第61話

「控えよ、痴れ者」

 最初に声をあげたのはベラトールであった。

 その瞬間、女騎士の靴が凍りつき、バランスを崩した彼女は膝から前のめりに崩れ落ちる。


「ぐあっ、一体何が!?」

 突然の事に驚きと惑う女騎士だが、そんな彼女を椅子の上から見下ろし、モラルが舌なめずりをする。


「困った子ね。 パリっと歯ざわりのよさそうな義務感で凝り固まっていて、とても美味しそうだわ」

「相変わらずの悪食ですね、モラルさん」


 餌を目にした猫のようなモラルの様子に、クーデルスが思わず苦笑を浮かべた。

 生憎と感情を味覚として捕らえる事はできないのだが、どう考えても美味いものではない。

 むしろ個人的にはかかわりたくない感情である。


「食べちゃっていい? この子の、領主に対する恋心ごと」

「おやおや? それはかわいそうですね」


 やけに女騎士が張り切っているとおもえば、理由はそんなところであったらしい。

 その領主はと言えば、目の前で獲物として彼女を狙っているモラルに首ったけなのだから救いの無い話である。


「だって、私達にとって邪魔なんですもの」

「邪魔というより目障りだな。 それにひと思いに捻り潰すよりも、生きたまま抜け殻を晒すほうがこやつにはふさわしかろうよ」

「意外と話がわかるのね、シロクマちゃん」

「誰がシロクマだ。 失敬な」


 クーデルスとしては女騎士に多少の同情をしないでもないのだが、他の二柱の神はすでに抹殺する方向で動いてしまっている。

 この流れを止めるほどの理由があるかといわれれば、困った顔で「無い」と答えるしかなかった。

 そして女騎士はというと、自分を捕食者の目で見ている少女が何者であるか、ようやく気づく。


「あ、貴女はまさか……モラル様!?」

「せいかーい。 街のために働いて領主の覚えめでたくなりたかったってところだろうけど、貴女の出る幕なんてこれっぽっちも無いの。

 ごめんねぇ」


 もう、逃げ場は無い。 震え上がる女騎士に、モラル神が食指を伸ばす。

 だが、突如としてその力が何かに遮られた。

 目の前にピンクの花びらがいくつも舞い散る。


 ――助かったのか?

 いまいちその実感が無い女騎士は、無言のまま宙を見据える。


「いや、モラルさん。 いくらなんでも、自分の宗派の人間に手をかけちゃ不味いでしょう。

 神様なんだから、もう少し人に優しくしたほうがいいですよ?」

「なによー、いきなりいい子ぶっちゃって! この子が無礼なことするから悪いんじゃない」


 意外なことに、女騎士を助けたのはクーデルスであったようだ。

 続いて、パキッと甲高い音と共に空中に雪の花が舞い散った。

 どうやらモラルの神罰が防がれたことに気づき、ベラトールがこっそり氷結の呪いをかけようとしたようである。


「ベラトールさんも、自分の街の住人なんだから、少しはかばってあげたらどうなんですか。

 そんなんだから、シロクマなんて呼ばれるんですよ。 これだからシロクマは」

「シロクマシロクマと連呼するな。 だいたいお前こそ魔王でろあう?

 神にむかって道徳を語るでないわ!」


 だが、問題は彼女を助けた相手である。

 聞き間違い出なければ――。


「魔王!?」

「どうもー、南の魔王クーデルス・タートと申します。

 ええ、ぜんぜん知らずに声をかけたんでしょうねぇ、わかりますよ」


 クーデルスは胡散臭い笑みを浮かべ、わざと間延びした声でそう名乗った。

 言うまでも無く、魔王は人類の敵だ。

 そんな存在が神と密会?


 ようやく彼女は、自分がとんでもない場所に飛び込んでしまったことに気づく。

 そして、へなへなとその場に座り込んだ。


「おやおや、状況を理解してしまったようですね。 お可哀想に」

「ねぇ、クーデルス。 もしかしてその女の肩を持つ気?

 あいかわらず女には甘いんだから」


 モラルから恨みがましい視線と言葉が飛んでくる。

 だが、クーデルスはそんな彼女に向かってなだめるような台詞を返した。


「まぁまぁ、そう言わずに。

 誰も犠牲にならないですむなら、それに越したことは無いじゃないですか」


 それでもモラルの責めるような視線は強くなるばかりである。

 クーデルスが困ったように視線をベラトールに移すと、シロクマはゆっくりと頷いた。


「一応、話だけは聞こうか」

「ありがとうございます。

 この女騎士ですが、廃人にしたり氷漬けにしてしまったらそこでもうお終いでしょ?

 それではただのウサ晴らしで利益がありません。

 何の償いにもなっていないじゃないですか」


 一見してかばいだてしているようにも聞こえるが、その根底にあるのは、徹底した実利主義である。


「そもそも、美女は大切な資源です。 限りある資源は、大切に使わなくては。

 ところでこの女性に、無礼を贖ってもらういいアイディアがあるのですが、興味ありませんか?」


 その、笑顔と共に繰り出された台詞によって皆が理解する。

 ――たぶんこの男が一番ヤバい。

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