第32話

 数日後の事である。


 フェイフェイが自分の家で書類の整理をしているとね遠くから大きな悲鳴が聞こえてきた。

 ――いったい何事だというのだろうか?


 聞き間違え出なければ、悲鳴を上げているのは彼の家の執事を纏め上げている家令である。

 いつも冷静な彼がここまで取り乱すとは、どう考えてもただ事ではない。


 様子を確かめようと、フェイフェイが椅子から立ち上がったその時である。


「大変です、フェイフェイ様!」

「いったいどうしたのだ、騒々しい」


 悲鳴を上げながら入ってきたのは、執事の一人であった。

 しかも、彼はなぜかポットを抱えている。

 そして、まったく意味のわからない言葉をまくし立てたのだ。


「お茶が……お茶がお茶になりません」

「馬鹿か、お前は?」


 フェイフェイが不機嫌も露にそういい捨てると、その執事は口から泡を飛ばしつつもう一度説明を試みた。


「ですので、お茶を淹れたのに、お茶にならないんです! 見てください!!」

 そして、今まで大事そうに抱えていたポットをフェイフェイに差し出し、その中身を見せ付けた。


「なんだこれは?」

 思わずフェイフェイは首をかしげる。

 そこに入っていたのは、確かに茶ではなかった。

 ただ色のついたお湯の中で、緑の葉っぱが揺らめいている。


「先日手に入れた茶葉で茶をお淹れしようと思ったところ、このような状態でして……」

「くっ……してやられた!!」


 その瞬間、フェイフェイは理屈ではなく感覚的に理解した。

 どうやら、あのクーデルスという名の男に嵌められたようである。


「例の茶葉はどのぐらい配った!?」

「先日おおせつかったとおり、すでに最上位ランクのお客様全てに配送済みでございます」


 青い顔をしながら、執事は認めがたい事実を口にした。

 ザァッと音を立てて血の気が引いてゆき、思わずフェイフェイは床に膝をつく。


「まずい……これはまずいぞ!!」

「だ、旦那様、お気を確かに!!」


 いったい何をどうやったのかはわからないが、おそらくクーデルスから買い叩いた茶は全て使い物にならないだろう。

 持ち帰るまでの間に偽者とすり替えたか?

 だが、そんな隙はなかったはずである。


 いったいいつの間に?

 少なくともフェイフェイが飲んだ時は本物の茶だったはずだ。

 だからこそ、先日の黒胡椒に関わる悪評を打ち消すため、フェイフェイは貴族たちへの贈り物として使ったのである。


 だが、それが思いっきり裏目に出た形だ。

 まさか、それも最初から全て計算した上でこのようなことを?

 あのフードコートを作るところから、全て奴の策略だったというのか?


 そんな事を考えていると、さらに別の使用人が駆け込んでくる。


「フェイフェイ様! 公爵家から使いの方が……」


 こうして、彼の生涯最悪の事件は始まったのである。

 そう、この事件はまだ始まったばかりなのだ。




 その頃。 リンデルクの旅籠では、ドルチェスがクーデルスに文句をつけていた。


「クーデルスさん、お茶を上手くいれる事ができないんですが」


 どうやら、クーデルスの部屋においてあった鉢植えの茶葉を勝手に使おうとしたのだろう。

 ポットを手にしたドルチェスを見るなり、クーデルスはそんな事を推測して苦笑いを浮かべた。


「何を当たり前なことを。 生の茶の木の葉からまともに茶が出来るはず無いでしょ」

「……え?」


 クーデルスの言葉に、ドルチェスが思わず間の抜けた声を漏らす。

 すると、クーデルスはポットの中の茶葉を全て抜き取り、少し自慢げな調子でこんなことを言い出した。


「茶に携わる者ならば当たり前の話ですが、茶の木の葉とは、揉んだり乾燥させたり蒸したり発酵させたりして、けっこうな手間をかけてようやく茶葉になるのです」


 だから、クーデルスの部屋にある生きた茶葉をむしりとり、そのままポットのお湯に突っ込んだところで茶は出来ない。

 出来たとしても、味も香りもほとんど無い色だけのものになるのが関の山だ。


「ちょっと待ってください、クーデルスさん。

 貴方、その生の茶の木の葉をフェイフェイさんに売りつけましたよね?

 しかも、その場ではちゃんと茶を淹れていたじゃないですか」


 あの時、確かにクーデルスは生の茶葉を使って茶を淹れていたはずである。

 それは今の言葉と矛盾してはいないだろうか?

 すると、クーデルスはわが意を得たりとばかりにニヤッと笑った。


「だからあの時いったでしょ? あら不思議・・・・・。 美味しいお茶が出てきます……ってね」

「あぁぁぁぁぁっ!?」


 気が付くと、ドルチェスは大声で叫んでいた。

 その声がよほどうるさかったのだろうか、隣のベッドで寝ていたカッファーナが目をこすりつつ顔を出す。


「そういえば、あのあとすぐにクーデルスさんは手品に誰も気づいてくれないと漏らしていましたね」

「……なに、なんか面白そうな話ね」


 どうやら感性に触れるものがあったのだろう、カッファーナが状況説明を求めてきた。

 すると、クーデルスは少し待つように言ってからストーブに火をつけ、そのうえにドルチェスが持ってきたポットを置く。


「何があったかといいますとね……」

 そしてお湯を沸かしながら、カッファーナに先日の事を語り始めた。

 やがて、ドルチェスに話しをしたところまでを説明しおわるった頃、ちょうどポットのお湯が沸騰する。


「へぇ、なんか面白いことしていたのね。

 ちなみに、そのお茶はどうやって淹れたの? 生の茶葉ではお茶にならないんでしょ?」


「いやぁ、まさにそれですよ、カッファーナさん。

 誰も突っ込んでくれないから少し困りました」


 困ったといいつつ、クーデルスはその唯一むき出しになっている顔のパーツ……男性的で形の良い唇に意地悪な笑みをたたえながら、痛烈な皮肉を口にした。


「まさか茶について私よりも詳しいフェイフェイさんが、こんな基本的なことも知らないなんて事は思いませんけどねぇ。

 どうして驚いてくれなかったんでしょうねぇ?

 だって、そうでしょ?

 茶を売るなら絶対に相談しろなんていってのけた方が、茶について全くしらないド素人だなんて、ねぇ?

 そんな恥ずかしい事があるはず無いじゃないですか」


 気持ちよさそうに笑いながら、クーデルスは荷物の中から乾燥した茶葉を出し、空のポットの中に放り込む。


「ちなみにね、あの時はこうやったのですよ」


 そう告げると、クーデルスはさらに先ほど抜き取った生の茶葉を放り込んだ。

 さらに、鼻歌を歌いながら沸騰したポットに少しだけ水を足して温度を下げると、茶葉の入ったポットに熱湯を注ぐ。


 そう、クーデルスの手品とは、予めポットの中に乾燥処理をした茶葉をいれておいたという、至極単純な仕掛けであったのだ。


「……思いっきり詐欺じゃないですか」

 唖然とするドルチェスにクーデルスは指を突きつけ、からかうように左右に振った。


「詐欺だなんてとんでもない。ただの余興ですよ。

 詐欺だとしても、私より茶葉に詳しい方が引っかかるはずが無いじゃないですか。

 今頃は私から買い取った茶葉をちゃんと乾燥させるか発酵させているはずです。

 まさか……」


 そこで言葉を区切り、クーデルスは笑みを深めた。

 長い前髪の隙間から、邪な歓喜に満ちた翡翠色の光がチラチラとこぼれる。


「生の茶葉を、そのまま貴族の皆さんに配ったりはしてないはずですよねぇ?

 しかも、先日のパトルオンネで起きた事件による風評を消すための賄賂にするなんて事はありえない話です。

 彼が、本当に私より茶葉に詳しいなら……ね」


 ゾクッ。

 気が付くと、ドルチェスは自分の全身の毛が恐怖で逆立っていることに気づいた。


「さぁ、せっかくだから茶を召し上がってください。

 とても美味しいですよ?」


 すっかり身も心も冷えてしまったドルチェスに、クーデルスはいつもの柔らかな笑みを浮かべつつ茶の入ったカップを差し出す。



「……ありがたくいただきましょう」


 この、なんとも名状しがたい気持ちを切り替えるためにも、暖かな飲み物はありがたい。

 ドルチェスは迷わずカップを受け取る。


 クーデルスが振舞った茶は、彼の言葉通りとても美味しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る