エピローグ2:火傷する魔王

 アデリアが国中に婚約拒絶を告げてから、およそ一時間ほどたっただろうか?

 あの残念な結末にも関わらず、いまだ興奮冷めやらぬハンプレット村の様子とはうらはらに、まるで人目を避けるようにして役場に入ってくる大きな人影があった。


「こんなところに何かごようですの? クーデルス」

「おや、アデリアさん。 一連の騒ぎの主役である貴女こそ、こんなところで何をしてらっしゃるのでしょうか」

 アデリアに声をかけられて振り返ったその人影の正体は、クーデルスであった。

 その背中には、大きな背負い袋がぶら下がっている。

 まるで、遠い旅にでも出かけようとするかのように。


「質問に質問で返すのは失礼ではなくて?」

「そういわれると辛いところですねぇ」

 まるで返答をごまかすかのように、クーデルスは長い指で髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。


「諦めてさっさと白状したほうがよろしくてよ」

 クーデルスが何か答えるよりも早く、アデリアは彼と視線を合わせたまま告げた。


「……出てゆくおつもりなのでしょう? この村を」

 その問いかけに、クーデルスは答えない。

 しかし、否定もしなかった。

 ただ、気まずそうに唇をゆがめるだけである。


「先にわたくしがここに来た理由を申し上げるなら、貴方をこのまま逃がさないためですわ」

 そんな台詞をはきながら、アデリアはその体で出入り口のドアを塞いだ。


 むろん、物理的には何の意味も無い。

 クーデルスがその気になれば、アデリアに怪我一つ負わせることなく排除する事も可能である。

 だが、彼は困ったように一つため息をつき、降参とばかりに肩を竦めた。


「……どうしてわかっちゃったんでしょうね?」

「バレないほうがおかしくてよ。

 だって最近の貴方、まるでわたくしが一人で仕事が出来るかを試すように、ずっと観察しておりましたでしょ?

 それに、今回のダンジョンの改造も、自分ひとりで出来るところをわざとドワーフに頼りましたわよね。

 まるで、これからの私たちが貴方無しでどうやって大きな仕事をするかの手本を見せ付けるかのように」


 まるで批難するかのような口ぶりであったが、彼女の声にはどこかすがるような響きがある。

 だが、それも仕方が無い。

 彼女にとってのクーデルスとは、恋人であるダーテンとは別の意味で大きな支えである。

 師や父親と言うよりは、頼りになるけどどこか抜けている兄といったような存在だろうか?

 いや、それとも……。


「もし、わたくしが……ずっとここにいてほしいと。

 どこにも行かないでと言ったら、どうされます?」

 まるで愛の告白をするような、どこか熱を帯びてに浮かれたような声。

 耳にすれば、その切なさに心乱されぬものはいないだろう。


 だが、クーデルスは困ったように、だが優しい目で彼女を見下ろした。


「そういわれましてもねぇ……だって貴女、もうすっかり成長してしまったじゃないですか。

 これ以上私がここにいても、かえって成長を妨げてしまいますよ?

 私は、これ以上貴女を私の色に染めるべきでは無いと思うのです」


 最初から、クーデルスはいずれアデリアをおいて出てゆくつもりだった。

 その理由は、アデリアのためである。

 ……というのも、彼は自分の性格を良く知っていたからだ。

 気に入った人間を、甘やかしてしまう――もはや、どうにも克服しがたい性のようなしろものを。


 このまま甘やかしてダメにしてしまうぐらいならば、依存する癖がつく前に出てゆこう。

 彼女を、自分の劣化コピーにしてはいけない。

 だから、独り立ちできるだけの土台を作ったら、そこで手を放すのだ。

 多少間違えたことをしてしまっても、ダーテンが隣にいれば力ずくでどうにしてくれるだろう。

 それがたとえ身を引き裂かれるような痛みを伴おうとも、それが正しい道なのだから。


「わたくしならば、きっと大丈夫……などと傲慢なことを言うつもりはありませんわ。

 多少知恵をつけたところで、たかが小娘ですもの。

 貴方がそう判断したのならば、それに意見するなどおこがましい事は言いません。

 ただ、貴方の意志を尊重するかわりに、一つお尋ねしたい事がありますの」


 それは若者らしくない、酷く老成した言葉と態度であった。

 クーデルスは内心で苦笑する。

 こんな若い娘にそんな台詞をはかせてしまうとは、我ながらずいぶんと酷い鍛え方をしたものである……と。


「せっかくですから、お答えしましょう」

 アデリアの望みを受け入れるクーデルスだったが、彼はすぐに後悔することになる。

 なぜならば、彼女がこう問いかけたからだ。


「貴方、なぜ私とダーテンを結び付けようとしたの?

 最初はあなた自身がわたくしを求めていたのではなくて?」


 何と言う恐ろしい質問だろうか。

 気まずいにもほどがある。

 その瞬間、クーデルスは自分の顔が前髪で隠れていることに感謝していた。


「それは……貴方が一番幸せになるにはどうしたらいいかと考えた結果ですね」

「まぁ、それは酷い話ですわね」

 クーデルスが搾り出すようにして出した答えを、アデリアは一言で切り捨てる。

 そして、二十歳にも満たない歳とは思えぬほどの色香を漂わせながらクーデルスを責めた。


「わたくしのプライドが傷つくとは思いませんでしたの?」

「……すいません、それは予想外でした」

 彼女の言葉は、クーデルスにとってまさに晴天の霹靂である。

 だが、冷静に考えてみれば、自分に言い寄っていた男が他の男を紹介して自分から身を引くなど、お前にはもう興味が無いといっているようなものだ。


 今更ながらに気づいたのか、クーデルスの唇が引きつり、背中に嫌な汗が流れる。

 そんな様子を、アデリアは仕方が無いとばかりに笑った。


「本当に……あれだけ謀略には強いのに、恋愛に関してはぜんぜんダメな方なのね。

 だから、このわたくしにも、貴方に一つだけ教えて差し上げる事がございますのよ?」

 一体、これは何だろうか?

 少なくとも、今のアデリアはクーデルスの知っているアデリアとは何かが違った。


「貴女が? 私に? それは何でしょう」

「恋よ。 貴方、愛は知っていても恋を知らないわ」

 そんな台詞と共に、アデリアは爪先立ちになっててを伸ばし、クーデルスの長い前髪をめくり上げ、度の入っていない伊達眼鏡を奪い去る。


「だから、教えてさしあげますわ」

「アデリアさん……何を!?」

 次の瞬間、アデリアの細い腕がクーデルスの首に絡みつき、戸惑いの色に染まる緑の瞳を自分のほうへと引き寄せる。

 そして、なすすべもないクーデルスの唇を強引に奪った。


 甘く、切なく、そして激しい。

 柔らかい感触とは裏腹に、それは劇薬のようにクーデルスの心をかき乱す。

 その口付けは、捧げると言うにはあまりにも自分勝手で、愛情と呼ぶには乱暴すぎた。


 これは、いったい何だというのか?

 悪意を伴っていないのというのに、こんな理不尽で激しい感情を、クーデルスは知らない。

 挙句の果てに、自分の中の雄を刺激されクーデルスがおずおずと応えようと手を伸ばした瞬間、何の前触れもなくアデリアの体が離れた。


「はぁ、スッキリしましたわ」

 クーデルスから腕を離すなり、アデリアは爽やかな笑顔でそんな台詞を口にする。

 いったい、何がスッキリしたというのだろうか?


「な、何をするんですか、アデリアさん! 痴女じゃあるまいし!!

 こんなんことされて、こっちの気持ちはどうするつもりなんですか!!

 だいたい、これはダーテンさんに対する裏切りですよ!!」

 クーデルスとて、別に悟りを開いているわけではない。

 憎からぬ感情をかかえた美少女に抱きつかれてキスでもされたら、心穏やかでいられるはずも無く、体の一部がしっかりと反応していた。


「それは違うわ。 むしろ、裏切らないためにしたのよ。

 心の隅にいつまでも貴方に居座られたら困りますもの。

 気づいてなかったでしょ? わたくしが、貴方に強く惹かれていた時期があったことを。

 それを……よくも勝手に見限って別の男に押し付けましたわね?」

 アデリアの口から飛び出したのは、まさかの恨み節。


「だから、貴方にキスをして、自分を満足させてあなたへの想いをお終いにしたの。

 私の心の一部を奪ったまま逃げ出すなんて、許しませんわ」

「そんな身勝手な! ひどい……酷すぎる」

 自らの劣情を持てあまし、クーデルスは一人身悶える。

 だが、彼は理性を振り絞って紳士の振る舞いを保った。


「それが恋と言う感情ですわ。 実に罪深いでしょ?

 理解しろとは申し上げません。 百人いれば、おそらく百の恋の形がございますでしょうから。

 ですが、少なくとも、私にとっての恋とはそういうものですのよ。

 迂闊な火遊びのツケを払うがいいわ、優しすぎる私の魔王」

「や……やられてしまいました」

 そのまま、力なくクーデルスは床にひざをつく。


「さよなら、クーデルス。

 貴方、なかなかいい男でしたわよ」


 かくして、大切ものを奪ったまま逃げ出そうとした罪深い南の魔王は、聡明な女にコテンパンにされてしまいましたとさ。

 めでたくもあり、めでたくもなし。

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