18話

 夜も更けて、月と星が夜の闇の中に星座の物語を描く頃。

 いずこよりか、恐ろしげな獣の声が響き、人々は寝台の中で恐怖に身を震わす。

 あぁ、ここはまさに神の加護の無きところ。

 寄る辺なき荒野なりや。


 その夜、アデリアは与えられた寝台にはいったものの、他の団員と同じくいつまでも眠れずにいた。

 だが、彼女が恐れているのは、他の団員とは違って魔獣の襲撃ではない。

 彼女を襲う恐怖の名、それは自らに与えられた職務の重圧である。


 果たして、自分にどれだけの事ができるのか?

 もしも致命的な失敗をしてしまったら、どうしよう?

 考えるのは、そんな事ばかりだ。


 クーデルスの前では勝気に振舞っては見たものの、彼女には圧倒的に経験が足りていない。

 いくら最高の教育を与えられているとはいえ、彼女はまだ18歳の少女に過ぎないのである。

 それをよく理解しているだけに、彼女は失敗をする事を極端に恐れていた。


 ――いったい、どうすればいいっていうのよ?

 枕をキツく抱きしめながら、アデリアは眼鏡面の中年男の顔を思い出す。

 まぶたの裏のクーデルスの面影は、穏やかな表情で「あなたならきっと出来る」と無責任に微笑んでいた。


「何がお任せします……よ! 人にとんでもない仕事を押し付けて!!

 自分に出来ないことを人に押し付け……あー、たぶん出来るのよね。

 そして、出来ない私の事を影で笑っているんだわ!

 きぃぃぃぃぃ! くやしぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 アデリアは、抱えていた枕をクーデルスに見立ててぼすんぼすんと拳を叩き込む。


「じゃあ、こう考えましょう。 あの男ならどうする?」

 とはいうものの、それこそ何も思いつかない。

 だが、むしろ思いつかないことにホッとする。

 クーデルスとは、いつも余人の思いつかない方向に走る生き物であり、自分がそんな変人と同じレベルの生き物では無いと理解したからである。


 だが、何か参考に出来るものはあるはずだ。

 そういえば、クーデルスは肉体的にも頭脳的にもバケモノであるが、全てを自分でやろうとはしない。

 それに関して、彼はここに来るまでの馬車の中でこういっていたはずである。


「仕事を二つに分けるとすれば、それはこう分かれます。

 すなわち『自分でやるべきもの』と『他人にやらせるべきもの』です。

 たとえば、鍛冶場で日用品を作る必要があるとしましょう。

 もしも私が自らそれを成そうとすれば、いちから技術を学ぶ必要があり、当然ながら非常に時間がかかります。

 なので私はそれを自分でせずに、火の魔術と鍛冶の技術を持った人間つれてきて、その人に任せるでしょう。

 これはわかりやすい例ですが、一見して自分が頑張ってやればいいように見える仕事でも、実は他人に任せるべき仕事と言うものは、とても多いものです。

 当たり前だと思いますか? でもね、意外と出来る人は少ないのですよ」


 あぁ、そうだ。

 自分はなぜ、自らの愚かさで自分を縛っていたのだろうか。


 クーデルスとのやりとりを思い出した瞬間、アデレアは自分が何をすべきかの方向性を理解した。

 彼女の言葉を聴いたクーデルスが、どんな顔をするかを想像しながら。


 ――あぁ、早く明日の朝になればいい。

 そして彼女は安らかな気持ちで眠りにつく。



「……というわけで、クーデルス団長および男性職員各位には村長さんへの意味の無い接触を禁止いたします」

 朝のミーティングでアデリアがそう切り出した瞬間、周囲からものすごいブーイングが上がった。


「えぇぇっ!? そんなんご無体な!! 横暴ですよ、アデリアさん!!」

 そして独身男性職員を代表して、クーデルスがドンと机を叩いて抗議する。

 彼らにとって、村長は労働の疲れを癒す清涼飲料水であり、やりがいの一部だ。

 それを取り上げられたら、怒り狂うのは当たり前であった。


 だが、奴隷市場で見世物として晒され、地獄の炎にあぶられるような屈辱に耐えてきたた彼女に、その程度の威圧は通用しない。

 隣で小さく肩を震わせる村長をかばうように胸を張りながら、口元に手を当てて笑ってさえ見せた。


「おほほほほほほほ! 見ていて気持ちがスッキリするぐらいぐらい残念なお顔ですわね、皆様がた。

 ではお聞きしますが……なぜ私的に村長と話すことを禁じたことで、そのようにお怒りになるのかしら? 貴方たち、ここへはお仕事に来たのですわよねぇ?」

 歯軋りをする男性職員を見渡し、彼女はわざと哀れむような目を向ける。


「貴方たち。 ここは、お見合いの席ではありませんことよっ!!」

 無論、アデリアはこの男性団員共けだものさんたち全員が一目見たときから美しい未亡人である村長を狙っていたのを知っていて、その上でのこの発言だ。


「この、魔女がぁっ! 希代の悪女め!」

「鬼っ、悪魔!」

「あらあら、ずいぶんと評判ですこと。 でも、その程度ですの? つまらないわ。

 奴隷市場でわたくしを売り飛ばそうとした司会の男など、それはそれは語彙が豊富でしたわよ」

 団員から飛び交う罵詈雑言ですら、今の彼女の前では喝采かっさいと変わらない。

 まるで舞台の上で拍手を浴びる歌姫のように微笑みながら、彼女はさらにこう切り出した。


「あと、何か勘違いされているようですが……何もわたくしは絶対に言葉を交わしてはいけませんと言っているのではありませんのよ?

 ちゃんと、しかるべき理由があればどんどん話しかけてくださって結構ですわ?

 たとえば……」

 強烈な飢えを与えた後で、彼女はしたたかにも餌をちらつかせる。


「土砂に埋まった家屋が驚異的なスピードで掘り起こされただとか、仮説住宅が予定よりも早く仕上がっただとかいう報告を、忙しいわたくしの代わりに村長に報告してくださると非常に助かります」

 ずいぶんとわかりやすい挑発ではあったが、団員達の目がギラギラしたものに変わった。


 その恐ろしい煽動の技術を目の当たりにし、クーデルスがボソリと呟く。

「アデリア、恐ろしい子! 貴女……何者ですか!?

 多少のヒントは与えておいたつもりですが、たった一晩でお役所仕事の奥義を身につけるとは!!」


 なお、その奥義の名は『丸投げ』と言う。

 世の中で人の上に建つ人間にとっては必須と言うべき技術であった。

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