第37話

 街の中をいまだ真っ白な靄が覆い尽くす中、その裁判は行われた。


 訴訟を起こしたのは、この街でも知らぬものはいない大商人フェイフェイ。

 そして訴えられたのは、先日話題をさらったフードコートの発案者で、クーデルスという気味の悪い大男だという。


 なお、法廷となるのはフェイフェイと繋がりが深いイゾルディン派のユホリカ神殿。

 ユホリカ神に仕える法王が領主を兼ねるこの街では、裁判官=ユホリカ神に仕える神官であり、裁判の行われる場所もまた神殿であった。

 公平さを保つためにほかの宗派に属する神官たちを陪審員として招集する制度が取られているが、集められた陪審員たちもまた、フェイフェイとは浅からぬ付き合いのある連中である。


 つまり――クーデルスという男を法で袋叩きにする気だ。

 あまりにも露骨なそのやり方に、街の人々は眉をひそめる。

 それは風評を落としかねないやり方であり、商人としてあまり賢い方法とはいえなかった。


 いったいなぜそんな事に?

 どう考えても不可解である。

 フェイフェイほどの商人が、そこまでやらなければならないほどクーデルスという男に追い詰められているとでもいうのか?


 いずれにせよ、この裁判が街に起きた異常事態の原因とその責任を問う内容であるということだけは伝わっており、この異常な状況にも関わらず、法廷には多くの聴衆が殺到していた。


「では、これより裁判を始める」

 厳かさを装った裁判長の低い声で、公開処刑が始まる。

 すると、まずこの神殿に勤めている神官の一人が訴訟内容の読み上げはじめた。


「訴えによれば……被告人クーデルスは、経営難になったフードコートを買い取ったフェイフェイ氏を逆恨みし、譲渡したフードコートに植物型の魔物を設置。

 フードコートの運営を妨害し、フェイフェイ氏に経済的損害を発生させた。

 さらには発生した植物型魔物によって街に多大な被害を与え、その責任をフェイフェイ氏に擦り付けようとした。

 相違無いな?」


 神官がそう告げると、その場にいる者の全ての目が黒いローブ姿に、長い前髪で顔を覆い隠した大男に注がれる。

 すると、クーデルスなる男はのんびりした口調でこう反論した。


「ひどい誤解ですね。 お伺いしますが、私がそのような魔物をどうやって街の中に運んだというのですか?

 聞けば相当に巨大な代物だそうじゃないですか。

 フェイフェイさんみたいにコネや権力のある方ならばともかく、私にそんな事はできませんよ」


 まったくもって正論である。

 ただし、クーデルスという男を良く知らなければの話だが。

 もっとも、知っていたならばこの男を裁判の場に呼ぶなどと言う愚挙は決して起こさないだろう。


「黙れ! お前以外の誰がやるというのだ!!」


 神官がそう叫んだ瞬間、法廷の場に幾つも失笑が生まれた。

 論拠の無い完全な言いがかりであり、とてもでは無いが法廷の場にふさわしい台詞ではなかったからである。


 そしてクーデルスは周囲の反応をみて満足そうに笑うと、まるで子供に言い含めるかのようなゆっくりとした口調で、哀れみすら滲ませながら反論を述べた。


「たくさんいるでしょう?

 商人なんて、 財力が増えれば増えるほど敵も増えるものでしょうに」


 まさにその通りである。

 商人の世界など、一皮剥けば嫉妬と悪意の見本市のようなものだ。

 財力の山を築くという事は、その足元に地獄へと続く人望の穴を掘るようなものである。

 どんなに誠意と善意をもって綺麗な商売をしようとも、周囲の羨望という悪徳から逃れる事は難しいのだから。


 そしてクーデルスの言葉に反論したのは、訴訟を起こしたフェイフェイその人であった。


「だが、それでもあのフードコートの土地に手を加える事ができたのはお前だけだろうが!

 そうだ、あれは小さな苗の状態で予めフードコートに持ち込まれていたのだ!

 そしてお前がフードコートを手放した後も生長し、このような事態が引き起こされた、そうだろ!!」


「静粛に。 原告は許可を得てから発言をお願いします」

 興奮したフェイフェイをなだめるかのように、裁判長の声が間に割ってはいる。

 すると、クーデルスが手を挙げて発言の許可を求めてきた。


「被告人、発言を許可します」

「では、申し上げます。

 推論を事実として押し付けないでくださいませんか?

 そもそも、なぜ私がそんな事をしなければならないのです?

 フードコートは順調だったのに」


 すると、再びフェイフェイが吼えた。


「だが、潰れたではないか! お前は自分の失敗を悟ったタイミングでアレを仕掛けたのだ!

 そして、私に植え付けた化け物ごとあの土地の使用権を売りつけた、そうだろ!!」

「私の作ったフードコートで異変が発生して突然売り上げがなくなってから、貴方に売りつけるまでの間、いったいどのぐらいの時間があったと?

 そんな仕掛けをする時間はありませんよ」


 まさに正論である。

 ただし、発言の主がクーデルスでなければの話だが。


 この男ならば、仕掛けすら必要とせず数秒で同じ現象を引き起こすだろう。

 だが、そんな事はこの場にいる誰も知らない。


 そして当のクーデルスはといえば、いけしゃあしゃあと自分の力を隠してフェイフェイを糾弾しはじめる。


「そもそも、あのフードコートがダメになったのは、フェイフェイさんがならず者を引き入れたからじゃないですか」

「何を証拠に!」

「本人たちの証言です。 なんなら直にお聞きなさいますか?

 ……ロザリーさん、連れてきてください」


 すると、突然に法廷の扉が開き、鎧姿の美女に率いられて傷だらけの男たちが入ってくる。


「ロザリスだといっておるだろうが。 いい加減しつこいぞ!」

「彼らこそは、フェイフェイさんに雇われて私のフードコートの営業妨害にやってきた男たちです。

 そうですね?」

 ロザリスの不満を聞き流しつつクーデルスがそうたずねると、やってきた男たちは大きく頷いた。


「はい、俺達はそこのフェイフェイに頼まれてフードコートの営業を妨害しました……こ、これでもう逃がしてもらえるんですよね!?」

 よほど酷い目に合ったらしく、男たちはみんな涙目である。


「誰だ、そいつらは。 私は知らんぞ。

 そもそも、お前がその男たちを脅かして嘘の証言をさせている可能性もあるのだが?」


 確かに契約書などがあるわけでもなく、男たちの証言を裏付けるものは何も無い。

 すると、クーデルスは大きく頷いてこう宣言した。


「裁判長、私は"裁きの雲"の発動を求めます」

 "裁きの雲"とは、ユホリカ神に仕える高位の聖職者が発動できる奇跡であり、その効果範囲で虚偽を口にしたものは即座に裁きのいかずちに打たれるという代物である。


 だが……イゾルディン派は神の奇跡を重視する宗派ではなく、その教義を中心とした世俗の権力を重視する宗派であった。

 そんな宗派であるため、その神官たちもほとんど奇跡を起こすことは出来ず、出来たとしてもお情け程度のものである。


 公にはされていないが、目の前の裁判長もご他聞に漏れず神の奇跡を使う事はできない。

 彼に出来るのは、裏金の管理と政治的な駆け引きが関の山であった。

 もっとも、それですらクーデルスからしてみれば子供のおままごとのような代物でしか無いが。 


「不許可である! その必要は無い!!」

 侮辱されたと思ったのか裁判官は顔を真っ赤にし、ツバを飛ばしながらクーデルスを睨みつける。

 だが、返ってきたのは余裕たっぷりの態度と、思いもよらない言葉であった。


「最初から貴方には求めてはいません。 こちらでご用意させていただいております」

「なんだと!?」


 驚く裁判官をよそに、再び法廷の扉が開かれる。

 そして入ってきたのは、豪奢な薄紅の法衣に身をつつんだ老人であった。


「ご紹介しましょう。 ご存知の方も多いとは思いますが、ユホリカ教トリストラム派の大司教であらせられる、ゴルヴナル猊下です」


 その瞬間、法廷になんともいえない空気が漂い始めた。

 無理も無い。 イゾルディン派とトリストラム派は同じユホリカ教でありながらも、互いを異端として罵りあう仲なのだから。


 多数の宗派があれば、必ずどこかと仲が悪くなるのが道理。

 フェイフェイがイゾルディン派の神官たちを抱きこんで訴訟を行うのを見越したクーデルスは、すぐにその宗派の敵対勢力を探したのである。


 そしてクーデルスはトリストラム派の神官たちを秘密裏に抱き込んで、この法廷の傍聴席にその首魁である大司教を呼んでおいたのだ。


 敵の敵は、味方になりえる。

 逆に言えば、誰かを味方につけたならば、その味方の敵もまた自らの敵となりえる……実に単純な話に過ぎない。

 そこにユホリカ神に頼んで神の託宣という名の仲介をくわえれば、完璧である。


「さぁ、猊下。 ともにユホリカ神の正義を世に示しましょう」


 クーデルスが声をかけると、大司教ゴルヴナルは大きく頷き、しわがれた声で祈りの言葉を唱えた。


「我が義と誠意において、聡明なるユホリカ神に願いあげる。

 この祈り御身に届かば、御身が力のしるし、虚偽を憎む裁きの雲を遣わしめ給え」


 すると、ユホリカ神は大司教ゴルヴナルの祈りに応え、法廷の天井に桃色の雲が立ち込めはじめる。


「さぁ、これで誰も嘘がつけなくなりましたね。

 審議を再開しましょう」


 クーデルスがにこやかに宣言すると、彼に敵対する者たちは揃って顔を青くしたのであった。

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