96話

 その日、国中が熱い興奮に包まれていた。

 広場で群集がざわめく中、噴水によって出来た水のスクリーンに何かが映し出される。

 ――それは二人の男の姿だった。

 その瞬間、噴水を取り囲んでいた民衆が一斉に歓声を上げる。


「全国のファンの皆様、お待たせしました。

 チキチキダンジョン猛レース、ハンプレット村公認放送のお時間です」

 噴水の水が震え、落ち着いた低い男の声を紡ぎだす。


「いやぁ、解説のクーデルスさん。

 どうやら、昨日の夕方から今日にかけて、すごい状況の変化があったようですね」

「はい、その通りですガンナードさん。 日没直後なのでリアルタイムで見ていた方も多いでしょうが、まだの方のために、この時間はその過去の映像を解説付きでごらんいただきましょう」

「それでは、先日の映像を振り返ります。 どうぞ」

 すると、水幕に映っていた映像が切り替わり、ダンジョンの中の映像が映し出された。

 それは昨日のダンジョンであった出来事――。


「追いつめたぞ、サナトリア!」

「いかなお前とはいえ、染料の尽きかけた状態でこの人数に囲まれたら、もはや逃げる事はできないと思え!!」

 画面の中では真っ赤な髪の美少女が、複数の美少女たちによって囲まれ、追い詰められていた。

 赤髪の少女の手にした刷毛は毛先が乾ききっており、肩から提げたタンクの容器もどこかにぶつかるたびに軽い音を立てている。

 これでは反撃の手段も無く、まさに絶体絶命としか言いようの無い状態だ。


「追い詰めた? あぁ、たしかに絶体絶命だよなぁ、これ。

 ただし、お前たちにとっての話だがなぁ!

 くくくくくくカカカカカカカ!!」

 だが、赤毛の美少女の顔には、傲慢とすら思えるほどの余裕が浮かんでいる。

 ただのはったりブラフか、それとも何か秘策があるのか?


「……強がりブラフだな。 ここから染料の供給源まではかなりの距離がある。 攻撃手段がない以上、貴様に勝ち目はない!!」

「その通りだ。 悪いが、お前はここで討ち取らせてもらう。 覚悟しろ、サナトリア!!」

「恨むなら、派手に動いて目立ちすぎた自分を恨め!!」

 その言葉とともに、少女たちは包囲を狭めた。


『なるほど、たしかにこのエリアの供給源までは走っても5分はかかるでしょう。

 ざっと見て6人はいるであろうライバルの攻撃をすり抜けてそこまで辿りつけといわれたら、無茶だとしか言いようが無いですね。

 だが、彼らの前にいる人物は普通ではなかったのです』


 クーデルスの解説が流れる中、画面の中のサナトリアが意味の分からない言葉を紡ぐ。


「馬鹿だな、お前ら。 武器? 染料の供給源? あるじゃねぇかよ」

 その台詞を、その時は誰も理解する事はできなかった。

 ただ、サナトリアの事をを狂人を見るような目で見る者しかいない。


 しかしそんな視線を嘲笑うかの如くサナトリアは唇の片方を吊り上げ、不敵とも妖艶ともつかぬ表情を作る。

 その凄絶とも呼べる笑みに、水幕の向こうでは事の結末を知るファンの悲鳴と歓声があがった。


「戯言に耳を傾けるな! 一斉に襲い掛かれ!!」

「死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 サナトリアを取り囲んだ少女6人が、一斉に刷毛を振り下ろす。

 だが、サナトリアは体を低く構えると……手にした刷毛と染料のタンクを相手に向かって投げつけた。


「しゃらくさい!!」

 少女の一人が、自らの刷毛を振るってサナトリアの刷毛とタンクを弾き返す。

 刷毛やタンクに残った染料の飛沫が少女たちに襲い掛かり、サナトリアの行動はギリギリ規定の戦闘ルールの中だと判定された。


 だが、何人かはこう思っただろう。

 ――自棄を起こしたか?

 サナトリアの行動はあまりにも意味がなかった。

 タンクの中に入っていた染料はそれでも一人ぐらいは倒す程度の残りがあったはずである。

 なのに、それを意味もなくばら撒いただけだったからだ。

 これでは、最後の足掻きとばかりに一矢報いる事すらできなくなってしまったではないか。


 誰もがそう思った瞬間であった。


「ひひひ、いだきぃ」

 サナトリアの手が素早く動くと、なんと……最前列の少女の染料タンクを奪い去ったではないか。

 刷毛とタンクを投げたのは、他の誰かの持っている染料のたっぷり詰まったタンクを奪う隙をつくるためだったのだ。


「いったい、何のつもりで!」

「まずい! 逃げろ!!」

 そしてサナトリアは、奪ったタンクの栓を抜き取ると、別の少女に向けて中身をぶちまけたのである。


 そう、相手を倒すのに、何も自分の染料を使う必要は無いのだ。


「しまったぁぁぁぁっ!?」

 一瞬の光を残し、全身を染料で染められた少女の姿が消えた。

 予想外の展開を見て、重い沈黙が戦場を支配する。

 そんな沈黙を嘲笑うかのように、サナトリアが吼えた。


「うひっ、うひひひひ、ひゃはははははははははははは!!

 たぁーのしぃーなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 ほら、お前らももっと楽しめよ! いいだろ、この緊張感!

 なぁ、ちゃんと命の危機とか感じてるか? 俺は感じてるぜ?

 男の体だったら、ナニがビンビンになってはちきれそうになってるだろうよ!

 たまんねぇよな!! 最高だろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

 後でお前等の死に際の面を、晩御飯にさせてもらうぜぇぇぇぇぇぇぇ!! ひぃぃぃはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 下品で楽しげな笑い声とともに、サナトリアが駆け出す。

 対する残り5人の少女たちは、すでに腰が引けていた。


「あぁん!? ふざけんな!

 ちゃんと武器を構えろ! そんなへっぴり腰で俺の首が取れるか!!

 もっとやる気出せよ! 殺す気でこい! まだまだ悪意も殺意も足りなねぇなぁ!

 ほら、スリルがほしくて、わざと囲まれてやったんだぜ? 武器も使えないようにしてな!

 さぁ、俺を恐怖させろ! 殺し合いが出来ないのは我慢してやるからさぁ、せめてギリギリの戦いがしたいんだよぉぉぉぉぉ!!」

 どこか怪しい色香の漂う美少女の口から出るには、あまりにも異様な台詞。

 美しいとすら評価できるアルトなのに、聞く者はみな、背筋が凍りつくような恐怖を味わっていた。

 まさに、悪魔ですら避けて通る暗黒の魔女。


「ひ、怯むな! いくらヤツとて、タイミングを合わせて攻撃すれば、かわしきれない!!」

「まぁ、普通の奴ならな。 はぁい、残ぁん念ぇん」

 いつのまにか後ろに回っていたサナトリアの陰険な台詞が響き、指揮官役の少女の体を血のような赤い染料が塗りつぶす。


「くそっ、バケモノめ! まさか……まさかここまで力に差があるとは!!」

「うひひひひ! 嬉しいこと言ってくれるねぇ!

 最近、俺様よりずっとバケモノみたいな連中に囲まれていたせいでさぁ、ちょっと自信をなくしかけていたんだわ!」

 そこから先は、一方的な展開であった。

 サナトリアは笑いながら逃げ惑う少女たちから染料を取り上げ、別の少女にぶちまける。


「はっはぁぁぁぁ!! お前で最後だぜぇ! さぁ、どうしよっかな? どうしよっかな?

 さぁ、あらん限りのおぞましい想像をしてくれ。

 それを上回る悪夢があることを……じっくりと教えてやるよ」

「いっいやぁぁぁぁぁ! やめてぇぇぇぇぇぇ!!」

 そして最後の一人になると、サナトリアはその少女捕まえてから自分のタンクの紐で手足を縛り上げ、どこから引きずっていった。


「……とまぁ、これが昨日あった戦闘の記録映像です。

 この後、サナトリア選手の強さに心酔した視聴者から大量のポイントが入り、さらには彼の配下となる選手が何人も現れたようです」

「いやぁ、サナトリアさん、すでに悪のカリスマ状態ですね。

 ですが、よくご覧ください」

 クーデルスが手元の端末を操作すると、画面が切り替わり、ダンジョンの染色による得点の一覧が表示される。


「この得点のトップ10の中に、サナトリアさんのポイントが無いんです」

「つまり……サナトリア選手は、他の選手の妨害に専念していると?

 実に彼らしいプレイスタイルですね」

 結果に興味を示さず、ひたすら自分の楽しみ方を貫くスタイルは、確かに快楽主義者のサナトリアらしい。


「その通りです。 このままでは、サナトリア選手の優勝は無いと言い切れます。

 ただ、このままの状態が続くとは、どうしても思えないんですよ。

 なにせ、頭のいい人ですからね」

 ……というより、性格の悪いサナトリアが、得点に絡んでこないと知って安堵するような輩を放置するはずが無いのだ。

 むしろ、こうやって油断を誘っておいてから何か仕掛けてくると考えたほうがシックリと来る。


「いずれにせよ、サナトリア選手が今後の展開の台風の目となる事は間違いないでしょう」

「解説ありがとうございました。 そろそろお時間のようですね。

 この放送は、ごらんのスポンサーの提供でお送りしました。

 次の放送は2時間後です。 どうぞ、お見逃し無く!」

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