76話

 勝利の余韻に浸るアデリアであったが、その上機嫌は一分ともたなかった。


「ひどいですよ、アデリアさん。 服が傷んじゃったじゃないですか」

 手で拭くのほこりをパンパンと払いながら、クーデルスがあっさりと起き上がったからである。


「なんでピンピンしているんですか。 わりと容赦なくやったはずなんですけど」

 その証拠に、エルデルは未だにピクピクと痙攣したまま動かない。

 出血は見られないので、おそらく衝撃で気絶しているだけだ。


「まったく……殺しあうような真似は許さないと言っておいたでしょ。

 私が介入しなければ、貴女は彼を殺していたところですよ?」

 クーデルスがとっさに蔓を生み出して結界を張っからこそ気絶する程度に収まったが、本来ならばエルデルの体が原型をとどめず挽肉になっているレベルの爆発である。

 だが、アデリアは悪びれもせずにシレッとした顔で言い返した。


「あら、わたくしが何をしたところで、貴方ならどうにでも出来たでしょ?」

「それは信頼されていると受け取っていいんですかねぇ?」

 そんなクーデルスの嘆きを聞きながら、彼女はツンと唇を尖らせて横をむく。


「少なくとも有能である事は認めて差し上げるわ」

 ――なんでこうも、悪役令嬢の役柄が似合うんだか。

 冷たくも美しいを浮かべるアデリアに、クーデルスはひたすら頭を抱えるしかなかった。


「それはそうとして、早く王太子と顔を合わせましょう。

 今の爆発で、パニック状態になっているはずです。

 これはチャンスですよ!」

 だが、急かすクーデルスに対し、アデリアは困惑した表情を浮かべる。


「ええ、でも王太子がどこにいるのか……」

「え? そこにいますけど」

「……は?」

 クーデルスの視線を追うと、そこには緑の蔓が絡まって出来た丸い球体があった。

 よく見れば、たしかに中で何かが暴れているのか、その蔓の塊は小刻みに揺れ動いている。


「その緑のボールみたいなのの中に王太子が詰まってます。

 早くしないと、たぶん邪魔が……」

 だがその台詞は、不意に部屋の中へと踏み込んできた人物によってさえぎられた。

 

「悪いな、もう来ちまったぜ」

「ダーテン……」

 外から漏れる光を背に立っていたのは、真っ白なスーツを身につけた金髪の青年であった。


「よ……よぉ、アデリア」

 颯爽と現れたにも関わらず、その青い目は何かを躊躇うように宙を彷徨う。

 そんな青年に向かって、アデリアは告げた。


「あなた、なんて場違いな格好しているの? しかも、花束なんかもって」

「それかよ!!」

 どうやら彼は、もっと違うところに目を向けてほしかったようである。


「何を考えているのか知りませんが、ここは戦場ですのよ?

 そもそも真っ白なスーツ姿だなんて、着ている人を見るのは結婚式か舞踏会ぐらいですわ。

 最近ではプロポーズをするにもそんな格好しません……こと……よ……?」

 口に出してから気づく。

 この格好、プロポーズに来たのでなければ何だというのか?


「わ、悪かったな。 こんな格好でプロポーズしにきたんだよ!」

「え……?」

 顔を真っ赤にしたまま告げられた声に、アデリアの顔が見る見る赤くなる。

 それを見ていたクーデルスが、アデリアの後ろで拳を振る回し、『行け! そのまま攻めろ!!』とダーテンをけしかけた。


「ちょっと、ダーテンさん! あなた、本気ですの? クーデルスさんに頭を殴られてどこかおかしくなったりは……」

「してねぇよ! 失礼だな!! つーか、黙って俺の話を聞け!!」

 なかば自棄を起こしたように叫びながら、ダーテンがアデリアの両肩を掴む。


「いいか、アデリア。 そんな奴、もう忘れろ。

 俺のほうが、絶対にお前を幸せにしてやれるから!!」

 その瞬間、アデリアの顔が幸せそうに緩んだ。

 だが、その次の瞬間にはその目が悲しげに伏せられる。


「え……でも……私は。

 そう、王妃にならなくちゃいけないから、貴方とは……」

 俯きがちに告げられたその台詞に、ダーテンは噛み付いた。


「はぁ? なんだよ理由!

 前々から聞きたかったんだけどさ、お前……その男の事を語るとき、いつもすごく辛そうにしてねぇか?

 そもそも、なんでそいつの事が好きなんだ? いや、本当に好きなのか?」

 ピシリ……と、アデリアの心の中で何かが音を立ててひび割れる。


「す、好きに決まっているじゃない!

 好きでなきゃいけないんだし……好きでなきゃ……いけないの?」

 そう口に出してからアデリアは気づく。


 自分は本当にあの王太子の事が好きだったのだろうか?

 幼い頃から、王太子を愛するように繰り返し言われ続け、いつのまにかそうだと思い込んでいたのではないか?


 そして、とっくに自由になっていたと思っていた自分が、未だに何重もの鎖につながれていたことを悟り、今更ながら絶望する。


 だが……それを認めるのが怖い。

 認めてしまえば、自分の中が何もかもカラッポになって、無価値になってしまう。

 そんな気がして。


 家柄、義務、地位、常識、たとえそれが自分を縛り付ける鎖であっても、それこそが自分を構成するすべてだとしたら、自由になる意味などあるのだろうか?

 そもそも、自分とは一体何なのだろうか?

 無価値になった自分に、存在する意味などあるのだろうか?


 心の中が暗くなる。

 目の前の全てが、世界が速やかに色褪せてゆく。

 見渡す限りの灰色の世界の中心で、彼女は叫んだ。

 誰か……お願い、わたくしを助けて!


 その時、後ろから彼女にしか聞こえない小さな声がそっと囁いたのである。


 ――貴女の成し遂げたことを思い出しなさい。

 ――そして貴女に出来ることを考えなさい。

 ――ずっと、貴女に道標みちしるべは示してあげていたはずですよ?


 囁く声に、ようやく彼女は思い出した。

 そうだ。 私にはもう、過去のすべてを失っても残るものがある。


 うな垂れていた彼女の心が、ゆっくりと面を上げた。

 まるで蕾だった花が、朝の光をうけて開くように。


 そうなのだ。 もしも何一つ残らなかったとしても、最初からまた始めればいい。

 ただ、それだけなのだ。


 それが私がクーデルスから与えられた本当の叡智。

 彼の与えてくれた、朽ちることの無い世界樹の種。

 たとえ人生に冬が訪れたとしても、いつか春の風が巡れば私は何度でも芽吹いて花を咲かせる。


 私は……南の魔王が手ずから育てた、永遠の花。

 どこでだって咲くことが出来る。


 だから、たとえ貴族じゃなくても、王妃にならなくても、今の私は私として毅然と前を歩いてゆける。 自分の意志で歩いていいんだ。


 気が付けば、世界は色を取り戻していた。


「何も言わなくていい。

 もしも俺を選んでくれるのなら、この腕の中にいてくれ。 嫌ならば、突き放してくれていい……アデリア?」

 すべての台詞を言い終えるより早く、ダーテンの逞しい体をアデリアは力いっぱい抱きしめる。

 そして背の高い彼を見上げ、涙目で恐ろしい愛の呪いをかけた。


「こんな私でいいの? ……なんて言いませんわ。

 ダーテン、私を愛しなさい。 かわりに、貴方を愛して差し上げます」

「うん……めいいっぱい幸せにする。約束するよ」

 ダーテンが身をかがめると、アデリアは何をしようとしているのかを察してそっと目を閉じた。


 天頂に上った太陽が少し西に傾きはじめた昼下がり。

 その日差しの祝福されながら、二つの唇が重なる。

 小鳥のついばむようにささやかな、けれど確かな約束の印が二人の心に刻まれた。


 だが……。

「はい、そこまで」

 無粋な声が、二人だけの世界を引き裂いて現実に引き戻す。


「な、なんだ兄貴! いいところなんだから邪魔すんなよー!」

「名残惜しいでしょうが、そろそろガンナードさんが手勢を率いてここまで来てしまいます。

 怒られるのは嫌ですから、今のうちに逃げちゃいましょう」

 どうせ後で怒られるのは間違いないのだが、問題はできるだけ先送りにしてしまいたいらしい。

 実に政治屋らしい理屈だ。


 そこで、ふとアデリアは疑問をおぼえる。

 結局、クーデルスは何がしたかったのだろうか?

 アデリアと王太子をくっつけるつもりだったなら、今頃は大激怒のはずである。

 しかし、クーデルスはむしろ機嫌のようにしか見えない。

 ――まさか!?


 相変わらず支離滅裂な行動だが、もしこれら全てにちゃんとした理由があるとすれば……アデリアはある仮説を思いついた。


「クーデルス、もしかしてですが貴方……私の初恋が気に入らなかったのですか?」

 すると、クーデルスはニッコリと笑ったのである。


「ええ。 あんなまがいものの初恋、存在することすら許しがたい。

 私の美学にそぐわないと思いませんか?」


 それだけのために……ここまでの騒ぎを?

 ありえない。

 だが、クーデルスであるならば……と付ければすんなり納得できるのが無性におかしくて、彼女は思わず笑い出す。


「ふっ、うふふふふ、あははははは! そう、そうね、実に貴方らしいわ。

 やることなすこと、お花畑のように派手派手しくて、実に貴方らしくてよ、この大魔王!!」

「いやぁ、褒めないでください。 照れちゃいますから」


 次の瞬間、アデリアの裂帛の奇声と、クーデルスの悲鳴が重なり合った。

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