第109話
それから数日後のことである。
朝ごはんの時間も過ぎた宿のラウンジにて、大きな楽器を抱えてアモエナに話しかけるクーデルスの姿があった。
「アモエナさん、このあいだの曲ですが、なんとか形になったんですよ。
一度聞いてもらえますか?」
そんな台詞を囁く今日のクーデルスは、少し疲れたような顔をしている。
おおよそ、毎日夜更かしをしてどこかで練習をしていたのだろうか、ここのところ彼の寝室はほとんど使われた形跡がなかった。
音楽は全くの専門外であろうに、熱心なことである。
しかも一人でやっていたわけではなく……付き合わされたドルチェスは、さぞ迷惑だったに違いない。
「うん。 聞かせてくれる?」
アモエナが頷くと、クーデルスは早速演奏を始めた。
滑らかな音の流れに、近くで耳をそばだてていた客からもホゥと溜息が漏れる。
だが、アモエナはそれに満足せず、その眉間に小さな皺を作った。
「んー サビの部分、もうちょっとテンポ早くして。
明るく軽快な感じに」
「それだと、安っぽくなりませんか?」
アモエナが注文を出すが、どうやらそれはクーデルスの良いと感じる音楽では無いらしい。
しかし、彼女は譲らない。
「いいのよ、それで。 これは高尚な音楽でも芸術的な踊りでもないの。
騒いで浮かれて頭の中が空っぽになるための踊りなんだから」
すると、今度はクーデルスの眉間に皺が生まれた。
よほどお気に召さないらしい。
「……あんまり好きじゃないですねぇ、そういうのは」
「クーデルスの好みは関係ないの。
これは私が踊りたい曲なんだから」
確かに正論ではあるのだが、どうにも受け入れがたい。
感性の違いとは、えしてそのようなものだ。
「はぁ……まぁ、仕方が無いですね」
ただの我侭にも聞こえるが、おそらくは何か意図があってのことだろう。
クーデルスは仕方なく受け入れるものの、どうにも釈然としない。
その顔には『やっぱり、それは美しくない』と書かれており、横で見ていたドルチェスが思わずプッと噴出す。
だが、ドルチェスもまた、クーデルスと同じ意見を持っていた。
「そういえば、この曲の事を聞いたときにドルチェスさんが妙な顔してましたけど、この曲って何か意味があるんですか?」
そんなクーデルスの質問に、アモエナは少し悩むような微妙な顔をした後、「踊った後に説明するわ」とだけ答えた。
さて、そんな微妙なやり取りで始まった一日であるが、広場は今日も大盛況。
クーデルスたちは人ごみを掻き分けて舞台へあがる。
そしてアモエナは熱狂的な声を上げる観客に手を振りながら、舞台の中央に立った。
そして音楽が始まるのをじっと待つ。
いったい彼女は何を考えているのか?
気にならないといえば嘘になるが、思い悩んでいても仕方が無い。
クーデルスはドルチェスと目配せで合図を交わすと、アモエナからリクエストされた曲の前奏を奏でた。
その瞬間、広場に集まった観客たちの顔に動揺が走る。
いや、全員が反応したわけではない。
だいたい半分ぐらいは周囲の反応に不思議そうな顔をしている。
そしてクーデルスが曲を奏でだしてしばらくした頃のことだった。
気がつけば、貧しい身なりの男女が舞台の最前列に集まって涙を流し始めているではないか。
一体何が起きているのか?
その答えが見つかるよりも早く、アモエナが動いた。
「舞台に上がらない? この曲を一人で踊るのは寂しいわ」
そんな台詞と共にアモエナは舞台の上から手を伸ばすと、彼らを舞台に誘う。
そして彼らもそれを拒まなかった。
ここにきて、観客の反応が完全に割れる。
この状況を理解している者と理解できない者の二つにだ。
前者は悲鳴のような喝采を上げ、後者はどこか冷めた顔で場を見守っていた。
後者の中には興味をなくして帰り始めた者までいる。
そしてクーデルスは明らかに後者であったが、楽師役の彼がここで帰ってしまうわけには行かない。
溜息をついたクーデルスは、とりあえずアモエナの勝手な行動を止めようと動こうとする。
だが、ドルチェスが視線だけでクーデルスを止めた。
――なぜ止める?
そんなクーデルスの視線にも、ドルチェスはただ首を横に振るだけであった。
いったい、この無様で好き勝手な振る舞いにどんな意味があるというのか?
クーデルスが不満を溜め込む中、アモエナは舞台に上がりこんだ観客とみんなで肩を組んで踊りだした。
音楽のテンポが速くなるにつれ、踊りは次第に激しくなり、いつしか踊り手たちは歌い始める。
調子ハズレの歌が混じり、とても美しいとは思えない音楽であったが、歌っている本人たちはえらく楽しそうである。
――これでは、まるで酔っ払いの宴会ではないか。
とても人に見せて金をもらえる代物ではない。
だが、同時にクーデルスは気づく。
この踊り、ラインダンスとよく似てはいないだろうか?
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