85話
異変があったのは、その翌日だった。
「おい、陰キャラ熊男! これはどういうことだ!!」
怒鳴り込んできた王太子の腕には、目を閉じたまま動かないスイカ・ヴァルキリーが抱えられている。
元々呼吸もしない生き物なので、こうしていると死んでいるのか生きているのかの判別も出来ない。
だが、クーデルスは動かないスイカ兵士に顔近づけるなり状況を理解したらしく、小さく頷いた。
そしてなんでもないように呟く。
「あぁ、寿命がきてしまいましたか」
その発言に、多くの人間は納得し、何人かはやれやれと肩をすくめた。
そう、いくら人に近い姿をしていても、結局はスイカである。
言うまでも無くスイカの旬は夏であり、今はすでに冬の始めだ。
いつまでも元気に動いているほうがむしろおかしいのである。
「残っているものもそろそろ動かなくなりますね。 冬場から夏場にかけて動く新しいものを近日中に用意しますので、しばらく我慢してください」
「寿命!? 新しいものだと!? 貴様、自分の生み出した娘を何だと思っている!!」
口から唾を飛ばしつつ熱弁をふるう王太子に、クーデルスはひどく冷めた口調でこう答えた。
「確かに愛着はありますが、それはあくまでも作物であり道具ですよ?
勘違いなさるのはご自由ですが、自分の育てた作物を鎌で収穫し、煮物にして泣く農民がどこにいるんですか」
「俺にとっては作物なんかじゃないっ!!」
王太子の言っている事は、何も知らないで聞けば立派かもしれないが、事情を知る者から見れば感傷もいいところである。
これが我が国の跡継ぎか……と、周囲の空気もしらけるばかりだ。
しかも、忘れてはならない事がひとつ。
彼は婚約者持ちなのだ。
しかも、彼はこの村にやってきたその婚約者から隠れていたのである。
そして、この大騒ぎが彼女の耳に届かないはずも無く……。
「やっと……会えましたね、サンクード様」
王太子サンクードの背後から、熱に浮かされたような女の声が響いた。
「くっ、セレーサ。 まだいたのか」
だが、王太子は振り向くことすらせず、その声には再会の喜びどころかむしろ苛立ちしか感じられない。
少なくとも、愛すべき婚約者に対する態度では無いだろう。
「自分で出てくることが出来るなら、どうして私と会ってくださらなかったんですか!」
「うるさい! 今はお前に関わっている暇など無いっ!!
そもそも、お前は俺よりも孤児や貧乏人共のほうが大事なんだろ?
とっとと王都に戻ってそいつらの世話でも焼いていれば良いではないか!!」
涙目で詰め寄る婚約者に、王太子は視線を合わせずに怒鳴り散らした。
おおよそ、『私と仕事、どっちが大事なの?』という定番の台詞を、ちょうど男女逆にしたらこんな感じになるのかもしれない。
「ひどい! どうしてそんな事を言うんですか!」
涙を流しながら叫ぶ男爵令嬢に、王太子はますます辟易した表情を浮かべ、アデリアは軽蔑したような視線を向ける。
そして扇で隠した口元から、エルデルぐらいにしか聞こえないような小声で呟きが漏れた。
――釣った魚に餌をやりわすれるからこうなるのですわ。
だが、それよりも端的に事実を告げるものがいた。
クーデルスである。
「それは簡単ですよ。 貴女に価値がなくなっただけです」
その瞬間、男爵令嬢の目から涙が引っ込んだ。
わざとであるとしたら、見事な宴会芸である。
そしてハンカチを取り出すと、男爵令嬢は新しい涙をひねり出しつつ、その批難の矛先を王太子からクーデルスへと変更した。
まさかそれが、クーデルスによる誘導だとは疑いもせずに。
「どうして……どうしてそんなひどい事がいえるんですか!
私、こんなにがんばっているのに!!」
だが、その涙ながらの言葉にクーデルスは全く感銘を受けた様子は無く、眉間に皺を寄せながらため息をつく。
「がんばっていればみんなが認めてくれる……とても美しい妄想ですね。
私も自分の努力をみんなに認めてもらいたかったものです。
そろそろ現実を見てはいかがですか?」
全員が、心の中で『お前が言うな』と呟いたのは言うまでも無い。
「努力が尊いものならば、なぜ貴方は認めようとしないのですか! 私の殿下を返してください!!」
その時、全員がおかしいと感じていた。
普段のクーデルスであれば、胡散臭い笑みを浮かべながら『努力、友情、そして愛。 なんてすばらしく美しい言葉なのでしょうか。 貴女の努力が実るよう、私が手を貸してあげましょう』と、自己陶酔しながら呟くはずである。
なのに、今日に限って全く逆の立場をとっているのだ。
――あぁ、これは何か仕掛けているな。
今までつまらなさそうな顔をしていた連中が、一斉に耳をそばだてはじめた。
「わからないですか? 貴女のやっていることで迷惑を被っている方がたくさんいらっしゃるからですよ」
その時、全員の心の中で再び『お前が言うな』と叫び声が響いたのは言うまでも無い。
だが、当の発言者は知らん顔である。
鈍さと鉄面皮っぷりは、まさに鉄壁のハーフドラゴン。
「迷惑? 私はただ、貧しい人がいなくなって、みんなが平等に幸せになればいいと思って……」
ところどころ言葉を詰まらせながら、なんとか答えを返す男爵令嬢だが、その台詞が終わるのを待たずしてそこにクーデルスが言葉を挟んだ。
「そこですよ。 貴女、幸せって何だかわかりますか?
自分の理想が何なのか理解していますか?」
そんな台詞に対してとっさに言い返せるのは、よほどに詰まった哲学者だけだろう。
それを理解したうえで、クーデルスは男爵令嬢に釣り針つきの台詞を投げた。
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