5話

 いっそ――全てが不幸になればいいのに。

 雲ひとつ無い青空を睨みつけ、その少女は心の中で呪いの言葉を呟いていた。


 もしも視線に色があるのなら、この空を黒く塗りつぶしてしまいたい。

 もしも怒りに熱があるのなら、この国を丸ごと灰にしてしまえばいい。


 だが、いくら憎しみをこめて睨みつけようとも空は青いままで、外には楽しげに歩く男女が笑い声を上げている。

 なんて不条理な。

 この私がこんなにも不幸せであるというのに、私の外の世界はこんなにも楽しくて幸せそうなものが満ち溢れている。


 そんな事を考えていると、視界の隅から何か黄色いものが差し出された。

 薔薇だ。

 それは黄色い薔薇の中に一本だけ赤い薔薇の混じった花束であった。


 黄色い薔薇の花言葉は『嫉妬』、恋人に贈るならば『恋に飽きた』と言う意味があるが、面白いことに一本だけ赤い薔薇を混ぜると「諦めない心」と言う意味となる。


 なんとも複雑で誤解を招きかねないメッセージだが、この場合は悪くない。

 自分のようにありきたりな口説き文句に飽きた相手ならば、心憎い口説き方で通る、むしろ粋なやり方だろう。

 そして、今の自分にこんなまねをするような奴は一人しかいない。


「また、お前なの?」

「はい、また私です」


 返事をしたのは、黒縁眼鏡をかけた中年男だった。

 やや背は高く、穏やかで濃い目の顔立ち。

 擦り切れたローブで体型はよくわからないが、少なくとも腹は出ていないようである。

 見てくれとしてそう悪くも無いはずなのだが、なぜか全体的に凡庸な雰囲気がぬぐえない。


「帰りなさい。 お前の相手をするほど私はヒマじゃなくてよ」

 そんな冷たい台詞を叩きつけるも、彼女――苗字もミドルネームも失ってただのアデリアとなった少女は、目の前で片膝をついて花束を差し出しているこの男の事が嫌いではなかった。

 凡庸な雰囲気は彼女に緊張を強いず、優しくて穏やかな言葉遣いはむしろ安堵を与え、そして何よりも彼女を好奇心や奇異の目で見ないからである。


「おや、それは失礼。 もしよろしければ、何をなさっていたのかお伺いしても?」

 ――お前には関係ない。

 そう言いかけて、彼女はふと考え直した。

 そして毒と皮肉たっぷりの笑顔でこう答えたのである。


「自らの不幸を呪い、人類と世界の破滅を願う作業よ。 わかったら、早くここから出てゆきなさい」

 ――なんと忌まわしくも呪わしい。

 普通の人間であれば、さすが希代の毒婦よ……と言い捨てて去ってゆく台詞である。

 おそらく彼女もそれを期待しての台詞であったのだろうが、困ったことに目の前の男は魔族であった。

 しかも、先日まで四天王の一角を担っていたほどの男だ。


「あぁ、それは大切なお勤めですね。 お疲れ様です」

「……馬鹿にしているの?」

 期待はずれの言葉に、アデリアは酷く機嫌が悪そうに眉をピンと跳ね上げる。

 しかし、クーデルスは言葉の意味がわからないとばかりにわずかに首をかしげると、困惑した表情を浮かべた。


「まさか。 そんな感じに見えますか?」

「そうね、見えないわ。 むしろお前の顔が馬鹿って感じね」

 そう告げながら、アデリアは自分の言葉がツボに入ってしまったのかプッと噴出す。 彼女が笑ったのと同時に、暗く陰鬱な空気が少しだけ緩んだ。


 クーデルスはそのまま微笑みながらしばらく笑い続ける彼女を見守ると、花束をテーブルに置いてアデリアの目をまっすぐ覗き込む。

 そして低く柔らかな声でたずねた。


「何を……そんなに憎んでいらっしゃるのです?」

 その瞬間、アデリアは心地よい夢から無理やり引き剥がされたかのようにまなじりを吊り上げ、悪意と敵意の混じった凄絶とさえ思える笑顔をクーデルスに向ける。


「何を憎む? ふざけないで。 その理由を知らないものは、この国にはいないわ」

 だが、クーデルスは困ったように頭をかく。

 なぜなら、彼は本当にその理由を知らないからだ。


「いやぁ、実は私……数日前までこの国からずっと離れたところにいたもので、本当に知らないんですよ」

 そう答えられると、アデリアも強く彼を責める事はできない。


「あら、そう。 思い出したくも無いけど、知りたいのなら教えてあげるわ。

 どうせ、この国の人間ならみんな知っている話だもの」

 そう告げると、彼女は過去を噛み砕くかのように歯を食いしばり、椅子の背に体を預け、天を呪うように睨みつけながら語りだした。

 彼女の、この国で知らぬものはいないほど有名な、そして忌まわしい過去を。


「私はもともとこの国の公爵家の娘、そしてこの国の王太子の婚約者だったわ。

 だから子供の頃から厳しく躾けられ、王妃として国のために尽くすべくさまざまな教育を施された。

 自由なんか無い。 王子の伴侶である事が私の存在意義で、それ以外に私の価値なんて無かったのに……ある日、学園でこの国の未来を担うべく学んでいた私達の前に、あの山猿女が現れたのよ!」

 血を吐くような声とともに彼女が罵ったのは、今の王太子の恋人といわれる男爵令嬢の事である。


 平民育ちであるその男爵令嬢は、貴族としてふさわしい礼儀作法を何も知らず、知らなかったという理由で決まりを無視し、しかも周囲が貴族社会のあり方を諭したところで「そんなのおかしい」「人はみんな平等のはず」と言って平然とした顔で否定した。


 だが、少なくともそれは、爵位をもつ家に生まれ、その爵位の恩恵で学園に入学したものが口にしてよい言葉ではない。

 まさに大衆にとって都合のいい、衆愚の思想に脳髄まで犯されたかのような言葉だった。


 しかもその山猿女は、学園に通っていた他の顔が良くて優秀な男子生徒たちを言葉巧みに篭絡し、親しげに振る舞い、彼らのことを取り巻きのように扱ったのである。

 当然ながら、その男子生徒にも婚約者はおり、女生徒達の心は荒れに荒れた。


 しかも、彼女が現状を憂えて何か行動を起こそうと考えていた矢先である。

 よりにもよってだ……王子にしてアデリアの婚約者であった男がだ、王政と貴族社会の敵でしかない、山猿のような女と恋に落ちたのだ。


 彼の曰く「王子ではなく、一人の男としてみてくれるのは彼女だけ」とのことなのだが、それもまだ許せた。

 愛人の存在を認めるだけの度量がアデリアにはあったからだ。

 悔しくて情けないとは思うものの……王もまた一人の人間であり、その弱さを埋める人間が必要だという教育を受けていたし、王族としての義務を忘れなければそのぐらいの自由はあってもよいと思ったからである。


 だが、次第に王太子はアデリアとの距離を置くようになり、ある日のこと……アデリアの耳のある場所でこんな台詞を口から滑らせてしまったのだ。

 ――アデリアではなく、君を王妃にしたい。


 その日、その瞬間から、彼女の心に地獄が生まれた。

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