69話

 その時であった。


「ちょっと待ってくれ、兄貴、 まさかと思うが、今までの事って全部繋がっているのか?」

 それまでずっと話を聞いていたダーテンが、ここになって口を挟む。

 複雑な感情と共にクーデルスの笑顔を眺めていたアデリアは、彼の台詞でハッとなった。

 そして彼女は、恐ろしいことに気づいたのである。


「まさか……今までの騒動、全部……私を代官にするという計画も、代官の殺人偽装も、このために!?」

「当たり前じゃないですか。 私がこの条件を満たす案件を探すのにどれだけ苦労したか」

 悪辣な計画を微塵の罪悪感もなく告白しながら、何を考えたのかクーデルスはローブを脱ぎ去り、その下につけていたシャツも剥ぎ取った。

 そして鍛え上げられた上半身を衆目に晒すと、再びクーデルスはアデリアにたずねる。


「ねぇ、アデリアさん。 どうします?

 今なら、あの王太子を取り戻す事ができるかもしれませんよ?」

 そんな言葉と共に、バサリと何かを広げる音が響く。

 気が付けば、クーデルスの体は背後からエメラルドのように輝く外套に包まれた。

 いや、外套ではない。 それは彼の体の一部……力強くも美しい、緑竜の翼。


 だが、アデリアとダーテンにとって、それは悪魔の漆黒の翼のようにしか見えなかった。


「あぁ、ようやくひとつ納得いったぜ……兄貴、あんた、竜の王族と魔族の王族のハーフだな!?」

 ダーテンの言葉に、クーデルスは鷹揚に頷く。


「いかにも。 父は竜祖のひとりたる地竜の王、母は先々代の魔帝王の血を継ぐ姫君。

 美しくも豊潤なる領域を統べし、南の魔王とは私のことですよ」


 その言葉と共に虹色の光がクーデルスを取り巻き、気が付けば彼の頭上には鮮やかな花冠が飾られていた。

 額からは緑の玻璃で出来たような角が伸び、肩や腕には花のように鮮やかな色をした大きな鱗がいくつも生えて艶やかなグラディエーションを生み出している。

 それは悪魔と呼ぶには美しすぎ、神と崇めるにはあまりにも恐ろしい姿。

 あえて言い表すならば、魔神とでも呼ぶべきだろうか。


「南の魔王……御伽噺に出てくる、あの?」

「たぶんそれで間違いないでしょうね。 私がそう呼ばれるようになってから、少なくとも300年はたっていますから」

 それは魔族の強大な王であり、人の世との境目にある魔界の森を統べる者。

 魔の君主ではあるが人間に対しても寛容であり、様々な薬草を与える事ができる存在であるといわれ、自分や家族の病に苦しみ薬を求めて森に迷い込んだ人々が善良であれば慈悲を与え、これを助けるという御伽噺の住人。

 だが、試練を与えて人の良心をはかり、欲を持って接すれば無残に殺すと伝えられている存在であった。


「一つ聞かせてくださいまし。 なぜ……私にそんな事をおっしゃるの? 貴方にとって何の得があるの?」

 アデリアはクーデルスの真の姿に気圧されつつも、勇気を絞って問いかける。

 すると、彼は御伽噺そのものの優しくも威厳に満ちた顔でこう応えたのだった。


「私は別に得をしたい思ってはいないのですよ。

 ただ、そうしたいと思ったからするのです。

 だって……貴女は3秒も迷ったでしょ」

「何の事?」

 ――意味がわからない。

 そう言われたとき、アデリアは何のことか全くわからなかった。


 そんな彼女に向かい、クーデルスは優しい声で語りかける。

「かつて私は貴女にこう尋ねましたよね?

 もし、その王太子が自らの振る舞いを心から悔いていたら?

 その野猿女を捨てて、貴女の前に跪いて許しを請うならば、貴女はどうしますか?」

 その言葉は、まるで魔術のように彼女の記憶を呼び覚ます。


「許さないと……絶対に許さないと私は答えたはずですわ」

「それですよ。 憎んでいるというのはね? まだその人への想いが残っているから憎いのです。

 本当に想いが消えているのならば、憎いとは答えないのです。

 そんな人はね、どうでもいいと答えるのですよ。

 残念なことに、貴女はまだあの王太子を心のどこかに残している。 これは事実です」


 ――なんと恐ろしい事を言うのだろうか、この悪魔は!

 やっと忘れ始めていた消えるべき恋に、再び火を放とうとしているだなんて!!


「かわいそうなアデリア。

 すべてに裏切られて、絶望し、うな垂れて、それでも無くしたものを諦めきれない。

 だから……」


 まるで慰めるかのようなクーデルスの穏やかな声と共に、アデリアは自分の足元に穴が開いて、そこから噴出した真っ暗な闇に包まれてゆく幻を見た。

 それはアデリアが心の奥にしまっておいた影。

 誰とも胸の奥にしまっている、理想と言う危険な闇。


「貴女が望むなら・・・・、与えてあげましょう。

 私から貴女への無償の愛の形として、貴方が失ったものを全て取り戻してあげましょう。

 そして、それ以上の物も傷ついた代償として与えましょう。

 あの日、私はそう決めたのです」

 それは尊くも美しい純愛と言う美徳……のように見えるのに、実はたった一人にしか注がれない、一人のためなら他をかえりみない、堕天使のごとき歪んだ形をしていた。


「私の……なくしたもの……本当に……もどるのですか?」

 優しくも強大な闇は、睡魔のような心地よい温もりと共に彼女を快楽の底へと容赦なく引きずり落とす。

 喜びのあまり、アデリアの目から涙がこぼれた。


「家族を取り戻す段取りは先日つけました。 名誉も、すぐに戻ってくるでしょう」

 そんな彼女に、クーデルスは手を伸ばす。


「さぁ、行きましょうか。 貴女がなくした最後の大切な物。 初恋を取り戻しに」


 だが、甘美な夢に取り憑かれた彼女は気づかなかった。

 アデリアが初恋を取り戻すこと……それが自分の目的であるとクーデルスが明言しなかったことに。

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