38話

 あまりにも衝撃的な状況に、思わず呆然と見入っていた二人だが、彼らに呆けている時間はなかった。

 時間がたてば、気絶した兵士が起きて騒ぎになるかもしれないし、いつ仕事場から呼び出しがかかるかわからないからである。


 探偵ごっこは、あくまでも仕事に支障が出ない範囲でやらねばならない。

 それがクーデルスから与えられたルールだ。


「状況の怪しさはおいといて、まずは現場検証よ」

 我に返ったアデリアは、気持ち悪さに耐えながら代官の死体にそっと近づく。

 足を踏み入れると、薄い絨毯さえ引いてない剥き出しのフローリングが、キィッと甲高い小鳥の鳴き声のような音をたてた。


「なんというか、見事なまでに骨ね」

 遺骸を見下ろし、アデリアが困惑するかのように呟く。

 間近で見たその遺体は完全に白骨化していた。 

 だが、真っ白な骨には肉片ひとつついておらず、死亡したのが昨日だとはとても思えない。


 ――おかしすぎて、どこから突っ込んでいいのかわからないわ。

 状況があまりにも異常すぎて具体的に言葉として出てこないが、何もかもが違和感だらけであった。


「なぁ、アデリア。 これって死因は何だと思う?」

 気が付くと、隣で同じように白骨死体を眺めていたダーテンが、眉間に皺を寄せつつそんな事を呟く。

 確かに、言われてみればそこが一番おかしい。


「こんなふうに肉だけを溶かして骨だけ綺麗に残すってーのは、ちょっとムズくね?」

「言われてみればそうね」


 ――いったいどうやったらこんな事ができるのかしら?

 アデリアは顎に手を当てて考えてみる。


「火で焼かれたならば少なくとも周囲に焦げ跡があるはずだし、酸で溶かされたならば床も侵食されていなければならないわ」

 似通った殺害方法はいくつかあるが、完全に合致するものは特殊な薬品や魔術の中にもなかった。

 少なくとも、アデリアの記憶の中にではあるが。


「一番近いのは、水属性の腐食の呪いじゃね?」

「でも、その呪法はかなり高度だと聞いてますし、肉が腐るようなひどい悪臭が残ると聞いておりましてよ?

 確かに異臭は漂っていますけど、この部屋に残っているのはどちらかと言うと植物系の匂いですわね」


 アデリアの指摘どおり、この部屋にかすかに残っている異臭は少し甘い感じのタバコに似た代物である。

 つまり、使われたのは腐食の呪いでも無いということだ。


「あー香りっていうならさ」

 すると、ダーテンが何かを思い出したように話を切り出した。


「血の臭いがしねぇんだわ、この部屋」

 言われてみればそのとおりである。

 これだけ血液らしきものが残っているのに、その独特のにおいが無い。


「じゃあ、これは何?」

 眉間に皺を寄せ、アデリアは床を染め上げる赤黒い粘液状のものを指差す。

 たしかに色は血液そっくりだが、言われてみればこの液体からは鉄臭い臭いがしていなかった。

 妙なことに、ほぼ無臭に近い。


「似ているけど、血じゃないって事なんじゃね?

 これが何かって言われてもそんな知識ねーし。

 それこそ、持ち帰って誰かに頼んで調べてもらわねーとな」

「……任せるわ」


 アデリアは荷物の中からガラスの試験管を取り出すと、おもむろにダーテンへと押し付ける。

 要するに、探偵ごっこはしたいけど、床の赤黒い液体が気持ち悪いので触りたくないのだ。

 こういう所は、相変わらず乙女でお嬢様なアデリアである。


「うわっ、ずるいぞお前! こんなの俺だって嫌だよ、ちくしょーめ!」

 ダーテンは顔をしかめながらも試験管を受け取ると、しかめっ面で床に飛び散った液体に目を落とした。

 本人もかなり嫌だろうが、かといって乙女であるアデリアにやらせるのも紳士として躊躇われるのだろう。

 ついでに、鑑識を依頼する当てなど無いことにも言及しない。

 時々盛大に外しはするものの、ダーテンは意外と空気を読む男であった。


「うわぁ、なんだこりゃ! ベトベトして糸ひきやがる! きもちわりぃー!!」

 ダーテンが悲鳴を上げながら液体をサンプリングする横で、アデリアは破壊された窓の検証に入った。

 そしてその穴の大きさに首をかしげる。


「これ、かなり大きいわね。 かなり大柄な男性でも楽に通りぬけ出来そうだわ」

「人どころか、俺や熊でも出入りできるんじゃねーの」

 なんとかサンプリングを終えたダーテンが口を尖らせながら投げやりな返事を返すが、アデリアにとっては彼の機嫌などどうでもいいようだ。


「つまり、そんな大きさの何かがここを通ったということね」

 この部屋に乱入した存在は、少なくともこの村で一番大柄なダーテンと同じぐらいの体格の持ち主のようである。

 だが、そんな存在はと聞かれたら、クーデルスぐらいしか思い浮かばない。


 しかし、クーデルスがここを通ったと決め付けるのはまだ早計だ。

 もっと……何か決定的な証拠を見つけなくては!

 そんな思いから窓に近づくアデリアだが、次の瞬間……壊れて脆くなった床がわずかに沈み、穴の外に倒れそうになる。


「きゃっ!?」

 だが、すぐにその肩が太くて逞しい腕が絡みつき、彼女の体を部屋の中に押し戻した。


「あ……ありがと」

「あー 見てらんねぇな。

 下がってろ。 あぶねーから俺が調べる」

 アデリアを部屋の奥に下がらせると、今度はダーテンが代わりに前へ出る。


「特に気になるところはないな。 ロープでこすれた跡とかもねーし。

 だとしたら、ここを通った奴はどうやって入って、どうやってここから出たんだ?」

 その呟きを耳にするなり、アドリアは壊れていない別の窓から顔を出し、そこから真下の地面に目を向ける。

 ここから出入りした人間がいるなら、その足跡が残っているかもしれないと思ったからだ。

 だが、残念なことにそこにも特に目立った痕跡は見当たらない。


「少しイラっとするぐらい残留物は何もないわね。 空でも飛んでいったのかしら?」

 だとしたら、相手は飛行の魔術を使う風の魔術師、あるいは翼を持つ存在と言うことになる。


「残留物については、きっと眼鏡をかけた陰気な面の誰かさんが綺麗に消しちまったんだろうよ。

 とりあえず今わかるのはこんなもんじゃねーの?」

「そうね、ここまで何も無いとなると、そうなのかもしれない。

 じゃあ、次は関係者に聞き込みよ」

 時間も押しているので、アデリアは素直にダーテンの提案に従った。

 すると、彼はこんなことを言い出したのである。


「だったらさ、村長に聞いてみねーか?」

「村長?」


 事件に関係がないわけでも無いだろうが、ある意味で予想外の名前でもある。

 いったいどういう理由でその名前を出したのか?

 アデリアが視線だけで問いただしてみると、ダーテンは何かを思い出すように視線をさまよわせながら彼女に答えた。


「だってよ、代官が死んだって聞いた時……あの女だけちょっとおかしかったんだよな」

「具体的には?」

 くいついたアデリアに、ダーテンは少し言葉を吟味した後でこう告げたのである。


「気のせいかもしれねーけどさ。 他の村人が単純に喜んでいた中で村長だけがホッとした顔になってたんだ」

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