第40話
だが、そんなユホリカ神の言葉に異をはさむ者がいた。
「まぁ、そう結論を急ぐ事は無いと思いますよ?」
それが誰かなど、説明する必要も無いだろう。
なにせ、そんな事ができるのはたった一人しかいないのだから。
「貴方がそれを言いますか。 諸悪の根源の癖に」
アモエナの体を借りたユホリカ神が、ジロリと冷たい視線をクーデルスに向ける。
しかしクーデルスの反応はと言うと、軽く肩をすくめただけであった。
「アモエナさんの体を借りた状態でそんな目を向けないでください。
ゾクゾクしてうっかり新しい世界の扉を開きそうになります」
「気持ちの悪い感想をどうも。
そのまま新しい世界に旅立って帰ってこなくてもよろしいですよ。
どうせ、ロクな事はしないのですから」
けんもほろろな言葉だが、クーデルスはそんな反応ですら楽しんでいるように見える。
まさに常人には理解しがたい神経の太さだ。
「酷い言い方ですね。 まぁ、そのあたりの誤解はいずれちゃんと話をしましょう」
さすがに言葉遊びをしている場合ではないと思ったのか、クーデルスはようやく本題に切り込む。
「それよりもですね、許しの道を与えるのもまた神の役目ではないかと思うのですよ」
その瞬間、全身に悪寒が走ったのはユホリカ神だけではあるまい。
――悪魔のようなお前がそれを言うのか?
そんな突っ込みを飲み込んで、法廷のあちこちからウッと呻き声が幾つも聞こえてきた。
「この者達にまだ改心の余地はあると?」
吐き気をこらえるような声でユホリカ神がたずねると、クーデルスはネコが舌なめずりするような笑顔を浮かべる。
「全く無いとは言い切れないでしょう?」
「逆に言えば、全く無いに等しいということですよ。
次に馬鹿な事を考えるものが出ないよう、人々に厳しさを示すのも神の道です」
神としてあまりにも無慈悲な言葉であるが、それでもクーデルスの思惑通りに事を進めるのは危険だと思ったのだろう。
本来の慈悲深さを押し殺し、ユホリカ神は冷徹な仮面を自らに貼り付けた。
そしてその判断は正解だったといえよう。
なぜならば、クーデルスがこう告げたからだ。
「五十年前の再現というのはいかがでしょう?」
その言葉に、一瞬だけユホリカ神が顔色を失った。
「それでは見せしめでは無いか!」
「いけませんか? 誰も死なないし、厳しさも示せますよ?」
そのやり取りで、人々は一つの物語を思い出す。
それは、永遠の命を求めてとある悪魔を呼び出した魔術師と、その生贄にされた女の物語。
結果として魔術師は女に裏切られて不死を手に入れそこない、女は魔術師の代わりに二度と死ねない体となった。
――自分の首一つの状態で。
今でもこの街のどこかで、死ねない女の首は自らの罪を嘆きながらその贖罪の日々の終わりを呪いの根源である魔王に嘆願しつづけているという。
そして、その物語に登場する悪魔こそ、生命を司る南の魔王……クーデルス。
つまり目の前にいるのは、伝説の魔王そのものなのだ。
「……冗談ですよ。 いくら私の名前がクーデルスでも、伝説の魔王がこんなところにいるはず無いじゃないですか」
クックッと喉の奥で笑いながら、クーデルスは意味ありげな視線をユホリカ神に送る。
その意味をユホリカ神はとっさに理解し、頭上に広がる裁きの雲の動きを止めた。
クーデルスの上に雷が落ちないのを確認し、人々はホッと胸をなでおろす。
対照的に、真実を捻じ曲げなければならなかったユホリカ神は苦々しい表情を浮かべていた。
「たちの悪い冗談はやめなさい」
「では、本当の提案を」
そして人の心臓が止まりかねない冗談を投げた後とは思えない気軽さで話を切り出すと、クーデルスはこんなことを言い出したのである。
「対象者全員に、困っている人々を助けるという善行を行う
その罪の深さに応じて成さなければならない善行の数を決め、その
予想外の提案に、ユホリカ神は押し黙ったまま何度かまばたきをした。
何か落とし穴があるのではないかと疑っては見たものの、特に問題点は見つからない。
それがかえって不気味であった。
「驚くべきことですが、貴方にしては悪くない提案ですね。
あと、一つ問題が残っているのは理解しておりますか?」
「ええ、街中に広がっている変異した魔法植物ですよねぇ」
つまり、あの魔法植物の天敵とやらを教えろという意味である。
わかってますよといわんばかりに頷き、クーデルスはこの一連の策略の最後の種明かしを口に始めた。
「あれは繁殖力の無い一代限りの植物で、寿命も長くないからほっといてもあと数日程度で全部枯れますよ」
あの魔法植物の天敵とは、すなわち時間。
まさに何もしなくても時間が解決してくれる話だったのだ。
「つまり、最初から拡大しないように安全装置をかけていたということですか……この故意犯め」
完全に手のひらで踊らされたことを悟り、ユホリカ神のみならずその眷属や聴衆たちまでもが力なくその場にへたり込む。
「悪い話ばかりではないはずですよ?
あの白い霧にはもうひとつ副効果があって、人間の生命力よりも先に病魔の生命力を奪う性質を持っているんです。
ですので、現在のこの街には虫歯の患者さえ一人もも存在しないはずですよ」
その言葉を聞いた何人かが自分の頬を押え、今更のように驚きの声を上げた。
どうやらクーデルスの言葉は真実であるらしい。
「そこまで気遣えるというのなら、なぜもっと最初から手段を選ばないのですか」
恨みがましい口調で呟くユホリカ神だが、クーデルスは思いもよらない言葉を返した。
「……罰ですよ」
「罰?」
「ええ、悪党が蔓延るままにまかせ、ユホリカ神を信仰しながらも自らの正義のために戦うことをしなかった、この街の人間たちへのね」
思えば、フェイフェイが露骨な嫌がらせをしてきたときに、その悪事を糾弾しようと立ち上がる者は一人もいなかったのである。
それはユホリカ神の教えに背く行為であり、罪といえば罪であった。
だが、力なき者が力ある者を糾弾するという事が、どれほどの勇気を必要とする行為なのか……それをまったく知らないクーデルスではない。
そもそも、そのような環境を作り出したのは、その責任は誰に問えばよいのか?
――全員、すこし痛い目にあいなさい。 その仮初の平和の中で寝ぼけた魂をたたき起こしてあげます。
その答えとして与えた罰がこの大騒ぎであり、この顛末と言うことなのだ。
全ての者が言葉を失う中、クーデルスは高らかに宣言する。
「なにはともあれ、一件落着です。
さぁ、閉廷しましょう」
そしてこの一連の騒動は数日をかけて完全に終わりを見せた。
――数日後。
「きーっ! 悔しい! くやしぃぃぃぃぃぃぃ!!」
クーデルスの宿泊している宿の一室から、ヒステリックな女性の声が響き渡る。
その声の主は、カッファーナであった。
「ドルチェスさん。 カッファーナさんは何を暴れているのですか?」
「原因の貴方がそれをいいますか」
問いかけるクーデルスに、ドルチェスは呆れてため息をつく。
だが、当のクーデルスは腕を組んで首を捻るばかり。
「はて、心当たりはありませんね」
すると、ドルチェスはもう一度ため息をついてから、その理由を語りはじめた。
「先日の裁判ですよ。 あの事件の騒ぎが大きくなりすぎて、女領主アデリアの物語を発表しても大した話題にならないような状態になってしまったんですよ。
そういえば、なぜカッファーナか怒り狂っているか、理解できますよね?」
すると、クーデルスはやっと思い出したとばかりに手を打った。
「あ、そういえばこの街にきた理由ってソレでしたねぇ」
次の瞬間、クーデルスの後ろからカッファーナが襲い掛かる。
その手には、謎の粘液。
「コノ、オバカ! コウシテクレル! コウシテクレル!!」
「あぁっ、カッファーナさん! 髪の毛に洗濯糊を塗るのはやめてください!
反省してます! 反省してますからっ!!
あぁぁぁぁぁっ! アイロンでプレスするのだけは何卒ご容赦を!! お慈悲を!!」
クーデルスの悲鳴を少し離れた厩舎で聞きながら、アモエナは一人苦笑いを浮かべていた。
「クーデルスって、肝心なところでなんか抜けてるのよね。
ほんと、馬鹿なんだから」
そう呟きながら、アモエナは新しい飼葉を縄でくくりはじめる。
「さ、次の街に行く準備をしましょ、ミロンちゃん。
次の街ではちゃんと公演できるといいわね」
アモエナがそう語りかけると、傍らの黒馬が同意するかのようにいなないた。
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