第14話

「ねぇ、クーデルス。 この街の人って、歌や踊りには興味ないのかしら?」


 踊り始めてから一時間。

 アモエナは絨毯のうえで力なく項垂れていた。


 目の前には大勢の人が歩いていたが、箱の中には一枚のコインも無く、アモエナはまったく見向きもされなかったのである。


「いいえ。 むしろ関心は高いほうでしょう。

 大道芸人は他の街に比べても多いほうですし、それだけの芸人が集まるという事は、関心が高い証拠です」

「じゃあ……なんで私の踊りには見向きもしないのよ」


 恨みがましげな視線を向けてくるアモエナだが、クーデルスは涼しげな顔で切り捨てる。


「それは私が答えるべきことではありません。 自分でお探しなさい」

「意外と冷たいのね」


 怒りと失望を隠そうともしないアモエナだが、クーデルスは心外だとばかりに肩を竦める。


「むしろ優しいと思いますよ? 短絡的に助けることだけが優しさではありませんので」


 在り来たりな台詞だが、かつて気の赴くままに人の世に介入し、慈悲という名目で怠惰の罪を量産していた大悪魔が口にすると趣深い。


「……答えの探し方なんてわからないよ」

「しょうがない甘えんぼさんですね。 まずは、街のほかの芸人がどんな芸で稼いでいるか見てまわりませんか?」

 だが、アモエナ拗ねた口調ではき捨てると、待っていましたとばかりにクーデルスは甘い言葉を囁き始める。

 本人に自覚があろうがなかろうが、結局この男はこうなるのだ。


「うん、そうね。 まずはそれからだよね」

「幸い、この公園にもたくさんの芸人たちがいます。

 先ほどこの街の冒険者ギルドに薬草を収めてきたので軍資金にも余裕がありますから、好きなだけ見るとよろしい」

「うん、私……がんばる」

 抱擁感あふれるクーデルスの台詞に、その甘さと危うさを知らず、アモエナはその差し出された手を握り返す。

 そして真剣な目つきで周囲を見回すと、手当たり次第に目に付いた芸人のパフォーマンスを観察しはじめた。


 アモエナが最前列で目をぎらつかせ、芸人たちに鬱陶しげな目で見られると、すかさずクーデルスがコインを投げてその機嫌を取りなおす。

 そんな事を何度繰り返しただろうか?

 やがて一通り芸人たちの踊りを見終わった頃、アモエナは再び項垂れていた。


「私の踊り……地味ね」

 ボソリと呟いた言葉に、クーデルスは大きく頷く。


「ええ、そうですね。 あの踊りはそもそも人に見せてお金を稼ぐものではないし、村の伝統行事で子供が踊る代物です。

 振り付けも単調で簡単だし、テンポもさほど速くない。

 ……私は好きですけどね」


 最後の取ってつけたような言葉に、アモエナは思わず苦笑いを浮かべた。

 たぶん本心からの言葉なのだろうが、それをそのまま受け取る事ができない今の自分が酷く惨めに思える。


「クーデルス、最初から知っていたでしょ」

 ――私の踊りが、お金にならないことを。

 悔しくて口にする事もできない言葉が、胸の中にひどく突き刺さった。


「もちろんですよ。 でも、私がそれを言っても貴女が単に傷つくだけでしょ?

 どうせ傷つくなら、意味のある傷でなきゃ困ります。

 痛みが避けられないのなら、尚の事」

「嫌味な優しさね」


 だが、この上もなく正しいやり方だ。

 きっと、最初にクーデルスがそれを指摘しても、アモエナは反発するだけで何も学ぼうとしなかっただろう。


 それを恨むのは筋違いで、とても卑怯だ。

 だが、クーデルスはそのダメなアモエナをありのままに受け入れる。


「落ち込んでますか?」

「ええ、もうボロボロで、今すぐ宿に帰って枕に顔をうずめて泣きたい気分だわ」


 何とか笑顔を作りながら、冗談めかして本音を漏らすと、ふいに大きな腕が背中に回る。

 そしてクーデルスは、その分厚くて逞しい胸にアモエナの顔をそっとうずめた。


「今、ここで泣いても良いのですよ。 私の胸では枕の代わりにはなりませんか?」

 見上げると、クーデルスの目が優しく見下ろしていた。

 初めて見る眼鏡と前髪の向こうは暗くてよく見えなかったが、その優しげな緑の瞳だけはなぜかはっきりとわかる。


 ――やめて。 そんな優しい目で見られたら、強がりの仮面がはがれちゃう。

 気が付くと、目の前が涙で滲んでいた。


 自覚すれば、もう止まらない。

 まるでダムが決壊するように、アモエナは大声を上げて泣いていた。


 クーデルスの胸にすがりつくように。

 この世の理不尽さに怒りを叩きつけながら。


 そんな彼女を慰めるように、季節はずれの梔子くちなしの香りが鼻先を掠める。

 おそらく、彼女の声を周囲に漏らさないよう、クーデルスが魔法の花を咲かせたに違いない。


 とても惨めで、優しくて、幸せな記憶。

 彼女は心の中で呟いた。


 ――おそらく、この時感じた全てを、私は死ぬまで忘れないだろう。


 アモエナは泣けるだけ泣くと、クーデルスの胸から顔を起こした。


「気が済みましたか、アモエナさん」

「……泣くの疲れた」

 答えを返したその声はおそろしくかすれていて、そのあまりの酷さに呆れたアモエナは小さく笑う。

 

「じゃあ、お勉強をしましょう。

 街にいる踊り子の動きを全部見て盗むのです」

「私に出来るかな?」


 だが、その言葉に先ほどまでの不安は無い。

 ただ、ほんのちょっと誰かに背中を押してもらいたいときの、そんな気分の時の声。

 そして、目の前にいるのは誰彼かまわず人の背中を押して回る、優しくて困った悪魔だった。


「できますよ。 先ほどまでの貴女とは違いますからね。

 今まで、誰かの踊りを盗もうと思ってみた事はなかったでしょ?」

「……うん。 すごいと思った。

 今までも誰かの踊りを見て、綺麗だとかすごいとか思った事はあるけど、なんか違う意味ですごいと思った。

 お金を稼ぐって、ただ自分が楽しいだけじゃダメなんだなーって」


 語りながら、彼女は自分が見ている世界が完全に変わってしまったことに気づく。

 そんな彼女を優しい微笑で見つめながら、クーデルスはアモエナ背中を押す言葉を口にした。


「それは、貴女がただの観客から踊り子の卵になったからですよ。

 誇りなさい。

 他の人のもっている技術の凄さを本当に理解できるのは、貴女に才能……すくなくとも、踊りを見る目があるということなのです」


 アモエナの背に、ゾワゾワとした何かが駆け巡る。

 それはとても心地よく、毒のように刺激的で、涙ぐむほどの感動を彼女に与えた。

 この感情を、いったい何と呼べばよいのか彼女は知らない。

 だが、どうしようもなく前に向かって走り出したい、そんな気分であった。


「私……踊りたい。

 たぶん、下手糞だけど、さっき見てきた踊りを真似て踊ってみたい。

 無様でどうしようもないと思うけど、見てくれる?

 最初の観客は、クーデルスがいいの」


 その言葉を、クーデルスは嬉しそうな顔で受け取る。


「それはそれは。 とても光栄ですね、アモエナさん。

 ええ、ぜひ見せてください。 今の貴女なら、きっと今までよりも素敵に踊れますよ」


 すると、アモエナは無言で踊り始めた。

 泣きはらした顔のまま、不器用で、不恰好に。


 だが、なぜか人の目を惹きつける何かがそこにはあった。

 恐ろしく拙い踊りなのに、それはまるで緑の蕾が淡く色づいてゆくような、そんな短くて貴重な瞬間を見たような気分にさせるのだ。


 その踊りを見ながら、クーデルスはそっと空き箱を彼女の横においた。

 すると、偶然彼女の踊りを見た通りすがりの人間が足をとめ、しばらくアモエナの踊りを見た後に微笑みながら一枚だけコイン投げ入れる。


 何気なく投げられた、たった一枚のコイン。

 だが、それは彼女が始めて踊り子として誰かに認められた証。

 生まれて初めて、彼女が自分で働いて手に入れた収入であった。


 そんな喜ばしい出来事があった事も気づかず、アモエナはひたすら踊り続ける。

 まるで生まれたばかりの赤ん坊が、目を閉じて、ただ産声を上げ続けるかのように。


 後日、アモエナはそのコインを首飾りに加工したものを、クーデルスから渡された。

 彼女が、初めて前に一歩踏み出した証として。


 アモエナは、その贈り物を恥ずかしそうに、だがこの上もなく嬉しそうに受け取ったという。

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