61話
少し強い風が前髪をかきあげ、程よく湿った青い森の匂いが肌を撫でる。
遠くからは甲高い鷲の鳴き声が聞こえ、見下ろせば木々の間から鮮やかな蘭の花が見え隠れしていた。
「……綺麗ね。 いえ、それよりも
「この状況を長閑といえるあたり、お前も大物になってきたな、アデリア」
「およしになって、サナトリアさん。 人がせっかく現実逃避をしているというのに、引き戻さないでくださいまし」
その瞬間、足元のほうからピギャーっと悲痛な叫び声が響き渡る。
どうやら、ミロンちゃんの足で魔物がまた踏み潰されたようだ。
さて、そろそろ何があったのかを説明しなければなるまい。
サナトリアとの口論が一段落すると、クーデルスは皆を東屋の中に案内したのだった。
そして、おもむろに一人で東屋の外に出ると、床に手をかけ、そのままぐいっとその建物を持ち上げてしまったのである。
屋根が茅葺の建物で、かなり軽い作りになっているとはいえ、相変わらずの人間離れした腕力であった。
そしてミロンちゃんはその建物の下にスルリともぐりこむと、その東屋を背中の上に載せてしまったのである。
一体何が起こっているのか、しばらく誰も理解が出来なかった。
そう、ヤドカリじゃあるまいし……誰がこの巨大な生き物を移動手段とするために、小屋をそのまま背中に乗っけるなんてかんがえるだろうか?
だが、おそらくこの東屋は最初からミロンちゃんの背に乗せることを想定したつくりなのだろう……丸みを帯びた床下は、蠍の背にピッタリとフィットしていた。
あとは、クーデルスがどこからともなく持ち出してきた縄と器具を使って東屋をミロンちゃんの体に固定して、馬車ならぬ蠍車の出来上がりである。
「しかし、とんでもない移動手段だな。
最初はろくでもないことを考えたものだと思ったが、馬車と比べても恐ろしく揺れが無い」
そう呟くガンナードの頭の中は、きっとこの移動手段を用いたお金儲けで一杯だろう。
まだ見ぬ大儲けの夢に浸っているのか、口元がニヤニヤしていた。
悲しいかな、この乗り物に乗るだけの度胸のある人物がほぼいないという現実は、メリットがないので誰も指摘しない。
「それにしても、なんだか気が抜けてしまいますわね」
「じゃあ、カードゲームでもする? 俺、ちょうど1セット持ってきているだけどさぁ」
「あなたは気が緩みすぎです、ダーテン」
しょんぼりした顔で『えー マジでー』と呟くダーテンから顔をそらし、アデリアはなぜこんなことになったのかといわんばかりにため息をつく。
――そう、たぶん話の流れがあまりにも早かったからかもしれない。
それこそ、疑問を持つ余裕すらないほどに。
まるで詐欺師の手口だ。
「そろそろ花鳥園エリアを抜けますよ。 ここから先は反逆者たちの勢力下に入ります。
皆さん、十分に気を引き締めてください」
先頭から聞こえてきたクーデルスの声に、東屋の中にいた面々が思わず腰を浮かして前を見る。
その時であった。
「おい、アレは何だ? 何かの残骸のように見えるが、妙に綺麗と言うかなんというか……」
道の脇にあったものを見て、エルデルがなにやら矛盾した台詞を口にする。
思わずそちらに目をやれば、確かに何かの残骸があった。
それは白塗りの木工細工のようであり、確かに綺麗と言えなくもない。
もう少しイメージ的な物言いをするならば、壊れた芸術品という言い回しが似合うだろうか。
「おい、クーデルス。 止めろ。 アレが何か確認するぞ」
「えぇ? ……止めるんですか? 伏兵がいるかもしれませんよ?」
そんなクーデルスの返事に微妙な違和感を感じたらしい。
「いや、兄貴とこのサソリがいれば問題ないだろ。 つーか、兄貴をどうにかできるような存在が、この空間にいるはずないし」
ダーテンが物いいたげな目をガンナードとサナトリアに向けた。
どうやら、クーデルスは何かを隠すかごまかしたいらしい。
「それでも妙なものがあったら、確認だけはしておくべきだろ。
止まれ。 これはギルドマスターとしての要請だ」
ガンナードが強い言葉で命令すると、クーデルスはやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
「わかりました。 では、手早くお願いしますね」
明らかに不満を貼り付けたまま、クーデルスはミロンちゃんに止まれと指示を出す。
そして斥候のエルデルが先頭に立ち、サナトリアとガンナードが、そしてアデリアが地面に降りた。
なお、ダーテンは東屋の上から周囲の警戒である。
やがて、目と鼻の先まで近寄って、彼らはようやくそれが何なのかが判明した。
そして愕然とする。
「これは……馬車の残骸だな」
「お待ちになって! この馬車に刻まれた紋章は!!」
「王家のものじゃねぇのか? 誰の紋章かまではわからねぇけど、こんな派手で金ぴかな奴は公爵だって使わねぇぞ」
馬車の趣味の悪さに、サナトリアが呆れたような言葉を呟くと、隣でアデリアが大きくため息をついた。
「間違いなく王家。 しかもこれは王太子のものですわ。
きっと、予定よりも先に来て抜き打ちの視察をしようとして、スイカに襲われたのでしょう」
――彼の性格を考えれば、十分考えられる展開でしてよ。
アデリアの声に、明らかな落胆がにじむ。
「つまり、王太子はすでに生きていない?」
その可能性を考え、サナトリアたちは一斉に青褪めた。
もしも死んでいるとしたら、その責任は誰が背負い、関係者はどこまで追及されるのか?
いずれにせよ、この場にいる全員がただではすむまい。
だが、その時である。
ミロンちゃんの背中の上から、能天気な声が響いた。
「あぁ、それは心配ありません。 私の作ったスイカ農民はその辺の街の商人よりも知能も高く、農作業以外の事もそこそこ優秀ですから。
そんな敵を作るだけの愚かで野蛮な行動はとりませんよ。
せいぜい、王太子を人質にして自分達の権利を認めるよう要求してくるぐらいかと」
「まて、クーデルス。 なぜスイカ人間たちにそこまでの知恵と知識があるんだ? 特に知識に関しては不自然だぞ」
クーデルスの不可解な言動に違和感を覚え、ガンナードがすかさず追求に入る。
すると、クーデルスはその広い肩をすくめて、事も無げにこう告げたのだ。
「だって、彼らは種や若葉の状態でずっと聞いていましたもの。
アデリアさんの、王太子への愚痴を」
「わたくし!?」
「えぇ。 彼らは私の部屋の鉢植えの中で学習し、そして王太子が予定より早くやってくることを予測して、行動に移ったのだと思います」
だが、そこに異をはさむ者がいた。
「ちょっと待て、兄貴。 王太子がこの村に来ることが判明したのは、奴らが氾濫を企てた後じゃないのか?」
「嫌ですねぇ、ダーテンさん。 彼らも、こちらの動向を探るぐらいの事はしますよ?
なにせ、彼らは植物と会話が出来ますからね。 その辺のクローバーですらスパイに仕立てられます」
その瞬間、アデリアの冷たい視線がクーデルスを捉える。
「クーデルスさん、貴方……そそのかしましたわね?」
「おやおや、私をお疑いですか? アデリアさん」
「疑っているのではありませんわ。 確信しているのです。
今度は一体、どんなことを企んでいるのですか!!」
アデリアの激しい剣幕と共に、周囲の視線がクーデルスに突き刺さる。
だが、かつて南の魔王と呼ばれたこの男は、舞台の役者のように両腕を広げ、とろけるような笑みを見せてこう告げたのであった。
「企んでいるだなんて人聞きが悪い。 ちょっとした実験をしたいだけですよ。
心配なくとも死人が出るのは好みではありませんし、私の望みはいつだってみんなが幸せになる事ですから」
誰の口から聞いても、おそらくはとてつもなく胡散臭く聞こえる言葉。
だが、この場にいる人間はみんな知っている。
この男は本気で言っているのだ。
常識と価値観が完全にズレたままで。
――だからこそ恐ろしい。
その場にいる人間が、一人残らずギュッと胃袋を掴まれたような錯覚を受けた。
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