第17話

「かくして、かつての婚約者からも、契約した悪魔からも自由になったアデリアは、その伴侶であるダーテンと結ばれ……」


 音楽家の美しい歌声と演奏が、物語のフィナーレを飾る。

 その場に居合わせた観客たちは大興奮で、中には涙まで流している者もいた。

 音楽家の技量の高さもあるだろうが、これは紛れも無い傑作である。


 ……さて、すでにお分かりだろうか。

 隣の国の出来事をもとにしたという脚本は、なんとハンプレット村にいるアデリアたちの物語だったのである。


 だが、その話の流れはかなり手を加えられていて、ハンプレット村の開拓はアデリアの発案となっていた。

 そしてクーデルスは、彼女に協力するフリをして悪の道に誘う完全に悪役である。

 大体の筋としては、開拓を推進するために悪魔と契約した女領主の物語としてまとめられていた。


「私、がんばったのに。 一杯、がんばったのに」


 物語が終わる頃、クーデルスはいじけて地面に『の』の字を書いていた。

 あまり長時間は眺めていたくない光景である。

 目に見えないスピードで回転する指からはうっすらと煙が立ち上っているので、火災予防の観点から見ても早めの突っ込みが望ましかった。


「あの、どうしたんでしょう、彼。 なんだか凄く落ち込んでいるみたいですが」


 物語が終わり、皆から惜しみない賞賛を浴びる音楽家と脚本家だが、一人黄昏ているクーデルスを見つけて焦りを覚える。

 何か、不味い部分でもあったのだろうか?

 そして彼らは、クーデルスのほうに心配そうにチラチラ目をやりつつ、顔見知りであろうアモエナにクーデルスの様子についてたずねた。


「あ、あんまり気にしなくていいわよ。 あの人、自分もクーデルスって名前だから、それで拗ねているだけだし」

「あぁ、なるほど、 たしかにそれは余り良い気分ではありませんね」


 アモエナがそう説明すると、ようやく納得したのか音楽家と脚本家が胸をなでおろす。


「それにしても、素敵な曲だったわ。 特に最後のあの告白シーン」

 目を閉じたアモエナが、うっとりとした表情で手を合わせた。

 今も音楽が耳に残っているのか、彼女は小さくサビ部分を歌いながら、無意識にステップを踏み始めた。

 そして……その行動が彼らにとって大きな転機を与える。


「ほぅ?」

「これは……」

「いや、驚きました」

 踊りだしたアモエナを見て、最初にクーデルスが。

 それに続いて、音楽家と脚本家が驚きの声を上げた。


「どうしたの?」

 ただならぬ様子に、思わず踊りを止めて振り向くアモエナ。

 そこにあったのは、笑顔と賞賛であった。

 戸惑うアモエナに、クーデルスが優しく微笑む。


「いえ、初めて聞いた曲に即興で振り付けをしたというのに、妙に様になっていたから驚いたのですよ。

 貴女、振り付け師の才能があるのかもしれませんね」

 やや興奮気味なのか、いつもより早口なクーデルスだが、その後ろからさらに興奮した声が響き渡った


「それだけではありません! 音楽とリズムに合わせて、歌いながら踊るというのは、新しいですよ!

 しかも今、台詞をそのまんま歌にしていませんでしたか?」


 音楽家が興奮するのも無理は無い。

 この世界の演劇では、歌は歌、台詞は台詞で分けるのが普通である。

 今のアモエナのように、台詞が途中から歌となり、そのまま歌を台詞として扱うという事はしないのだ。


「あ、ごめんなさい。 私、普通に台詞を言っていたつもりだったんでけすど、つい音楽のほうに引きずられてしまって……」

「いえ、すごくいいですよ、それ!」


 偶然ではあるが、それはこの世界における新しい表現の方法であった。

 そして和気藹々と今の踊りについて語る中、背後から不気味な声が聞こえてくる。


「ふ、ふふふ……うふふふふふふ、きましたわぁぁぁぁぁ!! あはぁーっ、はあぁぁああああああ!」

 突然叫んだのは、脚本家であった。


「これぞ芸術の新境地! この興奮と感動を……あぁ、いかにすれば文字にする事が出来るのか!!

 むきぃぃぃぃぃぃぃもどかしぃぃぃぃぃぃぃぃぃおえあぁぁぁぁあああ!

 ハンプレット村の伝説をぉぉぉぉぉぉ、歌と踊りと音楽が融合した新しい表現方法でぇぇぇ!

 あぁぁぁぁぁぁ、書きたいぃぃぃ! 脚本が書きたいぃぃぃぃぃぃ!! むごあぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁ!!」


 元々はそれなりに整った顔の女性なのだが、今は口からはヨダレを垂れ流し、目は白目をむいており、怪しい薬物を摂取したか、禁断の儀式により変なモノが取り憑いたとしか思えない形相である。

 頭をかきむしりながら、何か強烈な幻覚と戦っているような有様に、店のスタッフたちは恐怖にかられ、クーデルスですらあっけにとられていた。


「あ、気にしないでください。 奇天烈な感じですが暴れたりはしないので、うるさい以外に実害はありません。

 カッファーナにアイディアが降りてきたときはいつもこんな感じなんです」


 カッファーナとは、目の前で奇態を繰り広げている脚本家の女性の名前だろう。

 いつもこんな感じだとか、苦労しているんだろうな。

 しみじみと語る音楽家に、居合わせた何人かは同情を感じずにはいられなかった。

 

「うぼあぁぁぁぁぁぁぁ!

 ドルチェスぅぅぅぅぅぅ! 帰るのよぉぉぉ!

 宿に帰って、このあふれんばかりの衝動を原稿に叩きつけるのぉぉぉぉ!

 新たな世界が私をぉぉぉぉぉぉぉ待っているぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


 今にも第二宇宙速度で大気圏外に飛び出しそうなカッファーナだが、ドルチェスと呼ばれた音楽家は苦笑いでそれを引き止める。


「カッファーナ、落ち着いて。

 帰る前に、このお嬢さんの名前を聞いておかなきゃならないでしょ。

 アイディアに行き詰まったときに、話を聞きたくなっても名前も知らないのではどうにもならなくなるし」


 その瞬間、狂気の瞳がアモエナを捉えた。


「ア゛ァナァァァァタァァァァ! お名前ハァァァァァァァァ!?」


 人間からさらに遠ざかった声で、カッファーナはアモエナの名を尋ねる。


「あ……アモエナだよ。 隣にいるのは、クーデルス」


 一瞬、偽名を使う事も考えたが、それを実行するには勇気が足りなかった。

 恐怖のあまり、アモエナはクーデルスの背中に隠れ、その引き締まった腰をぎゅっと抱きしめる。


「ウヒヒヒヒヒヒ、イィーオ名前ェエエ!

 アナータ、ワターシ、劇団作ゥル! 新シイ劇団ツクゥール!

 モンテスク、邪魔ァァァァ! 違ウ街、スバラシィィィィィィ!!」


 もはやカッファーナの言動は、普通の人間には理解が難しいレベルに至りつつあり、アモエナには何が言いたいのかよくわからなかった。

 聞く限り、この街を救った妖精モンテスクと敵対する邪悪な妖魔から仲間に誘われているような気がするのだが、それが正解である自信は全く無かった。


「えっと、翻訳すると、私達で新しい劇団を作りませんか……と言っています。

 それと、この街ではモンテスクの流行のせいで劇場などを押さえるのが難しいから、違う街に行きませんかと言うことなんですが」

 すかさずフォローに入ってきたドルチェスが、カッファーナの台詞を翻訳する。


「それは良いですねぇ」

「クーデルス!? 本気なの?」

 即答するクーデルスを、アモエナは思わず問いただす。


「だって、先ほど貴方も褒めていたでしょう?

 カッファーナさんの脚本と、ドルチェスさんの音楽性には目を見張るものがあります。

 たぶんこの二人、天才の類ですよ」

「ヒヒヒ、ワタシ、天才ヨォォォォォォォ!!」


 クーデルスの言葉には説得力があったが、カッファーナの奇声がすぐさまそれを台無しにする。

 天才と何とかは紙一重と言うが、これは正直、その両方の複合体だ。

 生半可な覚悟では扱いきれない。


「それに、アモエナさんとワタシだけで旅をするよりも、ずっと稼ぎやすくなりますよ?」

「そ、それは……そうかも知れないけどさぁ……」


 なおも迷うアモエナだが、クーデルスはその頭を優しく撫でた。


「大丈夫ですよ。 私が隣にいますから。

 カッファーナさんも原稿を書き始めれば落ち着くと思いますし」


 そういわれると、アモエナも強く反対派できない。

 どうやら了承を得たことを感じ取ると、ドルチェスは微笑みながら優雅に一礼した。


「では、改めまして。

 私は音楽家のドルチェス。 ビオロンという楽器の演奏家でもあります。

 そしてこちらはワタシの妻で脚本家の……」

「妻ぁぁぁっ!?」


 常識人だと思えるドルチェスだが、このカッファーナを嫁に出来るところを見ると、只者では無いのかもしれない。

 アモエナはこの先の未来に何が待っているのか、一抹の不安を覚えた。


「ワタシの名はカッファーナ!

 ワタシの名はカッファーナなのぉ!

 ワタシの名はカッファーナなんでしてよォォォォォ!

 いぁ! いァ! カッファーナ!

 ワレ ハ 天才脚本家 カッファーナ! コンゴトモヨロシク!!」


 そして今ここに、色んな意味で普通では無い、天才たちの集う芸能集団が誕生したのである。

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