68話
見渡す限りの芋畑を踏みつけて、緑の地に黄緑と黒で迷彩模様を塗りつけたマントを翻し、1万の兵が行進する。
規則正しい軍靴の音は、所属する部隊の違いによって僅かにズレながら、皮肉にも鎮魂歌によく似たリズムを刻んでいた。
彼らの過ぎた後に残るのは、無残に踏みにじられて散らばる芋の蔓草、収穫を前にへし折られて横たわるトウモロコシ、靴跡も生々しい潰れた青いトマト。
彼らは等しく土にまみれ、踏み固められた大地と共に戦争の空しさを見る者へと無言のうちに訴える。
失われた平穏の代償は、いつだって声の小さな者と力弱き者が支払わなくてはならない。
無力ということはかくも罪深い事なのか……と。
そして無慈悲な行進はヒマワリ畑に差し掛かり、その途中でピタリと止まる。
「こちら最前線。 目的地を遠方に確認。
距離、およそ3マイル。 敵の姿は黙認できず。 完全に篭城の姿勢に入っている模様。
繰り返す。 敵の姿は黙認できず。 完全に篭城の姿勢に入っている模様。 ……どうぞ」
特別に会話能力を与えられたスイカの伝令兵が
『本部より最前線へ。
次の指示があるまでしばらく待機。
あと、ヤード・ポンド法を使うな馬鹿野郎。 ぶっ殺すぞ。
繰り返す。 ヤード・ポンド法を使うな馬鹿野郎。 ぶっ殺すぞ。 ……どうぞ』
青空の広がるのどかな昼下がり、血なまぐさい予感に震えながらヒマワリがそよぐ。
一国の王太子の命運を決める戦いは、まもなく始まろうとしていた。
*********
「さて、ガンナードさんはそろそろ布陣を終えた頃でしょうか?」
屋敷に残ったクーデルスは、懐中時計を懐から取り出してポツリと呟く。
「さぁ、別にどうでも良いことですわ。
わたくしたちができる事は何も無いし、何もするなとガンナード氏がおっしゃっていらしたのではなくて?」
紅茶の中身を意味もなく金のスプーンでかき回しつつ、アデリアは退屈そうにクーデルスへと問いかける。
「まぁ、確かにそうなんですけどね」
スイカ兵士を大量に生み出した後、クーデルスはアデリアと共に屋敷に残ることを宣言した。
むろんガンナードが素直にその発言をそのままの意味として受け取るはずもなく、ずいぶんと勘ぐってはみたものの……クーデルスの行動を予測しようなどと言う自らの行動の愚かさを悟ると、彼はさんざん愚痴をはいた上で手出しするなと釘を刺し、エルデルをつれて戦場へと旅立っていったのである。
だが、ここで意外だったのは、ダーテンが屋敷に残ると宣言したことであった。
自らを闘神と名乗るだけあって、戦場は彼の力を最大に発揮できる場所である。
なのにその戦場への関与を、彼は拒んだのだ。
それなりに自己顕示欲の強い、しかも第二級の神という実力を持つ者とは思えない発言である。
むろん、それにはそれなりの理由があった。
「でも、兄貴がこのまま何もしないはずがないんだよなぁ。
……ただの勘だけど」
壁にもたれたままぼそりとダーテンが呟いた言葉に、アデリアは頭痛をこらえるような仕草を見せた。
まったくもって彼女も同感だからである。
「うふふ。 それはもう。
何もしないどころか、計画の最終段階ですからねぇ。
嫌だと言っても、やらないわけにはゆきませんね」
「それですけど……いったい何をなさろうとしてらっしゃるの?
たしか、実験とおっしゃってましたわね」
「ええ、実験ですよ。 アデリアさんとダーテンさんは、つり橋効果というものを聞いた事がございますか?」
ふいにクーデルスの口から飛び出した台詞に、アデリアは首をかしげ、ダーテンは戸惑いを見せた。
「……知らない言葉ですわね」
「俺は聞いた事がある。 だが、関連性が全くわからない」
アデリアが知らないのだから、もしかしたらそれは人の世には知られていない知識なのかもしれない。
ダーテンが知っていたのは、彼が天界と言う超越者たちが住まう世界の出身だからであろう。
「つり橋効果とは、つり橋のように危険な場所に立って心臓の鼓動が激しくなると、それを恋愛の興奮と勘違いして異性を好きになってしまうという現象のことです」
「とても……とても嫌な予感がしますわ」
そう呟くアデリアの頬に、一筋の汗が滴り落ちた。
彼女は全身に鳥肌を立て、かつて無いほどの不安を覚える。
これはそう……かつて婚約破棄をされたときにも匹敵する恐怖だ。
そんなアデリアの様子に気づかないはずもないのだが、クーデルスは今にも踊りだしそうなほどの上機嫌で、自らの計画を歌うように吐き出し始める。
まるで、ファウスト博士の魂を地獄に落とす事に成功したメフィストフェレスのように。
「いやぁ、苦労しましたよ。
王太子をハンプレット村に誘導するところまでは上手く行きましたが、彼にはどうやって
――うわぁ、ダメだこいつ。
まるで息をするように策謀を巡らせる邪悪さ。
だが、同時にそれを善意しか持たないままに振舞うという、狂っているとしか思えないほどの
その二つこそがこの男の本質であることを、アデリアとダーテンは深く理解させられた。
「まさか! まさか、私が直接手を下して王太子を事件に巻き込む前に、スイカ農民の方々が私との交渉材料のために拉致してくれるとは!!
すばらしく手間が省けましたよ! あぁ、改めていいましょう。 なんとすばらしい!!
まるで、運命が私に味方をしているかのようだとおもいませんか?」
クーデルスは手を広げ、満面の笑みでアデリアに向き直る。
その瞬間、踊るような激しい動きに弾かれて分厚い眼鏡が床に落ち、隠されていた顔があらわとなった。
まるで子供のように喜ぶその慈愛と歓喜に満ちた緑の目を見て、アデリアとダーテンは揃って心の中で天を呪う。
――あぁ、なぜ運命はこの男に美しい姿と美しい心、そして慈悲と善意を与えながらも、同時に狂気を与えてしまったのだろうか……と。
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