第110話

 素人丸出しの舞台は、そのまま二時間ど過ぎた今もまだ続いていた。

 舞台に上がった連中を含む一部の客はたしかに熱狂している。

 だが、大半の客はつまらないものを見たとばかりに立ち去ってしまっていた。


 むろん、興行としては大失敗である。

 だが、アモエナに失敗したといった様子は伺えない。

 その満足げな横顔には、むしろ目的が成し遂げられた達成感すら感じられた。


 では、こうなることを彼女は予想していたのだろうか?

 だが、自らの評判に泥を塗るような……こんな馬鹿げたことに意味があるとはとても考えにくい。

 少なくともクーデルスには理解できなかった。


 アモエナは一体何がしたかったのだろうか?

 いや、それよりも……。


 クーデルスは長い前髪の奥でまなじりを吊り上げ、ギリッと音が鳴るほど奥歯を強く噛み締めた。


「アモエナさん。 どうしてそんなに無邪気な笑みを浮かべているんですか?」


 きしんだ心の隙間から零れ落ちるように、その台詞はクーデルスの唇から零れ落ちる。。

 そう、クーデルスと一緒に過ごした時間の中で、彼女があそこまで楽しげに、そして満ち足りた表情をした事はなかった。


 ――こんなこと、到底許されることではない。

 こんな事が自分より大事なのかと思うと、クーデルスは怒りで眩暈すら覚える。


 一体、今まで何が不満だったというのか?

 あんなに心を砕き、彼女のために尽くしてきたと言うのに。


 地獄の底から押し出されたかのようなクーデルスの呟きは、軽快に鳴り響くバンドネオンにかき消されて誰の耳にも届かない。

 ただ、アモエナの満ちたりた表情はクーデルス自身の心を蝕んでいた。

 焦げ付いてドス黒い煙をくゆらせはじめているのだが、その事に誰も気づかない。


 そして無様な乱痴気騒ぎが終わり、観客が全て夕闇の彼方に消えた頃。

 アモエナはポツリと呟いた。


「……これが私がラインダンスにこだわる理由よ」


 突然の言葉に、クーデルスは答えを返せない。

 だが、問い返す事はしなかった。

 今口を開けば、嫉妬の炎が言葉となって吐き出されるのが目に見えていたからだ。


 そんなクーデルスの葛藤を知らず、アモエナは淡々と語り始める。


「今日の踊りは、冬迎えの踊りと言うのだけど……冬と言う季節は貧しい農村にとってとても厳しい季節なのよ。

 毎年何人も死ぬの。 食べるものがなくて。 もしくは体を温めるものがなくて」


 語りながら遠くを見るアモエナの目は、うだるような夏の最中にも関わらず凍える冬の光景を映していた。

 飢えの苦しみを知らないクーデルスにとっては、全く未知の感情である。


「だから、冬が来る前に口減らしが行われるの。

 飢えて死ぬぐらいなら、凍えて死ぬぐらいならば、街の人間に売ったほうがまだ生きる可能性があるからって。

 そして、人が減ることでわずかな食料でも食いつなげるようにって」


 陰惨な光景を思い出したのだろうか。

 アモエナの言葉がかすかに震え、かすかな嗚咽が混じり始めた。

 だが、クーデルスの目が冷ややかになり始めていることに彼女は気づかない。


「だから、あの踊りの別名は"別離の踊り"と言うの。

 二度と会えなくなる悲しさを、楽しい記憶で塗りつぶすための踊りよ」


 あの安っぽさも、狂乱振りも、そういわれれば確かに納得できるだろう。

 だが、クーデルスはそれを受け入れる事ができなかった。


「でも、そんなものをなぜ今日の演目にしたんです?

 正直言って、今日の舞台は最悪だったと思いますよ」


「そんなこと言わないでよ。

 私がなぜラインダンスにこだわるかを聞いたのはクーデルスでしょ?」


 そういわれると、クーデルスも黙るしかない。

 だが、口で言えば済む話だったのではないか……と、少々興ざめするのは否めなかった。


「今日の舞台で一緒に踊っていた客は、その口減らしで街に売られた故郷の人々だったの。

 あのね、あの人たちは二度と故郷に帰れないのよ。

 故郷への未練を断ち切るために、祭りの際にそういう誓約をするから。

 おそらく、ラインダンスを最初に考えた人も、同じ地方の出身ね。

 私もラインダンスを踊っているときだけは、村に帰ることを許された気になるから」


 どんどん冷めてゆくクーデルスの心とは裏腹に、アモエナは自分の言葉に酔いしれてゆく。

 悲劇とは……共感できない者にとっては喜劇にすらならないことに、とても退屈な話であることに彼女は気づかない。


 なぜ、魔王であるクーデルスが自分と同じ感覚を持っていると彼女は勘違いをしてしまったのか。

 その勘違いの報いを、遠くない未来に彼女は支払うことになる。


「……って言っても、クーデルスにわかるかしら?

 私達はね、帰りたいのよ。

 でも、帰れないの。

 そんな叶わない願いを慰めてくれるのは、あの踊りだけなの」


 一通り語り終えると、アモエナはこれでわかったでしょ?といわんばかりの顔でクーデルスに振り向いた。

 そんな彼女を、クーデルスは慰めるようにそっと抱きしめる。


「辛かったのですね、アモエナさん」


 語りかける声は優しい。

 だが、その目はまるで死んだ魚のようである。

 そんな冷えきった表情を隠すのに、抱擁という行動は非常に都合がよかった。


 愚かなアモエナは、クーデルスの胸の中に甘えながら輝かしい未来を夢見る。

 彼女の考えを、クーデルスが理解したという勘違いを抱えたままに。


 結局のところクーデルスはアモエナの心情を全く理解できていなかった。

 自らも追放された身であるがゆえに、祖国に帰りたい気持ちが無いわけではない。


 だが、そんな感傷に囚われて自分の夢を見失う感覚が理解できないのである。

 ただ夢を語り、思うが侭に振舞うだけで、自分にとって一番大切なことを客観的に考えることすらできていない。


 なぜそんな事もわからないのだろうか?

 それが若さという事だというのだろうか?


 いや、そんな事よりもだ。

 アモエナにとって、クーデルス自身よりも大事なものがある事がどうしても許せなかった。


 狡猾な悪魔は考える。

 さぁ、この愚かで愛らしい捩子花を、いかにして愚かな妄執の草原より持ち帰ろうか?


 それを禁忌だと知りながら、彼は右手でアモエナの体を撫でて慰め、左手は怒りをこらえるように強く握り締めた。 

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