87話
「クーデルス、君、これを聞かせるために私をここへ呼んだね?」
その衝立の向こうから、穏やかな壮年の男の声が返事を返した。
「否定しません。 でも、ある程度は貴方も予測していたでしょ?」
「まぁ、君が何かに僕を利用しているとは思っていたよ。
だって、このままではボクにだけメリットがありすぎる」
そんなやり取りと共に姿を現したのは、先日からこの村に滞在している客人であった。
「……国王陛下。 な、なぜ、ここに!?」
毒気を抜かれた男爵令嬢が、呆然とした表情でその客人の正体を呟く。
そう、彼こそはこの国の王。
彼女の理想にとってもっとも邪魔になるはずであり、それでいながら最後の最後になるまでは絶対に敵対してはならない人物だった。
衝立から出てきた国王は、クーデルスが普段仕事に使っている椅子に腰掛けると、冷やかな目で男爵令嬢に目を向ける。
そして告げた。
「この耳ではっきりと聞かせてもらったよ。
まさか君が、このようなおぞましい思想に憑りつかれた反逆者だったなんてね。 とても残念だ」
「まって! ちがうの! 私は……私は!!」
必死で言い訳をしようとする男爵令嬢だが、焦るあまり口の利き方すら忘れていることにすら気づかない。
「言い逃れは聞きたくないね。 あぁ、汚らわしい」
男爵令嬢をバッサリと切り捨て、国王は事の成り行きを呆然と見ていた王太子へと声をかけた。
「サンクード」
「は、はい! 父上!!」
「この反逆者の首を今すぐはねなさい。 君の手で。
できるね? 君は王族で、彼女はその敵なのだから」
――出来なければ、王族たる資格は無い。
まるで明日の天気を語るような穏やかさだが、国王の言葉には明らかにそのような意味がこめられていた。
あまりにも冷徹な言葉に、その場の空気が凍りつく。
例外は、クーデルスとアデリア、あとは成り行きを面白がっているサナトリアぐらいのものだろうか。
そして、王太子サンクードは躊躇い無く刃物を抜いた。
男爵令嬢セレーサへの愛はとっくに尽き果てていたのだから、彼にとっては迷う意味すらなかったのだろう。
「え? そんな……うそでしょ、サンクード様?」
「よくも俺をたぶらかしおったな、この悪しき魔女が!!」
剣を振りかぶる王太子だが、男爵令嬢はそれをあっさり避けてそのまま逃げ出した。
無理も無い。
サンクードの腕前は闘神であるダーテンが思わず噴出しそうなほどの代物であり、逆に自分の恋人を探しにダンジョンまで突入する女に体術の心得が無いわけが無いのだから。
「いやっ、いやあぁぁぁぁぁぁ!! どうして! どうしてこんなことに!!
私はみんなを幸せにしようとしただけなのに!」
「ははは、酷い冗談だね。 王族と貴族を不幸にしようとしている時点でその言葉は嘘にしかならないじゃないか。
本当に馬鹿な娘だよ」
「ふざけるな、この能無し共!! お前等に支配者たる資格などないっ!!」
逃げ惑いながら叫ぶ男爵令嬢の台詞から、どんどん気品が失われてゆく。
化鳥も耳を塞ぎそうな声と台詞の応酬に、クーデルスは不愉快そうなに眉をしかめ、国王へと嘆願した。
「すいませんが、うるさいし床が汚れそうなので、外でやってもらえますか?」
「あぁ、すまないね。 すぐにそうしよう。 ほら、さっさと仕事をしたまえ」
国王が顎をしゃくると、この最悪な喜劇を見ていた王太子の護衛たちが、今更の如く動き始める。
そして、あっさり男爵令嬢を捕まえると、面倒くさそうに外に引きずり出した。
国王もまた、その最後を見届けるために部屋を出てゆこうとする。
「やれやれ、これでようやく一件落着ですね」
何事も無かったかのようにきびすを返し、仕事に戻ろうとするクーデルスだが、それを引き止める者がいた。
アデリアである。
「ねぇ、クーデルス。 一つ伺いたい事があるの」
「何でしょう、アデリアさん」
あまり気の無い声で返事を返すクーデルスに、彼女は真正面からこう尋ねたのである。
「全ての人が満ちたり、幸せになる方法って存在するの?」
「なぜ、私にそれを聞くのです?」
だが、知らないとは言わない。
だが、言いたくないのだろう。
この男、都合の悪い事があるときによくこのような言い回しをするのだ。
「教えなさい、魔王。 貴方が彼女をあぁも的確に追い詰める事ができたのは、それが貴方が通ってきた道だからよ。 違うかしら?」
クーデルスが無視して自分の席に行こうとするが、アデリアは彼の前に回りこんで立ちはだかった。
「まったく……そんなくだらないことを、なぜそうもしつこく聞こうとするのやら。
言いたくないの、わかっているでしょ? 意地悪しないでください」
「それでも知りたいのよ。 お願い、クーデルス」
「その通りですよ。 彼女を見ていると、まるで昔の自分を見ているようでいたたまれない気分になります」
「そして、貴方は答えにたどり着いたのね? セレーサと違って」
「ええ、私が長い苦しみの果てに見つけた方法は、二つ……存在します。
他にも何かあるのかもしれませんが、私は400年かけてたった二つしか見つかりませんでした」
そして、狂った善意しか知らぬ悪魔の王は、前髪と眼鏡の奥にある目を苦々しくゆがめながら語る。
「一つは、全ての人が智を極めてこの世の概念を克服する事。
ですが、智を極めるなど私にもまだまだ無理です。
むしろ、死者たちから様々な叡智を聞くことの出来る私の妹のほうがその境地に近いでしょう」
「南の魔王の妹……たしか、死を司る北の魔王の事ね。 もう一つは?」
問いただすアデリアに、クーデルスはすぐに答えなかった。
部屋の中に沈黙が訪れ、吐く息の音さえ聞こえそうな静寂の中、外から凄まじい絶叫が響き渡る。
どうやら、決着がついたらしい。
そして、その音が合図であったかのようにクーデルスが口を開いた。
「全ての不満は、自らが不幸であることを知ることから生まれる。
ならば……それがわからないように、全ての人から知性を奪えばいい」
だが、それは本当に幸せといえるのだろうか?
その答えは、魔王にもわからない。
「以前、一度だけ……とある国の賢者の望みを叶えるという形で実践した事がありますが、結果として私は失敗だったと思います」
「なるほどねぇ。 幸せを追い求める事が、必ずしも良い結果となるとは限らないのだね。
幸いなるかな、我々は今それを学んだ」
すると、そのやり取りが聞こえていたのであろう。
血の臭いを漂わせながら、部屋に入ってきた国王が涼やかな笑顔と共に感想を述べる。
「つーかよ、自分の幸せを人にあれこれ指図されるのはゴメンだわ。
少なくとも、あの女の言う幸せな世界ってヤツは俺にゃ窮屈そうでいけねぇや」
肩をすくめ、そんな感想を漏らすのはサナトリアだった。
確かに、あの男爵令嬢の求めた世界では、彼のような人間は生きにくいことだろう。
そしてガンナードもまた、自らの見解を述べた。
「そうだな。 たとえ王族や貴族のいない社会が実現したとしても、おそらく次は金を持っているやつといない奴で差別が生まれる。
その次は、コネと権力あたりかな」
「結局、今の不幸と差別の存在する社会のあり方自体が、人の望みの最大公約数なのかもしれないわ。
それを忘れて綺麗ごとだけで社会を治めようとすれば、どこかに齟齬が生まれ歪んでしまう。
本当に、理想と言うものは夢見ている間が一番綺麗ね」
そう呟くアデリアに、並み居る男たちは大きく頷くのであった。
「その賢いアデリアにお願いがあるんだけどねぇ」
突然そう切り出したのは、国王である。
何か不穏なものを感じたのか、クーデルスとダーテンが無言で間に割って入った。
その殺気すら漂う空気の中で、国王はしおらしい声でこう告げたのである。
「親馬鹿は百も承知で申し上げる。
ウチの息子に、もう一度だけチャンスをあげてやってくれないかな?」
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