80話

 その弾丸のような生き物は、挨拶もなしに駆け込んできた。


「サンクード様がさらわれたって、どういうことですか!!」

 そんな台詞と共に開け放たれたドアのほうを見ると、一人の黒髪の少女が息を切らしながらクーデルスたちを睨みつけている。


 太目のりりしい眉、大きくて潤んではいるもののアデリアとは別の意味で気の強そうな目、そして人の言うことなんか何一つ聞きそうに無い頑固そうな声。

 おそらくは誰にも説明は要らない。

 これが件の男爵令嬢その人である。


 さて、一体誰がなんと答えるべきか?

 皆がそう考えつつも、視線は一箇所に集まる。


 ――お前がやれ。

 王太子を拉致したのはお前の仕業だろ。

 文字通り、問答無用でクーデルスに対応役の白羽の矢が立った。


 やれやれ、なんで私が責められるんですか?

 そんな台詞を言外に漂わせながらのっそりと前に出ると、クーデルスは欠伸をかみ殺しがらのフニャフニャした態度で、そろそろ顎に届きそうなほど伸びてしまった長い前髪の向こうから返事を返した。


「はい、魔物に襲撃されて、連れ去られたようですね」

 恐ろしいまでに他人事である。

 さすがはクーデルス。

 ここまで心のこもらない対応は、おそらく人間には出来ないだろう。


 不謹慎ではあるが、周囲の人間は笑いをこらえることで精一杯。

 サナトリアに至っては、包み隠さず机を叩いて笑い転げている。


「何暢気なことを言っているんですか! 今すぐ助けに行かないと!!」

 即座に噛み付く男爵令嬢だが、クーデルスにそんな正攻法が通じるわけもなく、彼は小さく首をかしげた。


「誰が探しに行くのですか?」

「貴方たちに決まっているでしょ!!」

「お断りします」

「どうして!!」

 もはや石か壁のほうがまだマシと思えるほどの塩対応である。

 クーデルスは前髪の中に指を突っ込んで眼鏡の位置を直すと、どうにも面倒くさそうな顔と声で淡々とした言葉を返した。


「まず、我々は復興支援のためにここに来ているのであって、王太子の護衛は任務に入っておりません。

 そして元々王太子の護衛をされていた方々ですが、彼らはすでに王太子を探すために外に出て、それっきり帰ってきておりません」

 なお、王太子の護衛は、すでに王太子の捜索に出たことにしてクーデルスが別の場所に匿っている。

 つまり、クーデルスが王太子に提案したプランは、【謎のハプニングによる行方不明】であった。


「では、村人たちにお願いして……」

「彼らに魔物の蔓延る場所を捜索しろと? 戦闘経験の無い村人たちですよ?

 この状況で探索に出ろというのは、村人たちに死ねと言う事になりますが、もちろんお分かりですよね?

 戦闘のプロである兵士が探しに行って一人も帰ってこないのですから、何か危険があると考えるのが普通です。

 あなた……酷い人ですね」

 何も考えずに村人を道具のように使おうとした男爵令嬢を、クーデルスがすかさず悪人に仕立て上げる。

 庶民を味方にして名を売っているこの女にとって、それは致命的な醜聞になりかねなかった。


 ここでクーデルスは判断する。

 この女、よほどの考え無しか、もしくは庶民の事などただの政治の道具としか思っていない俗物のどちらか、もしくは両方である……と。

 その瞬間、クーデルスの中でのこの男爵令嬢の価値は、0を通り越してマイナスに突入した。


 見れば、アデリアの隣で書類の整理をしていた村長も、怯えた目で男爵令嬢を見ている。

 おそらくは、緘口令を敷かない限り一週間でライカーネル領全体に今のやり取りが噂として広がるに違いない。

 そしてクーデルスにはそんな助言をする義理もなかった。


 さて、クーデルスに塩対応された男爵令嬢だが、次に目をつけたのは仕事の手を止めて事の成り行きを見守っていたガンナードである。


「そ、そうだわ! 貴方、たしか冒険者ギルドのギルドマスターよね!

 お願いです! サンクード殿下を探してください!!」

 だが、彼もまた冷めた口調で肩をすくめるだけであった。


「あいにくとウチは今、別の仕事で手が一杯なんですよ。 残念ですが、ご希望には添えませんね。

 そうでなくとも、『雇う』とも『幾ら払う』とも言わずに、自分の要望だけを押し付けてくるような方の依頼ではね。

 ……貴女に雇われたいと思うような奇特な人物には、ちょっと心当たりがありませんな」

 まさかの拒絶に、男爵令嬢は空気の足りない金魚のように、しばらく口をパクパクとさせていた。

 そしてしばらくすると、男爵令嬢は顔を真っ赤にし、目に涙を浮かべて哀れみを誘うような言葉を垂れ流し始めた。


 だが、それを見ていたアデリアが、こっそりと指で小さくバツを作った。

 隣にいる村長も、ウンウンとそれを見て頷く。

 どうやらこの男爵令嬢、自分のワガママが通らないと、自由自在に涙が流せる体質らしい。

 およそ同性からは汚物の如く嫌われるタイプである。


 まぁ、その涙も相手が15歳や16歳の子供になら通用するかもしれない。

 だが、ここにいるのは悪い大人たちである。

 しかも、何度も修羅場を潜った歴戦のつわもの達だ。

 誰一人とて、いまさら女の涙ごときで判断を鈍らせるような温い性格はしていない。


 一人涙ぐむ男爵令嬢の周囲に、白けた空気が流れ始める。

 それを男爵令嬢も感じ取ったのだろう……今度はいきなりキレた。


「もう、いいです! 私たちで探します!!」

「はい、がんばってくださいね」

 床板を踏み抜かんばかりに靴で蹴りつける男爵令嬢に、クーデルスが散歩を見送るが如く手をヒラヒラと振る。


 すると、男爵令嬢はとうとう怒りで頭のネジが飛んでしまったらしい。

 よりにもよって、アデリアに向かって声をかけたのである。


「アデリアさん! 貴女も貴女です! なんとも思わないんですか!? サンクード様の危機なんですよ!」


 場の空気が、突如として北風のように冷ややかさを帯びた。

 どうやらこの女、自分がアデリアに何をしたのか綺麗サッパリ忘れてしまったらしい。

 クーデルスは、自分の心のメモに『全自動都合の悪いこと忘却機能付き』と男爵令嬢の評価を書き加えた。


「何をおっしゃいたいのかよくわかりませんが、今の私は彼と何の情もございませんのよ?」

 おおよその予想に反して、アデリアは怒りなど微塵も見せなかった。

 手にした扇で口元を隠しながら上品な声で、困った方ね……と呟く程度である。

 まさに少女から貴婦人へと変わりつつある、実に優雅な立ち振る舞いだ。


 クーデルスからすれば、なぜこのアデリアを差し置いて、目の前の山猿を選んだのか……王太子の感性がよくわからない。

 まったくもって、女としてのレベルが違った。


 そして、余りにも男爵令嬢の振る舞いが不愉快だったのか、アデリアの代わりにダーテンがボソリとこぼす。


「自分が追い落とした女に容赦なく救援を要求するとか、すげぇ面の皮だな」

「まぁ、ダーテンさん。 追い落としたとか……そんな事をされた憶えはございませんわ。

 だって、あれは単にサンクード殿下の趣味が庶民的過ぎただけですもの。

 彼の悪趣味が私の品位に何か関係がございまして?」


 むしろ、そんな王族としてふさわしい女を見極める目の無い男など、願い下げ。

 言外にそう匂わせつつ、アデリアはダーテンのすっきりとしたラインを描く顎に指を這わせる。

 言うまでも無いが、ダーテンはサンクードなど比べ物にならない色男だ。

 ……少なくとも、見た目に関してはだが。


「も、もぅいいです! 貴方たちなんか、大嫌いです!!」

 ようやく彼女は、自分が相手にされていないことを理解したのだろう。

 再び飾り物の涙を目に浮かべると、男爵令嬢は叫びながら出て行った。


「いやぁ、見事なまでに自分本位な方でしたね。

 相手の都合をまるで考えないあたり、いかにも貴族育ちといったところでしょうか」

「アレを貴族の典型といわれるのは、いささか不本意ですわ。

 むしろ子供とおっしゃっていただけませんこと?」

「あぁ、なるほど。 すっきりしました。

 だからサンクード殿下と気が合ったのですね」

 その瞬間、たまらず全員が噴出す。

 サナトリアは腹を抱えて床を転がる始末だ。


「で、そのサンクード殿下はどこに?」

「はい、表の実験場をちょっと弄って迷宮にしたので、その奥でスイカメイドたちと一緒に暮らしていただいております。

 あまり村人たちに絡まれても困りますので、そのあたりの情報はすぐに手に入るようにしてありますよ」

 クーデルスがそう答えると、次の瞬間、全員が同じ言葉を口にした。


「あの女……死んだな」

 クーデルスの作った迷宮など、どれだけ金を積んでも引き受けるべきではない。

 どんなおぞましい仕掛けを用意しているかわかったものでは無いからだ。


 男爵令嬢セレーサとその仲間たちが、素っ裸でギャン泣きしながら帰ってきたのは、わずか2時間後の事である。

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