エピローグ1:アデリアの告解
『皆様にご説明しましょう』
突如、そんな声と共に水幕に映る映像が切り替わり、アデリアの姿が映し出される。
すると、地鳴りのように鳴り響いていた人々の罵声がピタリとやみ、彼女の言葉に耳を傾けはじめた。
『国王陛下よりサンクード殿下の廃嫡の宣言があった事は、皆様の耳にも届いておりますでしょう。
ただし、それには撤回の条件がございまして、その条件こそわたくしを再び婚約者として迎え入れることでございました』
その告白に、人々は再びざわめく。
あれほどの事をしておいて、今更もう一度婚約?
ありえなかった。 少なくとも、心情的には。
サンクードによるアデリアとの婚約破棄の顛末は、その後の見世物的な仕打ちも含めてこの国では知らぬものはいない。
『かつてわたくしが一方的に婚約を破棄された事は、皆様もご存知の通りだと思います。
それこそ、当初は恨みながらも未練を抱えておりました。
ですが、それも今や過去の事。 今のわたくしには、他に愛する方がいるのです』
観衆は理解した。
そして激怒した。
苦難と苦痛の果て、ようやく愛する人とめぐり合った少女に対し、王家はふたたび鞭打つようなことをしたのだ。
このような無体が許されるものか。
『しかし、どんなに言葉を尽くしたとしても、サンクード殿下は諦めては下さらないでしょう。
そこで、わたくしは一計を案じました』
言葉を区切ったアデリアに、人々の視線が注がれる。
いったい、この少女はどんな作を考えたのであろうか?
『サンクード殿下に試練を与え、それを成し遂げたならば、お互いの関係について考えなおしてもよい……と。
殿下は何か勘違いをしてらっしゃったようですが、むろん再び婚約者となるつもりはありません。
ただ、口も利きたくないほど毛嫌いする態度を改めるという意味です。
そしてわたくしはこのチキチキダンジョン猛レースを企画し、関係を修復する条件の一つとして殿下にも参加するよう求めました』
なるほど、一見して筋が通っているのだが、民衆は納得しなかった。
あのような勝ち方をした男と関係を持っても、良い事など何一つあるはずも無い。
なぜそんな事を?
『ええ、もちろんちゃんと真意は別にあります。
彼にはイベントに参加しろとだけしか伝えておりませんが、その試練とはこのイベントで優勝することではなかったのです』
その発言に、観客たちの口からホォと感嘆のため息が漏れた。
『そもそもこのダンジョンは、サンクード殿下が婚約者であったセレーサ嬢から隠れるために作られたもので、最下層の居住区へはダンジョンを通らずとも隠し通路を通ればすぐに到着します。
そして、わたくしはこの隠し通路をわざとそのまま残してもらいました。
理由はもうお分かりですね?』
アデリアはそこで言葉を区切り、重々しい声で告げる。
『そう。 サンクード殿下の心根を試すためにです』
考えてみればあたりまえの前の話だが、アデリアは最初からサンクードにこのイベントで優勝するような物理的な強さなど求めていなかったのだ。
『このイベントに参加した方々は、めいいっぱい努力して、嬉しさも悔しさも噛み締めたことでしょう。
そしてその姿に国民の皆様も感動を覚えたはずです。
ですが、隠し通路を使えば、殿下は最初から簡単に優勝する事ができたのですよ。
ただし、参加者の努力を、そして皆さんの感動と涙を踏みにじり、忌むべき記憶に変えることと引き換えにです。
だからこそ、そんな方法は使ってほしくなかった。
そんな手段に手を染めるような事は王にふさわしく無いと理解してほしかった』
――だって、それでも一度は愛し、婚約までした人だから。
口にしなくとも、そんな台詞が胸のうちからにじみ出る。
そんな切ない心に、人々の目じりに涙が浮かんだ。
『もし、サンクード殿下がこの通路を使わずに、正々堂々と戦って敗北したならば、私は成果に関わらず試練を成し遂げたと認めたでしょう。
ですが、結果はご覧の通りです。
彼は安易な方法をとり、わたくしとみなさまの期待を踏みにじりました』
それは到底許されることではない。
ならば、その罪にどのような罰で報いるべきか?
人々はただ沈黙しもアデリアの言葉に耳を傾ける。
『だからわたくしは、皆様に問いかけます。
これが、次の王にふさわしい姿でしょうか?』
――断じて否である。
心の中でそう答えなかったものが、いったいどれだけ存在しただろうか。
そう、アデリアの真の目的とは、廃太子サンクードの本質を国民に見せつけ、自分の味方として取り込むことだったのである。
実にクーデルスの弟子らしいやり方であった。
――これで舞台は整った。
さぁ、想いの全てを告げよう。
観衆たちに問いかけた後、アデリアはしばし言葉を閉ざし、唇を噛みしめながら天を仰いで目を閉じる。
そのままアデリアは、この世界の誰でも無い……たった一人の男に語りかけた。
『ねぇ、サンクード殿下。
かつて、貴方はわたくしにとっての太陽でした。
私の世界の全てが貴方中心。
貴方の妻となる事がわたくしの存在理由であり、貴方を愛する事がわたくしの義務でした。
ええ、たとえそれが周囲から強いられた、偽りの愛だったとしても、確かにわたくしは貴方を愛していたのです』
その重く悲しみの滲んだ声に、観衆たちは思う。
人はここまで悲痛でありながら優しい声を出せるのかと。
『思えば、それはとても愚かなことでしたわ。
貴方を愛していた頃のわたくしは……結局のところはただの貴方の添え物でしたのよね。
貴方にとっては、魂をもたないただの道具。
アクセサリと同じね。 飽きたら、売るか捨ててしまえばいい。
もしもまたほしくなったら、買いなおせばいい。
そして、貴方はそうされたのですわ。 実に正しくてよ。
貴方から見たわたくしは、その程度の女だったのだから』
その時、アデリアを見て観客たちは思わず息を呑む。
自虐的な台詞と共に喉の奥で笑うアデリアの頬を、一滴のしずくが流れていたからだ。
『でもね。
学園で知識と言う青葉をあまりあるほどに貪りながら、自尊心を太らせるだけでその叡智の使い道を知らない……わたくしも貴方も、醜い芋虫でしたのよ。
けれど、貴方と違って、この村に来た私は芋虫のままじゃいられなくなってしまったのですわ。
そこにあったのは、今まで溜め込んだ知識を吐き出して糸を作り、支配者としての繭を纏い、明るい未来という綺麗な錦を作らなければならない生活』
アデリアの脳裏に、今までの波乱に満ちた生活が思い浮かぶ。
思えば、その時は必死すぎて泣きそうだったけど、思い返せば意外と楽しかったのかもしれない。
少なくとも、あんなに濃厚で有意義な時間は、今までなかった。
『そして次々と降ってくる難題を乗り越えるたびに、私は自らの心の繭の中に
それは、自分の居場所を探すための大きくて美しい翅でしたわ。
やがて私は、自分がいかに窮屈な慣習という名の蛹の中にいるのかと言うことについて、気づいてしまったのです。
今の私は、すでに過去の自分と言う蛹を脱ぎ捨てた後。
飛び方は悪い魔王が手取り足取り教えてくださいましたから、とても上手くなりましたのよ?
そして私は、自分の才能を活かし、この国初の女代官となり、自分の知恵と意志をもって人々を導くことに喜びを感じるような女になってしまいましたわ』
クーデルスの差し出した知恵の実を食べてしまった彼女は、もはや人から与えられるだけの安穏とした
だが、後悔は一つもなかった。
『だからもう、いつまでも芋虫を卒業できない貴方の隣で枝を這うような未来は選べませんの。
貴方を満足させるだけの、添え物のような女にはもうなれませんのよ。
寄り添う相手も、貴方とは別に見つけてしまいました。
私は……一羽の蝶のように自分の選んだ世界、色鮮やかな可能性の花咲く場所へと飛んでゆきます。
飛べない貴方を置き去りにして』
他人任せな
『だから、その証としてわたくしアデリアは多くの国民の目と耳のあるこの場において宣言いたしますわ』
そして彼女は、万感の思いをこめて告げた。
『サンクード殿下、貴方との婚約を拒絶いたします。 ――永遠に』
その時、観衆たちは、枝から芋虫が転げ落ちた幻を見たという。
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