30話

「さて、話しを戻しますが、この土をよくするには何をすればいいでしょうか?」

 硬く小石が混じった土に手を当て、まるで痛む肩を揉み解すように指を這わせながら、クーデルスはそんな問いをアデリアに与えた。

 今までの話しをちゃんと聞いていれば、おのずと求められている答えはわかるはずだ。


「畑を耕して土を柔らかくし、苦味をもつ土を混ぜて酸味を中和する……ですか?」

「それが全てではありませんが、その通りです」

 アデリアの返答を満足げに受け取ると、クーデルスはゆっくりとした動きで立ち上がった。


 その、目のほとんどを隠すような長い前髪を、少し生ぬるい昼下がりの風が僅かに揺らす。

 いったいこの男はどこでそんな知識を見につけたのだろうか?

 アドリアはその秘密を探ろうと彼の目を覗き込むが、白く光を照り返すレンズに阻まれてその向こうは見えない。


「ですが、畑を耕すにはとてもたくさんの労力が必要で、苦味をもつ白い土……石灰と呼ばれるものは費用をかけてどこかからかもってくる必要があります」

 そして……石灰はこのあたりでは産出しないものである。

 ここに無く、遠い場所にしか存在しない、そして必要な物というものは、どうしても割高になるのだ。


「でも、それは避けたい方向ですね?」

 クーデルスの言葉に、アデリアは大きく頷く。


 そもそも、労働力として大量に奴隷を購入したり、村人に十分な食料を支援したりと、この計画には大量の金がかかっている。

 はっきり言って、領主が支援するよりも何倍も贅沢なやり方だ。

 言い方を変えてみれば、こんな民を甘やかすようなやり方はやり方は無駄と言ってもいい。


 ……であるのに、経済的な条件があまりにも良すぎて、アデリアにとってはそこが最初からとても不気味であった。

 資金源がいったいどこから出ているのかは謎だが、その出納すいとうを預かる身としては、余分な支出は絶対に控えたい。

 きっと、こんなうますぎる話には何か大きな落とし穴があって、いずれ何らかのツケを支払わなくなるに違いないからだ。


 そんな不安を知ってか知らずか、クーデルスは彼女の手に、普通のものとは違う真っ赤な麻の種を押し付ける。


「そこで麻なのです。

 麻は非常に細かい根を伸ばし、土を耕すのと同じように地面を柔らかくしてくれます。

 そして、駆り終わった麻を燃やして灰を作れば、この灰にも土の酸味を中和してくれる効果があるのです」

 そうする事によって、畑の環境を小麦の育成にむいた中性の土に近づけ、さらに残っていた栄養をも大地に還す。

 この無駄の無いやり方は、まさに農民達の受け継いできた経験則の成果であった。


「確かにそれだけを聞けばいいこと尽くめですが、落とし穴は無いのですか?」

「全く無い……とは言いませんね。 たとえば……私の用意した麻は麻薬成分が非常に少ない品種ですが、全くないわけではありません。

 さらに、近くに麻薬成分を多くもつ麻が生えていると、その花粉を受けて実った種からは、麻薬成分の多い麻が生えます」


 なるほど、確かにそれは恐ろしい。

 小鳥たちが野生に生えている麻の種を食べて、その糞ひとつ畑に落とすだけで、危険物の大量生産である。

 

「ですが、それ以上にメリットは多いのです。

 ここで語りきる事が出来ないほどに」

 怯えるアデリアに、クーデルスは悪魔のように優しく語りかけた。


「たとえば、今から手を入れて土を改良し、二毛作で麦や豆をもう一度植える。

 そうすれば、ギリギリではありますが、冬までに十分な食料を村人たちが自力で確保できるでしょう」

 もしもそれがかなうなら、この計画に必要となる食料は大幅に少なくなるだろう。

 それはあまりにも大きなメリットであった。

 

 それでもなお、アデリアの顔は迷っている。

 目はせわしなく左右に動き、答えを出すために追憶と思案を繰り返していた。

 そんな様子を、クーデルスは微笑みながら見守る。


「……怖いですか? ですが、何をするにもリスクやデメリットの無いやり方なんて、まず存在しませんよ」

「つまり貴方は、わたしにリスクやデメリットと付き合う方法と学べといっているのですね?」

 だが、その問いかけにクーデルスは首を動かさず、その眼鏡と前髪の向こうから、深い森を思わせる緑の目でまっすぐにアデリアの目を見つめた。


「強制はしません。 貴女には貴女のやり方がある」

 だが、それはこのやり方よりも効率がいいのか?

 そして、どこで自分の理想と折り合いをつけるのか?


 クーデルスの言葉の意味は、それを今のうちに決めてしまえということである。


 だが、その要求は苦悩の谷へとアデリアを突き落とした。

 為政者としてのクーデルスの指導は存外に厳しい。


「少し……時間をくださいな」

 まだ若い彼女には、そう答えるのが限界であった。

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