23話

「おい、見ろや。 なんだべ、あれは……おめぇらの団長は女神の降臨とか言ってるだよ?」

 空を見上げ、村人の一人が指差した。


「わからない。 ただ、とても神聖な気配を感じるから悪いものでは無いと思うんだが……」

 尋ねられたのは復興支援団の一人だが、困惑しつつもそう答えるしかない。

 こんな神の招き方など、見た事も聞いた事もないたからだ。


 皆の見守る中、ピンクの光の球は絡みつく蔦に引き寄せられるかのように空から降りてくる。

 光の球は、クモの巣に捕まった蝶のように何度も藻掻もがきながら、村はずれの溜池のほうへと落ちていった。

 そして、遠くから小さく振動が響き渡る。


「おい、落ちたぞ!」

「ありゃあ、村はずれの溜池の辺りだぞ」

 好奇心にかられたのか、ピンクの光の落ちた場所を確認するために人々は誰ともなしに動き出した。


「なんか……えらく甘い香りがするべさ」

 村人の一人が、ふと鼻をヒクヒクとさせつつそんな事を呟く。


「そういえば……何の香りだろう?」

 落下地点であろう溜池が近づくと、周囲にはまるで香水のような香りが漂っていた。

 花の香りとは明らかに異なる、香木を焚いたような香りである。


 そして人々が松明を片手に溜池へとたどり着くと、水の上にプカプカと桃色に輝く球体が浮いており、周囲を薄紅色に染めていた。

 どうやら、香木を焚いたような香りはここから漂ってきているらしい。


「おい、なんかおかしい! 光の球にヒビが入り始めたぞ!」

 誰かが悲鳴のようにそう叫んだ瞬間、その光のタマが割れて巨大なハスの蕾が現れた。

 そして見る間にその蕾が膨らみ、人がすっぽりと入るぐらいにまで膨らむと、ポンと弾けるような音と共に花が開き、中から一人の少女が現れた。


 まるでハスの花の色を意匠いしょうにしたような桃色の髪、やや小柄ではあるが、メリハリの利いた体つきとすらりと伸びた手足。

 年のころは18歳ぐらいだろうか? 長いまつげに覆われた目はやや吊り目気味で、全体的に子猫を思わせる顔立ちである。


 だが、何よりも目を引くのはその衣装。

 やたらと露出度が大きく、乳首と局所をかろうじて隠すそれは、もう下着としてすら機能していないのではないだろうかと言うべき代物である。


 先ほどのダーテンといい、この女神といい、神々の間では体を露出させるのがはやっているのではないだろうかと疑いを持たれそうな有様だ。


「ふふふ、お招きありがと! でも、ずいぶんと乱暴なご招待ね。

 もぉ、びっくりしちゃったよぉ!

 私、第一級の淫神モラルちゃん! さぁ、偉大なる我にひざまずき、こうべをたれちゃいなさぁい!」


 そのピンクの髪をした少女が名乗りを上げると、人々はそろって同じ言葉を脳裏に浮かべた。

 ――また、濃いキャラがきちゃったなぁ。


「淫神……ですって!?」

 思いもよらない称号を持つ神の降臨に、クーデルスは思わず声を上げる。

 少なくとも、彼はそんな称号を持つ神を聞いた事は無かった。


「そーよぉ! 私は人々の淫らでよこしまな心を支配し、その想いと引き換えに願いをかなえる女神なの!

 私を愛してくれたら、好色だけじゃない……怒りも、憎しみも、嫉妬も、強欲も、怠惰も、傲慢も、全部私が吸い取って、罪と苦しみを生み出す全ての種を貴方達の中から駆逐してあげる。

 さぁ、私を愛して!」

 淫神モラルは、まるで踊るような身振りで光の粒を撒き散らすと、器用に左目でウィンクをして決めポーズをとる。

 その瞬間、クーデルスはハッとした表情で素早くモラル神から距離をとった。


「いけません! その女神は危険です!!」

 突然の大きな声に、人々は何事かと振り向く。

 すると、クーデルスは珍しくその眉間に嫌悪の皺を寄せていた。


「淫神モラル。 貴女は劣情や邪念といったものを引き換えに願いをかなえるといいましたね。

 では、己の劣情や邪念を捧げてしまった者はどうなるのです?

 それは生き物として、あまりにも不自然すぎる!!」


「どうなるも何も、悪い事は何もないわ?

 よこしまな欲望を全て失って、ただ清らかな存在へと変わるだけよ?

 みんな綺麗な人になって、きっと幸せな世界がやってくるの!」


 淫神モラルは胸の前で手を合わせ、祈るように目を閉じた。

 それだけで、あたかも一枚の絵画のように世界は輝いて見える。

 彼女の清らかな姿に人々はため息をつき、彼女と同じように胸の前で手を組んだ。

 

 しかし、その時である。

「うわぁ、誰かと思ったら無支祁祈りを禁じられしのモラルじゃねぇかよ! ちょーやっべぇぇ!!

 地上に降りないように封印されているはずの奴が、なんでここにいんだよ!」

 今頃になってやってきたダーテンが、モラルを見るなり素っ頓狂な声を上げる。


「おーい、お前等! 絶対にこいつには祈るなよ!

 こいつに邪な感情や欲望を吸い取られた奴は、全員ふぬけて枯れきった老人みたいになっちまったあげく、最後にはうつ病で自殺しちまうからな!

 前にそれで人間の王国をひとつ潰しちまって、それ以来こいつは天界の一角に封印されて崇拝を禁止されてんだ!!」


 ダーテンの言葉に、クーデルスはモラルへの警戒を強める。

 彼の言葉を信用できるかといわれたら、信用は出来るが信頼は出来ないといったところであろうか。

 しかし、ダーテンの言葉が聞こえるや否や、モラルの纏う雰囲気が変わった。


「あぁん? 誰かと思ったら太陽神のところのドラ息子じゃねぇかよ。

 どっかの誰かが無理やり呼んでくれたおかげで、やっと封印されていた部屋出て地上に来る事ができたってのに……アタシの邪魔をするってんなら、ただじゃおかねぇぞ」

 アーモンド形の目は刃物のように細められ、清純系アイドルのようであった雰囲気は一瞬でヤンキー

のそれになる。


「くっ……それが貴女の本性ですか。 まさかこんな罠に引っかかってしまうとは、私もまだまだですね。

 すいませんが、貴女には天界にお帰りいただきましょう」

「い・や・だ・ね!」

 クーデルスの言葉に、淫神モラルは唇を吊り上げるようにして嘲笑った。

 まさに神も仏もありはしない……なんとも酷い猫っかぶりもあったものである。


 だが、そんなクーデルスとモラルの間にダーテンが割ってはいる。

「……へっ、いくらおめーが第一級の神でとしても、こっちは第二級の闘神とそれ以上のバケモノだぞ。

 勝ち目なんて無ぇよ!!

 テメェを封印しなおせば、村人がみんな俺を称えてウハウハ生活まっしぐらだ!!」


 な? と笑顔でクーデルスを振り返るダーテンだが、クーデルスは額に手をやってため息を吐いた。

 そしてモラルもまたヤレヤレといわんばかりに肩をすくめる。


「はっ、馬鹿だねぇ。 コレだから脳筋はダメなんだよ。

 お前等が暴れたら、このあたり一帯がえぐれて住人ごと盆地になっちまうけど?」


 その瞬間、ダーテンの顔が凍りつく。

 神たる者が信者を全滅させるようなことがあってはならない。

 もしもそんな事をすれば、ダーテンの二つ名がモラルと同じく"無支祁祈りを禁じられし"になってしまうだろう。

 そして、ダーテンとクーデルスが行動を躊躇っている間に、猫をかぶりなおしたモラルが動いた。


「ねぇ、皆さん。 この方、わたしに酷いことをするつもりなの! お願い、助けて!!」

 ――しまった! とクーデルスが舌打ちをすものの、時すでに遅し。


「あらあら、だめですねクーデルスさん」

「団長、女神様を傷つけてはだめじゃないですか」

「さぁ、そちらの若い神様もこちらへ」


 まるで天国のただ中にいるかのような表情をした村人や団員が、クーデルスたちへとにじり寄る。

 その表情には欠片も悪意は無い。

 怒りですら失ってしまった彼らは、ひたすら善意からクーデルスを"正しい方向"へと導こうと手を伸ばす。


「くっ、先ほどの祈りのポーズの時に、村人や団員を魅了していたようですね!」

「うげっ、ずるい! ど、どうするんだよ!!」

 救いを求めて視線を合わせてくるダーテンに、クーデルスは冷や汗をかきながら告げた。


「とりあえず逃げます! いいですか、くれぐれも村人や団員を傷つけないでください!!」

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