第116話

 遠くからニワトリの声が響き渡り、朝の光が世界を照らす。

 クーデルスとアモエナは、小さな城が丸ごと入りそうな綿の塊の上で寄り添って寝転んでいた。


「あぁ、朝ですか」

 寝返りを打つような仕草で起き上がると、クーデルスは太陽の光のまぶしさに目を細め、その光から逃れるように目を腕でかばう。


「コカトリスさんたちの声で目を覚ますと、故郷に帰ってきたような気分になりますねぇ。

 いえ、アモエナさんが私と一緒にいてくださるならば、故郷でなくともかまわないのです」


 そんな事を呟きながら、クーデルスは手探りで眼鏡を探す。

 別に視力が悪いわけではないのだが、いつもつけているので無いと寂しいのだ。


 やがて綿の隙間から眼鏡を探り当ると、クーデルスはなれた手つきで顔にはめ、自分の横にいる少女の寝顔をレンズ越しに覗き込んだ。



「ふふふ、幸せですねぇ。

 ここは私達二人だけの世界。 誰も邪魔は出来ません」


 すると、その声で目を覚ましたのだろう。

 アモエナがうっすらと目をあける。


「そうでしょ? アモエナさん」


 クーデルスが囁いても、アモエナは少しも反応しなかった。

 まるで耳が聞こえていないかのようである。


「ずいぶんと無口になってしまいましたねぇ、アモエナさん。

 でも、私は一向に構いませんよ?

 私だけ見ていてくれたら、もうそれで幸せですから」


 だが、アモエナはぼんやりと虚空を見つめたまま、まるで生きた死人のように沈黙していた。

 心が壊れているのは誰の眼にも明らかである。

 それに気づかない……いや、気づいていても認めないのはクーデルスただ一人。


「冷たい方ですねぇ、アモエナさん。

 でも、そんな貴女も素敵です。

 それに……ここには私意外に愛すべき対象はもう無いのですから」


 だが、クーデルスの慈しむような笑顔がふと曇る。

 前髪をかきあげて頭痛をこらえるような顔をしたまま、彼は面倒そうな声で独り言を呟いた。


「おや、また冒険者の方々ですか?

 昨日も一人残らず世界樹に取り込んであげたというのに懲りない方々です」


 一応は再生も出来るように魂と肉体を構成するデータは保存してはいるものの、世界樹の意識体から面倒くさいと盛大なクレームがあったのはここだけの話である。


「コカトリスさん。 軽く石化ガスを吹きかけてやってください。

 私とアモエナさんの愛の楽園には誰も入れないように。

 あぁ、食べちゃダメですよ?

 アモエナさんが悲しむかもしれませんから」


 クーデルスの価値観と優先順位は、現時点において非常にシンプルであった。

 自分とアモエナの甘い生活が最優先であり、邪魔をするヤツは容赦しない。

 それが普段の自分の信条に反しようとも……だ。


「まったく。 自分の実力も弁えない愚かしい方々です。

 そろそろ石化対策もしてくるでしょうから、次の手も考えておきますか」


 次は直々に魔力をふるって全員ネズミにでも変えてしまおうか?

 そんな事を考えていたその時であった。


 ベキッ、バキバキと音を立てて何かがクーデルスの足元にせり出してくる。


「これ……は……ベラトールさん!?」

 現れたのは、氷の鏡であった。


「まさか、世界樹の護りを突破して力ずくでここに魔術を届けるとは。

 とんでもない魔力ですね。

 モラルさんでも無理だと思っていたのですが、もしかしたら二人がかりの魔術でしょうか?」


 そんな事を呟いていると、氷の鏡の人影……いや、熊影が映る。


「あー、あー、バカ弟に告ぐ!

 今すぐに小娘を解放しておとなしくそこから出て来い!!」


 流れてきた音声は、実にベラトールらしい高圧的で一方的な言葉であった。

 というより、こんな言い方しか出来ないのである。

 不器用な性格といえばまだ表現としてはマシなほうで、この手の交渉ごとには本当に不向きな人材だ。

 本人も自覚はあるのだが、こればっかりはどうしようもない。


「嫌なこったです。 おとといきやがってください」


 一方、クーデルスのほうも即答であった。

 全く迷うこともなく、クーデルスは相手の用件を拒絶する。

 交渉する気もなければ話をする気も無い。


「おととい来いだと!? 時間を逆行したところで解決につながるか、この馬鹿が!」


「何ムキになってるんですか、このシロクマは。

 慣用表現もわからないなんて、なんて残念な脳みそでしょうか」


「お前にだけは残念とか言われたく無いぞ、この残念魔王!」


「人の事を残念とか言うひとのほうが残念なんですぅー」


「だったらお前が残念なヤツだな。

 先に残念とか言い出したのお前だし」


「でも、残念なのはシロクマのほうですから。

 人望ありませんし。

 いやぁ、真実は否定できませんねぇ」


 争いは自分と同レベルの存在とでしか発生しないという説もあるが、この二人に関してはまさにそのとおりであった。


「貴様、言うに事欠いて……氷漬けにしてやろうか、このお花畑!」


「おやおや、怖い。 なのでこの術式、潰しますね。

 はい、さよなら」


 その言葉と共に、クーデルスは氷の鏡を殴りつけた。

 かくして、最初の対話は見事失敗に終わったのである。


 おもにベラトールのポンコツさを露呈する形で。

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