋭く高い鼻と相まって睨まれれば何も悪いことをしていない人でもドキッとしてしまうほどの鋭さを持っている。
眼鏡をかけているのはその鋭さを隠すためだそうだ。
もっとも黒縁の丸い眼鏡は彼に全く似合っていないと、ユウトは心の中で思っている。
「とりあえず飯でも食ったらどうだ?」
「そうさせてもらうわ。すいませーん」
カントは手を上げてウェイトレスを呼びつけるとシチューを注文する。
「肉は無しでお願いします」
「肉くわねぇのか?戦士たるもの、肉体を鍛えなきゃいけないんじゃないのか?」
「ちっ。お前までオカンみたいなこと言うな。食いたいものを食うんだ。俺は」
カントは目を細めてユウトを睨む。
丸メガネにその表情は合わない。
ユウトは思わず吹き出しそうになり、新聞の陰に顔を隠す。
カントには記事が見えたらしい。
「水蒸気機関?何だこれ?」
「さぁな、何だろうな。水蒸気って言うからには水を使って何かするんだろ」
「水蒸気に何かしてもらうってことか」
「まぁ、そうなんだろうな。水の力は俺たちが思うよりもずっと強いらしい」
「こんなことして何が楽しいんだろうな?
そんなことしている場合があるなら自分のことを鍛え、自分でできるようになればいいことだ」
ユウトはそんなカントをニヤリと笑いながら見つめると言う。
「お前だって“ギフト”を使って戦闘するんじゃないのか?」
「“ギフト”は人の内から湧き出るものだ。他の力を借りているわけではない」
「まぁ、お前には自前のEE があるだろうけど……。
だが、こんな噂があるじゃないか。
世界は人にEE を与えるのをやめてしまったと。
噂によるとEE 鉱石の埋蔵量も、今の調子で使い続ければ向こう十年ほどで枯渇するそうじゃないか」
カントはそういった小難しそうな話は苦手である。
ユウトから目をそらすとカウンターの奥にある棚の酒を見つめながら言う。
「さぁ、よくしらねぇよ。
大事なのはたった今俺は“ギフト”を使えるのかどうかだ。十年後の話は十年後に考えればいいだろ」
「戦士としてはそれで正解だろうな。
だが、生活者としてはどうだ?
俺たちは生活の大半をEE に肩代わりしてもらっているはずだ。
掃除、洗濯、室温管理。
EE によって発展してきた我らが帝国は、生産や開発の技術だって全てEE 頼りじゃないか。
他国から材料を購入し、EE によって動かせる製品に加工しその製品を売り、動力源となるEE を売って利益を上げてきた。
我が国にとっては、向こう十年と言う数字は余命宣告に等しいと思わないか?」
カントは相変わらずユウトを見ることはなく、目を細めると言う。
「だからといって俺やお前が何か新しい技術開発を始められるのか?
これまでの人生、どっぷりとEE と“ギフト”に捧げちまってるって言うのに」
「……確かにな」
そう言ったユウトに近くに座っていた作業着のおじさんの集団の一人、口の周りに見事なヒゲを生やした男が話しかける。
「おい、若いの!その噂、デマだぞ!
なんでもドワイト王がそう言う噂を流して、EE 鉱石を独占しようって腹らしい」
「本当ですか?最近の制限も全てそのためだと?」
「そうだ!今のドワイト王は政治に無関心だと聞いている。
つまり、政治をせずに遊んでいると言うことだ。
EE は加工すれば精神作用の強い覚せい剤にもなりうる。
王はヤク漬けにでもなってるんじゃ無いか?」
「………不敬罪で逮捕されますよ?」
「構うもんか!俺は今度宮殿に直談判しに行く予定だからな。
EE の使用制限の解除をお願いしにな。
最近の締め付けのせいで俺たち建設業は苦しくてしょうがない。
建築するためのEE はもうほとんど使えねぇ。
全部人力でやってんだ。
たった今、連行としても、直談判の日程が早まるだけってもんよ!
がはははははははは!」
おじさんは大きな口を開けて大笑いする。
隣に座ったおじさんたちも笑っている。
そんな、笑っている場合なのだろうか。
ユウトは考える。
もし噂が本当なら十年後には今の生活ができなくなると言うことだ。
自分たちの老後に生活が破綻するなんて考えられない。
反対に、王がEE を独占しようとしているならそれはそれで問題だ。
独占すれば価格が上がる。
生活必需品の独占は暴動の原因にもなりかねない。
宮殿は長年の“ギフト”所持者減少によりただでさえ弱体化している。
今、国民に立ち上がられてしまうと押さえつける力などないだろう。
「俺が近衛兵でよかった。
憲兵だったらあんなくだらないおっさんでも逮捕しなけりゃならんからな。
連れてくだけでもめんどくさいったらありゃしない」
カントの前にユウトが食べたシチューと同じものが運ばれる。
食べ始めるとカントは会話を全くしない。
ユウトはフゥと息を吐くと新聞の続きを読み始める。
新聞には他に大した記事はなかった。
事故で亡くなった人がいる。
行方不明の人を探して欲しい。
新しいEE 技術の開拓。
あるフライングボールのチームがあたらしい選手を獲得した。
いつもと変わらない日常。
新聞には誰かにとっての異常が掲載されるはずである。
だが、その情報は押し並べて一般化され、真新しいものにならなかった。
「よし、行こうか」
シチューを飲み物のように体の中に押し込めたカントはユウトに声をかけた。
二人はシチューのお代を机の上に置くと店を後にする。
カントはお代ぴったりを、ユウトはチップを少しばかり上乗せしていた。
チップはウェイトレスが持っていくはずだ。
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