82話

「さぁ、そんな事よりもせっかく友人・・が尋ねてきてくださったのです。

 この村のいいところにご案内しますよ」

 暗い顔をした客人であったが、クーデルスの友人と言う呼び方に気をよくしたらしく、その唇の端にわずかな微笑が浮かぶ。


 アデリアは、師であるクーデルスのえげつないほどの人たらしのやり方に、思わず感嘆のため息をついた。

 同時に、そのやり方を深く心に刻みこもうとし、呼吸すら忘れるほどに耳をそばだてる。


 なぜなら、それは彼女がかつて失敗したことだからだ。

 そう、王太子サンクードの手綱を取ることに失敗し、セサーレ嬢ごときに奪われたという、苦い経験である。


 かつての彼女は、王族たるものはその偉大さゆえに苦しくて当然であり、庶民のような息抜きや娯楽は諦めなければならないと信じていた。

 なぜなら、常に自分がそうした振舞いを心がけており、彼女にはそれが出来ていたからだ。

 さらに悪かったのは、それが他人にも出来て当たり前の事だと思っていたことである。


 だが、どうあがいたところで普通の人間には息抜きのようなものが必要であり、時にはその地位の呪縛から自由にしてやる必要があったのだ。

 ましてや、王太子サンクードは客観的に見ても我慢のきかない駄犬であり、むりやり王にふさわしい型にはめ込もうとすれば、激痛は避けられない。

 そして、アデリアはその痛みに耐えられなかった駄犬によって、八つ当たり半分に噛みつかれたのである。


 まぁ、そういう意味では王太子サンクードにも言い分はあるだろう。

 彼のような地位にある者はなかなか気楽に外を歩けないもので、その枷から解き放ってくれる存在は貴重だ。

 ましてや、先ほどのクーデルスのように言葉一つで的確にそれを成し遂げる者など、貴重と言うよりはもはや奇跡であるに違いない。


 さて、それに比較してセサーレ嬢やり方だが……下策もいいところである。

 躾の出来ていない駄犬を首輪から放してしまえば、本人は上機嫌かもしれないが、好き勝手に糞尿を撒き散らしながら知らない場所へも平気で踏み込んでしまい、迷子になるのは当たり前の事。

 駄犬を放ってしまった本人もまた子供なのだから、もはや収集がつかなくなるのは必然だ。


 結局のところ、アデリアがどうすればよかったかといえば、とっととサンクードから王位継承権を取り上げて、ドッグコートのような広くて迷子にならない場所に駄犬を閉じ込めた上で自由にさせてやることだったのである。


 ――まぁ、今更それに気づいても無駄……いいえ、むしろ今度こそうまくやらなくては。

 そう思いながらチラリと横を見ると、どうしたとばかりにダーテンが覗き込んでくる。


「どうかしたのか、アデリア?」

「なんでもありませんわ。 ちょっと、犬について考えていましたの」

「……犬?」

 意味がわからないとばかりに、ダーテンが首をかしげる。

 そんな仕草さえ、今はどうしようもなく愛しい。


 さしずめ、サンクードが我侭で手がかかるくせに人の言うことを聞かないアフガンハウンドならば、こちらはヤンチャだけど一途なゴールデンレドリバーといったところだろうか?

 人によって好みはあるだろうが、どちらかを選べといわれたら、今のアデリアは迷わず自分に寄り添ってくれる彼を選ぶだろう。

 ――だって私、自分が思っていたよりずっと寂しがり屋だったみたいだから。


 彼女がそんな事を考えていると、いつの間にかクーデルスと客人は外へと移動を開始していた。


「あっ、いけませんわ。 早く後を追わないと」

「……残っている書類はいいのか?」

「ええ、こうしますから」

 アデリアは机の上のにあった書類の半分を手に取ると、それを当たり前のようにガンナードの机の上に置く。


「おい、こら、御嬢! ちょっと待てって! 問答無用か!?」

 そしてガンナードの抗議を右から左へと聞き流し、彼女はダーテンの手をとって玄関から外へと抜け出した。


「それにしても、恐ろしいほど馴染んでますわね、あの二人」

「たしかにな。 今まで手紙でしかやり取りしたことなかったんだろ?」

 アデリアが見据えるクーデルスと客人は、穏やかに軽口をたたきあい、まるで十年来の友人のようにすら見える。

 そして彼らは村の中をあれこれ話しながら歩き回り、ふとある場所で足をとめた。


「ん? なんだね、あれは?」

 それは村の入り口近く。

 ダンジョンから帰ってきた冒険者たちとすれ違った時である。

 彼らの運んでいた大きな台車の覆いが風でめくれ、その中身が客人の目に入ったのだが、そこには客人が見た事の無い作物が載せられていた。


「あぁ、あれはビールの実ですよ」

「……過分にして知らなかったが、ビールとは木に生るものだったのかね?」

 額に手をやり、何かを考え込む客人。

 どうやら彼も、ようやくこの村のおかしなところに気づき始めたらしい。


「いいえ、あれは一般的なものじゃないですよ?

 この村だけで流通しているちょっと特殊な代物です」

 意気揚々と帰ってゆく冒険者を見送りながら、クーデルスは少し自慢げにそう語る。


「王太子殿下がこもっているダンジョンも、入り口の辺りだけは採算が取れるようにしてありましてね。

 せっかく集まった冒険者ですから、彼らにもお仕事をしてもらっているんです。

 仕事があれば人が集まり、人が集まればさらに仕事が生まれ、そうやって村は町となるのですから」

「君のやり方は、本当に政治的だねぇ」


 同じ経済を扱う場合でも、商人と政治家ではやり方がまるで違うのだが、クーデルスのやり方はあくまでも政治を軸においた代物であった。


 一番大きな違いは、雇用率と収益率のどちらに比重を置くかだろう。

 それこそ、金をもうけるだけならば、クーデルスが自分で栽培して自分で収穫し、自分で売ればいいだけの話なのだから。


 それを冒険者の仕事と言うことにして、雇用の拡大と安定を図るのは、どう考えても商人の考え方ではない。


「それはお互い様ですし、我々の育った環境を考えれば当たり前の事です。

 あぁ、ちなみにですが酒に関してはそれだけではないんですよ」

 そう告げると、クーデルスは村の細い畑道に客人を誘い、背の高いススキのような植物が生えている場所へと案内をした。


「この地域はかなり温暖な気候でしてね。

 水さえ確保できるならば、このようなものも栽培できるのです」

「これは……まさか!?」

 背が高いだけで、一見して地味な植物ではあるが、それを目にするなり客人の顔が驚愕に変わる。


「ご名答。 サトウキビですよ。

 もっとも、サトウキビには6つの種類がありましてね。 これは熱帯に生えるものとは別の……竹糖と呼ばれる種類のサトウキビです」

 それは温帯気候で育つ種類のサトウキビであり、日本でも和三盆と呼ばれる物のはこの種のサトウキビを材料に作られる。


 なお、栽培には恐ろしく手間がかかり、砂糖となるころには元の材料の4割程度に目減りするという難儀な代物だ。

 だが、それに見合うだけの味と価値を持つ、上流階級向けの高級砂糖の原料である。


「私はこのサトウキビの半分を砂糖にし、もう半分をラム酒と呼ばれる酒にしようと思っているんですよ」

 そういいながら、クーデルスはどこからとも無く一本の酒瓶をとりだした。

 ラベルは無い。

 まだ、試作段階でしかない酒である。


 クーデルスはそれの栓を指で引き抜いて、毒見をするように一口飲んでから、客人に差し出した。

 客人はそれを受けると、クーデルスと同じように瓶から直接口をつけて飲み始める。


「ほほう、これはいいね」

 予想外に強い酒精に驚いたあと、客人はにやりと笑って残りを一気に飲み干した。


「そんな飲み方は体に悪いですよ?」

「せっかくのいい気分なのだから、細かい事は言わないでくれたまえ。 とても好みの味だよ」

 眉をひそめるクーデルスに、客人はニヤリと悪餓鬼のような笑みを返す。


「お気に入りいただけたようでなによりです。

 ですが、まだまだ色々と問題がありましてね。

 これを作るための技術者が足りないんですよ。

 今はまだ私がどうにでもできるのですが……」

「つまり、君がいなくなった後もこれを作るための人材が必要と?」


 そのやり取りに、後ろで会話を聞いていたアデリアの体がビクンと震える。

 なぜなら、客人の言葉の意味……復興が終わればクーデルスがこの村からいなくなってしまう。

 なぜなら、クーデルスはこの地域の復興支援のために来ているのであり、仕事が終われば帰らなければならない。

 そう、この地の代官になってしまうであろうアデリアとは違って。


 そんな確定した未来に、彼女はようやく気がついた。

 いや、わかっていたけど、無意識に目をそらしていたのだ。


 その時……自分はどうするのか?

 クーデルスと別れてこの村に残るのが当然だろう。

 だが、心のどこかで誰かが囁くのだ。

 何もかも投げ出してクーデルスと共に新たな仕事に就くという選択肢もあるのではないか……と。


 思いもよらない誘惑と、残酷な未来の選択肢に、アデリアは小さく震えていた。

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