6話
「その後はご想像の通りよ。
あの山猿女に恨みを持つ連中に声をかけて、徹底して弾圧してやったわ」
鬼畜の所業にも関わらず、楽しそうに語るその表情からは、微塵も後悔など感じられなかった。
いや、実際に楽しいのだろう。
憎いあの女の服を引き裂いてやったときの爽快感。
階段から突き落としてやったときの、絶望に染まる顔。
思い出すだけでなんと甘美な
今となっては、なぜあの女の体にナイフを突き立ててゆっくりと苦痛を味あわせながら殺してやらなかったのか、不思議でならない。
そうすれば、こんな結末は無かったのに。
婚約者を
まるで歌姫のように美しい声で凄惨な悪意を語りながら、アデリアは過去に行った悪鬼の所業をまぶたの裏に夢見る。
美しい人の顔をしていても、彼女の心はすでに醜いバケモノへと成り果てていた。
「なるほど。 ですが、なんで相手を追い詰めていたはずの貴女が、奴隷商人のところなんかにいるんです?」
クーデルスがふとそんな疑問を口にすると、アデリアの顔が一瞬にして怒りに染まる。
あぁ、魔女の顔だ。 復讐を代償に、悪魔に魂を売り渡したモノの成れの果てがそこにあった。
「誰かが王太子に告げ口したのよ。
私が中心になって、あの山猿女を虐待しているって。
それで最後には、王太子が出てきてお前のような残酷な女は王妃にふさわしくないと言い出したのよ」
そして事の全ての責任をアデリアの人間性に押し付け、彼女は公衆の面前で婚約を破棄されたのだ。
しかも、その時すでに憎悪に狂った彼女は本当に王妃にふさわしい矜持と振る舞いを失っていたのである。
「権力と体面を気にする父は、王太子から婚約解消を言い渡されたことに怒り狂ったわ。
そして私を勘当し、知り合いの奴隷商人に売り飛ばした。
……というのが、巷で流れている物語の顛末よ」
なんとも無慈悲な顛末に、クーデルスは顔をしかめる。
彼女を勘当するまでは、それでもまだありえるの範囲内かもしれない。
だが、修道院ではなく奴隷商人に売り飛ばすとは……親子の情が無いのだろうか?
それが当たり前だというのなら、貴族社会と言うのは、どうにも人間性と言うものとは相性が悪いらしい。
「それにしても解せませんね。 婚約者のある男と親しくすれば、それは立派な罪です。
今の話が本当ならば、向こうが投獄されてしかるべきでしょう?」
「それをどうにかしたのよ、あの山猿女。 どうせあの女に引っかかった馬鹿な男が、点数稼ぎに手を回したんだと思うけど」
今となっては全てが憶測ではかないが、おそらく真実からもそう遠く離れてはおるまい。
確かな事は、相手が大貴族相手の罪をもみ消すほどに社会的な基盤を築き上げているということだ。
「厄介な人ですねぇ」
クーデルスはしみじみと呟く。
魔帝国の重鎮として長く生きてきただけあって、似たような人物にも何度か遭遇したことがあるが、その手の人間はえてして社会を大きく掻きまわすのだ。
それは時に革命家と呼ばれ、心地のよい言葉と言う毒で周囲も自分も染め上げる。
「ええ、厄介よ? か弱くて健気なフリをして、男を味方につける事だけは抜群にうまいから」
「酷い話です……」
そんな人物を王妃につけて、この国はどこへ行こうというのだろうか?
クーデルスが遠い目をしたその時である。
「いいえ、酷いのはこれからよ」
アデリアの自虐的な微笑みに、クーデルスは眉をひそめた。
「まだ何かあるんですか?」
「あの山猿女、私が変な貴族に買われたら可哀想……と言う名目で、私がオークションに出されても誰も買わないよう、周囲に根回ししたのよ。
ええ、ただ"買わないように"とだけね。
それがどういう結果になるかわかる?」
まるで試すような言い回しをするアデリアだが、クーデルスはすぐにその意味を悟る。
「……あ。 それはひどい」
それはまるで、天使のような顔をした悪魔の所業であった。
問題はこの"オークションに出すな"ではなく"誰も買うな"というところである。
「そうよ。 奴隷であるからにはオークションには出されるわ。
こんな風にね」
彼女は立ち上がって道化のような仕草で一礼し、高々とオークションの口上を歌い始めた。
さぁ皆様、次は本日の目玉商品です。
誰もがご存知の、この国一番の悪女をお目にかけましょう。
知らない方はいらっしゃらないと思いますが、この女はこの国の王妃となる方を害し、王太子殿下の心を無理やり自分に繋ぎ醒めようとしたとんでもない悪女でございます。
そう、本来ならば奴隷として家畜以下の扱いを受けるべき存在なのです。
ですが、心優しい未来の王妃様はこうお望みになったことをご存知ですか?
労働を知らぬ高貴な身分であったこの女を牛馬のように扱うのはむごすぎる。
だから、誰も買わないであげてほしい。
ですが、私も売れてもらわないとお給料がもらえません。
だからこの悪女が売れるよう、一生懸命がんばらせていただきます。
さぁ皆さん、覚悟してくださいね!
では、入札を開始します。
まずは無料から。
おや、誰も入札しない?
持ち合わせが無いなら、物々交換でもいいですよ?
そう、あなたのはいている穴あきの靴下なんかどうでしょう?
「……と、ここで観客は大爆笑よ。
そんな感じでさんざん人を笑いものにして、最後はこう結ぶの。
みなさんお優しいですねぇ。
いやはや、今回は私の負けです。
では、またまた売れ残ってしまった悪女とは次のオークションでお会いしましょう!」
要するに、見せしめであり見世物だ。
多くの不満を抱える人間に、自分よりも下の人間があるということを示してやるのである。
そして民衆は彼女に慈悲と言う綺麗な石を投げつけて、ニヤニヤと笑いながら自らの不満を慰めるのだ。
実にうまいやり方で、実に残酷なやり方である。
魔族としてさまざまな悪行を見ていたクーデルスさえ、その陰湿さに声もでない。
あまりの事にしばし沈黙していると、アデリアはふと何かを思いついたかのようにこんな言葉を口にした。
「ねぇ、お前……私の事が本当に好きなの?」
その言葉に含まれる甘い毒に、クーデルスの心臓が跳ね上がる。
たかが18歳の小娘といえど、アデレアは美しく、そして女の魔性を十分に持ち合わせていた。
400歳を越えた魔族とはいえ、恋愛初心者のクーデルスにとって、この刺激はあまりにも強すぎる。
「あ……はい。 貴女といると、あの……なんというか、胸がドキドキします」
「じゃあ」
顔を赤らめてかすれた声をあげるクーデルスの耳元に唇を寄せ、アデリアは優しくキスをするような仕草でこんな言葉を囁いた。
まるでヘロディアの娘、サロメのような笑顔を添えて。
「あの王太子と野猿女を殺してちょうだい。
この商館の守衛共を出し抜いて無傷でここまで来る事ができるお前なら、きっとできると思うわ。
もしも、あの酷い王太子と野猿女を殺してくれるというのなら、お前を受け入れてあげてもよろしくてよ?」
ゾクリ……と、クーデルスの耳から全身に悪寒が走る。
その甘い台詞は、二世代の魔帝王に仕えた男をもたじろがせるほどに、深い闇と悪意をはらんでいた。
「ほ、本気ですか?」
「冗談よ。 真に受けないで」
まるで仏像のようにあいまいな笑みを浮かべるアデリアだか、あれだけの色を声に纏わせておいて、本気でないはずが無い。
だが、それを問いただす事は許さないとばかりに冷たく微笑みながら、彼女は部屋から出てゆけと視線で促す。
しかし、クーデルスはすぐには動こうとせずに彼女に尋ねた。
「なぜ、そんなにその人が憎いんですか?」
「憎いわよ。 当たり前でしょ」
だが、クーデルスが納得した様子は無い。
しかし、アデリアとしてはそう答えるしかなかった。
すると、クーデルスはしばし考えた後に、彼女に向かってこう尋ねたのである。
「もうひとつだけ聞いていいですか?」
「……何よ」
「もし、その王太子が自らの振る舞いを心から悔いていたら?
その野猿女を捨てて、貴女の前に跪いて許しを請うならば、貴女はどうしますか?」
クーデルスの口から飛び出した言葉は、あまりにも彼女の想定を超えていた。
「……ありえないわ」
否定する魔女の声が、僅かに揺らぐ。
「もしもの話ですよ。 もしも、そんなことが現実にやってきたら、貴女はどうしますか?」
「そんなの……」
唇はその動きを止め、舌は言葉を紡がない。
そのまましばし、彼女は沈黙する。
「絶対に許さないに決まっているじゃない」
彼への憎しみは本物だ。
それだけは間違いない。
だが、その台詞が出てくるまでに生まれた三秒と言う長い過ぎる時間――その不自然な時間の意味を、彼女は自分にも説明できないでいた。
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