29話

「大地と言うのはね、けっして普遍の存在ではないんですよ。

 特に我々が触れることの出来る部分は、思いのほかその表情をよく変えるているのです」


 外に出たクーデルスは、そんな言葉を語りながら、アデリアを伴って荒れ果てた畑へとやってきた。

 しかしそこには麦が一本もなく、ただ洪水で流されてきた土砂が堆積たいせきしているのみである。


「土を知るには、まず触れてみるのが一番ですね。

 アデリアさん、そこの畑に入って。 人差し指で地面を突いてみてください」

 クーデルスはそう告げると、彼女を累積した土砂のただ中へと誘った。


「こう……かしら?」

 何をしたいのかはわからないが、おそらく意味あることだろう。

 アデリアは言われるままに地面にその白くて細い指を突き立てた。

 だが、その手入れが行き届いた爪が軽く刺さったぐらいで、地面はアデリアの指を拒む。

 

「ごらんなさい。 土が固くて、中に突き刺さらないでしょう?

 せいぜい、押したところが軽くへこむぐらいですね」

「でも、土なんてこんなものではないのかしら?」

 すくなくとも、アデリアが接してきた地面と言うものは、どこもこんな感じであった。

 特におかしな事は何も無い。

 しかし、クーデルスは首を横に振る。


「いいえ、違います。 畑に適した土は、指を突き刺すとズブズブと中に入るぐらい柔らかいのですよ。

 ためしに森で同じ事をしてみればいい。

 その土の柔らかさに、きっと驚くことでしょう。

 いずれにせよ、こんな硬い土では、植物が十分に根を張ることが出来ません」

「つまり、この土をどうにかしないと作物の収穫は見込めないと?」

 すると、クーデルスは大きく首を縦に振った。


「ええ。 そのために、今日は貴女に土と言うものを簡単に教えてあげましょう」

 そう告げながら、クーデルスは軽々と地面に指をめり込ませ、その畑の土をひとすくいする。

 そして手のひらの中の土をアデリアへと見せた。


「この色をごらんなさい」

「色? 赤茶色をした普通の土では?」

 だが、クーデルスは首を横に振る。


「普通ではありませんよ。 土と言うものはその元となった岩石によって色々と色があるもので、一般的に言えば栄養に富んだ土と言うものはもっと色が黒いものです」

 手に持っていた土をザラザラと地面にまくと、クーデルスは地面に慈しむような視線を落としながら優しい口調で語り始めた。


「肥えた土と言うものは、植物が芽吹き、そしていつか枯れて大地に還るという、命の輪を幾度も繰り返し巡らせることで生まれます。

 その黒い色は、植物たちの亡骸が塵となって累積したもの。 つまり、この大地に注ぎ込まれた命の色なのですよ」


 しかも、それは短い時間で出来上がるものではない。

 枯れ落ちた葉や茎がさらに朽ちて黒く変色し、それが虫たちによって粉々に砕かれ、そうやって出来たものがうず高く層を成すまでどれだけの時間がかかることか。


「最後に、土を口に入れなさい」

「土を!?」

 クーデルスの言葉に、アデリアは驚きを隠せなかった。

 当然ながら土は食べ物では無いし、不潔なものであると認識していたからである。


「はい、これはとても大事なことなのです」

 そう告げると、クーデルスの指がアデリアの僅かに開いた口の中へと土を放り込んだ。


「うっ……ペッ、ペッ……口の中がじゃりじゃりしますわ」

「もう吐き出していいですよ。 どうです? 酸っぱいでしょう」

「そういわれると、確かに妙な酸味を感じましたわ」


 なんとか指と唾液を使って土を吐き出し、アデリアは恨めしげな視線をクーデルスに向けた。

 こんな淑女にあるまじき姿、とてもではないが両親には見せられない。

 だが、そんな恨みのこもった視線を軽くいなし、クーデルスは今の行動の意味を語り始める。


「土と言うものは、大まかに酸味と苦味を持ちます。

 一概には言えませんが、基本的にこの二つの土は相反する性質を持っておりまして、お互いを打ち消しあいます。

 そして、植物によって酸味の強い土を選ぶものと、酸味の無い土を選ぶものがあるのです」


「最初に土がよく無いとおっしゃいましたわね?

 つまり話しの流れからすると、この村で育てている作物は酸味の無い土を好むということかしら?」

「その通りです。 この村の主要な作物は小麦や大麦。 これは酸味の無い土を好みます」


 なお、小麦の発芽に適した土壌の酸性度は6から6.5。

 ほぼ中性であるが、一般的にアルカリ性の土と言われる部類である。


「ふと気になったのですけど、苦味のある土を好む植物は無いのかしら?」

「実を言うと、苦味を感じる土と言うのは非常に特殊でしてね。

 昔は海だった場所や、火山活動の痕跡の残る地域などにそのような場所があります」


 それは石灰岩地帯や、蛇紋岩やかんらん石と呼ばれる岩を主体とした、超塩基性岩風化土壌地帯と呼ばれる土壌だ。


「特に後者は植物にとって厳しい場所でして、作物が非常に育ちにくいのですよ。

 私が知る限り、ほとんどが砂漠に近い荒地となっておりますね。

 ただし、そのような場所だからこそ、特殊な性質を持つ植物が多く、薬草になるものも非常に多かったりするのですよ。

 しかし、おしなべて繁殖力や成長速度に問題があり、自己防衛のために毒を持つものも多いようですから、素人はうかつに手をつけないのが無難でしょう」


 そう話しを締めくくると、クーデルスは次の話題に移った。

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